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【第五章】死に神
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「半分ね。でも、今ならまだ間に合う。
夜が明けるまでに、この横丁から逃げるのよ。
ここは、幽霊たちの思念でできているのと同時に、生きている人間の生気も食らう場所でもあるの。
これ以上、この場所に留まり続けていたら、お嬢さんの身体も本当に死んでしまうのよ」
あまりに突然の話に、あかりの頭がついていかない。
自分が本当に死んでしまう?
そんなこと、本当の本当になるとは思っていなかったのだ。
女将さんは、部屋の床板を剥がすと、あかりにそこから外へ逃げるように言った。
「女将さんは」
やっとの思いで絞り出したあかりの声は、自分で思っていた以上に震えていた。
女将さんは、あかりを安心させるように笑って見せた。
「私はね、ここである人を待っていたの。ずっと。
でも、これだけ待ってもあの人には会えなかった。
ここは、心残りがあって死ぬに死にきれない魂だけが来られる場所。
きっとあの人にとって、私のことは、心に残しておくほどの存在ではなかったということなのかもしれない」
女将さんが悲しそうに俯く。
「だから、もうあの人は、死に神に連れて行かれたんだって思うことにした。
わかってはいたのだけど、諦めきれなかった。
せめて、この宿屋に私を頼りにしてきてくれるお客さんがいる限りは、がんばろうって。
幽霊になったら、時間の流れを感じなくなるものなのよね。
あなたに言われるまで、私も考えまいとしていたのよ」
でも、もう潮時ね、と女将さんは寂しそうに笑った。
「さあ、早く帰りなさい。あなたのことを待っている人たちのところへ」
あかりの脳裏に父と祖母、そしてまだ生まれて間もない弟の顔が浮かんだ。
このまま自分がここで死んでしまったら、本当に皆に二度と会えなくなる。
そんなことは嫌だと思った。
思ったから、女将さんのことは悲しかったけど、あかりは、床下を通って、屋敷の外へと出た。
外は、先程と変わらず雨が降っていたけれど、少し雨足が弱まっているように見えた。
遠くで雷鳴が鳴り響き、幽霊たちの叫び声が風に乗って聞こえてくる。
どうやら死に神たちは、ここの幽霊たちをあらかた狩り尽したのか、より多くの幽霊たちが集まる場所へと移動していったようだ。
そして、死に神たちが多くいる場所により多くの雨が降っているようだった。
あかりは、雨足の弱い方へと向かって走り出した。
改めて両手を見ると、自分の身体が透けて向こう側が見えるのがわかった。
雨に濡れることがないのは幸いだったが、それだけ自分が死に近づいているということでもある。
ここへ来た道順は覚えていない。
ただ、狐の子が教えてくれた、自分の行きたいと思う場所を強く念じるだけでいい、という言葉だけを信じて、走り続けた。
でも、本当にこのまま逃げて良いのだろうか。
おじさんや、狐の子、女将さんたちを置いて、自分だけ逃げても良いのだろうか。
そして、何より、死に神に会って、お母さんの居場所を聞き出すのではなかったのか。
あかりの心の迷いは、目の前に続く道に現れた。
真っすぐだった道が突然、目の前で三又に別れている。
あかりは足を止めた。
どのみちを選ぶのが正解なのだろうか。
左の道は、大きく左へ曲がっており、今来た道を戻っているように見える。
真ん中の道は、ずっと真っすぐ続いていて、ずっと先の方に小さな灯りが見える。
右の道は、くねくねと蛇行していて、雨足が強くなっているように見える。
「迷っているね」
突然、足元から声がした。
見ると、神社で会った黒猫だ。後ろ脚が一本欠けている。
「あたし、あたし……どうしたら…………」
黒猫は、ふんと鼻を鳴らした。
「そんなこと、うちの知ったこっちゃない。
あんたの道だ、あんたが決めるしかないんだよ」
突き放すような言い方だが、黒猫が本当はあかりを心配して、ここまで来てくれていることに、あかりは気が付いていた。
本当にどうでもいいと思っているなら、さっさと逃げて、こんなところにまで来る必要はないからだ。
あかりの脳裏に、横丁で出会った幽霊たちの顔が次から次へと浮かんでくる。
皆、あかりに優しくしてくれた。
中には、怖い想いをした時もあったけれど、やっぱりこのまま放っておくことは、あかりにはできそうにない。
「あたし、死に神に会わなきゃ」
そう言ったあかりの表情からは、迷いが消えていた。
黒猫は、つまらなさそうにしっぽを揺らして背を向ける。
「あたい、人間は嫌いだよ。…………でも、あんたは嫌いじゃない」
それだけ言うと、黒猫は、暗闇の中に溶けて消えて行った。
あかりは、三又に別れた道の一本を迷うことなく選ぶと、駆け出した。
夜が明けるまでに、この横丁から逃げるのよ。
ここは、幽霊たちの思念でできているのと同時に、生きている人間の生気も食らう場所でもあるの。
これ以上、この場所に留まり続けていたら、お嬢さんの身体も本当に死んでしまうのよ」
あまりに突然の話に、あかりの頭がついていかない。
自分が本当に死んでしまう?
