【R18】彼女が友だちと寝ていたから

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第42話 海1

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 部屋に入るなり、海は倒れるようにベッドに身体を預けた。

「別にいいんだけどさ……」

 ぽつりと小さくつぶやく。
 左近は思ったより悪い人には見えなかった。一紗と和が信頼している相手だから、そんなに間違った人を選んだとは思っていなかった。
 それでもなお不貞腐れているのは──

「事前に相談くらいしてくれてもいいじゃん」

 誰にも吐けない言葉を今になって口にする。
 それもまた信頼の証だと理解はしていた。非日常を味わって欲しくてあえて連絡を渋る。事後承諾になっても受け入れてくれるだろうと考られているのだ。
 その通りなのだけれどと、ため息をつく。胸を掻きむしる原因が分からない。
 その時、
 コンコン。
 唯一の扉がノックされる。
 無視した。
 ……和かな。
 出る気になれず、聡い彼なら察してくれるはずだった。
 ……コン、コン。
 控えめなノックがまた響く。
 知らない人だと直感で感じ取る。だから、

「帰って」

 海は拒絶する。
 しかしその意図に反して無情にも扉は開かれた。

「……すまん」

 そこに立っていたのは左近だった。
 彼は平均ほどしかない海よりも小柄だ。身長と同じく可愛らしい童顔はしっかりと格好を選べば少女のようにも見える。その彼は肩をすくめて視線を合わそうとしない。
 海は一瞥するとため息をついた。
 
「なんであんたなのよ」

「ポーカーで負けた罰ゲームだってよ。十分間話してこいって」

「そんなの真に受けるんじゃないわよ、バカ」

 想像以上にくだらない理由だったと、海は頭を抱える。
 ……全く。
 透けた思惑は簡単に察することが出来た。なにかにかこつけて不和を解消したいのだ。今日の今日成果が出ずとも一石になればゆくゆくはと。
 ……見透かされてるなぁ。
 海は不満だった。そして子供のように駄々を捏ねた事を後悔した。また余計な気を使わせてしまったことを反省しなければと思いつつも微かに口角が持ち上がる。
 内心にある感情に気づかずにいると、

「……すまん」

 左近がただ頭を下げていた。
 怯えた子犬をイメージさせる。なんか悪いなと思うのは彼もまたあの傍若無人《ぼうじゃくぶじん》の権化《ごんげ》に踊らされているせいだった。望んでこの状況に身を置いた訳では無いのだろう。
 だから海はそのまま口にする。

「別に。一紗にあれこれ丸め込まれたんでしょ、わかってるし」

「まぁ、そんな感じだ」

「もう話は終わり? なら出ていって欲しいんだけど」

 話を一方的に切って、海は身体を転がしてドアに背を向ける。
 しかし幾ら待っても扉が閉まる気配は無い。
 ……なんなのよ。
 海は眉間に皺を寄せる。
 そんなに罰ゲームが怖いのか。噂は所詮噂、存外気の小さい男なのかとため息が漏れる。
 そのまま静寂が訪れてしばらく漂っていた。無視し続けようにも気配を感じて、海は小刻みに揺れていた。
 我慢の限界だった。ぐっと手を握り、大きく息を吸ったところで、

「……あのさ、こんなこと言うのはどうかとは思ってるんだけど、いつもそんな感じなのか?」

 先手を打ったのは左近だった。
 要領の得ない問いに、海は振り返り、

「そんなってどんなよ」

「つんけんしてるっていうか、そんな感じ」

 お前がそれを言うのかとつい出そうになるのを堪えて息を飲む。彼が前置きした言葉通りのことだったからだ。

「別に。今日は虫の居所が悪いだけ」

「悪かったな」

 謝り倒されていることに海は力を抜く。

「あんたじゃない。一紗によ」

 そうだ、全てあの女が悪いんだ。
 こんな生活を送っていることも、イライラが止まらないのも全部が全部あの女のせいなんだ。
 海は奥歯を噛み締めていた。衝動に震える腕を押さえつけて、何とか平静を装っていた。
 暗い感情が体を重だるくする。虫の這うようなむず痒さに、みっともない妄想をして目頭が熱くなる。
 嫌い。大っ嫌い。
 下唇を噛む海に、左近は尋ねていた。

