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『包丁とバッジとチョーカー』

第二十六話 『用があるなら……、あたしが聞きましょう!!』

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 運転席をよく見ると、ドライバーは前を向いていなかった。
 うつむいて、視線が下を向いている……。

「……居眠り運転!?」

 僕が慌てて立ち上がったときには、アオが既に駆け出していた。
 一直線に近付いてくる車へと向かう。
 あっという間に車へと到達したアオは、大きくジャンプし――。

「ニャーー!!」

 運転席前のフロントガラスを、力強く引っ掻いた。
 ガラスを引っ掻くギャリッという音が聞こえ、耳障りで大きなブレーキ音ともに車が急停止する。
 車が止まったのは、横断歩道の少し手前だった。

「にゃあ!」

 固まって動けなくなっていた白猫と女の子に近付いたアオ。
『気を付けなさい!』と、厳しくも優しく声を掛けているようだ。
 これで一件落着と思ったとき――。

「おい、ふざけんなよ! クソ猫が!! このガラス、どうしてくれるんだ!?」

 車に乗っている男が大声で叫び、騒がしくクラクションを鳴らし始めた。

「アオ!!」

 クラクションの嵐の中、僕はアオの元へと急いだ。
 女の子は母親と思われる女性に手を引かれ、すぐに車から離れていった。
 しかし、アオと白猫はその場から動いていなかった。
 ……動けなかったのである。

 寄り添う二匹の元へと駆け付け、その耳を両手で塞ぐ。
 猫は非常に耳が良い。
 このクラクションは二人には大分キツイはずだった。
 実際、白猫は怯えて立ち尽くし、アオは必死に耐えている状態だった。
 僕は二匹をギュッと抱き寄せた。

 しばらく二匹を抱いたままでいると……、突如クラクションの音が止んだ。

 ゆっくりと顔を上げると……。
 目に飛び込んできたのは、怒りをあらわにした莉子だった。

、何か用かしら?」

 運転席のドアに右手の包丁を突き立てている莉子。
 車内にいる男は、怯えながら身体を助手席側へとのけぞらせている。
 そんな男を睨み付ける莉子は、これ以上ないくらいに完全にキレていた。

「アオ! その子は任せる!」

 アオと白猫を道路の端へと下ろし、僕は莉子の元へと急いだ。

「用があるなら……、あたしが聞きましょう!!」

 話を聞くつもりなんて微塵も感じられない莉子。
 左手に持っていた包丁も、勢いよく車へと突き刺した。

 そんな莉子に車の中の男は完全怯えている。
 異様な殺気を放ちながら、両手に包丁を持った女の子が車を突き刺してくる。
 そんな状況、恐怖でしかないだろう。

「ひぃぃぃーーー!!!」

 青い顔をした男は悲鳴を上げながら、あたふたしつつもハンドルを握る。

「莉子、危ない!!」

 男は車を出そうとしているのである。
 それに気付いた僕は莉子を後ろから抱き締めて、思いっきり引っ張った。
 そのまま後ろに莉子ごと倒れ込み、尻餅をつく。
 その瞬間、車は急発進して走り去った。

「莉子! 大丈夫!?」

 莉子は両手に包丁を持ったまま、走り去る車を未だに睨み付けていた。
 が、僕に抱き締められていることに気付いたようで、すぐに顔が赤くなった。

「うん……、ありがとう……、陸」

 先程とは打って変わって、しおらしくなる莉子。

「いや……、お礼を言うのは、僕の方だよ」

 莉子は僕らを救ってくれたのである。
 僕は優しく莉子の綺麗な黒髪を撫でた。

「ありがとう、莉子」


 ◆ ◆ ◆


「よくやったね、アオ」

 白猫を見送った後、膝に乗せたアオの顔を僕は両手でサンドイッチしていた。
 アオが車を止めたおかげで事故を防ぐことができたのである。

「にゃあ~」

 アオも誇らしげだった。
 しかし――。

「莉子、どうしたの?」

 莉子だけは不満そうな顔をしている。

「アオ、あなたは……甘すぎるわよ」
「え?」
「にゃ?」

 莉子の言っている意味が分からず、同時に声を上げる僕とアオ。

「車を止めたことはあたしも素晴らしいと思うわ。ただね――」

 一度言葉を切り、莉子は続けた。

「守るだけでは、真に救うことにはならないのよ!」
「にゃ!?」

 衝撃を受けるアオ。
 しかし、僕のほうは違った意味での衝撃を受けていた。
 いや、もしかして……。

「もし、あのまま守ることだけをしていたら、アオ自身はもちろんのこと、陸にも被害が及んだかもしれないわ」
「にゃにゃ!?」

 更なる衝撃を受けるアオ。
 ――あの、ちょっと、待って……。

「良い、アオ。できるだけ素早く、攻撃に移りなさい」
「にゃ!」

 莉子のアドバイスに頷くアオ。

「特に陸は、外で変な奴らに絡まれることが多いわ」

 それに関しては、すいません……。
 全くもって謝るしかないわけですけども――。

「やられる前にやる! 敵かもと思ったらすぐにやる! 先手必勝がオススメよ!」

 それは、ちょっと待ってほしいかな!!

「にゃ!!」

 しかしながら、僕の思いとは裏腹に、膝の上で背筋を伸ばして元気な返事をするアオ。
 莉子の思想に共感しているようだ。
 いや……、ようである。
 僕ががっくりと肩を落としていると、背後から声が聞こえてきた。

「……親分、あの女と猫には絶対関わらないほうが良いですって!」
「何言ってるんだ! 俺の車をあんなにされて黙ってられるか!!」

 見ると、二人の男が近付いてくるところだった。
 男たちの背後には先程逃げ去った車が見える。

「ガキと猫くらい、親を脅せば金を好きなだけふんだくれるに決まっているだろうが!!」

 うん……、このタイミングはマズイ。
 非常にマズイ……。

「アオ! さっき言ったことは理解しているわよね!?」

 莉子は既に両手に包丁を持っている。

「にゃ!」

 そんな莉子に呼応するように一声鳴くアオ。
 僕の膝をスルリと下り、華麗に莉子の肩へと飛び乗った。
 漆黒と深緑の綺麗な二つの瞳が見据えるのは、近付いてくる二人の男である。

「大丈夫よ、陸。そんなに心配しなくても」

 僕の様子が気になったのだろう。
 莉子から優しい声が発せられる。

「確かに相手は男二人。でも、あたしとアオの相手が務まるほどではないわ」
「いや、僕が心配なのは――」
「全く問題ないわ! あたしたちに任せて!」

 止まる気配が欠片も感じられない莉子。

「さあ、アオ! 行くわよーー!!」

 右手に持った包丁を真っ直ぐ男二人へ向け、気合の声を上げる。

「にゃーー!!」

 アオがそれに大きな声で応えた。
 二人は突撃を開始し、僕はそれを必死に阻止することとなったわけである。



 こんな状況になりつつも、僕は少し嬉しかった。
 いつも一人でいることの多い莉子とアオ。
 孤高の二人が互いを認め、互いを気遣い、二人で活き活きと楽しそうにしている。
 そんなところを見られれば当然嬉しいに決まっている。

 二人がこんなに活き活きとしていられるのであれば、僕はどんな苦労もいとわない。
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