10 / 48
2.花と緑と弾丸と
1.
しおりを挟む
橋の上で、麗良は途方に暮れていた。
(どうしてこんなことに……)
橋の下には、青緑色の池があり、大きな緑色の平皿のような葉っぱが幾つも浮かんでいる。
それらの隙間を縫うように、白や黄色、ピンクなどの睡蓮の花が水面上で上を向いて咲いている。
「レイラ、見てごらん。子供がハスの葉の上に乗っているよ。
レイラも乗ってみるといい」
「いや、無理でしょ」
目をきらきらさせて振り返るチョコレート色の顔に、麗良は、嫌悪感を露わにした表情を返した。
ラムファが指さす先には、水面に浮かぶ大きなハスの葉〈オオオニバス〉の上に、四、五歳くらいの男の子が乗っていた。
しかし、傍にあった説明書きを見ると、『体重三十キロまで』と記載されている。
麗良が説明書きに書かれている文字を指さして説明してやると、ラムファは、そうかぁ、と残念そうな顔でオオオニバスを見やった。
どうやら日本語はあまり読めないようだ。
「パパの国にはね、これよりもっと大きくて分厚いハスの葉があって、子供たちが十人乗っても平気なんだ。
みんな、それに乗って競争をしたりして遊ぶんだよ。
パパも子供の頃は、よく遊んだなぁ。
レイラも、パパの国へ来たら遊ぶといい」
そうだ、それがいい、とラムファは、一人納得顔をして頷いている。
麗良が半ば呆れた表情を浮かべた。
「そんなハス、あるわけないでしょう。
オオオニバスが世界で一番大きなハスなのよ。
それに、誰もあなたの国に行くとは言ってない」
棘のある口調で麗良が抗議の視線を送るが、ラムファは気付いていない。
それどころか、にこにこと嬉しそうな顔をしている。
「レイラは博識だね。植物が好きなのかい?」
「別に……ここへは、よく来るから、覚えちゃっただけ」
褒められたことが妙にこそばゆくて、ぷいとそっぽを向くと、熱心に池の中を覗いている青葉の横顔が目に留まった。
こちらのやり取りなどまるで耳に入っていない。
きっと花展に出す作品のテーマについて色々と考えているのだろう。
『麗ちゃん、次の日曜日、一緒に植物園へ行かない?』
そう言って、青葉が麗良を誘うのは、いつも決まって麗良が何か塞ぎ込んでいたり、イライラしていたりする時だ。
もう何度もそうして青葉と一緒にこの植物園へ足を運んでいるので、麗良は、この植物園のどこに何の植物があるのか、それらの名前もすっかり記憶している。
はじめは、些細な理由から始まった。
祖父に叱られて泣いているまだ幼い麗良を慰めるため、青葉が言ったのだ。
植物園へ行こう、と。
今思えば、幼い子供を慰めるなら、お菓子をあげようとか、公園へ行こうと言うものだ。
それでも、青葉が植物園を選んだのは、やはり花道家として花や植物に囲まれて過ごすことのできる植物園にいると自分自身が心安らぐからだろうか。
もしくは、それしか思い浮かばなかったからか、或いは、その両方かもしれない。
どちらにせよ、麗良は、青葉と植物園へ行くことで機嫌を直していたのだから、強ち青葉の提案は間違いではなかったと言える。
以来、青葉は、麗良に何かあると、こうして植物園へ誘うようになった。
今日こうして植物園へ来たのも、突然現れた父親の存在に動揺している麗良を心配してのことだろう。
口に出してそうとは言わないが、長年一緒に暮らしている麗良には、青葉の優しさが手に取るようにわかった。
(本当なら、二人きりで来る筈だったのにな……)
久しぶりに青葉と植物園へ行けることに、麗良はラムファに感謝しても良いとすら思えるほど嬉しかった。
玄関を出たところで、ラムファの邪気のない笑顔が待っているのを見るまでは――。
そのままくるりと踵を返して家へ戻ろうとした麗良を、青葉が何とか宥めすかし、結局三人で植物園へ行くこととなったのだ。
ラムファは、何がそんなに嬉しいのか、始終笑顔であちらこちらの花や植物を指さしては、麗良に向かって話しかけた。
あの花はレイラに似てとても可愛いとか、あの木は自分の国でも似たのを見たことがあるけど何という名前かなど、些細な娘とのやり取りを楽しんでいるようだ。
青葉の手前、ラムファを完全に無視することもできず、麗良は、それら一つ一つの質問に不機嫌な顔で答えていった。
そんな麗良の様子などお構いなしに、一人はしゃぐラムファを見て、麗良は溜め息を吐いた。
(おじい様は、ずるい……)
家にラムファが住み着くようになってから、麗良は、自分の部屋に籠って出ないようにしていた。
極力ラムファと顔を合わせたくないからだ。
食事も依子に頼んで、部屋まで運んでもらっている。
