運命とは、まだ呼べない

月居契斗

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 身体を好き勝手弄ばれて意識を飛ばし、ぼんやりと目を覚ますと食料を押し付けられる。窓の外から聞こえる喧騒の回数で、この部屋に閉じ込められてから今日で四日目だと判断するが正確かどうかもわからない。
 はっきりと意識がある間に風呂に入れたのもたった一度だけ。
 もうずっと服を着ていない状態での生活を強いられていて、まるで自分が人間でない生き物になってしまったかのような錯覚に陥りそうだ。
 スペルトの気まぐれで何度も犯され続けた身体は、すっかり無体な行為に慣れてしまった。
 アトールは今日も太陽が高くなりきらないうちから犯されたせいで体力を削られ、寝ては覚めてを何度も繰り返し、ようやく目を覚ましたもののベッドの上に横たわったまま天井を見つめていた。
もしかしたら、もう二度とこの部屋から出られないかもしれない。そんな考えが後頭部の辺りに滞っている。
 朝から散々アトールを泣かせたスペルトは気が済むと簡単にシャツを着込んで出かけて行った。
 逃げ出すには絶好の機会だというのに、ベッドから這い出して逃げてやろうという気力が少しも沸かない。口から洩れるのは重たいため息ばかり。
 腹の奥へ吐き出されたスペルトの精液が不快だが、それを処理するために浴室へ向かうことも億劫に感じてしまう。
 自分は何のためにここにいるのだろう。
 ふとそんなことを考えて、次の瞬間には苦々しい笑いが漏れた。そんなこと明白だ。
 スペルトに犯されるためだけに自分は今ここに存在している。アトールの意思など関係なく、性欲処理のためだけに生かされている。
 自分自身を嘲笑うように唇を歪めながら、それはとても悲しいことだとアトールは思った。
 夢中になって小説を読み耽っていた頃は自分の身にこんな災難が降りかかるなんて考えたこともなかった。
 知らない世界を巡る冒険では胸を高鳴らせることが無限にあって、大好きなあの小説の主人公のようにとまではいかなくても、自分にだってひとつくらい物語みたいにキラキラした出来事が起こるのではないかと夢見ていた。
(そうだ、僕は都合のいい夢を見ていたんだ…)
 真理に辿り着いたかのようにアトールの背中は冷たくなった。
 憧れだけで家を飛び出したけれど現実はこんなものなのだろう。世間知らずの自分は結局、悪い相手に騙されて、いいように利用されて、今もこうして身体だけを使われている。
 殺されるよりはマシだと思わなければアトールの心はズタズタになりそうだった。
 最悪の気分のまま気だるい身体を引き摺って浴室に向かい、生ぬるい湯を浴びて表面上だけ身体を清めたアトールは、既に定住の地になったような気さえするベッドの上に転がった。簡素なテーブルセットはあるけれど全裸のまま座るのは遠慮したい。
 そんなふうに自分に言い訳しながら微睡んでいると、部屋のドアの蝶番が小さく音を立てた。
「なんだ、まだ寝てたのかよ」
 返事をする気力さえ起きないアトールはスペルトを無視して冷えた肩に毛布をかけ直す。
「食うだろ?」
「……」
 スペルトは脱いだ服は平気で床に脱ぎ散らかすのにアトールの食事を忘れたことはない。こんなところばかり律儀だと嫌味を言いたい気分だったが、声を出すのも面倒だった。
 差し出された紙袋を受け取ろうと身体を起こしたアトールは、ふと鼻を突いた香水の強い匂いに顔を顰める。
 それは明らかに女性用の香水だった。
 アトールの母が好んでいた花と果実を混ぜたような柔らかい雰囲気の香水とは違い、頭の奥にまで鋭く届く甘ったるい匂いは酷く不快で、ただでさえ沈んでいたアトールの気分をますます重く澱ませる。
「…香水臭い…」
 思わず吐き捨てた言葉はみっともなく掠れていたが、三角形の獣の耳は敏感に聞き取ったらしい。スペルトが金色の視線をアトールに向け、すぐに逸らす。
 たったそれだけのことが、今はどうしてか無性に腹立たしく感じた。
(僕にあんなことしておきながら、女の人と会ってたんだ…)
 考えれば考えるほど苛立ちは大きく膨らんでいく。
 何故こんなにも腹が立つのかわからないのに、アトールは止め処なく湧き出す怒りにも似た嫌な気持ちをぶつけるみたいに紙袋を握り締める。薄っすらと感じていたはずの空腹感もどこかへ消えてしまった。
「早く落としてきて。僕、その匂いすごく嫌い」
「お前に言われるまでもねぇっての」
 棘のある言い方に刺々しく言い返したスペルトは足音も荒く浴室へと消えていく。すぐに水が床を叩く音が聞こえはじめたがアトールの気分は少しも回復しなかった。
 あんなに強く匂いが移るほど何をしてきたんだろう。
 考えたくないのに次々と頭に浮かぶ想像は、アトールの気分をよりいっそう最悪にする。深呼吸をして気分を落ち着けようとしても、呼吸のたびに嫌な気持ちは膨らんで、爆発する寸前にアトールは紙袋を開けることもなく枕元に投げ置いた。
 気分が悪い。胃が絞られるような不快感に眉間に力が篭る。
