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第19話 夕凪2-4
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「その話、今はどうなんですか?」
夕凪の言葉に晃は眉を寄せ、
「うーん。荒れてはいないけど厄介になったとは聞くね」
そうか。まあそうだろう。
良くも悪くも台風のような姉に振り回される人はたまったもんじゃない。今はゲームに矛先が向いているからまだおとなしいほうだが、これが特定の人間に向いた時のことは考えたくなかった。
晴海とは三年の年の差があるため、小学校以外で校舎を共にしたことはない。学校にいる彼女の姿を知らないのは当然で、そのことが急に遠い存在のように思わせていた。
「晃さん、連絡先交換しませんか?」
今学校にいる晴海と夕凪をつなぐ唯一の糸は晃しかいなかった。直接本人に聞いてもはぐらかされるに決まっている。血のつながりはなくとも家族であるならば力になりたかった。
「うん、いいよ」
晃は快諾してスマホをかざす。画面に表示されているQRコードを読み取れば、アプリに彼の名前が表示されていた。
これで何かあったときは情報を得ることができる。無鉄砲な晴海が手の届かないところに行くのを防げるかもしれない。
それに……
いやいや、と夕凪は否定する。別の思惑なんてない。純粋に晴海を思っての行動だ。
決して、気になる人との通信手段が手に入ったから頬が緩んでいるわけではないと、強く念じていた。
「大丈夫? なんかすごい顔しているけど」
「な、何でもないです!」
頬に温かさを感じて、夕凪は思わず後ろに身体をそらしていた。
「あっ……」
飛び跳ねるように退いていた。着地点にあるはずのベンチよりも身体が下がっていく。縁に座りすぎた。座面よりも外に出てしまっていた。
このままではお尻から地面にぶつかってしまう。それほど落差がないことだけが救いだった。
「危ないっ!」
掴まれた。とっさに伸ばした腕を、先ほどまで頬に当たっていた手が捕えていた。
そのまま強引に引っ張り上げられる。何とか地面につくことは回避できた。ただとっさの行動は腕を強く引いて肩に痛みを生んでいた。
痛い。しかし身をよじることもできず夕凪は引っ張られるがままになっていた。身体が持ち上がり、不安定な体勢はいつの間にか腰に当てられていた手によって支えられていた。
……近い。
それはほとんど抱擁に近かった。華奢なくびれを抱かれて、夕凪の引っ張られた腕は晃の首に回る。情熱的な社交ダンスを踊り切った時のような姿勢に、時が止まる。
……近い。
顔が近い。少し動いただけで均衡が崩れてしまいそうになっているせいだった。それは身体の話なのか心の話なのか。
腰に当てられた手に力がこもる。腕が首を引き寄せる。
……近い。
吐息が混じる。目が、瞬きを止めていた。
触れるのか。触れないのか。二人の間にある距離は縮まっていくばかりなのにその時はまだ訪れない。
……あっ。
触れた。
ぴりっと電流が走る。全身の毛が逆立つ。何が起こったのか、固まった頭が今ようやく理解を始めていた。
ただ唇を合わせるだけのキスは十秒にも満たなかった。お互い何をしているのか把握しないまま、身体を離して座っていた。
一人分の間隔を空けて。夜風が茹った頭に冷や水を流し込む。
「……ごめん」
一言、聞こえた声を残して、隣の人は背を向けて逃げていった。
謝られた。その事実だけが夕凪の心に深く刺さっていた。
甘く、苦いコーヒーの味が唇には残っていた。
「今日、りゅうとデートしてたんだって?」
「うぇい!?」
風呂上がり、珍しくリビングにいた晴海に声を掛けられ、同じテーブルに座っていた夕凪は奇声を上げていた。
興味なさげにスマホをいじる彼女とは対照的に、近くにいた大人たちは目線を逸らしたまま興味深そうに耳だけを二人に向けていた。
……なんでばれた?
