【R18】彼女が友だちと寝ていたから

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第1話 彼女が友だちと寝ていたから

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 衣擦れの音に目を覚ます、
 軽く眠っていたようだと思いながらゆっくりと開いた瞳は薄暗い部屋を映していた。
 壁紙、家具に間取り。どれをとっても少しだけなじみのない世界が広がっていた。
 ……寝てたのか。
 半分覚醒した頭で考える。
 そこは彼女の部屋だった。彼女の趣味でそろえられた調度品が並べられ、一人暮らしの学生部屋をより窮屈なものにしていた。
 瞳を動かすのにも疲れて和は身体を少しだけずらす。横向きに寝ていたため下にしていた左腕がしびれていた。
 さらりとした絹のような合成繊維が和の素肌を流れるように滑る。
 
「……ん」
 
 自分のものではない声が耳を叩く。和が身じろぎしたため目が覚めてしまったようだった。

「ごめん、起こしちゃった?」

「……ううん、へいき」

 返事をしたのは女性だった。控えめな乳房よりも下まで落ちたシーツを引き寄せながら、弓なりになった目で和を見つめていた。
 まだ舌足らずな話し方に和は微笑み返す。そのまま肩を抱き、額に軽い口づけをする。
 肌と肌が触れ合うと、途端に劣情が湧いてきて、
 
「ねえ」

 甘いささやきで問いかけ、指で乳輪の形をなぞるが、

「だぁめ。時間ないもん」

 にべもなく断られて、手をはじかれてしまう。
 和は彼女の言葉を確かめるように時計を見た。
 ……残念。
 バイトに行く時間が確かに迫っていることを確認した和は軽くため息をつく。
 ……お預けか。
 汗と別の液体でねとつく身体を起こすと、
 
「お風呂もらうね」

 その言葉に返答はなく、軽く上げられた手がひらひらと舞っていた。
 
 
 
 その日はひどい雨だった。
 白く輝く太陽は地上を炙り、さながら七輪の上で踊っているかのようだった。
 午後になってもその日差しは弱まることを知らず、外行く人々の肌を焦がす。
 夏真っ盛り。そんな言葉がぴったりと当てはまるような八月だった。
 炎天下の中、和は工事現場にいた。会社から支給された制服に身をつつみ、首に巻いた白いタオルで滝のように流れる汗をぬぐう。
 すぐ隣では粉塵を巻き上げる重機がいて、時折排気ガスを顔いっぱいに浴びては苦悶の表情を浮かべていた。
 割のいいバイトと大学の先輩から紹介されたところはそれ相応に大変で、でも確かに金銭的には優遇されている。問題があるとするならば天候と、現場が一か所ではないことぐらい。
 重機が砕いたコンクリートを脇にどかすと、腰を伸ばし胸元に溜まった熱いものをパタパタと吐き出す。今朝のニュースの通り、今年一番の暑さというものを一身に浴びて、脳みその中まで茹で上がりそうになっていた。
 その時、
  ……雨、か?
 鼻先に香る湿っぽさと冷たさを含んだ空気のにおいに和は空を見上げる。
 熊のような分厚い雲がのんびりと空を泳いでいるのが見えた後、ゴロゴロと落石を思わせる雷鳴が遠くのほうから響いていた。
 それを見て和は憂鬱な気分になっていた。
 今回の現場は直行直帰できるものの、自宅からはずいぶんと距離があった。着替えも傘も持ってきていないためびしょびしょのまま電車に乗って帰る羽目になる。
 周りの目を気にしながら帰りたくないなと考えている間に雨雲と雷鳴はどんどんとその距離を縮めていき、ついさっきまであった太陽を隠したかと思う頃には夕闇のような暗さとともに重機の音をかき消すほどの強い、大粒の雨を降らせていた。
 夕立だ。ゲリラ豪雨ともいう。
 肩が上がらなくなるほど強く打ち付ける豪雨に、
 
「撤収作業」

 どうにか聞こえたその声は現場監督の男性だ。
 その号令に合わせて機材を片付ける人の動きで現場は慌ただしくなる。和も交じりシートをかぶせたりとしているうちに、濡れている箇所を探すことができないほど服を重くしていた。
 