 冒険小説を読みはじめた頃のアトールは、逞しい体躯の男性が女性物の香水の匂いを漂わせている理由がこれっぽっちもわからなかった。そういう趣味でもあるのかもしれない、なんて的外れな予想をしていたくらいだ。
 でも今なら、自分の頭に浮かんでいる予想が間違っていないと確信を持てる。
(きっと…そういうこと、してきたんだ)
 嫌な気分はどんどん膨らんで、今にも身体から溢れてしまいそうで、アトールは強く唇を噛み締めて口から飛び出してしまいそうな嫌な気持ちを必死で押さえ込む。枕の中綿の形が完全に変わるまで殴り付けたいという乱暴な気分になったのは初めてだ。
 アトールが悶々と低く唸っていると浴室の扉が開く音が聞こえた。
「食ってねぇのかよ」
「…今はいらないから」
 ズボンだけを穿いたスペルトに視線を向けることもなく素っ気なく言い返す。このまま不貞寝をしたいのに、散々寝て過ごしたせいで眠気はちっともアトールの意識を浚ってくれない。普段なら絶対にしない舌打ちなんて行儀の悪い仕草をしたくなってしまう。
 スペルトの足音が近付いてきて、止んだと思った直後にベッドが大きく揺れる。アトールはきつく目を閉じてスペルトを遮断した。
「嫉妬か?」
 笑いを滲ませた声がアトールの鼓膜を無遠慮に震わせる。真上から降ってきた言葉を理解するまでに時間がかかった。
 理解した瞬間アトールの頭には一気に血が上り、心臓が爆発したみたいに脈が速くなって、酸欠で目の前が暗くなる。力任せにシーツを握ると手のひらに爪が食い込んだが、痛みを感じる余裕もない。
「そんなことあるわけないじゃない!」
 欠片程度の理性がブレーキをかけるより先にアトール自身も驚くほどの音量で叫んでいた。
 スペルトも驚いたようで金色の眼を瞬かせたが、すぐにいやらしく口の端を吊り上げる。
「なるほどなぁ」
 全部わかっているとでも言いたげな口振りが心底憎らしくて、アトールはスペルトを突き飛ばそうと手を振り上げた。
 けれどその手は逆に捕まえられシーツに押し付けられる。
 ぐずる子供を宥めるよりも容易く動きを封じられてしまうのは最初からだが、今はそれがどうしても受け入れられなかった。
 スペルトに触られたくないし、スペルトの顔を見たくない。どろどろした重苦しい得体の知れない何かが腹の奥から溢れてくるようで気分が悪い。しかし、離してと訴えるためにアトールが開いた口から声が出ることはなかった。
「……っ!」
 アトールの目が大きく見開かれた。
 声を上げようとした口が、あたたかくて柔らかい何かで塞がれている。
 頭を硬いもので強く殴られたような衝撃が全身を駆け巡り、驚きに目を見開いたままアトールは身体を強張らせた。何をされているのかすぐには理解できない。
 アトールの口を塞いだ何かが離れていって、目を細めながら唇の端を吊り上げたスペルトに見下ろされても一言も声を発することができなかった。
「ようやく俺のモノだって自覚したのか」
 からかう台詞にもアトールは答えず、冷淡な笑みを浮かべている唇を凝視する。
 瞬くことを忘れたアクアブルーの瞳があっという間に湿り気を帯び、涙が音も立てず目尻から零れ落ちた。
「どうして…」
 微かな音量の囁きは、突然泣き出したアトールから身体を離したスペルトに向けた言葉ではない。
「どうして僕は…好きな人と、キスさえ、できないんだろう……初めても、二回目も…どうして…」
 一旦溢れた感情は止める術もなく次から次へと溢れて零れる。
 アトールの初めてのキスの記憶は酷いものだった。
 今よりももっと兄にべったりだった幼少期のアトールを常日頃から馬鹿にしていた同窓生に、賭けに負けた罰ゲームとして一方的に奪われてしまった。
 アトールはそのくだらない賭けに参加してすらいなかったのに、たまたま通りかかったからという理不尽な言い分で巻き込まれた挙句、相手からは「お前なんかとキスすることになるなんて最悪だ」と心底うんざりした顔で吐き捨てられた。
 初めてのキスを突然一方的に奪われ上に罵られ、あまりのショックに泣いて帰ったアトールは大好きな兄に慰めてもらったが、泣いた理由を最後まで打ちけることができなかった。
 あれから何年かして、ようやくあのキスをなかったことにしてしまおうと思えるほどになれたというのに。
「こ、なの…あんまりだ…」
 本来なら愛する人とだけするはずの行為を何度も強いられている。
 いくら無知な自分が悪いと考えても、力で捻じ伏せられて身体を開かれる精神的な苦痛は湿った雪のように密度を増して重く降り積もっていて、その状態で望まぬキスをされたことでアトールの心は今にも無残に押し潰されてしまいそうだ。
「もう、やだ…こんなの、もう、やだよぉ…」
 みっともなく声を上げて泣き出したアトールの腕を強く引っ張ったスペルトの金色の瞳が剣呑な光を宿している。噛み締めた奥歯を軋ませたスペルトは手加減をせずにアトールの腕を捻り上げ、ベッドに押さえ付けて動きを封じて涙に暮れる瞳を睨み付けた。
 苦悩よりも苦痛で潤いを増すアクアブルーに怯えの色が混ざる。
「俺以外の誰としたんだ」
 地を這うような低い声で問われても、怯えたアトールの喉は引き攣ってしまって使い物にならなかった。