今日に限っては晃と晴海の間に接点はないはずだった。夕凪と別れた後に学校に戻ったとも考えにくく、とするならば――
「……なんかあった?」
「なにもないです」
「……ふーん」
晴海は含みのある笑みを浮かべて夕凪を見ていた。
……むかつく。
晴海のはっきりとしない態度に、もともと虫の居所が悪かった夕凪は不貞腐れて口をとがらせる。
これ以上話す気はないと、態度で示していると、ソファーに座っている晴人が顔をのぞかせていた。その目は夕凪を一瞥した後、晴海へと向いて、
「なあ、そのりゅうってどんな男なんだ?」
にたにたと下卑た笑みを顔に張りつけていた。
ゴシップに食らいつく愚民のような態度に夕凪はにらみを利かせるが、晴海はしばらく天井を眺めた後、
「やまとパパに似てるかな」
「似てない」
嘘。結構似ている。
ただ夕凪はそれを認めるわけにはいかなかった。意地でも。それがひどく恥ずかしいことに思えていた。
「なるほどねぇ」
そう話に入ってきたのはあどけない面影を残す男性だった。
この家に住む、三人目の成人男性。金堂 左近は晴人の横で深く頷いて見せていた。
「……何?」
夕凪が半目になって問う。物言いたげな表情の左近は薄く笑い、
「夕凪ちゃんはお父さん大好きっ子だもんね」
「そんな事実はありません」
「でも子供の頃お父さんと結婚するって言ってたよ?」
「だから、それは子供の頃の話でしょ! そんなこと今更持ち出さないでよ」
夕凪は憤慨して机を叩く。
それに左近は揶揄するような笑みを浮かべていた。
……違うもん。
これは恋心なんてものじゃないし、ましてやファザコンでもない。たまたま縁があって二回だけ一緒に遊ぶことになっただけ。それで好きになるほど軽い女じゃない。
しかしファーストキスだった、親達を除けば。
……親達ってなんなのよ。
夕凪は三組の夫婦のただれた実態は既に把握していた。しかしお互いの伴侶を交換する、という訳ではなく六人で夫婦らしい。行政上配偶者がいたほうが有利ということで書類上ペアを作っているが、気持ちとしてはそれぞれが三人の異性と結婚しているつもりとのことだった。
恋愛の形は人それぞれというけれど、あまりに逸脱しすぎていれば理解は得られない。それならまだ同性愛のほうが身近のように夕凪は思えていた。
またふつふつと苛立ちが沸いてきて、考えるのを止める。
……あれ?
ひっかかる。何か大事なことを忘れているような……
「あっ」
思いだしたことに言葉を発して、すぐさま夕凪はしまったと後悔した。
その音に注目を集まる。
「どした?」
「なんでもない」
「……本当?」
「何でもないから、本当に」
晴海の追及に夕凪は首を横に振って答えていた。
本当に何でもない事なのだ。ただファーストキスの相手が違ったことを思いだしただけなのだから。
……いや、同性はノーカンか?
どうなんだろうと、頭をひねっていると、
「ひょっとして、りゅうに襲われた?」
瞬間、大人たちから突き刺さる視線が強くなっていた。
夕凪は急いで首を振り、
「お、襲われるわけないじゃん。あの人はそんなことしないもん」
「……まあそうだよな。逆に襲わないといつまでも手を出してこなさそうだし」
……あり得る。
なにせキスしたら逃げるくらいだ。そのまま押し倒せという訳ではないが、もう少しムードを大事にしてほしい。
大人たちも一人を除いてうんうんと頷いていた。悲しいかな、うなずけないただ一人は夕凪の父親であった。
「え、なに? 何で納得してんの?」
「そういうところよ。だから緊張しすぎて初体験の時萎えちゃうのよ」
「今その話関係あった!?」
また和がいじられている。父親の威厳は昔からないに等しい。
矛先が他に向いたのを好機とみて、夕凪は自分の部屋へと戻っていった。
ベッドの中、独り浅く呼吸をする。ぶり返してきた熱に今夜は寝不足かもと、ため息に混じって笑みをこぼしていた。
夕凪の言葉に晃は眉を寄せ、
「うーん。荒れてはいないけど厄介になったとは聞くね」
そうか。まあそうだろう。
良くも悪くも台風のような姉に振り回される人はたまったもんじゃない。今はゲームに矛先が向いているからまだおとなしいほうだが、これが特定の人間に向いた時のことは考えたくなかった。
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「晃さん、連絡先交換しませんか?」
今学校にいる晴海と夕凪をつなぐ唯一の糸は晃しかいなかった。直接本人に聞いてもはぐらかされるに決まっている。血のつながりはなくとも家族であるならば力になりたかった。
「うん、いいよ」
晃は快諾してスマホをかざす。画面に表示されているQRコードを読み取れば、アプリに彼の名前が表示されていた。
これで何かあったときは情報を得ることができる。無鉄砲な晴海が手の届かないところに行くのを防げるかもしれない。
それに……
いやいや、と夕凪は否定する。別の思惑なんてない。純粋に晴海を思っての行動だ。
決して、気になる人との通信手段が手に入ったから頬が緩んでいるわけではないと、強く念じていた。
「大丈夫? なんかすごい顔しているけど」
「な、何でもないです!」
頬に温かさを感じて、夕凪は思わず後ろに身体をそらしていた。
「あっ……」
飛び跳ねるように退いていた。着地点にあるはずのベンチよりも身体が下がっていく。縁に座りすぎた。座面よりも外に出てしまっていた。
このままではお尻から地面にぶつかってしまう。それほど落差がないことだけが救いだった。
「危ないっ!」
掴まれた。とっさに伸ばした腕を、先ほどまで頬に当たっていた手が捕えていた。
そのまま強引に引っ張り上げられる。何とか地面につくことは回避できた。ただとっさの行動は腕を強く引いて肩に痛みを生んでいた。
痛い。しかし身をよじることもできず夕凪は引っ張られるがままになっていた。身体が持ち上がり、不安定な体勢はいつの間にか腰に当てられていた手によって支えられていた。
……近い。
それはほとんど抱擁に近かった。華奢なくびれを抱かれて、夕凪の引っ張られた腕は晃の首に回る。情熱的な社交ダンスを踊り切った時のような姿勢に、時が止まる。
……近い。
顔が近い。少し動いただけで均衡が崩れてしまいそうになっているせいだった。それは身体の話なのか心の話なのか。
腰に当てられた手に力がこもる。腕が首を引き寄せる。
……近い。
吐息が混じる。目が、瞬きを止めていた。
触れるのか。触れないのか。二人の間にある距離は縮まっていくばかりなのにその時はまだ訪れない。
……あっ。
触れた。
ぴりっと電流が走る。全身の毛が逆立つ。何が起こったのか、固まった頭が今ようやく理解を始めていた。
ただ唇を合わせるだけのキスは十秒にも満たなかった。お互い何をしているのか把握しないまま、身体を離して座っていた。
一人分の間隔を空けて。夜風が茹った頭に冷や水を流し込む。
「……ごめん」
一言、聞こえた声を残して、隣の人は背を向けて逃げていった。
謝られた。その事実だけが夕凪の心に深く刺さっていた。
甘く、苦いコーヒーの味が唇には残っていた。
「今日、りゅうとデートしてたんだって?」
「うぇい!?」
風呂上がり、珍しくリビングにいた晴海に声を掛けられ、同じテーブルに座っていた夕凪は奇声を上げていた。
興味なさげにスマホをいじる彼女とは対照的に、近くにいた大人たちは目線を逸らしたまま興味深そうに耳だけを二人に向けていた。
……なんでばれた?
