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2章 兄と恋人4
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「どうして邪魔するの!?」
駄犬のようにやかましく吠える少女にアダムは剣の柄を差し出し手に取らせる。
「……彼女は妹だ。手を出すことは許さん」
その言葉には強い意思がこもっていた。
……そうだっけ?
雑草のようにそう簡単に生えてくるものではないはずの妹にされたことへ疑問が渦を巻く。ただ否定したら今度こそ命がないようなのでクローネは静かに押し黙っていた。
にらみ合いが続いている。図らずとも逆上した顔が見れただけクローネは心の中に充足感を覚えていたため、途端に興味を無くしてレンチを元に戻していた。
「……なにが起きたんだ?」
蚊帳の外にいたソクラティスがそばにくる。
腕を組んで眉間に皺を寄せているが、強く掴んでいるのか服に手型の皺が寄っていた。
「わかんない。どうでもいいよ、もう」
クローネは疲労色の息を吐く。
世の中厄介なことが多い。それにいちいち首を突っ込んでいたらいくら時間があっても足りず、気力も持たないのだ。
少女は頭一つ高いアダムに切ってかかるほどの剣幕を出していたが、四つ程息を吸うと、目にこもる力が溶けていく。高く上がった肩が本来のなで肩に戻ると、剣についた霜を振り払い自分の鞘に収めていた。
そして、クローネは少女に見つめられていた。ぎこちなく機械的に動く首が下から掘り起こすように顔を持ち上げる。
不気味な行動にクローネは息を飲む。ヤバいやつだと顔を隠すように腕を上げ身を引くと、
「妹……なの?」
少女は恐ろしくゆっくりと唇を動かしていた。
……なんだコイツ。
質問の意図に困りながらクローネは頷く。髪が乱れることも構わない大きな振りだ。
それを見て少女の表情が崩れる。目が弓なりになり口は大きく裂けている。それが満面の笑みだと気付くのには彼女の喜色のこもった声を聞くまで待つ必要があった。
「なーんだ、そう言ってよもう。てっきりアダムが他所の女になびいたのかと思ったじゃない!」
少女は肩で風を切って一歩にじり寄ると、無防備にさらけ出されていたクローネの手を握る。
感情のこもった握手にクローネの指は不格好に折れ曲がる。研磨した石のように滑らかな手には指の付け根だけが剣だこで硬くなっていた。
「私の名前はエレーナ。エレーナ シュバイツバイト。アダムの婚約者なの」
エレーナと名乗る少女が聞いてもいないのに自己紹介をする。
婚約者。クローネが真偽を問うように目線を滑らせる。向けられた視線にアダムは目を伏せて、震えるように首を横へと振っていた。
……片思い?
または妄想か。まぁどうでもいいかとクローネは思考を閉じる。
エレーナは満足したのかクローネの手を離し、アダムにすり寄る。足から顔までを彼の身体に押し付ける様は寄生植物のようだったがアダムはそれを気にした様子もなく、
「で、何用だ?」
いつものことなのだろう、抑揚のない声が響く。
「……あっ、そろそろ戻ってこいって。主賓がいないとこの後の交渉が出来ないからって」
エレーナは忘れていたことを思いだしたように手を叩いていた。
……忘れてたんだろうな。
それをかわいらしいとみるか、頭が弱いとみるか。クローネは後者を押していた。
アダムは瞳を細かく揺らした後、か細い声で行くぞとつぶやくと、エレーナを引きはがし歩き始める。一人置いていかれそうになった少女がその背中を追いかけて駆け出していく。
「なんだったんだ?」
ソクラティスが感想を漏らす。クローネはそれに、さぁと首を傾けることしかできずにいた。
「帰るのか?」
宴会場を通り抜けようとしたクローネを、横からアダムの声が飛んでくる。
格納庫の隣に用意された広間がそのまま宴会場となっていた。百人に満たない程度の男女が背の高いバーテーブルを囲んでいたるところで談笑を行っていた。
冬燕の面々以外、ほとんどが下層の人間であった。当然だ、下層で行われているのだから。
この二年で、上層から下層まで交流があるとはいえ、いまだ階層をまたぐ人は少ない。特に下層へは厳格な理由がなければ立ち入ることが出来ないのは以前と変わらない。
それは偏見や差別という意味合いよりも、守らなければいけない物が多いためでもあった。中上層へ送る蒸気の大半はここで作られているし、外では絶滅した動植物を細々と飼育、繁殖させてもいた。無計画に搾取されてしまえば二度と手に入らない物もあるため、下層の出入りの際には厳しくチェックもされていた。
宴会も終盤なのだろう、テーブルに並ぶ食事には空皿が目立つ。その残り香を嗅ぎ、小さく呻く腹をクローネは押さえながら自宅へ帰るエレベーターへと向かう途中の事だった。
「そりゃね。エレベーター止まっちゃうし」
クローネは足を止め、しかし顔を向けずに話す。
「そうか」
短い言葉。その声色は紡いだ単語以上に意味を伝えていた。
「会いたいなら夜にでも中層に来なよ。レースの後なら少しは時間作るから」
クローネは投げやりに言葉を吐いて歩く。
宴会場を突っ切って格納庫の対面にある扉と向かう。その一歩目を踏み出した時、前方から歩いてくる団体がいた。
標準的な下層の男性、細身で合成繊維のローブを来た、その人を先頭に薄着の女性が列を成している。その数、十人を超えるため、クローネは勇み足を踏ん張って脇によるほかなかった。
駄犬のようにやかましく吠える少女にアダムは剣の柄を差し出し手に取らせる。
「……彼女は妹だ。手を出すことは許さん」
その言葉には強い意思がこもっていた。
……そうだっけ?
