月夜の陰で悪魔と踊る

月居契斗

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 翌朝、安月は喧しいアラーム音に顔を顰めながら目を覚ました。
「んん…」
 まだ目を開けられず、手だけで音の出所を探す。普段なら枕の横にあるはずの携帯電話が今朝に限ってなかなか見つからない。
「どうぞ」
 そんな声と共に携帯電話が目の前に差し出されて、安月は一気に覚醒した。
 仕立ての良いベストとシャツとスラックスが嫌味なほどに似合う綺麗な顔の男がベッドの脇に立っている。男の手にはアラームを鳴らし続けている携帯電話があった。
 安月はひったくるように携帯電話を取り上げてアラームを止め、昨夜の出来事が悪い夢ではなかったことに深いため息を吐き出した。
「食事にしますか?」
「…先に歯磨きしてくる」
 甲斐甲斐しく世話を焼く男が本当は化け物だと話したところで誰も信じないだろう。
 顔を洗って歯を磨き、寝癖を丁寧に直してから、安月は男が用意した食事を見つめた。細かく千切られた海苔と鮭のほぐし身はおにぎりの成れの果てで、そこにだし巻き玉子の欠片が混ぜ込まれている。
「君が落として形が崩れた部分を使ったんです。袋に入っていたおかげで、まだ人間が食べられる状態でしたから」
「あ、そ。化け物も食べ物は大事にするんだな」
 食料である蜘蛛をおびき寄せるためにわざわざ安月に協力を求めたくらいなのだから、もしかしたら思った以上に男の空腹は酷いのかもしれない。
 だからと言って同情するつもりなんてこれっぽっちもなかった。貴重なファーストキスを奪われたのだから、やはり被害者は自分のほうだと居直った安月の皮肉に何も反応せず、男は指先を安月のカバンに向けた。
「昼食を用意するには材料が足りなかったので、今日は学食を利用なさい。食費は財布に入れておきましたから、好きに使って結構ですよ」
 安月は行儀悪く箸を咥えたままカバンを手繰り寄せて、使い古された財布の中を確認する。そこには紙幣が二枚足されていた。
「…諭吉がいる」
「ユキチ? ああ、一万円札のことですか。足りませんでしたか?」
「いや、金額のことじゃない。そうじゃない…」
 化け物相手に金銭感覚の議論をしても仕方がないと早々に諦めた安月は財布をカバンに戻すと目の前の食事に集中した。朝は時間が恐ろしく早く過ぎるから、あまり悠長に過ごしてもいられない。
「あのさ、本当に生活費とか全部出すつもりかよ」
「もちろんです。契約を守らなければ食事に差し障りますからね」
「ふぅん…」
「バイトをしているようですが辞めてしまっても構いませんよ。もう家賃や光熱費を気にしなくていいのですし、無理に働く必要はありませんから」
「辞めない。バイトだって社会勉強のひとつだし、全部をあんたに任せる気もない」
「そうですか」
 レトルトの味噌汁を一口飲み込んでから、安月はちらりと男に目を向ける。自分だけ食事をしているのが何となく気まずい。
「あのさ…あんたのことなんて呼べばいい?」
「私の名前は昨日教えましたが」
「人間の耳じゃ聞こえないって、あんたが言ったんだろ。それにオレだってあんたのこと、いつまでもあんたとかって呼び続けたいわけじゃないし…」
「君の好きなように呼んでくださって結構です」
 素気無い返事に安月は男を睨みながら片手で携帯電話を操作する。
 ブラウザを開いて一番上に表示されたニュースサイトに繋ぐと、安月の知らない海外の男性俳優の記事がトップに掲載されていた。画像の男性の髪は銀色だ。テーブルの向こう側にいる男のほうが少しばかり色は濃いが、どちらも銀色には違いない。
「…ヴィクトル」
 ぶっきらぼうに記事に書かれていた名前を読み上げる。
「これからあんたのことはヴィクトルって呼ぶから」
「わかりました」
 音の響きから『勝利』を意味する名前だろうとすぐにわかる。化け物に付けるにしては大仰な名前だが、これ以上だらだらと、いかにも外国人ですという見た目の男に似合いそうな名前を探している余裕はなかった。安月は携帯電話を床に置くと、残り少ない朝食をかき込む。
「洗濯も掃除もある程度は自分でできるから、特にあんた…ヴィクトルがやらなくてもいいから。食事の準備はまあ、ちょっと助かるけどさ」
 茶碗を空にし、お茶を飲み干して口の中をさっぱりさせたところで、横から伸びてきた手に顎を掴まれた。何事だと安月が目を白黒させるよりも一瞬早く口を塞がれる。
「んんっ!」
 油断していた安月の口内にヴィクトルの舌が入ってきた。これがこの化け物の食事だったと思い出すけれど、それにしても心臓に悪すぎる。
 たっぷりと唾液を啜られて解放された安月はその場にへたり込んだ。すぐには動けないくらいに腰が砕けているのが腹立たしい。
「ご馳走様でした」
「…電車に乗り遅れたら、ヴィクトルのせいだからな」
「送迎用に車でも買いましょうか?」
 事も無げに言われて、はたしてこの男が日本用の運転免許を持っているのだろうかと疑問が浮かぶ。
「あ、ヤバ…! マジで遅刻する!」
 脱力から立ち直った安月はカバンを掴み上げて携帯電話を押し込み、折れ曲がった靴の踵を直すのももどかしく部屋の玄関ドアを開けた。
「もし出かけるなら玄関に鍵かけるの忘れるなよ!」
「わかっていますよ」
 にこりと微笑するヴィクトルに胡散臭げな視線を向けながら、安月はカバンのポケットからこの部屋の鍵を引っ張り出して放り投げる。鍵は廊下の途中で床に落ちた。
「近いうちに合鍵作るから!」
 それだけを言い残し、慌しく走り出す。電車にはギリギリで間に合ったものの朝から走ったせいで無駄に汗をかいてしまった。それもこれもあの男のせいだと責任を押し付けたことで溜飲を下げ、携帯電話のメッセージをチェックする。
 紗奈からのメッセーが届いていることにたった今気が付いて、安月は急いで内容を確認した。
 昨日の詫びに対しては「気にしてないから大丈夫」と書いてある。信じられないことがありすぎたとは言え、紗奈のことをすっかりと思考の外に追いやってしまっていたことに申し訳なさが膨らんだ。
 安月が返信するのが遅れたことを詫びた文面を入力して送信すると、すぐに既読のマークが付き、数秒後に「返事はいつでもいいよ」と送られてきた。ついでに「安月くんって呼んでもいいかな?」と少し時間をおいてメッセージが送信されてきて、安月は条件反射のように「もちろん、いいよ」とスタンプ付きで返事をした。
(黒崎さんって優しい子なんだな)
 こういった方面には消極的な安月が昼食を一緒にしないかと書いてみたのは、昨夜無残にも男に奪われたファーストキスのせいだ。悔しいのと腹立たしいのとで眉間にシワを寄せた安月は女の子とのファーストキスにますます憧れを募らせた。
 安月の誘いに対する紗奈からの返事は、了承を示す文字と可愛らしいヒヨコのスタンプだった。思わず小さくガッツポーズをする。
 ヴィクトルにとってあれはただの食事だとしても、安月はそう思うことが難しかった。深く重ねられた唇は仄かな弾力を持っていて、あたたかくて、我が物顔で踏み入ってきた舌は強引で熱くて、唾液だけでなく吐息さえも飲み込まれて翻弄されたあれがキスでなかったら何だと言うのだろう。
 蛇に噛まれたと思って諦めろと言われたことを思い出して、そうしてやると改めて強く誓った安月は人波を掻き分けて電車を下りると軽やかな足取りで大学へと向かった。
「安月、何かいいことでもあったのか?」
 ゼミ室に入るなり声をかけてきたのは喜嶋だった。ノリは軽いが人をよく見ているところがあって、ごくごくたまに感心する。
「あー、わかった。例の告白してくれた子と進展あったんだろ?」
 言い当てられた安月はむず痒い心境に口元を揺らした。
「今日一緒に昼ごはん食べようって誘ってみた」
「…誘うならせめてデートにしろよな、童貞かよ。あ、悪い悪い童貞だったっけ」
「お前、そのネタあんまり人がいるとこで言うなよな」
 からかいながらも微笑ましそうな顔の喜嶋の脇腹に緩く拳を捻じ込んだ安月は、こんなふうに笑い合える友人ができて良かったと、他者から見ればごく当たり前の関係にさえ涙ぐみそうになる。
「他のヤツらには俺からそれとなく伝えておくから、昼休みがんばれよ」
「サンキュ」
 わしわしと犬でも撫でるみたいに髪を掻き混ぜられる。
 やめろよと笑いながら喜嶋の手を除けようとして、自分の左手首に巻き付いている見覚えのないメタリックカラーのブレスレットに気が付いた。明らかに金属の光沢を放つ黒いシンプルなデザインのブレスレットは、安月の手首に貼り付いているように隙間のないフィット感だった。
 昔から安月はアクセサリーの類を一切持っていない。そういうものに目を向けられるほど心に余裕のある生活ではなかったからだ。
「悪い、授業はじまる前にトイレ行ってくる」
 安月は手首を押さえたまま喜嶋の返事も待たずに教室を出ると、トイレに自分の他に人がいないことを注意深く確認してから一番奥の個室に入った。
「……お前、もしかしてヴィクトルのペットか?」
 季節はすっかり夏になり半袖のシャツを着ているのにもかかわらず、ついさっきまで自分の所有物ではないブレスレットが手首にあることに気が付かなかったなんて絶対に在りえない。確信めいた考えからの発言だが、ブレスレットはうんともすんとも言わなかった。
 手首に顔を近付けて囁く姿は異様だろう。こんなところを誰かに見られたら頭がおかしいと思われかねない。
「なあ、もしそうなら教えろよ」
 昔の自分が周囲から頭のおかしい子供だと見られていたことが思い起こされて身体を強張らせた安月は、暑さのせいではない汗を滲ませながら声を潜めて話しかけながら、傷ひとつない表面をつつく。
 何の反応もない。
 やはり気のせいかと息を吐いた安月が視線を逸らそうとした寸前、ブレスレットがぬるりと動いた。
「っ……!」
 反射的に左手を遠ざけ、右手で口を押さえて悲鳴を飲み込む。
 こんなタイミングで、ヴィクトルのペットが安月を幼い頃から怯えさせてきた泥状の生き物に似ていることに気付いてしまうなんて最悪だ。
 似ているというより同じ存在なのかもしれない。ただこの黒い蛇はヴィクトルの影の中に住んでいて、ヴィクトルの言うことだけを聞いているだとしたら。悪い考えが浮かんだせいで心臓が強く脈打つ。
 呼吸を震わせながら見ている間に、ブレスレットに擬態していたそれは随分とコンパクトなサイズの蛇の形になると安月の左手の甲に鎌首を擦り付けた。猫が飼い主に甘えている時にこんな動きをしていたような気がする。この黒い蛇が昨夜なかなか寝付けなかった自分の頭を撫でてくれたのを思い出し、安月の肩からは一気に力が抜けた。
「…もしかして、大学にいる間はお前がオレのこと守ってくれるのか?」
 頷くみたいに頭と思われる部分を揺らす仕草は見ようによっては少し可愛いかもしれない。
 安月は恐る恐る小さなサイズの黒い蛇を指先で撫でた。さっきまで金属的な光沢があった表面は今はさらさらしていて、皮膚と言っていいのかいまいち不明だが、質感を変えることが得意なのだと見当を付ける。
「そっか、じゃあよろしくな。今から授業だから、おとなしくしててくれよ」
 さっきと同じように小さく頭を揺らした黒い蛇は再び安月の手首にぐるりと巻き付いてブレスレットに擬態した。これで大学にいる間も少しは心強い。
 トイレから出て教室に戻った直後に授業開始のチャイムが鳴り響く。喜嶋の隣に座るとすかさず「便秘か?」と小声で聞かれ、安月は黙って机の下で友人の足を踏んだ。こういうデリカシーのなさは絶対に見習うべきではない。
 午前の授業が終わった途端、安月はにやにや笑いを浮かべるいつもの面子と別れて食堂へ急いだが、紗奈はもう出入り口近くで待っていた。小花柄のスカートにレースのブラウスを合わせているのが少女らしい可憐さを引き立てている。安月は足早に紗奈に駆け寄った。
 さらりと髪が揺れる肩に蜘蛛はいない。だが、あの蜘蛛が彼女にも危害を加えるつもりだったのではないかと考えると胃が重くなる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「大丈夫だよ、私もさっき来たところだから」
「黒崎さんは何にする?」
「うーん、どうしようかな…」
 口元に手を当てて悩む紗奈の横顔も愛らしい。
 安月は彼女を盗み見しながら、そろそろちゃんと自分から交際を申し込むべき頃かと考えた。紗奈は控えめでおとなしくて優しくて、恋人にするとしてもどこにも欠点がない。
 うっすらとリップクリームでも塗っているのか、小さめの唇はほんのりとピンク色だった。思わず唾を飲み込んだ安月は、紗奈が「今日はオムライスの気分かな」と言いながら食券のボタンを押したことで我に返った。
「安月くんは何にするの?」
「あ、えっと…カレーにしようかな」
「カレー好きなんだ。前にも食べてたよね」
 値段が一番安いから選んでいたのだが、そうとは言えずに曖昧に頷いた。
 食券機に入れた紙幣はヴィクトルが足しておいた紙幣ではなく、安月自身がバイトをして稼いだものだ。この一万円札が化け物からの施しだなんて紗奈が知るはずもないのに、何となく彼女の前ではズルをしたくなかった。
 紗奈には席を確保していてもらい、安月は二人分の食券を職員に手渡す。半券と呼び出し用の機械を受け取って席に戻る合間に辺りをさり気なく見渡してみたが、喜嶋がしっかりと気を回してくれたようで、友人達は食堂内にはいなかった。
「黒崎さんこそオムライス好きなの?」
「うん、特に玉子でケチャップライスがくるまれてる昔ながらのオムライスが一番好き」
「オレもそっちのオムライスのほうが好きだな」
「じゃあ、あの…良かったら、今度一緒に、私のお気に入りのオムライス屋さんに行かない?」
 思わず見つめると紗奈の頬が赤くなっていた。安月もつられて頬を熱くする。
「…いいよ。一緒に行こっか」
「うん」
 紗奈が嬉しそうに頷く。安月はついにデートの約束を取り付けられたことに小躍りしたい心地だった。
 食事をしながらでは会話はあまり弾まなかったけれど、一緒に出かけられそうな日を見繕うことだけは忘れなかった。
 安月のバイトは土日が休みだから曜日の都合は簡単だ。少し先になってしまうが給料日の後のほうが助かることを素直に打ち明けると、紗奈は嫌な顔ひとつすることなく了承してくれた。こんなに優しい子から好きになってもらえるなんて本当に運がいい。今までの不幸はこのためだったのではと思いたくなるほどだ。
 高揚感と緊張感のせいで昼休みはあっという間に終わってしまい、安月は教室まで紗奈を送り届けた。
「また図書室でね」
「うん。じゃあ」
 紗奈に手を振り返して安月も自分の教室に向かう。大学の授業は移動教室が多くてめんどくさいが、今はそれさえも気にならないほど安月は上機嫌だった。余裕を持って教室に入ると、選択授業までほとんど被っている喜嶋が安月を手招きした。
「どうだった、うまく話せたか?」
「ああ、それは何とか。あと今度…少し先にはなるけど、デートすることになった」
「そっかそっか、良かったじゃん。あ、その日はさ、彼女にプレゼントでも渡したら喜んでくれるんじゃね?」
「プレゼントかぁ…うん、そうだな。考えてみるよ」
 自分のことのように喜んでくれる喜嶋に背中を叩かれて軽く噎せながらも、そんなふうに喜んでくれる友人の存在を嬉しく思う。
 授業を終えて図書室に向かう途中、安月は左手の違和感に気付いて足を止めた。立ち止まった階段には行き交う生徒が幾人かいる。急ぎ足で階を変えて普段あまり使われない特別教室棟へ移動した安月は、左手を気にしながら人のいないトイレを選んで駆け込んだ。
 紗奈と待ち合わせをしている図書室はこの先にあるのだが、図書室に近付くにつれて違和感は痛みとなって安月に何かを訴えかけてきて、それをどうにも無視できなかった。
「どうかしたのか?」
 ブレスレットに擬態しているヴィクトルのペットに話しかけるが、黒い蛇は安月の手首をやや締め付けるだけで他には特にこれといった反応はしてくれなかった。安月は黒い蛇の言いたいことを聞き取ってやることはできない。
 それにしてもあまり締め付けられると血流が止まってしまいそうだ。体調でも悪いのかと心配になるが、しばらく待っても黒い蛇はブレスレットの形を保ったままで、やはり反応してくれなかった。
 それ以上聞くのを諦めた安月は図書室に入り、紗奈の姿を探す。窓からの明かりが少しだけ届く位置の机に彼女はいた。
「黒崎さん」
 極力控えた声で呼ぶと、気付いた紗奈が顔を上げた。
 手を振る彼女に向かって一歩近付いた瞬間、左手首に巻き付いた黒い蛇がさっきよりも強く締め付けてきた。はっきりとした痛みに僅かに顔が歪む。慣れない環境に付き合わせてしまって具合を悪くしたのかもしれないと、そっと撫でて宥めてやりながら安月は紗奈の隣に座った。
 彼女の手元を覗き込んで、ぎくりとする。
 紗奈が開いていたのは節足動物に関しての本だった。
 イラストではあったが、随分と細かい部分まで蜘蛛が描かれたページに一瞬ひやりと冷たいものが背中を撫でる。胴体部分が大きく丸みを持っているもの、胴体は小さいのに足が異様に長いもの、小さいもの大きいもの、描かれているのは蜘蛛だということ以外に際立った共通点はないようだった。
 紗奈は安月の顔が強張ったのに気付いたのか、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんね、虫とか苦手だった? ちょっと節足動物について調べなくちゃいけなくて…」
 安月は紗奈が本を閉じようとするのを片手で制した。
 ゼミが違うと授業内容にも差が出るのは当たり前だが、それにしても節足動物について調べるなんて苦手は人にはつらいだろう。安月も幼い頃から散々怖がらせられていたせいで蜘蛛に対しても苦手意識のほうが強い。
 今だって本棚のあちこちにある影に泥状のモノや人面蜘蛛が潜んでいるのではと、勝手に神経が逆立ってしまう。それに左手首を強めに掴まれているような痛みは相変わらずあって、血流が遮られた手指は痺れはじめていた。
「蜘蛛はね、メスがオスを食べちゃうこともあるんだよ」
「そう、なんだ…」
「産卵のための栄養にしちゃうことを『性的共食い』って言うんだって。サソリとかカマキリもそうだったよね」
 捲られた次のページにもたくさんの蜘蛛が脚を広げた姿で描かれていて、そのうちの一匹が昨日、紗奈の肩に止まっていた人面蜘蛛の姿と重なってしまう。右手の甲の小さな噛み痕は微かに赤みを残すだけなのに、ニタリと笑ったあの顔は今もまだ鮮明に安月の脳裏にこびり付いていた。
 公園で安月を襲った大きな人面蜘蛛の耳障りで歪な声が今にも聞こえてきそうだ。
「でも、やっぱりあんまり気持ちのいい調べものじゃないね。今日はもうやめておこうっと」
 本を閉じる音から一瞬遅れて、安月は小さく息を吐き出した。今日の図書室は空調が利きすぎていて少し肌寒い。
「そうだ、安月くん。今度一緒に出かける時、他に行きたいところとかある?」
 安月よりも薄着に見える紗奈は寒くないのか、無邪気に笑って小首を傾げる。薄いピンクの唇は上向きの三日月のような形だった。
 その後に自分が何と答えたのか安月は覚えておらず、気が付いた時には図書室を出て校舎の外を歩いていた。
 通りすがりの見知らぬ生徒と肩がぶつかったことで我に返った安月は相手に謝り、それから慌てて時刻を確認して、バイトまであまり余裕のない時刻だったことに焦って走り出す。今日は朝から走ってばかりだ。
「お疲れ様です」
「あら、安月くんお疲れ様。今日も体調良くなければ、無理しなくていいからね」
 安月は奈津美の言葉に首を横に振る。
 着替えるために店の片隅に入った安月は、左手首でブレスレットのふりをし続けていたヴィクトルのペットに向かってこっそりと囁いた。
「ここ、アクセサリー着けられないんだ。悪いけどポケットに入っててもらえないか?」
 金属にしか見えなかった黒い蛇がゆっくりと表面を波打たせて半液体状に変化し、ぽたりとズボンの上に落ちて、安月の願いどおりにポケットへと入り込む。
「ありがとな」
 自分に対しても随分と従順な黒い蛇を優しくポケットの上から撫でた安月はエプロンを身に着けた。そういえば、この黒い蛇には名前があるのだろうか。
(いや…ないな。名前なんて絶対に付けてない!)
 あのヴィクトルがペットに名前を付けるなんて人間臭いことをするとは思えない。
 それでも一応念の為、名前があるのか確認して、予想したとおり付けてないようなら自分が名付けてやるのもいいかもしれない。飼い主である銀髪の化け物にも安月が名前を付けたのだから強く反対はされないだろう。
「じゃあいつもどおり、お願いね。でも本当に無理はしなくていいから」
「大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
 着替えて出かけていく奈津美を見送るとすぐに馴染み客が顔を出しはじめた。
 皆口々に心配の言葉をかけてくれて、そんなふうに心配されるとついつい嬉しさと気恥ずかしさに口元が緩んでしまう。
 ひたすら影に怯えていた幼い頃は自分に向けられる優しさを切望していた。抱き締めて、名前を呼んで、大丈夫だよと言われたかった。その役割を一番に求めていた母には遠ざけられてしまったけれど、今の安月には父がいる。
 頬が緩みそうな恋愛的な意味での好意を向けてくれる紗奈や、他愛もない砕けた話をできる友人、何かと気遣ってくれる大将と奈津美、無邪気な笑みを向けて懐いてくれている亜季、常連客の婦人達だって安月にとっては狂おしいほどに愛しい日常から欠けられては困る人達ばかりだ。
 化け物と契約してでも守りたいと思った気持ちは嘘じゃない。ほんの少しだけ後悔した部分もあるけれど、自分だけでは守れないのなら化け物だって利用してやる。
 決意を新たにした安月はズボンのポケットの上からこっそりと黒い蛇を撫でた。たったそれだけで生きる活力が湧いてくるような気がする。守りたいと切望するなら自分も強くならなくてはいけない。気分を切り替えた安月は客呼びの声を響かせた。
 今日も賑わう商店街では客足は途絶えず、今日のオススメである照り焼きたれをたっぷりと絡めた鶏つくねが真っ先に完売し、定番の焼き魚や煮物が順調に少なくなっていく。和え物としては夏にぴったりの酢の物が一番の売れ筋だった。
「奈津美さん、亜季ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「あつき、ただいまー!」
「こら亜季、安月おにいちゃん、でしょ?」
「はーい」
 返事だけは一人前な亜季が、まだ短い腕を精一杯に伸ばして安月の膝にしがみついて笑っている。安月もその場にしゃがみ込んで亜季をそっと抱き締めた。
 小さい子供からこんなに懐いてもらえたのは初めてで、それが妙に嬉しくて、安月の頬は緩みっぱなしだ。いつか結婚して子供が生まれるとしたら、最初は女の子がいいかもしれないなんてこっそりと考えて恥ずかしくなる。
 家事をするために店の奥へと向かう奈津美に促された亜季が離れていくのを見送った安月と大将の視線が珍しくぶつかった。
「大将、昨日はだし巻き玉子ありがとうございました。おかげで元気出ました」
「ああ」
 大将の返事は一見すると素っ気ないが、ただ少し口下手なだけで気持ちが優しいところは奈津美と同じだ。
 幸せすぎて泣きたくなるのは、いつだってこんな瞬間だった。
 自分がこんなあたたかさを体感してもいいのかという後ろめたさには気付かなかったふりをして、いい場所で仕事ができて幸せだと思いながら客呼びの声をさらに明るく弾ませる。
 やがて家事を終えて戻ってきた奈津美と入れ替わって洗い物をしていると、店先が俄かに騒がしくなった。
「ね、ね、ちょっと、安月くん」
 やや慌てた奈津美の声に呼ばれて泡まみれのシンクから顔を上げた安月は、ついつい顔を顰めて呻いてしまった。
 常連客の婦人達に囲まれていても余裕で頭ひとつ分以上飛び出している作り物みたいに綺麗な顔には嫌になるくらい見覚えがある。
 今朝、安月がヴィクトルと名付けた化け物が、相変わらずの出で立ちで立っていた。この暑さでも汗ひとつかいていないところは、さすが化け物だと変に感心してしまう。
「迎えに来ましたよ、安月」
 そう言ってヴィクトルが微笑むと、周りからは何とも形容しがたい黄色い悲鳴が上がり、逆に安月はますます顔を顰めた。第一どうしてここがわかったんだと考えかけて、そうだったと思い出す。ズボンのポケットに忍んでいてもらっている黒い蛇の気配か何かを辿って来たのだろう。
 人面蜘蛛を見てしまった大学でならいざ知らず、バイト中に不穏な気配を感じたことはないと伝えておいたのに、これはもうあからさまにプライバシーの侵害だ。
「迎えに来いなんて頼んでないだろ!」
「君に悪い虫が付いては困りますから」
 安月とヴィクトルの事情を知らない人が聞いたら誤解するしかない台詞に、安月が上げたかった悲鳴とはまったく違う音色の悲鳴が再び女性陣から上がった。興味津々な女性陣の視線はさっきから試合中のテニスボールみたいに安月と謎の男の顔を往復していて、それが余計に気まずくて、なぜそんな言い回しをしたんだとヴィクトルの胸倉を掴んで責め立てたい気持ちをぐっと飲み込む。
「まだ終わらないから、どっか離れたところで待ってろよ」
 仕事の手が止まっていると言いたげな視線を大将から向けられてしまった安月は、あまりにも悪目立ちする男を店先から追い払うと、事情を聞きたそうな女性陣にあえて視線を向けないようにして黙々と洗い物に専念した。
(悪い虫、か…)
 確かにその表現は間違ってはいない。お前の肉を喰わせろと襲いかかってくる人面蜘蛛なんて、悪い虫と呼ぶに相応しい。脳裏に昨日のことが過ぎり、あまりのおぞましさに背中に鳥肌が立つ。
 幼い頃に見えていたモノは本当にそこにいたのだろうが、見えないんだと必死に言い聞かせているうちに見えなくなったのは事実なのに、それがなぜ今になって再び見えるようになってしまったのか。
 何もわからないし、係わりたくもない。けれど手の甲にはまだうっすらと小さな丸い噛み跡が、それから砂場で転んだ時に捲れた薄皮がひりひりと痛みを残している。
 ただでさえ男にファーストキスを奪われるだなんて悲劇に見舞われたというのに、もっと酷い怪我をしたらどんな目に遭うか想像するだけで全身の筋肉が強張った。
 眉間に力を入れてため息を飲み込んだ安月が空になった器を下げようと店先に近付くと、ヴィクトルが立ち去ったことで興奮を露わにした常連客と奈津美に囲まれた。思わず動揺する安月の両手を、トミさんがショーケース越しに力強く掴む。
「安月ちゃん、おばさん達そういうのに全然偏見とかないから安心して! むしろ応援しちゃうわよ!」
「そうよ、自信持ってお付き合いしてね!」
 トミさんと奈津美の言葉に、他の面々も強く頷いた。
 とんでもない誤解をされていると気付いた安月は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまいたくなった。彼女達は安月が何を言っても照れ隠しとしか受け取ってくれず、挙句の果てには「私もあんなイケメンにお迎えしてもらいたいわ」と頬を染める始末だ。
 それからも散々冷やかされ、呆れ返った大将からは「今日は仕事にならんから帰れ」と、いつもよりも僅かに量の多い佃煮と煮物、もう残り少なかったはずの焼き魚と酢の物が詰まったパックを押し付けられた。
 逃げるように店を出た安月は腹立たしいほど目立ちすぎる男を探す。そう遠くには行っていないと思うのだが、どこにいるかなんて検討もつかない。
 当てもなくうろうろと歩き回っていると、商店街の入り口辺りにちょっとした人垣ができているのを見つけた。
「…まさか、な…」
 さっきからずっと嫌な予感しかない。
 少し離れたところから背伸びをして覗いてみると、案の定そこにいたのはヴィクトルだった。
 薄汚れた電柱にもたれて手のひらサイズの本を読んでいる姿は撮影中のモデルのような佇まいで、おいそれと声をかけられない雰囲気を漂わせている。その証拠に人垣は一定の範囲の空間を保ったまま動かない。
(…オレは、今からあいつに声かけて一緒に帰らなきゃいけないんだよな?)
 わざと嫌がらせでもしてるのかと横っ面を張り飛ばしてやりたい。あんなキラキラと輝いているように見えるほど目立ちまくっている男に声をかけるだなんて、目立たずに日常に埋もれていたい安月にとっては一番避けたいシチュエーションだ。けれど、人面蜘蛛が血のニオイに敏感だと知ってしまった今、このまま一人で帰るという選択肢を選ぶことも躊躇してしまう。
 腹を括った安月が決意を固めて顔を上げた瞬間、ヴィクトルは金色の眼で正確に安月を見つけて微笑んだ。人垣の中の誰かが息を飲む。磨き上げられた革靴の踵の音が聞こえそうなほど辺りは静まり返り、ヴィクトルの行く手を邪魔しないようにと人垣が割れる様はモーセの起こした奇跡のようだ。
 安月はもう顔を上げられず、目の前で止まった艶々しい革靴の爪先を睨み付ける。どちらもが無言のまま、手に持っていた袋をそっと取り上げられた。
「帰りましょう、安月」
 優しい声色で囁かれ、さり気なく肩を抱き寄せられる。恭しくエスコートされているような気になってしまうが、相手は影から黒い蛇を出して人面蜘蛛の生き胆を喰う正真正銘の化け物であり、安月を囮にして人面蜘蛛をおびき寄せようとしている文字通りの人でなしだ。
 明日もバイトがあるというのになんてことをしてくれるんだ。安月は心の中で思い付く限りの罵声を浴びせ、綺麗な顔に拳を一発お見舞いする妄想をした。
 そんなことをしても現実が変わらないことはわかっているけれど、そうしてやりたいくらい背中に突き刺さる視線で酷く乱れた心情をこの化け物にも思い知らせてやりたかった。
 連れ立って駅のホームへ下りると、周囲からの視線はますます露骨なものになった。
 化け物であるヴィクトルは人間の視線などどこ吹く風だろうが、安月は「どうしてそんな美形と一緒にいるの?」と考えているのが丸わかりな視線に晒されて、今の自分は居心地の悪さ世界一のレコードホルダーだと嘆きたくなる。
 幸いにも電車はすぐにやって来た。車内は適度に混んでいて、その分よく利いている冷房がありがたい。全身にうっすらと滲んでいた汗が一気に冷える感覚が心地良くて、ふうと小さく息を吐いた。
 電車に乗ったことがあるのかどうかは聞かなければわからないが、ヴィクトルはごく自然な動きで壁に手をついて確保した空間に安月を誘導してくれる。あまりにも自然すぎて逆らうこともできなかった。
「…ありがと」
「どうたしまして」
 じわじわと頬が熱くなるのを止められないのが無性に悔しくて顔を思いっきり背けてやったが、ヴィクトルが安月の心境を欠片でも理解することはないだろう。
 別のことを考えて気分を切り替えようと思考を巡らせた安月は、そういえば昨夜、ヴィクトルがニオイがどうとか味がどうとか言っていたことを思い出した。
(えっと、何だっけ…感情の変化で味も変わるかどうか、だったっけ?)
 ちらりと横目で見上げると金色の瞳はどことなく熱っぽく安月を見つめていて、小さく心臓が跳ねる。安月は頬を手の甲で擦って動揺を隠した。
(まさかこんなところで食事しようとしたりはしないよな…?)
 そう期待してみるものの、人間の常識を化け物が正しく理解している確信はない。
 先に注意しておいたほうが得策だと判断した安月は、小声で呼びかけて耳を寄せさせる。銀色の髪がかかる耳に、安月も少しだけ背伸びをしてさらに口を寄せた。周りの乗客が聞き耳を立てているのではないかと疑心暗鬼になってしまうのも無理はない。
「周りに他の人がいるところでは食事はさせないからな」
「ええ、わかっていますよ。君の機嫌を損ねても私にとっては不都合しかない」
「わかってるならいい…」
 綺麗すぎる顔から遠ざかった安月は誰かに見られている気がして視線を向けた。
 駅に着いて車内の乗客が入れ替わる合間に視線の主を探した安月は、斜め前方にいた中年の会社員風の男が慌てて視線を顔ごと逸らすのを目敏く見つけて僅かに気を害したが、自分とヴィクトルを客観的に考えて頭を抱えたくなった。
 どう見ても普通のレベルから抜け出せない男子大学生が、モデルか芸能人かと思える美形の外国人と顔を寄せ合って内緒話をしていたら誰だって気になってしまう。
(これ、あれだ…『壁ドン』ってやつだ…)
 安月が思い出したのは、数年前に公開された少女漫画が原作の恋愛映画のワンシーンだった。
 予告CMに使われた壁ドンシーンが話題となり、胸キュンときめきシーンが満載だと人気女性アナウンサーが興奮気味に紹介していた記憶がある。それに安月自身、いつか自分にも彼女ができた時の参考にしようと、動画配信がはじまってすぐに観た作品でもあった。
 女の子はさり気ない気遣いや優しさに胸をときめかせるのだと学ぶ切欠になりはしたが、まさか自分が壁ドンをされる側になるとは露ほどにも思っていなかった。
 安月は身を持って女の子が憧れる胸キュンときめきシーンをまんまと体感させられてしまったことに項垂れたが、見惚れるほどの美形からこんなふうにごく自然に守られたら、女の子でなくてもドキッとしてしまうに決まっていると強引に開き直る。
「安月、駅に着きますよ」
「お、おう…」
 安月はぎくしゃくと足を動かして開いたドアから降り、うんざりするような熱気を纏いながら駅の外へと出た。
「買い物したいから寄り道するぞ」
「どうぞ」
 いつものルートでスーパーマーケットへ向かい、黙って自分の後ろをついてくるヴィクトルの存在と周りからの視線を意識的に無視して買い物カゴに目当ての商品を放り込む。
 いつもより少しだけ早く帰らされたおかげで今日は余裕を持って買い物ができそうだ。割引きシールが貼られたおにぎりやパンだけを選んでカゴに入れながら振り向くと、ヴィクトルは何を考えているのかわからない表情で半額シールが貼り付けられた弁当を眺めていた。
「ヴィクトルも何か食う?」
「いえ、結構です。人間の食べ物を口にしたところで少しの足しにもなりませんから。それよりも君は野菜が嫌いなのですか?」
 買い物カゴの中を見たヴィクトルが僅かに顔を顰める。人面蜘蛛の肝や人間の血肉を喰らう化け物にそんな顔をされるのは心外だ。
「別にそんなことないけど、料理しないから買わなくてもいいの。買っても傷ませるだけだし、そっちのほうが勿体無いだろ」
「なるほど…不摂生が味に影響しているのかもしれませんね。これからは食事にも気を付けなさい」
「オレは大学とバイトで忙しいし、めんどくさいから料理なんて作りたくないんだけど。というか、そんなこと言うならヴィクトルが作ってよ」
「いいでしょう」
 売り言葉に買い言葉ではあるのだが、ヴィクトルがあまりにもあっさりと請け負ったことに安月は面食らう。
 正直、人間が食べられる料理を化け物が作れる可能性なんてこれっぽっちも考えられない。どんなゲテモノ料理を食べさせられてしまうのかと考えるだけでも恐ろしい。
「何をご所望ですか? 小難しいものでなければ大抵作ることはできますよ」
「ふぅん…じゃあカレーとかならできそうだな」
「そんなもの、ただ食材を刻んで煮込むだけでしょう」
 馬鹿にした言い様にカチンとくる。
「だったらオレがうまいって言うしかないくらいのカレー作ってみせろよな」
「わかりました」
 ヴィクトルは安月の手から買い物カゴを奪い、代わりに惣菜が詰まった袋を押し付けると足早に通路を移動した。安月も慌てて彼を追いかける。
「添えるのはライスかナンか、具や肉にもこだわりはありますか? 他にも希望があれば今のうちに言いなさい」
「え、マジで作る気かよ…」
 あれこれと野菜を吟味しているヴィクトルは本当にカレーを作る気らしい。横からニンジン、ジャガイモ、タマネギをカゴに入れる安月を金色の眼がどこか不機嫌そうに見下ろす。
「君の味はどうやら感情で左右されるようですので、少しでも良くなるように実験しようかと思いまして。人間に限らず生き物の最たる欲求は食欲ですし、美味しい料理を食べさせれば少しはマシになるのではありませんか?」
「…あ、そ」
 所詮は自分の食事のためか。
 何となく冷めた気分になった安月は近くに陳列されていた夏野菜に目を向ける。夏らしくナスやアスパラガスが入ったカレーも好きだし、トマトのサラダがあったらさらに良い。
 しかしもう、そんなことをヴィクトルに伝える気は失せてしまった。
「カレーライスって言うくらいなんだからごはんに決まってるし、ルーは中辛。タマネギは薄めに切って触感が残らないようによく煮込めよ。ジャガイモとニンジンは大きめにして食べ応えがあるほうがいい。あ、使う肉は鶏モモな」
「ルー?」
 ヴィクトルが目を瞬かせる。さすがにこの男でもカレールーは知らないのかと出し抜いた気分になった安月は、ふふんと得意気に鼻を鳴らした。