「一紗ってどういう女なんだ? よくわかんねぇんだけど」

「……人の寝室に来て別の女の話する、普通?」

 言って、海は布団を叩く。
 ……馬鹿じゃないの。
 当たったのは彼にではなく自分にだった。

「ごめん、変なこと言った」

 ついカッとなって出てしまった言葉を訂正する。
 切り替えようと、目から力を抜いて、

「一紗のことは私もよくわかんないんだ。本当に理解しているのは和だけ。なんでか知んないけど」

「ああ。確かに通じ合ってる風だよな」

 ちくり、と胸が痛む。
 左近の言う通りだった。誰が見てもあの二人はお似合いだ。上手いこと噛み合ってしまっただけに付け入る隙はなかった。
 それでも、あの場所は私だったはずなのに。
 海は感情を仮面の下に隠して笑う。

「和が言うには一紗は愛情に飢えているだけなんだって。ただそれを表現する方法がセックスしか知らないからあんな態度しか取れないらしいわ」

「愛情、ねえ」

「似合わないでしょ。でも本当にそうみたい。あの顔見てればわかるわ」

 出会った頃の一紗を思い返す。それは本当に酷かった。痩せ細り肋《あばら》の浮いた身体には痣やシミが目立ち、短い髪は自分で切ったのかバサバサで潤いも無い。それでもなお人を惹きつける美貌と高く突き出た胸があったが、かわいそうな子という印象の方が強かった。
 しかしここ数ヶ月で変わった。痩せすぎは細身程度に変わり、肌、髪共に健康なハリがある。鋭さの中に女性らしさのある姿は女から見ても見惚れる程だった。
 負けた、と感じたのは何時からだったのか。外側だけでなく、もとより内側では負けていた。咎を背負っている以上勝ち目などなかった。

「ねえ、どこまで聞いたの?」

「どこまでって?」

「この生活が始まった理由よ」

「……あんた、海が浮気したことか?」

 なんだ知ってるんだと、海はほくそ笑む。
 そりゃそうだろうと納得もした。それを話さずには理解は得られない。話したところで理解出来るかは別だが。

「口が軽いわねぇ。そうよ、結局は私も一紗と大差ないの。いえ、それどころか黙って裏切る分もっとタチが悪い汚い女なの」

「それを言ってどうなる」

 さあね、と海は肩をすくめていた。

「私はもう限界なのかも。和のことは好きなのに、浮気した後悔がずっと付きまとってくるの。でも今更晴人と縁は切れないし切ったところで和は晴人を選ぶわ」

「いや、それはないだろ」

 真顔で否定された。
 あんたに何がわかるのかという前に直前の言葉を思い返して、

「……言い方悪かったわね。一紗と晴人を選ぶってことよ」

 単純に数の問題だった。一と二がどちらが重いかなんて小学生でもわかる問題だ。
 だから全てを投げ打ってでも和が海を選ぶことは無いという意味でもあった。

「結局なにをしても私は一人なのよ」

 うつ伏せになり枕に顔を埋めて呟く。

「……一緒かもな」

 ドアのほうから聞こえた言葉は、足音と共に近づいてくる。
 ぽすんとベッドが揺れて、足の方が深く沈んでいた。
 少しだけ顔を上げて、

「なにがよ」

「誰かの一番になれねえのは辛いってことだよ。俺は逃げちまったから、何となくだけど分かる」

「馴れ合うつもりはないわよ」

「そんなんじゃねえよ。ただ俺も見ていて痛々しかったんだなってことだ」

 痛々しい。そんなこととっくの昔に自覚していた。
 もう一人舞台でくるくると回り続けるのには疲れていた。だけれどもそれを簡単に見透かされてしまったことに、海は顔を歪めて、