依子には悪いと思いつつも、自分の父親だと名乗る謎の男と顔を合わせて食事を取るのはどうしても嫌だったのだ。
それは、ラムファに対して無言で拒絶の意を表すと共に、良之に対して抗議を現す意味も持っていた。
良之は、あれから何も言わない。
露骨にラムファを避けている麗良を見ても、しつこく麗良を追い掛け回すラムファを見ても、ラムファについて麗良に何かを語るでもなく、良之だけは、変わらない日常の中にいた。
そんな良之の態度が腹立たしく、でも、直接面と向かって抗議を口にすることは出来ないので、自室にこもることしか麗良には出来ない。
「レイラ、見てごらん。すごく大きな花があるよ」
見上げるほど大きな花を指さし、ラムファが大声で麗良を手招きしている。
世界最大の花と言われる〈ショクダイオオコンニャク〉だ。
その名のとおり、一本の巨大な蝋燭を支えている燭台のように見える。
傍を通り過ぎて行く人たちがラムファを見て、くすくすと笑っているのに気づき、麗良は顔から火が出る思いがした。
背の高い異国風の容貌をしたラムファは、とにかく目立つ。
特に行き交う女性たちからの熱い視線が麗良には痛く、このまま回れ右をして逃げ出そうかとも思ったが、それはそれで逆に目立ちそうなのでやめておいた。
身を縮ませて、行こう、と青葉に声を掛けるものの、自分の世界に入り込んでしまっている青葉の耳には届かない。
(全く、男の人って自分のことしか考えてないんだから……)
内心で悪態をつきつつも、麗良は、青葉の真剣な顔を傍で見ているのが嫌いではない。
幼い頃は、彼の注意をこちらに向けようと必死だったが、ある程度大きくなってからは、それが無駄なことだと悟って諦めるようになった。
常に彼の心を占めているものは、たった二つだけ。
そして、そのどちらにも麗良は敵わないと知っている。
じっと青葉を見つめる麗良の視線に微かな熱が込められているのを、ラムファが焦るような困った顔で見つめていた。
(どうしてこんなことに……)
橋の下には、青緑色の池があり、大きな緑色の平皿のような葉っぱが幾つも浮かんでいる。
それらの隙間を縫うように、白や黄色、ピンクなどの睡蓮の花が水面上で上を向いて咲いている。
「レイラ、見てごらん。子供がハスの葉の上に乗っているよ。
レイラも乗ってみるといい」
「いや、無理でしょ」
目をきらきらさせて振り返るチョコレート色の顔に、麗良は、嫌悪感を露わにした表情を返した。
ラムファが指さす先には、水面に浮かぶ大きなハスの葉〈オオオニバス〉の上に、四、五歳くらいの男の子が乗っていた。
しかし、傍にあった説明書きを見ると、『体重三十キロまで』と記載されている。
麗良が説明書きに書かれている文字を指さして説明してやると、ラムファは、そうかぁ、と残念そうな顔でオオオニバスを見やった。
どうやら日本語はあまり読めないようだ。
「パパの国にはね、これよりもっと大きくて分厚いハスの葉があって、子供たちが十人乗っても平気なんだ。
みんな、それに乗って競争をしたりして遊ぶんだよ。
パパも子供の頃は、よく遊んだなぁ。
レイラも、パパの国へ来たら遊ぶといい」
そうだ、それがいい、とラムファは、一人納得顔をして頷いている。
麗良が半ば呆れた表情を浮かべた。
「そんなハス、あるわけないでしょう。
オオオニバスが世界で一番大きなハスなのよ。
それに、誰もあなたの国に行くとは言ってない」
棘のある口調で麗良が抗議の視線を送るが、ラムファは気付いていない。
それどころか、にこにこと嬉しそうな顔をしている。
「レイラは博識だね。植物が好きなのかい?」
「別に……ここへは、よく来るから、覚えちゃっただけ」
褒められたことが妙にこそばゆくて、ぷいとそっぽを向くと、熱心に池の中を覗いている青葉の横顔が目に留まった。
こちらのやり取りなどまるで耳に入っていない。
きっと花展に出す作品のテーマについて色々と考えているのだろう。
『麗ちゃん、次の日曜日、一緒に植物園へ行かない?』
そう言って、青葉が麗良を誘うのは、いつも決まって麗良が何か塞ぎ込んでいたり、イライラしていたりする時だ。
もう何度もそうして青葉と一緒にこの植物園へ足を運んでいるので、麗良は、この植物園のどこに何の植物があるのか、それらの名前もすっかり記憶している。
はじめは、些細な理由から始まった。
祖父に叱られて泣いているまだ幼い麗良を慰めるため、青葉が言ったのだ。
植物園へ行こう、と。
今思えば、幼い子供を慰めるなら、お菓子をあげようとか、公園へ行こうと言うものだ。
