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1章 ドロッパーレース1

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 いつもより一時間遅く仕事が終わったことにクローネは焦げ付くような焦りを感じていた。

 予定があった。大事な、将来を左右するほどの予定が。
 ドロッパーレース。その初戦が今日なのだ。
 これまでの人生の全てをそこに捧げてきたと言っても過言では無い。食べるもの着るものを最小限にし、切り詰めたお金でパーツを買う。設計書一つ買うのですら一年お金を貯める必要があった。勉強もした。空力、溶接、運転技術。好きなことだから何とか頭に叩きこむことが出来た。
 全てはドロッパーレースで勝つためだ。そしてその先にある目標への足掛かりとなる。

 ドロッパーレースではジンクスがある。初戦を勝利で飾った選手は後に大成する。そう言われていた。
 ただの妄言と笑うことも出来るし、それは当たっているとも言えた。十分な資金があり、練習出来る環境を整えレースに臨む。その下地があれば勝つことは容易く、今後のレースにおいても優位は変わらない。
 レースは百年以上前から行われていた。歴史が長くなれば金満レースになることも仕方がない。賞金を得て機体を改良し、またレースで勝つ。余ったお金で豪遊し、それが次世代への夢となる。

 やはり初戦は大事だった。今後の弾みをつけるためにも、落としてはならない戦いだった。

 仕事を終えたクローネは、挨拶もそこそこに矢のように飛び出していた。
 向かう先は一番下の広場だった。ドロッパーレースの会場は中層五階で行われる。そこまで普段使っているエレベーターでは遅すぎるし、階を股げない。それ専用の高速エレベーターがあるのが広場の奥だった。

 人目を置き去りにしながらエレベーターに駆け込み、上がった息を整える。広場へ向かうエレベーターは嘲笑うようにゆっくりと下降する。
 ……最悪。
 どうしてこんな大事な日に後ろの作業なのかと独りごちる。仕方がないことだとわかっていても黒く染まったそれを吐き出さずにはいられなかった。

 周囲の目を気にせず神経質に足を踏み鳴らすクローネは、広場に着いてからもその足取りを緩めることはない。むしろ逸る気持ちに後押しされるように高速エレベーターへと向かっていた。
 うずたかく積まれた火成岩の山を通りすぎ、解体された飯場の残骸を横目に風を切って突き進む。鼻息荒く大股で歩くクローネに、通りがかった人々は可笑しいというように笑みを向けていた。

 ……よかった。
 高速エレベーターの前に着き、クローネはようやく肺に溜まったねばつく空気を吐き出す。安全柵の向こうに見える油まみれの黒いワイヤーが動いていたからだ。
 噴火の影響でエレベーターが止まっていたら試合もできない。初戦に向けて高めていた気持ちが無駄になったら立て直すのに時間が必要だった。
 下りか上りか、とにかく待つしかなかった。キリキリと痛む胃を押さえながら、クローネはあざ笑うように先を見せないワイヤーを眺めていた。

 あっ……
 ワイヤーの動く音が緩やかになり、下から漏れ出ていた光に蓋がされる。
 エレベーターが来ていた。幅が十メートル、奥行きが七メートルもあるかごには一階から乗ってきた人が数名、既に乗っていた。

 高速エレベーターは人を乗せるだけにある訳では無い。むしろ隔壁に閉ざされた階層間でのやり取りのためが主な役割だった。
 たとえかごに鉄板を満載しても一階五分もかからず上がってしまう。本来ならば人を輸送することはもったいないくらいなのだが、娯楽がなければ人は死ぬ。そのため五の鐘がなってからは主な荷物は人となっていた。

 ただ一番盛況になるのはまだ後のこと。レースの結果に一喜一憂する観客が入場するのは、六の鐘が鳴る少し前だった。
 それよりも二時間以上前に向かうには理由があった。機体の最終調整に推進剤の投入。そしてなによりレースの順番を決めるくじ引きがあるからだ。
 ドロッパ―レースと言っても種類は一つではない。ただ直線を走るゼロヨン、コースを規定回数周回するフォーミュラ、規定時間内の周回数を競うラリーにパイロン間をすり抜けていくアクロバット。ゼロヨン以外は時間も設備も手間がかかるため、ゲーム性の単純なゼロヨンが主流になっていた。

 その対戦相手を決めるのは古くからくじ引きと決まっていた。相手の力量、機体の優劣などまったく関係ない。そこにハンデすら存在していなかった。
 理由は明白で、完走率が半分程度しかないことと選手自体が少ないためだ。どれだけ経験を積んだ選手でも十回に一度は完走できずに機体を壊す。ましてやなんの後ろ盾のない新人が完走するなど誰も想定していないことだった。
 そんな鉄の棺桶だから負傷者も多く、二度とレースに出られなくなったり、限界を感じて引退する選手が後を絶たない。その理由から同程度の実力を集めることすら難儀していた。
 
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