 スペルトは質問に答えないアトールの髪を荒々しく鷲掴んで無理矢理に視線を合わせる。
「言えよ。誰としたんだ」
 声は感情をなくしたかのように静かなのに、それがますます恐ろしい。髪を掴まれたままベッドに頭を押し付けられ、耐え切れず髪が千切れる感触が頭皮を伝う。
 どうしてこんなにもスペルトが怒っているのかわからない。けれどアトールの中でもだんだんと怒りが勢いを盛り返してきた。自分はどちらの場合でも被害者なのに、こんな扱いをされるなんて理不尽だ。
 アトールはできる限りの力を込めて、自分の髪を掴んでいるスペルトの腕を叩いた。
「だ、誰だっていいでしょ! 言ったってあなたにわかるわけないじゃない! それに僕だって、あんなのを初めてのキスだって数えたくもないんだから!」
 憤りに任せて叫んだ口が再び塞がれる。逃れようと暴れてみても獣人の力にはやはり敵わない。
 まるで噛み付くような力加減の一切ないキスだった。ぶつかった歯が唇を傷付け、血の味が薄っすらと互いの口内に広がる。それでも構わないのか、スペルトは何度も唇を離しては重ねる動きを繰り返した。
 その間もアトールは抵抗をやめなかったが、跳ね除けるには圧倒的に力の差が大きすぎた。
 ただ力任せにぶつけるだけのキスを何十回と繰り返して少しだけ気分が落ち着いたのか、スペルトがようやく口を離す。
 解放されたアトールは呼吸を荒くしながらしゃくり上げた。
「もう…もう、やだ…なんで、僕がこんな…っ」
 恨み言を繰り返すアトールは身体を丸く固めてスペルトから逃げるように背を向けた。
「服も、剣もなくされて…道具みたいに扱われて…ッ…僕、こんなふうにされたくて、冒険者になったんじゃない…!」
 確かに動機は子供っぽい憧れだった。
 けれど旅に出るまでの一年間、アトールはできる限りの手伝いをして少しずつ貯めたお金で剣を買った。何もせずとももらえていた小遣いで簡単に手に入れたかったわけじゃないし、自分の本気を両親や兄に認めてほしかったからだ。
 装備を揃えるための目標だった金額が目前に迫る頃には両親も兄も半分くらい呆れ交じりではあったがアトールの本気を理解してくれて、心配の言葉は尽きなかったけれど旅立つ自分を送り出してもくれた。
 幼い頃から庇護されるばかりだった自分でも冒険者になれば少しくらい人の役に立てるのだろうと勝手に想像して胸を膨らませていたが、それらはすべて幻想だった。
 それだけでなく、キスも肌を重ねることも幸福に包まれながら好きな人とするものだと思い込んでいたのに実際はこうだ。
 現実はなんて残酷なのだろう。
 明るい希望に満ち満ちていた気持ちは、今はすっかり土足で踏み荒らされたように傷だらけでぺしゃんこだった。
「もう、やだ…嫌だ、こんなの……っ!」
 アトールは声を抑えずに泣き声を上げながらスペルトを罵り、初めてのキスを汚した過去の記憶に怒りをぶつけ、爪が食い込むほど強く握った拳を何度も何度もベッドに叩き付ける。
「僕は、人間だよ!」
 使い捨ての人形ではない。理不尽な扱いをされれば傷付き血を流す心がある。
 めちゃくちゃに泣き叫び暴れていたアトールは、やがて息が苦しくなるほどの力で自分を包む何かの存在に気付いた。
 身体に巻き付いているのは褐色の腕だった。
 自分を抱き竦めて拘束しているのがスペルトだと気付いた途端に怒りが勢いを増す。
「離せ! 離せよ!」
 思い付く限りの汚い言葉を浴びせても、精一杯の力で暴れても、獣人であるスペルトの腕は一切緩むことはなかった。
 どのくらいそうしていたか、やがて体力の限界がきたアトールは少しも緩まなかった腕の中で動きを止めた。泣いたせいで目蓋は腫れ上がり、頬はかさついてひりひりと痛い。力の加減をせずにベッドを殴っていた拳も痛いし全身どこもかしこも疲れきっている。
 気分が落ち着いてくると、後ろから回されている腕があたたかいと気付くことができた。
 隙間ができないくらい強く抱き竦められているせいで、独特な色の髪が首筋に当たってくすぐったい。笑う代わりに不器用なため息が漏れた。スペルトに抱き潰された直後のような酷い疲労感がアトールの全身を重くしている。
 スペルトは何も言わないし、アトールも何も言わなかった。
(なんかもう、疲れちゃった…)
 何もかもがどうでもいいとさえ思えてしまうほど不思議なくらい疲労していて、アトールは長いこと力を抜かずにいたスペルトの腕の中で身体を弛緩させた。
 もう暴れやしないかと隙なく気配を窺いながら、スペルトの腕が静かに動いてアトールをベッドにそっと横たえさせた。毛布が引き上げられて肩までを覆う。
 ベッドの上からスペルトが退いて、十秒もしないうちに部屋の明かりが消された。
 獣人は人間よりも遥かに夜目が利くのだろう。アトールの目では何も見えない真っ暗闇なのにスペルトの足音は危な気なく真っ直ぐに部屋のドアへと向かい、静かにその向こうへと消えていった。
 鼻の奥がつんと痛い。涙の名残はまだ色濃く残っている。
 アトールはスペルトがかけてくれた毛布を強く握り締めて涙を堪えながら、疲れきった心と身体を癒すため、それほど経たないうちに眠りの世界へと沈んでいった。


「ほら、食えよ」
「……」
 翌日の夕方、これまでと変わらずスペルトが買ってきたサンドイッチを受け取ったアトールは無言で口に運んだ。
 味なんてわからない。挟んである具が何かということさえどうでもいい。
 スペルトに抱かれる以外は何もせずひたすら寝たおかげで身体の疲れは軽くなっているものの心はまだ酷く疲れていて、頭の中に晴れない靄がかかっているみたいで、考えようとしても思考は空回りするばかりで少しも捗らなかった。
 食事を終えるとまた毛布を被って閉じ篭る。
 スペルトが何かを言ったような気がした。耳には届いているが、アトールの意識はその音を言葉として理解することを拒んだ。
 今は心底疲れていて何もしたくない。食事すら面倒に感じたが、本当に拒んだら無理矢理口に入れられて盛大に咳き込んで苦しい思いをしたから、気が進まなくても食事だけはするようにしている。
 身体と心が切り離されてしまったみたいに何もかもに現実味を感じられない。
 スペルトから「食事しろ」や「風呂に入れ」などと指示をされれば素直に従ってみせるが、それは単に拒否するだけの気力がないせいだ。そんなことに労力を傾けることも、理不尽な扱いに怒りを燃やすことも面倒で億劫だった。
 それでもスペルトは、まるで人形になってしまったみたいに感情が抜け落ちたアトールを抱くことをやめたりはしなかった。
 アトールの身体は潤滑剤を使われれば痛みもなくスペルトを受け入れられるようになったし、快楽に従順に震えて蕩けた声を漏らすようにもなった。しかし決して視線が交わることはなく、アトールの手は頑なにスペルトだけを拒んでシーツを握り締める。
 そんな口に入った砂のように顔を顰めたくなる時間をもう一日分過ごした時、スペルトは自分の食事の手を止めて深々と息を吐き出した。
「アトール」
 名を呼ばれたアトールは音も立てず視線だけをスペルトに向ける。
 覇気のないアクアブルーの瞳を見つめ返す金色の目はどこか気まずそうに細められ、らしくなく僅かに空を泳いだ。
 スペルトが無言で手を上げ、立てた人差し指の先を部屋の隅へと向ける。
 元来素直な性格のアトールは特に逆らうことなく、指し示された場所を視線で追いかけた。
「ど、して……」
 掠れた小さな声が静かな部屋に放たれる。
 部屋の隅には全体的にくすんでいて質素な造りの剣が立てかけられていた。
 見るからに安っぽくてちっとも立派ではないし、売り払ったとしても大した額にもならないと一目でわかるその剣を忘れるはずがない。両親や兄や、実家近くの商店の手伝いをして少しずつ少しずつ貯めた金でようやく買えた唯一の冒険者らしい装備だ。
「僕の、剣…」
 テロサイラに襲われた時に森に置き去りにしてしまって、もう二度と戻ってくることはないだろうと半ば諦めていた剣がそこにあった。
 誰がそこに立てかけたかなんて聞かなくても想像はつく。その剣がアトールのものであること、そして取り残してきた場所を知っているのはアトール以外に一人しかいないのだから。
 物言いたげな視線を向けられたスペルトはわざとらしく肩を上げた。
「気付くの遅すぎるだろ」
 わざとらしいため息を吐く彼に対して文句のひとつも言ってやりたいのに、あまりにも驚きが強すぎたからか声帯は正常に機能してくれなかった。
 ベッドの上から動くこともできないアトールの代わりにさっさと動いたスペルトは剣を掴んでアトールに差し出した。
 震える指先が恐る恐る古びた柄に、それからくすんだ鞘に触れる。
 両手に乗った確かな重みはアトールの涙腺をあっという間に壊してしまった。裸の膝の上に涙の雫が落ちて、音もなく散る。
 非力な腕ではまだ思うように扱うことはできないけれど、いつでもこの剣を見るたびに物語の中の冒険に憧れて胸を高鳴らせていた頃の前向きな気持ちを思い出せた。
 思わず剣を両手で抱き締めてみっともなくしゃくり上げるアトールが礼を言おうと顔を上げると、どこか不貞腐れたように獣耳を揺らしたスペルトがアトールよりも先に口を開いた。
「……悪かったな。お前の気持ちも考えずに…」
 まさか謝られるとは思っていなくて、アトールはついぽかんと口を開けてしまう。
 彼自身も自分らしくないと思っているのだろう、乱暴な手付きで複雑な淡い色の髪を掻き混ぜたスペルトは大股でベッドから離れるとテーブルの上に置かれていた包みを掴んでアトールに向かって放り投げた。
 慌てて受け止めて促されるまま包みを開ける。中身はひと揃えの服だった。
 すべて取り出してベッドの上に並べてみる。
 薄手の肌着と胸元が大きく開いたチュニックは、ふわりとした丸いシルエットの袖が特徴的で触り心地がとても良い。短めのズボンは裾に向かって広がっていて足さばきがしやすそうだった。どれも落ち着いた色合いで、華美でも質素でもない至って普通の服だ。
 しかし、この部屋に連れて来られてから今日までずっと全裸で過ごしていたアトールは突然服を与えられたことに困惑してしまう。
 今までもスペルトの考えていることはまったく理解できていなかったけれど、いよいよわけがわからなくてスペルトを見上げると、彼は苦笑いのような複雑な表情を浮かべていた。