それでも、青葉が植物園を選んだのは、やはり花道家として花や植物に囲まれて過ごすことのできる植物園にいると自分自身が心安らぐからだろうか。
もしくは、それしか思い浮かばなかったからか、或いは、その両方かもしれない。
どちらにせよ、麗良は、青葉と植物園へ行くことで機嫌を直していたのだから、強ち青葉の提案は間違いではなかったと言える。
以来、青葉は、麗良に何かあると、こうして植物園へ誘うようになった。
今日こうして植物園へ来たのも、突然現れた父親の存在に動揺している麗良を心配してのことだろう。
口に出してそうとは言わないが、長年一緒に暮らしている麗良には、青葉の優しさが手に取るようにわかった。
(本当なら、二人きりで来る筈だったのにな……)
久しぶりに青葉と植物園へ行けることに、麗良はラムファに感謝しても良いとすら思えるほど嬉しかった。
玄関を出たところで、ラムファの邪気のない笑顔が待っているのを見るまでは――。
そのままくるりと踵を返して家へ戻ろうとした麗良を、青葉が何とか宥めすかし、結局三人で植物園へ行くこととなったのだ。
ラムファは、何がそんなに嬉しいのか、始終笑顔であちらこちらの花や植物を指さしては、麗良に向かって話しかけた。
あの花はレイラに似てとても可愛いとか、あの木は自分の国でも似たのを見たことがあるけど何という名前かなど、些細な娘とのやり取りを楽しんでいるようだ。
青葉の手前、ラムファを完全に無視することもできず、麗良は、それら一つ一つの質問に不機嫌な顔で答えていった。
そんな麗良の様子などお構いなしに、一人はしゃぐラムファを見て、麗良は溜め息を吐いた。
(おじい様は、ずるい……)
家にラムファが住み着くようになってから、麗良は、自分の部屋に籠って出ないようにしていた。
極力ラムファと顔を合わせたくないからだ。
食事も依子に頼んで、部屋まで運んでもらっている。
依子には悪いと思いつつも、自分の父親だと名乗る謎の男と顔を合わせて食事を取るのはどうしても嫌だったのだ。
それは、ラムファに対して無言で拒絶の意を表すと共に、良之に対して抗議を現す意味も持っていた。
良之は、あれから何も言わない。
露骨にラムファを避けている麗良を見ても、しつこく麗良を追い掛け回すラムファを見ても、ラムファについて麗良に何かを語るでもなく、良之だけは、変わらない日常の中にいた。
そんな良之の態度が腹立たしく、でも、直接面と向かって抗議を口にすることは出来ないので、自室にこもることしか麗良には出来ない。
「レイラ、見てごらん。すごく大きな花があるよ」
見上げるほど大きな花を指さし、ラムファが大声で麗良を手招きしている。
世界最大の花と言われる〈ショクダイオオコンニャク〉だ。
その名のとおり、一本の巨大な蝋燭を支えている燭台のように見える。
傍を通り過ぎて行く人たちがラムファを見て、くすくすと笑っているのに気づき、麗良は顔から火が出る思いがした。
背の高い異国風の容貌をしたラムファは、とにかく目立つ。
特に行き交う女性たちからの熱い視線が麗良には痛く、このまま回れ右をして逃げ出そうかとも思ったが、それはそれで逆に目立ちそうなのでやめておいた。
身を縮ませて、行こう、と青葉に声を掛けるものの、自分の世界に入り込んでしまっている青葉の耳には届かない。
(全く、男の人って自分のことしか考えてないんだから……)
内心で悪態をつきつつも、麗良は、青葉の真剣な顔を傍で見ているのが嫌いではない。
幼い頃は、彼の注意をこちらに向けようと必死だったが、ある程度大きくなってからは、それが無駄なことだと悟って諦めるようになった。
常に彼の心を占めているものは、たった二つだけ。
そして、そのどちらにも麗良は敵わないと知っている。
じっと青葉を見つめる麗良の視線に微かな熱が込められているのを、ラムファが焦るような困った顔で見つめていた。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
その転生幼女、取り扱い注意〜稀代の魔術師は魔王の娘になりました〜
みおな
ファンタジー
かつて、稀代の魔術師と呼ばれた魔女がいた。
魔王をも単独で滅ぼせるほどの力を持った彼女は、周囲に畏怖され、罠にかけて殺されてしまう。
目覚めたら、三歳の幼子に生まれ変わっていた?
国のため、民のために魔法を使っていた彼女は、今度の生は自分のために生きることを決意する。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる