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カハターンの街

拳闘士

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 野次馬。自分とは無関係なものに興味を示して騒ぎ立てる者のことである。それが今、一触即発の大男とクロエを囲んでいた。

「女だてらにこの俺に喧嘩を売るとは中々良い根性してるなぁ! お前をのしちまったらどうしてくれようか?」

 男はクロエを見下しながら、あからさまな挑発をする。クロエはニヤリとニヒルな笑みを浮かべ、応戦した。

「あはははっ! ガタイだけの奴が何を言ってるの? あたしはねぇ、適当に弱い魔物を倒して礼金を得てるような中途半端な奴が嫌いなの。まぁ、少しはその筋肉で楽しませてくれる?」

 大男のプライドが、大きく傷ついた。否、クロエの煽りはそれを誘発させるもの。男はワナワナと震え始め、今にも爆発しそうな勢いである。

「ルージュさん……。本当に申し訳ない……。面倒ごとに巻き込んでしまって……」

「い、いえ、大丈夫です。……お姉さん大丈夫ですか? 相手、かなりできそうですけど」

「あー……。そこはご心配なさらず……。むしろ、あの男の人が心配ですよ……」

 野次馬に紛れ、リーフとルージュのやりとりが行われる。野次馬も騒ぎ始め、まるで祭りのようになっていた。今から始まるであろう闘いを煽る者、興味の視線が行き交い、熱気を帯び始めていた。

「行くぞこのアマ!!!」

 男はその身体に似つかわしくないほどの速さでクロエに向かっていく。体格差は歴然。クロエも女性の中では小さくはない部類だが、大男と比べるとまるで大人と子供である。そして、岩すら砕きそうな右の拳をクロエに向けて突き出した。
 その拳は、クロエの顔面をぶち抜いた。───ように見えた。しかし、当たっていない。第二撃の左のフックもクロエの顔面を捉えたかに見えたものの、クロエには当たっていない。
 観衆にはまるで、攻撃がすり抜けているように見えていた。ルージュとリーフ以外には。

「……膝の入り抜きと、僅かな重心移動で本当に最低限の回避しかしていないんですね……?」

「はい。姉は、対人に関しては右に出るものはいないと思ってます」

 ルージュとリーフが話している間にも、大男はその拳を振り回していた。しかし、その全てにおいて回避されている。ついに、男の拳が止まった。僅かに後退し、構えながら息を整える。

「あれ?もう疲れたの?鍛錬が足りないんじゃない?」

 へらへらと更に男を挑発するクロエ。彼女は両腕を構えもせず、顔面と胴体を曝け出している状態。男はまたも叫びながらクロエに迫る。
 しかし、その動きが止まる。クロエが男に対応するため、スッと左構えに構えると、前拳である、左の拳で軽く突いたのみ。それは的確なタイミングで男の顎を打ち、カウンターとなり、ダメージを与えていた。
 
「ぐっ……。やるじゃねぇか……。行くぞおらぁあああっ!」

(馬鹿の一つ覚えみたいに……)

 クロエの再びの前拳。しかし、男は、今度はそれをいなし、クロエに組み付くことに成功した。だが、その体勢を崩そうと試みるものの、全くと言っていいほど動かない。
 クロエは組み付いている男の頭部に向けて、右膝蹴りを放ち、組み付きを解くと、軽い前蹴りで距離を離れさせた。男は、肩で息をし、周りから見ても圧倒的な劣勢であった。クロエはただ攻撃に合わせて反撃しているだけなのだが、その全てに対して完璧な処理をしていることにより、男の、クロエとのレベルの差が如実に現れていた。

「それじゃ、そろそろあたしの番かなぁ? 耐えてみてね」

 言うとクロエはスススッと男の間合いに入る。男はその拳に警戒し、両腕を顔の前で構えており、防御特化の様相が伺える。クロエは、防がれている顔に向かって、左の拳、右の拳を交互に打ちつける。
 
「……シィッッ!!!」

 クロエが打つたびに、吐き出している呼吸音があたりに響く。一際強い吐き出しとともに空いた胴に向けて、その後ろ足である右脚で槍のような突き蹴りを繰り出した。呻きながら、たたらを踏んで後退する大男。それを追うクロエ。左の拳を二度突き出す。男はこれをいなすため、パリングで対応する。再度、クロエが近づき、再びの左拳を繰り出す。それは男のガードに防がれてしまう。それを感じたクロエは、作戦の組み立てを変えることにした。

(これは捨て拳)

 クロエは再び左拳で二連撃。パリングをする左手とガードをする右手の間に、僅かな隙間が空いた。

(これは決め拳ッ!)

 全身の力を余すことなく伝えた右の拳が男の顔面を捉え、勝敗は決した。
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