「着てみろよ」
 アトールは素直にスペルトの言葉に従った。
 いざ穿いてみるとズボンは見た目よりも丈が短くて、裾からお尻が出てしまっているのではないかと不安になる。その一方でチュニックは丈が長く、腰にベルトを巻いたとしてもズボンをすっぽりと覆い隠してしまうだろう。
「お前に似合うだろうって見繕ってきたんだが、悪くねぇな。ちょっと一回、その場で回ってみろ」
「う、うん…」
 言われたとおりにその場で回るとチュニックの裾が軽やかに翻った。
 久しぶりに服を着たからか、アトールは妙に物珍しい気分で腕や足を動かしてみる。肩や首周りに窮屈さはなく、肌触りの良さもあって気持ちが弾んだ。
 それにしてもスペルトはどうして突然アトールに着せるための服を用意する気になったのだろうか。
 自分の見立ての良さを自慢しているかのような笑みを浮かべて近付いてきたスペルトを見るアトールの目には困惑が浮かぶ。
「着心地イイだろ?」
「うん」
「それに脱がせやすいんだ」
 言うが早いか、スペルトはアトールが着たばかりのチュニックに手を伸ばした。
 チュニックはボタンではなく細い共布のリボンで前を閉じるデザインになっていて、等間隔に並んだ結び目を四つほど解けば容易く床へと落ちてしまう。
 危機感を抱く前にスペルトの手に肩を押されたアトールは呆気なくベッドへ転がされた。
「ぁ…っ」
 アトールが逃げ出そうと身を捻るよりも一瞬早く、スペルトが肩に尖った犬歯を押し付けてきた。硬い感触で思い出すのは鎖骨の辺りに噛み付かれた時の恐怖を伴う痛みではなく、甘噛みによって齎される甘い痺れだ。
 微かな悲鳴は快楽の予感に震えていて、それに気を良くしたスペルトは僅かに位置を変えて再び牙を押し付けてきた。獣の甘噛み程度の力加減に肌が粟立つ。
「んんっ」
 有無を言わさぬ強い手で身体をひっくり返され、唇で口を塞がれる。
 遠慮する気配もなく口内に入ってきたのはスペルトの舌だ。呻き声さえスペルトに飲み込まれてしまって、もがく腕も簡単に捕らえられた。
「ん、ふ…ッ」
 アトールが経験した初めてのキスも二度目のキスもただ押し付けられるだけでしかなく、一方的に奪われたことへの悲しさや悔しさしか感じなかったのに、今スペルトからされているキスはまったく違う。
 逃げることさえ思い付けずに奥で固まっていた舌を強引に絡め取られ、ややざらついた表面が擦り合わされるとアトールの背中は敏感に跳ねた。
 恥ずかしくなるほど濡れた音が身体の内側を伝って鼓膜を震わせる。そちらに気を取られていると、スペルトの器用な指がいつの間にかズボンのウエストを緩めていた。
「んッ!」
 下着を掻い潜った褐色の指先が下腹部を撫でる。
 自分よりも大きな彼の手が与えてくれる刺激を快感として受け止めることに慣れてしまった身体は、アトールの意思を汲むことなくあっという間に熱く火照った。
 舌と舌が絡み合い、それと合わせて下腹部を弄る指の動きも大胆になっていく。
 自分の意志と関係なく奪われているはずのキスなのに、口内の敏感な粘膜を舐め上げられて声が漏れるたび、シーツを握る指が緩急をつけて震えた。
「ん、はぁ…」
 ようやく二人の唇が離れた時、アトールは軽い酸欠に陥っていた。
 足りない酸素を取り込もうと大きく上下するアトールの薄い胸板にスペルトの唇が這い進む。薄手の肌着がたくし上げられ、熱を帯びた皮膚を不規則に甘噛みされると勝手に肩が強張った。この数日ですっかり性感帯に仕上げられてしまった乳首を摘まれると肩の強張りはますます顕著になる。
「や、そこ、ばっかり…!」
「好きなくせに」
「す、きじゃな…あんッ」
 乳首を強めに噛まれた途端、アトールは高い悲鳴を上げた。
 犯されることにすっかり慣れてしまった身体はアトールの意思とは裏腹に熱くなり、散々スペルトを受け入れさせられた場所も切なく疼く。アトールはシーツを強く握り締めて身体が跳ねるのを必死に抑えた。
 与えられる快楽に溺れてしまいそうな身体に引き摺られているのか、こんなに恥ずかしいことをされているのにスペルトのことを心底から嫌いだとは思えないでいる自分自身に戸惑いが浮かぶ。
 ずっと全裸で軟禁された状態だったが食事を抜かれたことはないし、風呂に入りたいと頼めば面倒そうな顔をしながらも手を貸してくれた。望まない行為を強いられてはいたものの、一度だけ噛み付かれたこと以外は明確な暴力を振るわれたこともなく、今だって快楽だけを与えられている。
 酷い扱いではなかったと考えてしまうのは楽天的すぎだろうか。
 考えごとから引き戻すように膝を大きく広げられ、脚の付け根にスペルトの手のひらが這い、いつの間にか潤滑剤を纏った指が中に入り込んでくる。
「は、ァ…う」
 最初から二本の指を根元まで差し込まれ、圧迫感に悲鳴混じりの息が漏れた。
 慣れないうちは吐き気を催すほどだったのに今では快楽を見出すまでになってしまった。
「お前、ここ弄られるの好きだろ?」
「ア…んんッ、そこ、やぁ…!」