そんなこと、本当の本当になるとは思っていなかったのだ。
女将さんは、部屋の床板を剥がすと、あかりにそこから外へ逃げるように言った。
「女将さんは」
やっとの思いで絞り出したあかりの声は、自分で思っていた以上に震えていた。
女将さんは、あかりを安心させるように笑って見せた。
「私はね、ここである人を待っていたの。ずっと。
でも、これだけ待ってもあの人には会えなかった。
ここは、心残りがあって死ぬに死にきれない魂だけが来られる場所。
きっとあの人にとって、私のことは、心に残しておくほどの存在ではなかったということなのかもしれない」
女将さんが悲しそうに俯く。
「だから、もうあの人は、死に神に連れて行かれたんだって思うことにした。
わかってはいたのだけど、諦めきれなかった。
せめて、この宿屋に私を頼りにしてきてくれるお客さんがいる限りは、がんばろうって。
幽霊になったら、時間の流れを感じなくなるものなのよね。
あなたに言われるまで、私も考えまいとしていたのよ」
でも、もう潮時ね、と女将さんは寂しそうに笑った。
「さあ、早く帰りなさい。あなたのことを待っている人たちのところへ」
あかりの脳裏に父と祖母、そしてまだ生まれて間もない弟の顔が浮かんだ。
このまま自分がここで死んでしまったら、本当に皆に二度と会えなくなる。
そんなことは嫌だと思った。
思ったから、女将さんのことは悲しかったけど、あかりは、床下を通って、屋敷の外へと出た。
外は、先程と変わらず雨が降っていたけれど、少し雨足が弱まっているように見えた。
遠くで雷鳴が鳴り響き、幽霊たちの叫び声が風に乗って聞こえてくる。
どうやら死に神たちは、ここの幽霊たちをあらかた狩り尽したのか、より多くの幽霊たちが集まる場所へと移動していったようだ。
そして、死に神たちが多くいる場所により多くの雨が降っているようだった。
あかりは、雨足の弱い方へと向かって走り出した。
改めて両手を見ると、自分の身体が透けて向こう側が見えるのがわかった。
雨に濡れることがないのは幸いだったが、それだけ自分が死に近づいているということでもある。
ここへ来た道順は覚えていない。
ただ、狐の子が教えてくれた、自分の行きたいと思う場所を強く念じるだけでいい、という言葉だけを信じて、走り続けた。
でも、本当にこのまま逃げて良いのだろうか。
おじさんや、狐の子、女将さんたちを置いて、自分だけ逃げても良いのだろうか。
そして、何より、死に神に会って、お母さんの居場所を聞き出すのではなかったのか。
あかりの心の迷いは、目の前に続く道に現れた。
真っすぐだった道が突然、目の前で三又に別れている。
あかりは足を止めた。
どのみちを選ぶのが正解なのだろうか。
左の道は、大きく左へ曲がっており、今来た道を戻っているように見える。
真ん中の道は、ずっと真っすぐ続いていて、ずっと先の方に小さな灯りが見える。
右の道は、くねくねと蛇行していて、雨足が強くなっているように見える。
「迷っているね」
突然、足元から声がした。
見ると、神社で会った黒猫だ。後ろ脚が一本欠けている。
「あたし、あたし……どうしたら…………」
黒猫は、ふんと鼻を鳴らした。
「そんなこと、うちの知ったこっちゃない。
あんたの道だ、あんたが決めるしかないんだよ」
突き放すような言い方だが、黒猫が本当はあかりを心配して、ここまで来てくれていることに、あかりは気が付いていた。
本当にどうでもいいと思っているなら、さっさと逃げて、こんなところにまで来る必要はないからだ。
あかりの脳裏に、横丁で出会った幽霊たちの顔が次から次へと浮かんでくる。
皆、あかりに優しくしてくれた。
中には、怖い想いをした時もあったけれど、やっぱりこのまま放っておくことは、あかりにはできそうにない。
「あたし、死に神に会わなきゃ」
そう言ったあかりの表情からは、迷いが消えていた。
黒猫は、つまらなさそうにしっぽを揺らして背を向ける。
「あたい、人間は嫌いだよ。…………でも、あんたは嫌いじゃない」
それだけ言うと、黒猫は、暗闇の中に溶けて消えて行った。
あかりは、三又に別れた道の一本を迷うことなく選ぶと、駆け出した。
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