「なに、喧嘩売ってるの?」

「ん……あぁ、そうだな」

「馬鹿にしないでよ!」

 海は勢いよく身体を起こす。そのまま振りかぶった手で、左近の頬目掛けて平手打ちをしていた。

「いたっ!」

 ただそれは届かなかった。寸前で手首を掴まれて、力強く握られて離れない。
 ……なにすんのよ。
 海が睨むと、そこには虚ろな瞳があった。

「全部お前の都合なんだよ。何が縁を切るだよ、そうして欲しいなんて誰かに頼まれたのか?」

「いやっ、やめてよ!」

 身を捩っても手だけは別の生き物のように微動だにしない。
 ……怖い、怖いよ。
 痛みと恐怖で目頭が熱くなる。興味なく見つめる目がとても大きく感じられて、海は視線を逸らしていた。
 それを左近は空いている手で強引に正面を向かせる。
 頬に食い込む指は力強く、抵抗することも出来ない。
 どうなるのか。どうなってしまうのか。先を想像して歯が震える。口は真一文字に伸びて、しかし端が少しだけ持ち上がっていた。

「加害者が被害者ぶるんじゃねえ。またあいつを傷つけるつもりか?」

「しょんな……つもりじゃないし」

「お前が欲しいのは許してもらうことじゃない、叱って欲しいんだろ? じゃないと駄目な自分のままだからな」

 鬼気迫る表情にどくんと心臓が跳ねる。
 なにを言っているのだろうか。そんなわけないのに、海の目端は垂れ下がり、口が弓なりになっていく。
 叱って欲しいなんて、ありえない。許されたんだ、それが最上の結果だろう。
 海は首を横に振ろうとする。しかし万力に掴まれた顔は少しも意思を示してくれない。
 なんで……
 何故だろうか。掴まれたところが酷い熱を持っている。熱く、痛くて我慢ができない。なのに下半身から立ち上る女の匂いが鼻をつく。
 怖くて痛くて、身体が疼く。知らない、こんなものは知らないのに。
 ……やまとぉ。
 脳裏に浮かんだのは最愛の人だった。それも浮気をしたあの日、雑に犯された時の彼の表情だ。
 なんで、なんでそんなことを思い出したのだろうか。わからない、考える余裕もない。
 瞳を潤ませる海に左近はまくし立てて話す。 

「浅ましい、そんな資格なんてないんだよ。それとも無理をさせるつもりか? 救いようがないな」

 言い終えて、左近は海を投げ倒す。ゴミを捨てるように雑に扱われて、ベッドの上で大きく弾んでいた。

「あぅっ」

 左腕が身体の下敷きになり、関節が悲鳴をあげる。しかし口から漏れたのは嫌になるほど熱の篭った声だった。

「何とか言えよ。みっともない顔してないで」

 問われ、ぐちゃぐちゃになった顔で考える。
 ……なんなのよ。
 訳が分からなかった。見下げる左近も、勝手に発情する身体も。
 確かに区切りは必要だとは思っていた。気持ちの整理のためちゃんと謝る機会が欲しかった。ただ和がそれを望んでいないことはわかっていたし、彼は人を怒ることが出来ない人だった。
 だからどうした。それとこれになんの関係があるのか。こんな手荒い扱いを受ける理由が分からない。嬉しいけれど、女性に手を上げる男性なんて最低だ。
 ……嬉しいってなんだ?
 痛い、嬉しい。怖い、気持ちいい。叱られる、震える──
 ……なるほど。
 ぐるぐると言葉が宙を舞って、その中心で海は頷いていた。
 熱に浮かされた頭は考えたことを抵抗なく行動に移す。服のボタンを外し、脱ぎ捨てて下着もとる。穢《けが》れた身体を丸めて頭を左近に向けていた。

「お願いします……私を躾てください」

 顔には笑みを浮かべて、その声は震えていた。
 私が欲しかったのは贖罪でもなんでもなく、ただ好きな人一色に染めて欲しかっただけなんだから。
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