 潤滑剤で滑る指がアトールの弱い場所を狙って刺激する。言葉では嫌がっていても身体は正直だ。アトール自身よりもよく知った動きで腹側のどこかを弄られると、目の前で火花が散りそうな快感が湧き上がる。
 そんな場所で快感を得られるなんて知らなかったし、できればずっと知らないままでいたかった。本当にそう思っているのに、スペルトの指が弱いところを刺激するたびに快楽の波が全身を襲う。
「そこ、ばっかり、いや…ぁうぅ!」
 膝裏を押されたこの体勢では自分の性器がはしたなく反応しているところが丸見えで、その上スペルトの指を深く咥え込んでいる部分まで視界に入ってしまう。激しい羞恥心で指先から燃え上がりそうだ。
「いや、嫌…ああッ!」
 スペルトの指の動きはアトールが嫌がるほど強く速くなり、とうとう耐え切ることができなくなったアトールは呆気なく絶頂へと押し上げられた。下腹部を滴り落ちる体液の感触が恥ずかしくて涙が滲む。
 息を切らすアトールの痴態を見つめる金色の眼は熱っぽい。その目に見つめられているだけで情欲の火が息を吹き返してしまいそうだ。
「……っ」
 アトールの身体はもっと強い快感を知っているし、スペルトがそれを与えてくれるということも知っている。更なる快楽を欲する浅ましい身体を誤魔化すこともできないアトールは、恥じらいと動揺に揺らぐ視線を何度もスペルトに向けた。
 こんな恥ずかしいことしたくない。
 でもスペルトのキスと指で煽られた身体はさらなる刺激を欲しがって理性を焼き切ろうとしている。
 ざらついた舌で上顎を舐められて仰け反った背中とシーツとの隙間に差し込まれたスペルトの腕がアトールの腰を軽々と持ち上げた。
 潤滑剤で濡れた後孔に押し当てられる熱い杭。
 受け入れる瞬間は力を抜いていたほうが楽だと頭よりも身体のほうが覚えていて、アトールは無意識に膝を開いてスペルトを誘った。
「ぁ、んん…っ!」
 いくら潤滑剤を使って解されたとしても、一気に奥まで踏み込まれると呻き声が漏れる。
 こんなふうに扱われることを望んでなんていないのに、スペルトに隙間なく満たされて不思議なほど胸が熱くなった。
 与えられるのが痛みだけだったならスペルトを憎んでいただろう。
 けれど、スペルトはアトールの剣を探してきてくれた。不器用に謝ってくれた。服だってアトールに似合いそうなものをわざわざ見繕ってくれた。
 たったそれだけで許したくなってしまう。好きだと思いたくなってしまう。
 内側から溢れる高揚感は自分自身でもどうしようもなくて、戸惑ったアトールは引き裂かんばかりにシーツを握り締めた。そうしないとアトールの手はスペルトを抱き締めてしまいそうだった。
 ふと、スペルトがアトールの手をシーツから引き剥がした。導かれたのはスペルトの背中だ。
「っ…!」
 薄く汗をかいた背中に指先が触れた瞬間、アトールは凍り付いたかのように全身を強張らせる。思わずスペルトを飲み込んだ場所にも力が入ってしまって、互いに思わず息を詰めた。
「どうした? シーツより触り心地はイイはずだぜ?」
 わざと顔を寄せて囁かれると耳がじわりと熱を上げる。自分ばかりが翻弄されて悔しい。
 少しも息を乱していないスペルトを少しの憎らしさを込めて睨むけれど、彼の瞳にははっきりと欲望の光が灯っていて、金色の宝石のような色の瞳に見つめられるとどんな命令にも従ってしまいそうになる。
 それでもアトールは頑なに褐色の背中に縋り付くことを拒んだ。
「だって…触ろうとしたら怒った…」
 スペルトから与えられた唯一の恐怖の記憶はまだ青痣となって残っていて、あの時の痛みを思い出すと身体は勝手に怯えて縮こまる。
 アトールの首元にスペルトが視線を落とす。彼も思い出したようで小さく息を吐き出した。
「悪かった」
 剣を渡された時よりもはっきりとした音量での謝罪にアトールは目を丸くする。
「もう怒ったりしねぇよ。触りたきゃ触れ」
 そう言われてもなかなかアトールは行動に移せないが、待たされるのが嫌いなスペルトに見据えられて覚悟を決めた。
 おずおずとスペルトの頬に指先で触れる。
(あったかい…)
 あたたかく滑らかな褐色の頬、淡い色の真っ直ぐな睫毛、狼のような鋭い眼光を湛える瞳。自分とは正反対の色を持った彼の顔をまじまじと見つめる。
 アトールがおずおずと手を伸ばしても、スペルトは瞬きする以外は動かず、彼の様子を窺いながら親指の腹で古い傷跡の表面を撫でたる。
 生きている者の温もりに心が和らいだ。
「痛くない?」
「とっくに治りきった昔の傷だ。痛むわけねぇだろ」
 そう言われても、今でもこんなにくっきりと傷跡が残るほどなのだから傷を負った当時は相当痛かったはずだと容易に想像できる。
 アトールは自分自身が幼い頃にそうしてもらったようにスペルトの頬の傷をそうっと撫でた。何度も繰り返し撫でていると、さすがにくすぐったくなったのか僅かに口を歪めたスペルトがアトールの手を捕まえた。
 お返しだと言わんばかりに手のひらを甘噛みされ、今度はアトールが口元を歪める番だった。スペルトは噛み付くのが癖なのかもしれない。
「この傷はな、俺がガキの頃、獣人狩りのクズ共に付けられたんだよ」