「知らないか? 野菜を煮込んで、そこに混ぜるだけでカレーができるんだぜ」
「いえ、その程度の知識はあります。そうではなくて、ルーを使ったカレーがいいのかと驚いただけですよ。あんなものスパイスやハーブをやたらに混ぜ込んだだけではありませんか」
「は…?」
「本来カリーと呼ばれている料理は、作る際にスパイスやハーブを潰して、薬効をもたらす風味や香りを生かした薬膳料理の一種だったはずです。ルーなど使ってはそれがすべて台無しでしょう?」
「…いや、日本のカレーってそんな大袈裟な食べ物じゃないし…」
 安月はどうしたものかと頭を掻く。
 閉店時間が近いことを知らせるメロディーが流れ出し、とりあえずカレー談義はおしまいにしなくてはと顔を上げた。
「とにかく、オレが食べたいカレーはルーを使ったカレーだから! わかったらヴィクトルは鶏肉を見てこいよな。オレはルーを探してくるから!」
 ヴィクトルの返事を待たずに急ぎ足でその場を後にする。
 まさか過ぎる展開だ、化け物があんなにカレーに詳しいなんて思ってなかった。安月は様々なカレールーが並べられた棚に手をついて商品を探すふりをしながら笑いを押し殺した。
「…化け物が、か、カリーとか…っ」
 いかにも外国人風の綺麗な顔の化け物があんなにカレーに詳しいなんておかしくておかしくて、これをネタに一週間は笑える自信があったが、閉店間際とは言え店内だ。大っぴらに笑えないせいで涙まで滲んでくる。
 それに本当に食べたかったのは母の味を必死に真似した父が作ったカレーだ。ヴィクトルにそれを再現できるとは思えない。
 そんな本音を隠しながら深呼吸をして笑いと、ほんの少しの寂しさを押さえ込んだ安月は父が教えてくれたカレールーを一箱掴むと、妙に真剣に鶏肉を吟味しているヴィクトルに近付いた。傍らの買い物カゴにはカレーの材料とは思えない種類の野菜が詰め込まれている。
「もうすぐ閉店しちゃうんだから急げよ。鶏肉なら何でもいいし」
 ヴィクトルはちらりと安月に視線を向けてから、手にしていた鶏モモ肉をカゴに入れた。
「カレーだけでは栄養のバランスが悪いので他の野菜も摂りなさい」
「はいはい」
 安月の口元に笑いの名残が蘇る。化け物なのに人間の食事の栄養バランスに口うるさいなんて笑うしかないじゃないか。
 妙に人間くさい小言を繰り返すヴィクトルを出来合いの野菜サラダで妥協させ、さっさと会計を済ませる。支払いはもちろんヴィクトルがした。袋二つ分にもなった商品をすべてヴィクトルが持ち、さらには惣菜の詰まった袋まで奪われる。
「オレもどっちか持つって」
「結構です」
 特に気に障るようなことを言ったつもりはないが、この化け物は何を拗ねているんだろう。
 素っ気ない態度で歩いていってしまうヴィクトルを早足で追いかけながら安月は首を捻った。暑さを失わない夜風に銀髪を揺らして歩くヴィクトルの背中を、笑いを噛み殺しながらついていく。
 案内するまでもなくヴィクトルは迷わず駅のロータリーを横切って銀行の前を通り過ぎ、公園に通じる路地を曲がった。
「なあ…公園は通りたくないんだけど」
「私に食事をさせないつもりですか? 囮になると契約したのは君ですよ」
「そ、それは…」
 半分以上は無理矢理だったような気もするが、契約してしまったことには違いない。金色の双眸に冷たく睨まれて口ごもる。極限まで飢えた肉食獣はもしかしたらこんな目をしているのかもしれない。
 ついさっきまでの人間くささはどこへいったのか、今のヴィクトルはもう化け物にしか見えなくて、安月の首筋には寒気が走る。もしもヴィクトルを本気で怒らせたら人面蜘蛛に喰われるよりも恐ろしい目に遭いそうだ。
 切り立った崖の上に立たされている心地で公園の敷地内に足を踏み入れた瞬間、全身が重苦しい空気に包まれた。夜風に揺れる街路樹の音にも過敏に肩が跳ねる。
 恐る恐る後ろを振り返ると、ヴィクトルは無表情で安月を見ていた。表情を浮かべていない整った顔というのがこれほど恐ろしく見えるなんて初めて知った。
 逃げることも留まることも許さない視線に追い立てられているのに、じりじりとした速度でしか足を進められない。それでもようやく公園の真ん中辺りまで進んだところで安月は確信する。
(…いる・・…)
 実際に襲われた経験があるからこそ、人面蜘蛛がいることがわかってしまった。少しずつ狙いを定めながら近付いてくる気配を感じ取り、本能的に涙が滲む。
 髪さえ揺れないほどの速度で振り返ると、公園の出入り口にいたはずのヴィクトルは夏の夜闇に溶けたかのように姿を消していた。途端に絶望的な気持ちが腹の底から湧き上がって、こめかみから冷たい汗が伝い落ち、その一方で薄らいだはずの右手の甲の噛み痕が微かに熱を持つ。
(いる…っ)
 自分の真後ろに、いる。
 気付けば、産毛の一本にまで纏わり付く夏の湿気とはまったく違う、重くねっとりとした悪臭が辺りに漂っていた。喉の筋肉を引き絞って必死に吐き気を堪える。
「邪魔ナやつイナい。今なラ喰えル」
 下品な哂いを含んだ声が後ろから右耳を掠めた直後、安月は一気に走り出した。
 足音を気にする余裕もなく走る安月の目の前に人面蜘蛛が回り込む。安月は咄嗟に方向を変えて待ち伏せていた蜘蛛を避けるが、背後から追いかけてくる気配が増えただけだった。
(一匹だけじゃないのかよ…!)
 ジャングルジムの上、ブランコの支柱、穴の開いた丸いドーム、点々と植えられた木の陰。公園のいたるところに潜んだ異形の蜘蛛が複眼を赤黒く光らせている。この数を相手にして逃げ回れる時間は長くない。
「ヴィクトル!」
 助けを求めて呼んでみても美貌の男が現れる様子はなく、安月は舌打ちをして、隙なく巡らせた視線で逃げ道を探す。どうすればこの窮地から脱せるか必死に考えても、思考はただただ空回りするだけだ。
 逃げ道を塞がれて立ち止まった安月を包囲するように蜘蛛達が集まり、一段と濃くなった悪臭に耐え切れず、とうとう安月は嘔吐した。口に残る嫌な味の胃液を唾と共に吐き捨てる。
 内臓がすべてひっくり返りそうなくらい痙攣しているが、安月は気丈に涙を拭い人面蜘蛛の動きを観察し続ける。
「ヴィクトル…!」
 怒りを込めて呼んでみても、やはり男は現れない。
 安月を取り囲む人面蜘蛛は全部で五匹。中でも一番大きな個体が不意に前肢を揺らめかせた。
「っ!」
 真横に逃げても別の蜘蛛が間髪入れずに飛びかかってくる。転がった拍子に握った砂利を蜘蛛の顔に向かって投げ付け、微かに怯んだ瞬間を逃さず走り抜けた。
 息が苦しくて、今にも心臓が破れそうだ。
「くそ…!」
 安月は走る足を踏ん張ってブレーキをかけた。
 二匹の蜘蛛が数メートル先に回り込み、行き先を迷った隙に背後から追いかけてきた三匹がより近い位置から安月を狙いながらタイミングを合わせて距離を詰めてくる。さっきと同じ目晦ましはもう通じなさそうだ。
 集団での狩りに慣れているとしか思えない動きに焦りばかりが募る。木の枝程度の武器もなく戦う術さえ持っていない安月に、この状況を切り抜ける作戦などない。
「痛…っ!」
 安月は左腕に走った痛みに声を上げる。悪臭に満ち満ちた公園内を駆け回っていた安月は、もう嫌な想像しかできなかった。
 それでも必死に視線を向ければ、安月を取り囲んでいる蜘蛛とは違う、手のひらほどの大きさの蜘蛛がシャツから露出した安月の腕に噛み付いていた。
「うわぁああああぁぁぁ!」
 腹の底から溢れたような悲鳴を響かせるが、怯えきった脚にはもう走る余力なんてない。
 その隙に近付いてきた一番大きな個体に抱き込まれた安月は、触れられた部分から自分の身体が穢れていく錯覚に襲われ、脳天までを突き抜けるおぞましさに心臓が止まってしまいそうになる。
「い、いやだ、いやだ…ッ!」
 人面蜘蛛はギチギチと軋んだ音を立てて哂いながら口を開いて、獲物を喰い散らすために生えた鋭い牙を見せ付けてくる。血生臭い口内は安月が苦手な影のように暗く、その奥からぞろりと這い出た舌が安月の首を舐め上げた。
「た、すけ…ヴィク、ト…っ」
 安月は硬く目蓋を閉じて涙を零しながら自分を守ると契約したはずの化け物の名を呼ぶが、心のどこかが助けが来ないことを想像してしまう。
 どんなに綺麗な見た目をしていても、所詮あの男は化け物の仲間だ。引き攣った喉に悲鳴が痞え、助けを求める声が細く掠れる。濃すぎる悪臭と首に触れる牙の感触に安月の意識が遠くなった時、五匹の人面蜘蛛が揃って音のない絶叫を上げた。
「…やはり食べられる味ではありませんね」
 憎らしいほど落ち着いた声に目を開ける。いつの間にか地面に倒れ込んでいた安月は、自分が短い時間ではあるものの意識をなくしていたのだと察した。
