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1章 配管工のおしごと4

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 目を覚ましたのは外が騒がしくなった時だった。
 ……時間かな。
 二の鐘はまだ鳴っていない。この街に住んでいる者なら寝て聞き逃すことはありえない。

 クローネが飯場から出ると、複数人の男性が飯場前の広場に集まっていた。女性の姿もあるにはあるが片手で収まる程度しかいなかった。
 その中で一際大柄な男性を見つけ、急ぎ足で駆け寄る。

「おはようございます」

 銅板のように綺麗な直角で頭を下げる。深々とした挨拶に男性はおう、と一瞥して、

「よく寝れたか?」

「……見てました?」

 まぁなと男性は口の端に悪戯心を乗せた笑みを作る。
 始業の時間まで何をするかは各人の自由だった。飯場で寝ていようが誰かと話していようが文句を言われる筋合いは無い。しかし起きもせず無防備な寝顔を見られたことにクローネは熱した銑鉄せんてつのように頬を赤らめていた。

 男性の名前はアグ タンドル。この街全ての蒸気を取り締まる親方であった。生命線である重要なインフラを握っているだけに彼の発言力は大きい。それこそどれほど理不尽でも一度くらいは無理を通せる程に。しかしそれを振りかざして闊歩かっぽするような真似をする姿を見た人はいない。
 アグはクローネの憧れの人だった。齢四十を超えた彼はその生涯のほとんどを配管工に捧げていた。経験に裏打ちされた確かな目と妥協を一切許さない技術に惚れ込む人間は多い。その分指導も厳しいが師事を受けた誰もがその技術を一つでも多く吸収しようと必死になっていた。

 昔に酷い火傷をしたという頭は歪な皺を作っている。髪の毛はなく、髭もない。全体的に丸い卵のような顔のアグは、ハンマーのごとく太い腕を伸ばしクローネの頭に手を置く。石で出て来ていると錯覚するほど重く硬い手のひらは髪が乱れることも構わずに荒く撫でていた。

「そろそろ時間だ」

 その言葉通り、直後にゴーンゴーンと鐘が空気を震わせる。
 飯場に背を向けるように立つアグに作業員が集まってくる。クローネもその集団に溶け込むように場所を移動する。
 総勢五十人を超える人がいた。アグを中心に扇を描いて静かにその声を待っていた。
 壇上で演説をするようにアグの頭はひとつ抜きんでていた。一通り見渡した彼は手を腰に当てる。

「よし、そろったな。今日はでけえ仕事がある。親の八番を先二節外してとっかえるぞ。班長は――」

 アグは次々に人の名前を呼びあげていく。その者から順に離れていった。
 呼ばれているのは特に経験の長い者、技術が抜きんでている者達だった。半分ほどが集まりからいなくなってもクローネの名前はまだ呼ばれていなかった。
 ……これからだもん。
 まだ十六。評価されてくるのはこれからだと焦る気持ちにブレーキを掛ける。

 炉心から伸びる太い本線は全部で二十本ある。親管と呼ばれるそれは直径二メートル、長さ十メートルのパイプを繋ぎ合わせて壁を伝い天井まで伸びている。普段は補修点検で終わるところを、今回は切断し取り換える。その一連の流れを今日中に終えなければならなかった。
 ただ取り換えるだけではない。逆止弁や減圧弁の取り付け、支線への接続にメンテナンス用の非常管の設置など作業は多岐にわたる。特に親管は高圧力にさらされるため生半可な作業では大きな事故につながりかねない。
 だからこその人選であり、いつかは自分もと思う作業員も多い。クローネも例に漏れずその中の一人だった。

 班分けは進んでいく。といっても毎回毎回配置が大きく変わるなんてことはない。大きな仕事なんて月に一度あるかないかで、基本的には日々の点検がメインだ。
 最後のほうになると、必然的に経験の浅い者が残っていた。クローネもまだ呼ばれていないことに内心穏やかではいられない。しかしそれを表情に出すほど子供ではなかった。

「クローネ。お前はF班だ」

「はいっ!」

 あと数人。数えるのに片手しかいらなくなってようやく名前が呼ばれていた。安堵から毬のように弾んだ声で返事をする。
 重い工具箱を手に、先に集まっていた集団に合流する。F班はクローネを合わせて十人。もはや顔なじみとなったメンバーに軽く会釈して班長の前に立つ。

 F班の班長はまだ若い男性だった。テンカ レールゲイド。まだ二十代前半の彼は異例とも言える速度で班長となっていた。
 周囲には彼より年配の作業員しかいない。その事実をそよ風のようにひょうひょうと受け流す。痩せ型で垂れ下がった目じりには力を感じることが出来ない。
 一見すると肉体労働をするようには見えない彼が班長になった理由は単純だ。とにかく人を使うのが上手かった。特別好かれているわけでもなく、かといって嫌われているわけでもない。必要以上はやらず、決して工期が遅れることもない。本人もたまにこぼす通り、決して技術が抜きんでているわけではないが任された仕事を忠実にこなす信頼ならどの班にも負けていなかった。
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