「獣人、狩り…?」
 聞いたことのない単語を鸚鵡返しに繰り返すと、スペルトはさっきよりも柔らかく唇を歪めて顔を近付けてきた。
 唇が重なり、忍び込んできた肉厚の舌がアトールの口内をあちこち舐める。舌先だけでなく舌の裏をくすぐられると背中が震えるほどの甘い痺れが生まれ、頭皮にまで鳥肌が立った。
「ん! んっ!」
 痛ましい記憶を掘り返したいわけではないけれど誤魔化されたくもなくて、アトールは懸命にスペルトの背中を叩いて抗った。
 やっと唇を解放されたアトールは足りない酸素を必死で取り込んで、唾液で濡れた口元を拭いながらスペルトを睨む。だが頬は真っ赤に染まっていて、そんなアトールを見下ろしたスペルトは耐え切れずに吹き出した。
「お前って、ほんっと変なヤツだな」
 スペルトが低く笑う振動が繋がっている部分から伝播する。アトールは膝をもぞつかせて、もどかしい刺激をやり過ごした。
 たぶん自分は今日まで世界の綺麗な面しか知らなかった。両親や兄や、乳母や使用人達が気遣ってアトールをそういうものから遠ざけていてくれたのだと思い知って、やるせない気持ちがじわりと湧き上がった。
 冒険者として旅をするなら、いずれはきっとこういう暗く汚い部分を知ることになる。
(僕は…それから逃げたりしたくない)
 アトールは決意を込めた指先で再びスペルトの古い傷跡を撫でた。
 この傷を負った時、スペルトはどれほど人間を憎んだのだろうか。
「人間が、ひどいことして…ごめんね…」
 勝手に涙が滲んで、声が震える。
 そんなアトールを見下ろすスペルトは泣いているような笑っているような複雑な表情を浮かべていて、さっきとは逆にアトールの目元を指先で撫でた。
「お前のせいじゃねぇだろ」
 そう言ったスペルトが唇を重ねてくるのを、アトールは静かに受け止めた。
 たぶんスペルトは彼自身が言うほど人間を憎んではいないと思う。そうでなければこんなふうにアトールに優しくキスしたりしない。
 スペルトと交わすキスはアトールの胸の奥をふわふわとあたたかくして、一番最初のキスの最悪な記憶を塗り替えてしまいそうだった。数日前、二度目のキスさえ無理矢理奪われたと泣いた自分に苦笑いが浮かびそうになる。
 互いの唾液で濡れた唇が恥ずかしい。アトールは熱を孕んだ金色の瞳を見つめながらはにかんだ。
「おい、そろそろこっちに集中しろよ」
「ひ、ぁ…ッ!」
 不機嫌そうな声色とは裏腹に、スペルトの不意打ちの突き上げはアトールに甘ったるい声を上げさせただけだった。
 振り落とされまいと褐色の背中に縋り付いたアトールを見下ろす瞳が獰猛に輝く。このままこの美しい獣に食われてしまうのだと思ったけれど、それはちっとも怖くなくて、むしろ与えられる快感を予想した身体は浅ましく先を強請るかのように戦慄いた。
 強く突き上げられて仰け反ると、薄っすらと飛び出した喉の隆起を柔らかく食まれた。
「んぁ、ア…!」
 助けを求めるようにアトールの手が伸び、少し硬い感触の髪に指先を埋めて必死に縋り付く。スペルトの小さな笑い声が耳をくすぐった。
(どうしよう…どうしよう、僕…)
 強く揺さぶられて絶え間なく声を上げながらスペルトに縋るしかないアトールは、今にも快感に蕩けそうな思考を懸命に巡らせた。どうしても今考えておかなければいけない気がするのに、キスをされると心地良さで何も考えられなくなってしまう。
 それでなくてもさっきからずっと弱い場所を狙われていて、はしたない泣き声を漏らしてばかりだ。
「ひ、ッあ…ア、んん!」
「ここがイイのか?」
「そこ、いやっ…ぅあ、ぁ…っ!」
 嫌だと言っているのに、スペルトは同じところばかりを狙って突き上げてくる。擦られるとたまらない。熱いうねりが身体の奥底から血液と共に全身を駆け巡って、噴き出せる場所を探して暴れている。
 この数日間、もう何度も繰り返しているはずの行為なのに、今が一番気持ちいい。
 上体を起こしたスペルトが両手でアトールの腰を掴み、引き寄せるのと同時に突き上げてくる。
 声も出せずに絶頂まで追い詰められたアトールは自分の奥に放たれるスペルトの体液の感触に全身を震わせて、それからすぐに糸が切れた操り人形のように倒れ込んだ。
「アトール、まだヘバるな」
「も、もうヤダ…ッん、ひィ…あッ、あぁ…!」
 視界が反転し、スペルトの上に自分で腰を落とす体勢にさせられたアトールの口からは高い悲鳴が溢れ出た。達した直後のせいで脚に力が入らず、支えきれない自重でますますスペルトを深く飲み込んでしまう。
 容赦なく腰を揺すられて弱いところを刺激されると、アトールの目からは大粒の涙が次々と零れた。
「いや…も、できな、ぃ…!」
「そうか? こっちはまだまだ欲しいって言ってるぜ?」
「ひンっ、ぁあ…ッ!」
 スペルトの手で浮かせられた腰を勢いよく落とされる。
 アトールは自分の体内が激しく震え、絞るようにスペルトを締め付けたのを感じ取った。一気に指先どころか髪の毛の先にまで快感が走り抜け、さっき出したばかりなのにアトール自身からはまた白濁が吐き出される。
 心臓が騒ぎすぎて痛いし、休みなく与えられ続ける快楽には終わりがない。