今日に限っては晃と晴海の間に接点はないはずだった。夕凪と別れた後に学校に戻ったとも考えにくく、とするならば――
「……なんかあった?」
「なにもないです」
「……ふーん」
晴海は含みのある笑みを浮かべて夕凪を見ていた。
……むかつく。
晴海のはっきりとしない態度に、もともと虫の居所が悪かった夕凪は不貞腐れて口をとがらせる。
これ以上話す気はないと、態度で示していると、ソファーに座っている晴人が顔をのぞかせていた。その目は夕凪を一瞥した後、晴海へと向いて、
「なあ、そのりゅうってどんな男なんだ?」
にたにたと下卑た笑みを顔に張りつけていた。
ゴシップに食らいつく愚民のような態度に夕凪はにらみを利かせるが、晴海はしばらく天井を眺めた後、
「やまとパパに似てるかな」
「似てない」
嘘。結構似ている。
ただ夕凪はそれを認めるわけにはいかなかった。意地でも。それがひどく恥ずかしいことに思えていた。
「なるほどねぇ」
そう話に入ってきたのはあどけない面影を残す男性だった。
この家に住む、三人目の成人男性。金堂 左近は晴人の横で深く頷いて見せていた。
「……何?」
夕凪が半目になって問う。物言いたげな表情の左近は薄く笑い、
「夕凪ちゃんはお父さん大好きっ子だもんね」
「そんな事実はありません」
「でも子供の頃お父さんと結婚するって言ってたよ?」
「だから、それは子供の頃の話でしょ! そんなこと今更持ち出さないでよ」
夕凪は憤慨して机を叩く。
それに左近は揶揄するような笑みを浮かべていた。
……違うもん。
これは恋心なんてものじゃないし、ましてやファザコンでもない。たまたま縁があって二回だけ一緒に遊ぶことになっただけ。それで好きになるほど軽い女じゃない。
しかしファーストキスだった、親達を除けば。
……親達ってなんなのよ。
夕凪は三組の夫婦のただれた実態は既に把握していた。しかしお互いの伴侶を交換する、という訳ではなく六人で夫婦らしい。行政上配偶者がいたほうが有利ということで書類上ペアを作っているが、気持ちとしてはそれぞれが三人の異性と結婚しているつもりとのことだった。
恋愛の形は人それぞれというけれど、あまりに逸脱しすぎていれば理解は得られない。それならまだ同性愛のほうが身近のように夕凪は思えていた。
またふつふつと苛立ちが沸いてきて、考えるのを止める。
……あれ?
ひっかかる。何か大事なことを忘れているような……
「あっ」
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「何でもないから、本当に」
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本当に何でもない事なのだ。ただファーストキスの相手が違ったことを思いだしただけなのだから。
……いや、同性はノーカンか?
どうなんだろうと、頭をひねっていると、
「ひょっとして、りゅうに襲われた?」
瞬間、大人たちから突き刺さる視線が強くなっていた。
夕凪は急いで首を振り、
「お、襲われるわけないじゃん。あの人はそんなことしないもん」
「……まあそうだよな。逆に襲わないといつまでも手を出してこなさそうだし」
……あり得る。
なにせキスしたら逃げるくらいだ。そのまま押し倒せという訳ではないが、もう少しムードを大事にしてほしい。
大人たちも一人を除いてうんうんと頷いていた。悲しいかな、うなずけないただ一人は夕凪の父親であった。
「え、なに? 何で納得してんの?」
「そういうところよ。だから緊張しすぎて初体験の時萎えちゃうのよ」
「今その話関係あった!?」
また和がいじられている。父親の威厳は昔からないに等しい。
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