 ヴィクトルは黒い蛇を操り、最後の一匹から抜き取った核を口元に運ばせる。上下に動く喉を、倒れ込んだままの体勢で睨み付けた。
「帰りましょうか」
 地面に倒れたまま涙を零し続ける安月は、気遣いなどほんの僅かにも感じられない言葉に頭に血を上らせ、怒りで満ちた衝動のままに握り締めた砂を男へと投げ付けた。
 痺れた腕は普段のようには動かない。男の顔を狙って投げ付けたはずの砂はタイトなスラックスの膝辺りにしか届かず大半は安月自身に降り注いだが、蜘蛛達に散々追い回されたせいですっかり汚れきっている安月は今さらそんなこと気にならなかった。
 今の感情を的確に表現できる言葉を思い付けないことが歯痒い。
 ヴィクトルは汚されたスラックスに僅かに眉を揺らしたが、特に何を言うでもなく黙って安月を見下ろしている。
「化け物…」
 安月は身体を起こし、一言だけ吐き捨てた。
 ヴィクトルが化け物だと忘れそうになった瞬間さえあった自分への憤りに唇を強く噛み締める。情けなく脚を震わせながら立ち上がった安月の顎を男の指が掴み上げた。
「……」
 こんな状況で『食事』を求めてくるこの男は間違いなく化け物だ。ヴィクトルにとっては人面蜘蛛も自分も単なる食糧でしかなくて、それ以上でも以下でもない。唇を塞がれ、歯列を割って舌を捻じ込まれても、安月は息を細く絞って無言で屈辱に耐えた。
 こんなふうに心を踏み躙られて手酷く利用されるなら同じように利用し返してやればいい。悲しみを伴った悔しさに拳を握ると手のひらに爪が強く食い込んだ。
「…昨日よりも酷い味ですね」
 そんな言葉にも二度と傷付いてやるものか。
 安月は乱暴に口元を拭うと住処に向かって歩き出す。ヴィクトルがたくさんの荷物を片手についてくる気配を感じながら、一度も振り向くことなくアパートまで歩き、玄関のドアを開けようとしたところで鍵をヴィクトルに渡していたことを思い出して舌打ちした。
「どうぞ」
 ドアを開けたまま押さえていてくれるヴィクトルの横を無言ですり抜けて中に入り、靴を脱ぐと真っ先に風呂場へと滑り込む。乱雑に服を脱ぎ捨ててシャワーコックを捻ると、お湯になるのも待たずに頭から浴びた。
「ひ、っく…」
 堰を切ったように涙が溢れて、ぬるま湯と混ざり合い流れていく。
 安月はボディーソープを惜しみなく出し、適当にスポンジに馴染ませて力任せに身体を洗いはじめた。特に噛み付かれた左腕と、伸しかかられた際に舐められた首を特に念入りに強く擦る。
 擦りすぎた肌が真っ赤になって痛むほどになっても、蜘蛛に触れられたおぞましさが残っている気がして擦る手を止められない。
 気が済むまで全身を強く擦り続けた安月は、ようやく熱を持ったシャワーの雨に打たれたながらしゃがみ込んで、冷えて震える膝に顔を埋めた。
「…ふ、ぅ…うっ」
 高望みなんて一度だってしたこともないのに、普通に生きたいだけなのに、どうして自分がこんな目に遭わなければいけないんだ。母を苦しめ、父に心配をかけ、こんな悲しみや悔しさを味わってまで生きている意味はあるのか。
 考えたところで何もわからないし、それよりも今は何も考えたくない。
 縮こまった全身にシャワーを浴びながら、みっともない嗚咽だけを噛み殺す。そうして一時間以上も泣いていた安月はようやく気持ちを落ち着かせられたことを確認してのろのろと風呂場から出た。
 ヴィクトルは本当にカレーを作っているようで、浴室と隣接した洗面所にまでカレーの香りが漂っている。
 安月は頭からバスタオルを被っただけの姿でキッチンスペースに立つヴィクトルの後ろを通り抜け、狭いワンルームに似合う小さい衣装ケースから下着を出して身に着けた。部屋着として愛用しているわざと大きめのサイズを選んだTシャツとハーフパンツを着込むと、ベッドに潜り込んで頭まですっぽりとブランケットを被った。
「ご希望どおりカレーを作りましたよ」
「今日は何もいらない。もう寝るから放っておいて」
 顔も上げずに吐き捨てる。髪が濡れたままなのを気にする余裕さえないはずなのに、ヴィクトルが呆れ混じりの息を吐く気配を敏感に感じ取るのがまた悔しい。
 ヴィクトルの足音は離れ、キッチンスペースで何かしている物音が聞こえるが、安月は意地になってブランケットから顔を出さなかった。
「安月」
 低い声で名を呼ばれても、ほんの些細な反応さえしたくない。
 未だってまだ鼻の奥に人面蜘蛛が纏う胸の悪くなりそうな悪臭が染み付いている気がして吐き気がするのだ。じんわりと涙が浮かんで、このくらいで泣きたくなる自分が情けなくて、思わず衝動的に死にたくなった。
「安月、食事をなさい」
「…いらない」
「人間の身体は脆弱なのですから」
「いらないって言ってるだろ!」
 ブランケットの隙間から忍び込んできた黒い蛇はブレスレットの擬態の再現をするように、頑なに閉じ篭る安月の手首に巻き付いた。操られた安月の手は意思に反してブランケットを押し退ける。
 ありったけの憎しみを込めて自分の上に差しかかる影を見上げると、何の感情もなく見下ろす金色とぶつかった。
「私が悪かったのなら謝ります」
「オレが何で怒ってるかもわからないくせに口先だけで謝られたって嬉しくなんかない…!」
 答えないままヴィクトルはベッドに手をつき、顔を近付けてくる。
 こんな状況でも味の確認を優先するのかと一瞬で頭に血を上らせた安月は、ついにその整った頬を引っ叩いた。
「オレに触るな!」
 今まで一度も感じたことがない強い怒りに唇が戦慄く。
 化け物でしかないヴィクトルにとって人間の一人や二人など取るに足らない存在だろうが、それでも自分は生きているし感情だってある。
 成り行きで致し方なく囮役を引き受けはしたが、安月の身の安全を保証すると言ったのはヴィクトルのほうだ。安月が何に怯えているのか知っているくせにギリギリまで出てこないなんて、あまりにも酷い仕打ちだと思う。
「ああいうのは守るって言わない! 守るっていうのは、怖い思いをさせないってことだ!」
「わかりました。これからは善処します」
 しおらしいことを言っておきながら、この化け物は人間が抱く恐怖心を理解するわけがない。確信を持ってそう思うのと同時に、悔しさと悲しさが怒りを伴って安月の心を支配する。そのくらい怖かったのだ。今日こそは本当に死ぬかと思った。喉の奥で嗚咽を押し留める安月の目尻に涙が溜まる。
 いつの間にかすっかりベッドの上に乗り上げたヴィクトルに両腕を押さえ付けられた安月は、風呂場であんなに泣いたというのにまだ溢れる涙を舐め取られた。
「涙も唾液とあまり味は変わりませんね。感情が昂るとニオイは強くなるのに、味に反映しないのは非常に残念です」
 傷付いてなんてやるものかと思っているのに、止め処なく溢れる涙はすべて化け物の舌で拭われる。
「もう離せ…っ」
「私はまだ足りていません」
 飢えを隠しもしない台詞と共に口を塞がれた。
 当然のように入り込んできた舌は好き勝手に口内を嬲り、器用に安月の舌を絡めて吸い上げる。滲み出た唾液を啜られ、もっと出せと催促するように舌の裏側をヴィクトルの舌先が撫でた途端、腰が勝手に跳ねた。
「ん、ぅ…ッ」
 安月は力いっぱい首を振って重なった唇を引き離すと、軽く噎せながら足りなくなった酸素を吸い込んだ。酸欠のせいで頭の奥がぼやける。
 安月が満足に動けないうちにヴィクトルは体勢を少しだけ変えた。
「ど、どこ舐めてんだよ…!」
 はっとして目を向けると、小さい人面蜘蛛に噛み付かれた場所をヴィクトルの舌が這い回っていた。今度こそはっきりと安月の頬に血が上る。
「噛まれた上に酷く擦りましたね。昨日よりも血のニオイが強い」
 あまりにも擦りすぎて皮膚が捲れているのか、ヴィクトルの舌が掠めるたびに微かに痛みが走った。そこをさらに強く吸われて、ごく僅かに滲んだ血を執拗に舐め取られる。
 何度も繰り返される行為が心底恐ろしくなって暴れても、ベッドに押さえ付けられた腕はびくともしない。このまま歯を立てられて皮膚ごと肉を喰い千切られるのではないかと嫌な想像ばかりが膨らんで安月を苛む。
「こわ、ぃ、…怖いッ!」
 耐えきれなくなり、必死に放った悲鳴にヴィクトルの動きが止まった。
 ゆっくりと身体が離れて腕の拘束も緩んだ隙に安月はベッドから逃げ出そうとするが、何匹もの黒い蛇に巻き付かれて引き戻される。このまま絞め殺されるのではと想像して、ますます呼吸は引き攣り、震えた歯が硬質な音を立てた。
 そんな安月の胸にヴィクトルが額を押し付ける。
 安月の混乱と怯えが静まるまでの長い時間、彼はそうしたまま少しも動かなかった。
「怖がらせてすみません。私としたことが、君の血のニオイに理性をなくすだなんて…」