雑草のようにそう簡単に生えてくるものではないはずの妹にされたことへ疑問が渦を巻く。ただ否定したら今度こそ命がないようなのでクローネは静かに押し黙っていた。
にらみ合いが続いている。図らずとも逆上した顔が見れただけクローネは心の中に充足感を覚えていたため、途端に興味を無くしてレンチを元に戻していた。
「……なにが起きたんだ?」
蚊帳の外にいたソクラティスがそばにくる。
腕を組んで眉間に皺を寄せているが、強く掴んでいるのか服に手型の皺が寄っていた。
「わかんない。どうでもいいよ、もう」
クローネは疲労色の息を吐く。
世の中厄介なことが多い。それにいちいち首を突っ込んでいたらいくら時間があっても足りず、気力も持たないのだ。
少女は頭一つ高いアダムに切ってかかるほどの剣幕を出していたが、四つ程息を吸うと、目にこもる力が溶けていく。高く上がった肩が本来のなで肩に戻ると、剣についた霜を振り払い自分の鞘に収めていた。
そして、クローネは少女に見つめられていた。ぎこちなく機械的に動く首が下から掘り起こすように顔を持ち上げる。
不気味な行動にクローネは息を飲む。ヤバいやつだと顔を隠すように腕を上げ身を引くと、
「妹……なの?」
少女は恐ろしくゆっくりと唇を動かしていた。
……なんだコイツ。
質問の意図に困りながらクローネは頷く。髪が乱れることも構わない大きな振りだ。
それを見て少女の表情が崩れる。目が弓なりになり口は大きく裂けている。それが満面の笑みだと気付くのには彼女の喜色のこもった声を聞くまで待つ必要があった。
「なーんだ、そう言ってよもう。てっきりアダムが他所の女になびいたのかと思ったじゃない!」
少女は肩で風を切って一歩にじり寄ると、無防備にさらけ出されていたクローネの手を握る。
感情のこもった握手にクローネの指は不格好に折れ曲がる。研磨した石のように滑らかな手には指の付け根だけが剣だこで硬くなっていた。
「私の名前はエレーナ。エレーナ シュバイツバイト。アダムの婚約者なの」
エレーナと名乗る少女が聞いてもいないのに自己紹介をする。
婚約者。クローネが真偽を問うように目線を滑らせる。向けられた視線にアダムは目を伏せて、震えるように首を横へと振っていた。
……片思い?
または妄想か。まぁどうでもいいかとクローネは思考を閉じる。
エレーナは満足したのかクローネの手を離し、アダムにすり寄る。足から顔までを彼の身体に押し付ける様は寄生植物のようだったがアダムはそれを気にした様子もなく、
「で、何用だ?」
いつものことなのだろう、抑揚のない声が響く。
「……あっ、そろそろ戻ってこいって。主賓がいないとこの後の交渉が出来ないからって」
エレーナは忘れていたことを思いだしたように手を叩いていた。
……忘れてたんだろうな。
それをかわいらしいとみるか、頭が弱いとみるか。クローネは後者を押していた。
アダムは瞳を細かく揺らした後、か細い声で行くぞとつぶやくと、エレーナを引きはがし歩き始める。一人置いていかれそうになった少女がその背中を追いかけて駆け出していく。
「なんだったんだ?」
ソクラティスが感想を漏らす。クローネはそれに、さぁと首を傾けることしかできずにいた。
「帰るのか?」
宴会場を通り抜けようとしたクローネを、横からアダムの声が飛んでくる。
格納庫の隣に用意された広間がそのまま宴会場となっていた。百人に満たない程度の男女が背の高いバーテーブルを囲んでいたるところで談笑を行っていた。
冬燕の面々以外、ほとんどが下層の人間であった。当然だ、下層で行われているのだから。
この二年で、上層から下層まで交流があるとはいえ、いまだ階層をまたぐ人は少ない。特に下層へは厳格な理由がなければ立ち入ることが出来ないのは以前と変わらない。
それは偏見や差別という意味合いよりも、守らなければいけない物が多いためでもあった。中上層へ送る蒸気の大半はここで作られているし、外では絶滅した動植物を細々と飼育、繁殖させてもいた。無計画に搾取されてしまえば二度と手に入らない物もあるため、下層の出入りの際には厳しくチェックもされていた。
宴会も終盤なのだろう、テーブルに並ぶ食事には空皿が目立つ。その残り香を嗅ぎ、小さく呻く腹をクローネは押さえながら自宅へ帰るエレベーターへと向かう途中の事だった。
「そりゃね。エレベーター止まっちゃうし」
クローネは足を止め、しかし顔を向けずに話す。
「そうか」
短い言葉。その声色は紡いだ単語以上に意味を伝えていた。
「会いたいなら夜にでも中層に来なよ。レースの後なら少しは時間作るから」
クローネは投げやりに言葉を吐いて歩く。
宴会場を突っ切って格納庫の対面にある扉と向かう。その一歩目を踏み出した時、前方から歩いてくる団体がいた。
標準的な下層の男性、細身で合成繊維のローブを来た、その人を先頭に薄着の女性が列を成している。その数、十人を超えるため、クローネは勇み足を踏ん張って脇によるほかなかった。
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