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1章 緋石と未だ届かぬ蒼穹3

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「はぁ……」

 どうすればあんな大きなものを忘れてくることが出来るのか。疑問を吐息として口から吐き出すと、クローネはハンガーの通用口へと向かう。
 相変わらずの暗闇だ。吸い込まれそうなほど色濃い黒に、足元を照らしながら進んでいく。
 目的地はゴール周辺。救護室の近くだった。
 直線四百メートルの往復は怪我した身体を強く蝕む。徐々に重く、ふらつく足を気力で持ち上げて、クローネは一歩一歩しっかりと踏み込んでいた。

 ……ここら辺だと思うけど。
 長い時間をかけてたどり着いた場所で、クローネは辺りを見渡す。
 二メートル先すら見えない。舞台に一人立つような孤独の中で円を広げるように歩き探していく。

「あっ……」

 あった。
 五分と経たずに蒼の欠片が火で照らされていた。同時に台車を持ってこなかったことを後悔する。
 重さ二十キロにも近い鉄の塊は傷んだ身体で運ぶのは骨が折れる。
 一瞬諦めが頭をよぎる。即座にそれを首を振って否定する。
 修理したところであの機体をもう一度レースに出すことはできない。ならば回収すること自体に大きな意味はない。ただかわいそうだからという感傷だけでクローネは地面に横たわる鉄管に手を伸ばす。

「ぐっ……」

 重い。痛い。
 抱えるのは不可能だとすぐに悟る。
 まさか転がしていくわけにもいかず、クローネは頭を抱えて考え込んでいた。
 ……あぁ、もう!
 しばらく持ち方を思考していたがどれも持ち上げるに至らない。ついにはずぼらはやめようと諦めて元来た道無き道へと足を向ける
 ぐに。
 足が何かを踏みつけていた。
 底に鉄板を仕込んだゴム靴を持ち上げる。海綿とも違う柔らかく跳ね返す感触の正体をランタンで照らす。

「おぉ」

 それはゴムバンドだった。
 なんの変哲もない、用途は多岐に渡る、そんなただの紐だ。指二本分の幅は多少乱暴に扱ってもちぎれることは無い。
 何かを固定するのに使ったものだろうか。クローネが持ち上げるとまだ余りが地面を這うほどに長い。
 ……これなら、使えるかな?
 工作の時間だ。クローネは口の端に微笑を浮かべてゴムバンドを強く引っ張っていた。

 鉄管の両端にバンドの輪っかを括り付ける。
 取ってのように余った部分に首を通し、下半身に力を入れる。

「ふぅんっ!」

 鎖骨にバンドが当たり、胸を締め付けられる。
 重いが、歩けないほどでは無い。
 後ろに倒れそうになるのを踏ん張りながら、クローネは芋虫のような速さで一歩ずつゆっくりと進んでいく。
 一、二、一、二──
 ランタンの薄明かりを頼りに、確実に距離を縮めていく。
 と、その時だった。

「っ、ふぎゃっ!?」

 小石か何かを踏み、バランスを崩す。
 たたらを踏んで堪えようとするも、鉄管が大きく振れて引きずられるように地面を転がっていた。
 鉄管に覆い被さる形で、腰をしたたか打ち付ける。地獄の番犬のような遠吠えが辺りに木霊していた。
 悶え苦しみ、呼吸を整えるのに五分程の時間を必要とした。はたから見たら随分と滑稽な状況もクローネは真剣に悪態をつく。

「さーっ……いあくだー!」

 雄叫びは闇に飲まれていた。
 目尻いっぱいに溜めた涙を殴るように拭う。そして苛立ち紛れに勢いよく立ち上がると、牙を立てて周囲を睨みつける。
 転ぶ原因となった小石は直ぐに見つかった。拳大の石である。滑らかな表面には擦った跡が線となってはっきり残っていた。
 馬鹿にして。クローネは拾い上げると、大きく肩を回して振りかぶる。存外軽いそれを、先を見据えて──

「えっ?」

 違和感に気づき、投げる手を止める。
 軽い。軽すぎるのだ。
 山生まれならば誰でも疑問に持つことだった。子供の頃から玩具といえばそこら中に落ちている石か鉄である。重さや形状、色から石の種類などたやすく当てられる。
 クローネは手の中にある石を注意深く見つめていた。
 ……知らない。
 過去触ったことのある石のどれとも結びつかない。
 適度に軽く、そして踏んだだけで傷がつくほどに柔らかい。人肌に温かいのは噴火によるものかと思ったが、流石に一昼夜過ぎれば相応に冷えてしまうはずだった。
 謎の石。そもそも石であるかすら不明だ。
 アグならば知っているかもしれない。そう思ってクローネはポケットにしまう。
 それが何なのかを知るのはクローネの想像以上にすぐのことだった。
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