 ようやく身体を起こしたヴィクトルの表情は前髪に隠されて確かめることができず、さらにそれを隠すように彼は手のひらで顔を覆ってしまう。
 黒い蛇に巻き付かれたままの安月は逃げることもヴィクトルの様子をしっかりと見ることもできず、やがてため息を吐き出して様々な感情を嚥下すると疲れきった身体から力を抜いた。いろんなことがありすぎて頭がパンクしそうだ。
「…オレはまずいんだよな?」
「ええ。しかしそれ以上に君のニオイは極上なのですよ。一度でも嗅いでしまえば忘れられないほどに強く、甘くて芳しい。唾液はいまいち、涙はまあまあ。ならば血こそは美味なのではないかと、私でさえ思い込んでしまう」
 額に真紅の眼こそないが、指の隙間から見えたヴィクトルの左目は化け物の色に染まっていて、彼が興奮しているのは安月にも窺い知れた。その瞳に見つめられると動けなくなる。これこそまさに蛇に睨まれた蛙だ。
「だ、唾液だけじゃ足りないのかよ…」
「当然です」
「毎回あんなに長ったらしいのに?」
「唾液だけで賄おうとしたら君は四六時中、眠っている間でさえ私に口を吸われていなければいけませんよ」
「…そんなの絶対に無理だ」
 あんなキスを四六時中されたら精神的にも肉体的にも非常にまずい。
「なので私は君以上に味の劣る蜘蛛を代替としているのです。不用意に人間に手を出して困るのは、こちら側ですから」
 いつの間にか安月を包み込んでいたのは黒い蛇ではなくヴィクトルの腕だった。子供をあやすように柔らかな抱擁で少しずつ心が落ち着いていく。
 ちゃんと体温を感じられることに妙に安心している自分自身に首を傾げつつ、安月は顔に出ないだけで少しばかり後悔をしているらしいヴィクトルの顔を見た。文字どおり人でなしの化け物が反省しているかどうか疑わしくはあるが、金色の瞳は本当にしょげているように見える。
「このニオイにつられて君自身を喰ってしまわないように、私は常に本能と戦っているのですよ。これでもね」
 苦笑交じりに恐ろしいことを言いながらも、ヴィクトルは抱き込んだ安月の顎を掬い上げて唇を寄せてくる。溢れる唾液を飲まれるなんて恥ずかしいが、これはキスではなく食事だと自分に何度も言い聞かせてやり過ごすしかない。
 それよりも人面蜘蛛に触れられた感触を拭うように安月の肌を撫でているヴィクトルの手が優しすぎて、そちらのほうが恥ずかしかった。
 安月の息がもたなくなる手前で唇が僅かに離れ、酸素を補うとまた塞がれる。舌先を甘噛みされると恐怖からではなく肩が震えた。味はいまいちと言うくせに、回数を重ねるごとに食事の長さは増している気がする。
(これは食事。食事…食事なんだから)
 口内を弄る舌の動きに翻弄されながら、安月は頭の中で繰り返し自らに言い聞かせた。
 互いの間にあるのはただの利害関係で、さらにこの化け物は人間の心の機微などまったく理解しないのだから。
(それでも誰かに求められるって思うと悪い気はしない……なんて、オレって変なのかな)
 連続で人面蜘蛛に襲われた恐怖のあまり本当に頭がおかしくなってしまったのかもしれないと心配になる。
 悔しいから死んでも口にはしないけれど、ようやく食事から解放された安月は腰が抜けていて、ぐったりとベッドに身を任せるしかなかった。
「そういえばニオイって消せないのか? 香水で誤魔化すとかさ」
「そもそもニオイの質が違いますから、人工物で隠すのはまず無理です」
「じゃあ、人工物じゃなければいけるってこと?」
 聞き返した安月の目尻に涙でも残っていたのだろうか、睫毛の生え際を辿るように濡れた舌が這う。反対側にも舌が這わされ、ついでとばかりに再び唇を重ねられて舌を吸われた。
 しつこいのに優しいキスをされると変な気分になってきそうだからやめてほしい。そう思ってもヴィクトルの腕の拘束は強いままで、安月に解くことはできない。
「私のニオイを上乗せするというやり方でなら、安月のニオイを覆い隠して誤魔化すことはできるはずですが」
「めちゃくちゃ嫌な予感しかしないけど…その上乗せの方法って、具体的には?」
「私の精気を君の中に直接」
「却下!」
 聞いたことを後悔して安月は頭を抱える。
 そういう設定は聞いたことがあるが、それはあくまでも主に大人向けの作り話に限ったことだ。まさか現実に、しかも自分の身に降りかかると誰が予想するだろうか。
「安月が望むなら私はその方法も吝かではありませんよ」
「却下って言っただろ! それよりも夕食!」
「おや、食べる気がなかったのでは?」
「気が変わったんだよ。というか、昼から何も食べてないんだから腹は減ってるに決まってるだろ」
「はいはい。あたため直してきますから少し待っていなさい」
 ヴィクトルはようやく安月を腕から解放し、キッチンへと向かう。
 代わりに安月の手元ではヴィクトルのペットがぬらりと長い身体を横たえていた。体温らしい熱のない黒い蛇の触り心地は夏には快く、泥状の見た目以外でなら抵抗感をなくした安月は艶のないさらりとした身体を撫でてやる。
「なあヴィクトル。ペットの蛇に名前はあるのか?」
「いいえ、特には」
「そうだろうなと思ってた。ならさ、オレが名前付けてもいい? 大学に行ってる間はこいつがオレのこと守ってくれるみたいだし、名前がないのってなんか変な感じだしさ」
「君の好きになさい」
 やはりヴィクトルは名前に頓着しない性格らしい。安月はすっかり慣れた目も口もない蛇の頭らしき部分を撫でながら考える。
(ニョロニョロ…じゃあ安直だし、他のを思い出すし…。ニョロ…ニュ…?)
 ああでもないこうでもない、かと言ってこれもしっくりこない。
 ヴィクトルがカレーを盛り付けた皿をテーブルに置き、スプーンや麦茶を注いだグラスをすべて並べ終えたタイミングでひらめいた安月は目を輝かせて顔を上げた。
「ニーロ! ニーロって名前はどうだ? 気に入ってくれるといいんだけど」
 授業で聞き覚えのあったニューロンから思い付いた名前だが、はたして主人よりも気遣いのできる無口で賢いペットは気に入ってくれるだろうか。
 黒い蛇は迷うように僅かに鎌首を揺らした次の瞬間、安月の頬に擦り付いてきた。
「気に入ったそうですよ」
「良かった! じゃあお前は今日からニーロだよ。よろしくな」
 安月は自分で名付けた黒い蛇をよしよしと撫でる。主人にもこのくらいの可愛げがあればいいのに。
 空腹に負けて理性を飛ばしたことを、たぶんきっとほんの少し恥じているヴィクトルのことを許しはじめている自分に対して安月は苦笑した。
「ヴィクトル」
「なんですか?」
「これからはちゃんとオレのこと守れよな。改めて約束できるって言うなら、その…食事には、オレもできる限りは協力するから」
「わかりました、約束しましょう。人間は肉体だけでなく内側も壊れやすいものだと肝に銘じておきます」
 しっかりとヴィクトルが頷いたのを確認してから、ようやく安月はスプーンを手に取った。
「いただきます」
 リクエストどおり、よく煮込まれたタマネギは跡形もないしニンジンとジャガイモはスプーンに乗せるのが大変なほどに大きい。もう随分久しく味わってない立花家のカレーの香りに懐かしさが膨らむ。
 大きく頬張ったジャガイモはまだまだ味の染みが足りていないけれど、郷愁を募らせるのは間違いなくこの味だった。一口目をよく噛み締めて、飲み込む。
「ヴィクトル」
「何です?」
「…おいしい」
「それは良かった」
 ルーを溶かしただけのカレーなんてカレーとは言えないとでも思っているのだろうか、ヴィクトルはあまり嬉しくなさそうだ。
 万人が認めるくらい特別おいしいカレーというわけではないと思うけれど、それでも安月にとっては大満足の仕上がりになっている。
 もっと食べたい気持ちはやまやまだったが、時間が遅かったから量は控えめにしておいた。明日になったらもっと味が染みておいしくなっているのだから、楽しみを先延ばしにしても損はないと考えた安月の頬は勝手に緩んだ。
「ごちそう様」
「どういたしまして」
 安月はさっさと食器を下げるヴィクトルを横目で見ながら、長い身体を伸ばしているニーロに手を伸ばした。ニーロを初めて見た時はさすがに不気味さが勝っていたけれど、こんなふうにのんびりと寛いでいる姿は何となく微笑ましさを感じてしまう。
「ヴィクトルは人間みたいな食事は必要ないんだよな? 料理なんていつ覚えたんだ?」
「さあ…。人間に紛れて暮らすこともありましたし、その時だったような気もします」
 自分のことなのに興味がないのか、ヴィクトルは食器を洗う手を止めない。安月は「ふぅん」と適当な返事をする。別にヴィクトルが今までどこでどんな生活をしていたのかなんて、本当はそれほど興味はなかった。