 強すぎる快感でおかしくなってしまいそうで怖いのに、浅ましく喘ぐ自分を逸らさずに見つめ続ける金色の双眸に熱っぽい眩暈を覚えたアトールはスペルトの逞しい胸に倒れ込んだ。
 縋り付いた褐色の肌も汗で湿っていて、頬を押し付けて隙間なくくっつけば速まった鼓動が聞こえてきた。湿り気を帯びた体温と心音の速さに、自分だけがおかしくなっているわけではない、取り残されるように高みへ追いやられているのではないと思うことができて安心する。
「アトール」
「ふ、ぁ……ん、ん…」
 呼ばれて顔を上げれば、大きな手のひらに頬が包まれて唇を塞がれた。気まぐれに舌先や唇を甘く噛まれると、ぞわぞわと後頭部の辺りが痺れる。
 他人と身体を重ねることがこんなにも気持ちいいだなんて知らなかった。
 テロサイラの受粉用の穴として使われた時は粘液の催淫作用で身体だけは昂っていたが、心はいつまでも強制的に引き摺り出された快楽を否定していたし、自分の意思を無視して与えられる快感は恐怖以外の何物でもなかった。
 スペルトに初めて犯された時も、壊される、殺されると心底からそう思っていたはずだったのに。
「アぁ、んっ…!」
 伏せていた身体を起こされ、腰を掴まれて下から突き上げられると声を抑えられない。いたたまれないほど恥ずかしいことをされているのに拒絶しきれないのはどうしてだろう。
 再び体勢が変わり、スペルトを見上げる位置になった。熱でふやけたように覚束ない指先で必死にスペルトの頬を撫でる。こうしていないと自我を保っていられない。荒ぶる快楽の波に押し流されて、何もわからなくなってしまいそうだ。
 欲望を秘めた綺麗な濃い金色の目は素直に快楽を貪るアトールの姿を見つめている。
 視線が絡むだけでも、たちの悪い痺れが背中を駆け上った。
 たまらずに自分から控えめに腰を揺すったアトールは、次の瞬間には死にそうなほどの羞恥心に全身を焼かれた。
 頭の芯までぐずぐずに溶けてしまいそうなほどの快感を与えてくれるスペルトに絆されているだけかもしれない。よくよく考えればテロサイラの受粉に利用され、さらには軟禁されて犯されるだなんて最悪の出来事だ。
 なのにどうしてもスペルトを嫌いにもなれず憎むこともできない。
 それどころか、彼の目尻の古い傷跡の理由を聞いてはっきりと自覚した。
(僕…この人を守りたい…)
 生まれた時からずっとあたたかい家で暮らし、優しい家族に守られ続けていた自分には考え付けないほど、スペルトは苦しくて痛くて悲しくて悔しい思いをたくさん味わってきただろう。そんな彼をを自分が持ち得る限りの力で守りたい。慈しみたい。そんな想いが心から溢れてしまった。
 けれど冒険者として世界を見たいと望む自分もちゃんと存在していて、その気持ちひとつで家を飛び出したことも忘れていない。スペルトが取り戻してくれた剣を握り締めた時、改めてそう強く感じたのも覚えている。
 アトールは濡れた息を漏らしながら高みへと追いやられ、何度もそこから落とされながらも懸命に金色の瞳を見つめ続けた。
「スペルト…」
 初めて彼の名前を呼べば、金色の目が僅かに見開かれる。
 アトールは複雑に綯い交ぜになった気持ちをぶつけるように身を動かして、褐色の唇に自ら触れた。
 ほんの微かに触れるだけのキスだったが、アトールにとっては自分からしたいと思った生まれての初めての特別なキスだ。
 親愛とか友愛とか情愛とか、そんな括りでは言い表せない気持ちをありったけ込めたキスで頬は勝手に熱くなり、ぐちゃぐちゃの心はどうがんばっても言葉にならないし、深いところで繋がったままの身体は熱くて熱くて制御できない。限界がもうすぐそこまで来ている。
「ぁ、っあ…もう、スペルト…僕、もぅ…っ」
「ああ、いいぜ」
 最後の仕上げとばかりに一際強く突き上げられ、アトールは泣き笑いのような顔でスペルトを見つめたまま一際大きく腰を震わせた。
 強張った指から力が抜け、褐色の肌の上を滑ってシーツの上に落ちる。
 ベッドに沈んだアトールの汗で湿った前髪にスペルトが鼻先を埋めてくる。吐息がくすぐったい。アトールによく懐いていた実家の愛犬も甘える時にこんな仕草をしてくれた。力が入りきらない手で撫でる髪は、懐かしい愛犬の体毛の感触とは全然違うけれど好ましかった。
 腹の中に出された精液の感触に慣れてしまったことに苦笑が漏れ、アトールは小さく笑った。情けない笑顔のまま首を伸ばし、もう一度自分からスペルトにキスを贈る。
「僕……やっぱり、旅に戻りたい…」
 アトールは小さな声で搾り出した。
 汗ばんだ身体を宥めるように撫でていたスペルトの指先が一瞬だけ引き攣るように揺らいだが、それでも彼は何も言わず、何事もなかったようにアトールをあやし続ける。
 あまりにも優しい指先に眠気を誘われて目蓋がどんどん重くなっていく。猫が擦り寄るみたいにスペルトの肌に甘えながらも、アトールは一緒に来て欲しいと最後まで言えずにあっという間に眠りの中へと落ちていった。
 
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