 手持ち無沙汰でニーロに手を伸ばす。猫の喉をくすぐるように指先で撫でても、手のひら全体を使って撫でてもニーロは特に身動ぐこともなく、安月のしたいようにさせてくれる聞き分けが良くて手のかからない最高のペットだ。
「あ、そうだ…」
 カバンに入れっぱなしだった携帯電話を探り、届いているメッセージを確認する。紗奈からのものを見つけて真っ先に画面を開いた。
『行きたい場所、思いついたら教えてね』
 それを見て一気に焦りが浮かぶ。地方から出てきた安月はまだあまりこの辺りの地理には詳しくなくて、図書室でそう言われた時にもすぐに行きたい場所を思い付けなかった。
(そういえば、デートするなら映画か水族館がいいって喜嶋が言ってたっけ)
 彼曰くデートの定番がその二つとのことだが、どちらにしても紗奈の好みでなければ意味がない。
 地図アプリを開いて紗奈から教えてもらった店の名前で検索すると、運良く店の近くに水族館があった。水族館については、規模はそれほど大きくないが初回ならそこそこ楽しめるとの口コミがちらほらと書き込まれている。
 映画も考えてはみたのだが、上映中の派手なカーアクションが自慢の洋画が紗奈の好みに当てはまるとは思えなかった。実話を元にした涙必須の感動映画は初デートで観るには内容が重すぎる気もするし、ホラー映画なんて初めてのデートには最も不向きだ。
 それにまず第一に安月は上映中の暗闇に耐えられない。消去法で水族館に軍配が上がった。
 女の子はどこに行くかをいつまでも決めきれない優柔不断な男を嫌いだと思う傾向が強いことも喜嶋から吹き込まれていた安月は、水族館はどうかと問う内容を送り、送信完了の表示を確信してから緊張の息を吐いた。
 返事が届くまでの時間に耐えられず、携帯電話を床に残して立ち上がる。風呂場と隣接している洗面所で歯磨きをしながら生乾きだった髪をドライヤーで乾かし、さっぱりとした気分でベッドに寝転んだ。
 昨日も今日も散々な目に遭ってしまった。血が止まらないような深い噛み痕こそなかったけれど、風呂で擦りすぎた上にニオイで理性を飛ばしたヴィクトルに強く吸われたせいで、左の上腕部は内出血を起こしていた。
「しばらく半袖着れないな…」
「血のニオイもしますから、そういう意味でも気を付けておいたほうがいいでしょうね」
 家事を終わらせたヴィクトルがベッドを背もたれにして腰を下ろす。そういえば彼の分のクッションを用意してやらなくてはと、安月は不意にそんなことを考えた。
「実際に出血するようなことがあれば、今日の比ではないと思いますよ」
「うわぁ、考えたくない…」
 ヴィクトルの台詞に顔を顰めた安月は僅かに熱を持っている左腕をそっと撫でる。治るまでは充分に気を付けようと思うものの、蜘蛛が寄ってくること自体は安月には防げないため、どうしてもヴィクトルを頼るしかない。
「今度はしっかりオレのこと守れよな」
「ええ、もちろん」
 どこか胡散臭さを感じる返事に深く息を吐いて目を閉じる。
 少しうとうとしていると、ベッドのすぐ横の窓にコツンと何かが当たる音がした。
「……?」
 安月は薄く目を開けたものの、今にも眠気に負けそうな意識が音の正体を確かめようとする思考をどろどろと覆い隠していく。気のせいかと目を閉じてしまった安月に気付かせるためか、もう一度小さな音がした。
 不規則な間隔を置いて聞こえる音が気になり、安月はとうとう身体を起こしてカーテンに手をかける。
「開けないほうが良いのでは?」
 何かを知っているような口振りのヴィクトルを振り返った安月は、彼の言葉の意味をしっかりと把握する前に僅かにカーテンを捲り上げた窓へと視線を戻す。
「ひ…ッ!」
 風雨で薄汚れたガラスに張り付いていたのは人面蜘蛛だった。
 昨日今日と安月を襲った個体よりはずっと小さいものばかりだが、ニタニタと哂いながら口を動かしている様はあまりにも心臓に悪い。
 息を引き攣らせ、カーテンを叩き付けるように手離した安月はベッドの上を後退った。ヴィクトルの言っていたとおり血のニオイに誘われてやってきたのだろう。
 密に毛が生えた脚の先端には小さくも鋭利な爪が生えていて、蜘蛛が窓を開けようとサッシを引っ掻き、しっかりと締められた鍵に阻まれて滑った爪がガラスに当たって微かに音を立てた。聞こえたのはこの音だったらしい。
 気付かなかっただけで、今までもこうして蜘蛛が張り付いていたことがあったのかもしれないと考えてしまい、寒気が一気に頭の先まで走り抜ける。
「中にまでは入ってきませんよ」
「で、でも…っ」
 安月は思わずヴィクトルに縋り付いた。同じ化け物でも言葉が通じるだけヴィクトルのほうがマシだ。
「ヴィクトル、早く何とかしろよ!」
 半ばパニックを起こした安月の口は、煩いと言わんばかりに大きな手のひらで覆われた。何のつもりだと視線だけで金色の目に問いかけても返事はない。
 ニーロがベッドの下から、正しくはヴィクトルの影から這い出て窓へと伸びる。
「んんぅ!」
 やめろと言ったはずの声はヴィクトルの手のひらに揉み消され、むしろ声を上げたことを責めるように指を二本も口の中に押し込まれた。
「っ、…っ」
 容赦のない指先に舌を嬲られる。眉間にシワを刻みながらも、安月は視線だけでニーロの動きを追いかけた。
 ニーロが静かに窓の鍵を開けると、唯一の侵入経路である細い隙間に人面蜘蛛が群がる。しかし赤黒い複眼が細い隙間から室内を覗き込むよりも早く、蛇に似た見た目から一瞬で姿を変えたニーロが蜘蛛達を悉く切り刻んだ。
 一仕事終えて窓の隙間から戻ってきたニーロがさっきの動きを逆再生するみたいに窓に施錠すると、室内にはいつもと変わらない沈黙が満ちる。安月は口にヴィクトルの指を咥えさせられたまま呆然と窓の外を見つめるしかなかった。
「これで良いのでしょう?」
 耳元で囁かれて肩が跳ねる。
 口に突っ込まれたままの指に促されて後ろを向かされ、苦しい体勢のまま顎を伝う唾液を舐め取られた。指と、指の隙間から侵入してきた舌とで口内を犯され、指が抜かれるとヴィクトルの舌は我が物顔でより深くまで入り込んで安月を翻弄する。敏感な舌の裏側や側面を舐め上げられるたびに背中が震えた。
 彼にとってはただの食事だというのに、もう疑う余地もなく、安月はヴィクトルとのキスに快楽を見出していた。これ以上はダメだと思っても自分の力ではヴィクトルを引き剥がすこともできなくて、身体の奥で勝手に点けられた小さな灯火がじれったくて膝を擦り合わせる。
 時間をかけてたっぷりと舌を吸われてようやく解放された時、安月は精根尽き果てていた。あと少しでも解放されるのが遅かったら男としての尊厳をなくしていたかもしれない。
 安月は息を切らしながら目を閉じて頭の中で都道府県名を北から順に暗唱する。呼吸と脈拍が落ち着くのにつれて知られたくない衝動も薄らいでいき、安月は安堵の息を吐き出してからベッドに突っ伏した。
「…もう絶対にカーテン開けない」
 人面蜘蛛は血のニオイに敏感だと聞いてはいたが、ここまでだとは知りたくなかった。
 唾液で濡れた指を舐めているヴィクトルに変態くささを感じながらも、安月は彼の胸倉を掴んでベッドに上がるように促した。隙間なくきっちりとカーテンを閉めた窓際に彼を押し付け、わざとらしくにこりと笑う。
「オレのこと守ってくれるんだよな?」
 ヴィクトルは安月を見つめ、瞬きをしてからベストを脱いで長身な彼には小さすぎるベッドに横になった。今度こそ間違いなく、この化け物は安月の求めていることを理解してくれたらしい。
「さっさと寝てしまいなさい」
「うん」
 この歳になって自分から添い寝をせがむなんて考えてもいなかった。
 抱き寄せられて髪を撫でられると張り詰めた気持ちが一気に解けて、とろりとした眠気があっという間に目蓋を重くする。頬を寄せたシャツからは何かわからないけれど良い香りがして、それがまた安月の眠気を誘った。
 二人並んで横になるのはさすがに狭かったのか、ヴィクトルが胸の上に安月を乗せる。
(ラッコの親子かよ…)
 紗奈を誘うために調べた水族館の紹介サイトに掲載されていた、子供をおなかの上に乗せて水面を泳ぐラッコの写真を思い出す。
 眠気にふやけた唇を塞がれ、無抵抗のまま舌を吸われた。舌先を撫でられるのが気持ち良いと覚えてしまったことが悔しい。安月が上にいるおかげでヴィクトルは唾液を啜りやすいようで、溶けそうなほどしつこく舌を追い回された。
「今の味は悪くありませんね。空腹が満たされたからですか?」
「オレが、知るか…」
 その悪態を最後に、安月はヴィクトルの胸に抱え上げられた体勢のまま静かに寝息を立てはじめた。


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