「止むかな」

「止むだろうが排水で終わるんじゃないか?」

 現場監督と、それより年上の男性が話をしている。重機を扱っていた男性だ。二人は仮設のテントの中から天を見上げて、二人腕組みをしていた。

「工期は?」

「順調だ。一日二日なら問題ない」

 ふむ、とうなずく現場監督は休憩中の人のほうを見ると、

「お疲れさん。今日はもう上がっていいぞ」

 その言葉にわっと歓声が上がる中で、和は、
 今言われてもなあ……
 依然として前が見えないほどの大雨を眺めていた。
 仕方なくコンビニで傘を買うかと算段をつけているとき、ふと近くに彼女の家があることを思い出す。
 休日で家にいると言っていた。家はそれほど遠くなく、一駅分歩くくらいでつく距離だ。
 お邪魔してもいいだろうか。迷惑じゃないかな。
 せめて事前に連絡はしておこうと荷物置き場に置いてきたバッグからスマホを取り出して電源を入れる。
 ……あれ?
 電源ボタンを長押ししても反応がない。壊れたかと思ったが前日充電を面倒くさがって寝たことを思い出して、
 ……大丈夫、だよね。
 今までに何度も訪れているのだから、今日たまたま連絡なしに来訪したとしても怒られることはないはずだ。それに不在だったとしても合鍵をもらっている、つまりはそういうことだ。
 雨が止むまでの一時しのぎ。しかしそれで終わるかどうかはまた別の話。そんな考えが和の頬をゆるくする。
 だらしない表情のまま和は帰り支度をしていた。その様子に後ろから、

「おう、やけに上機嫌じゃねえか。そんなに仕事が嫌だったか?」

「えっ、いや、そうじゃないんですよ。これから彼女の家に行くんで……」

 言ってから、和はミスしたなと思っていた。
 取り繕うための嘘が思いつかずつい本当のことを口にしてしまった。下手な嘘で心証を悪くするよりかは幾分もましだが、今後のことを考えると冷や汗が流れる。
 
 そして和の想像通り、声をかけてきた男性――恰幅のいい社員でバイト全体の面倒を見ている人だ――は下品な笑みを顔に貼り付けてた。

「へえ」

「な、なんですか?」

 品定めする目線に居心地の悪さを感じる。
 しかし、それ以上深く追及されることはなく、

「じゃ、また次回も頼むぜ」

 口ではそういうが親指がこぶしの間から覗いている、いわゆる女握りを見せつけるように掲げていた。
 品がないな、とは思う。現場仕事をしていれば大体の話題は女か金か酒、あとは賭け事くらいしかない。どれも消極的にしか接してこなかったことだけに独り話題に乗れないことも多々あった。
 今の世の中じゃセクハラで訴えても勝てるかもしれないよなあと内心でほくそ笑みながら帰り支度を進める。
 雨は一層激しさを増していた。横断歩道の先の信号ですら霞む瀑布に身を晒しながら和は歩を進める。
 頭に当たる雨粒が小石なのではと思うほどに重く、首から下に大きく負担をかける。べたっと張り付いた服が不快感を増し、全身の熱を空気を抜くように奪っていく。
 目に入る水をぬぐいながらふと考える。大人になってからは厄介の何物でもない雨も、子供のころは一つのイベントのようだった。いつから煙たく感じるようになったのだろう。いっそ今だけは童心にかえってみてはどうかと思えば、先ほどまでは厄介な白いカーテンも冒険へ誘う霧に見えなくもない。
 少し軽くなった足取りで和は先へ先へと進んでいく。見慣れたはずの町並みも現実的なところが隠れて神秘性を帯びる。そんな想像に思わず頬が綻んでしまっていた。
 向かう先は普段なら十分と少しも歩けばつく距離にある。ひどい土砂降りの中でも意志が折れてしまう前にはたどり着くことができた。
 年数を重ねた、悪く言えば古臭いマンションは平屋が二つ重なったような形をしていた。
 その姿を目でとらえて、気分はますます昂っている。滝のような雨では冷やせぬほどの熱をため込みながら和は錆の浮いた階段に足を乗せていく。
 かつん、かつんと普段なら鐘を突いているような唸りも雨に吸われてしまっていた。
 階段を上り切った先には五つの扉が並んでいる。そのうち手前から三つを通り過ぎ、四つ目の前で足を止める。
 苦しいくらいに大きく、しかしゆっくりと鼓動する心臓と、期待に震える背筋を律しながら、水気を含んだバックから鍵の束を探す。金属同士のこすれる音を頼りに、手に触れた無機質な鉄を摘まみ上げる。
 二人で買った地方のゆるキャラのキーホルダーがくるりと回る。彼女の家の鍵を見つけると、軽く一息ついてから一思いに鍵穴へと進ませる。
 カチリと、鍵が開く。それは心理的にも侵入を許していた。
 仄かにひりひりと冷たいドアノブに手を添えて、ふと彼女は今何をしているのだろうと想像する。
 出かけているかもしれないし、寝ているかもしれない。そう考えて和は野良猫のように慎重に部屋に入る。
 不在を思わせる、暗い部屋だった。当てが外れたなと、小さく肩を落とした和は足元にある二足の靴を見てまた顔を上げる。
 いる。それは確信していた。それ以上の情報を読み取る前に和は奥へと進もうとしていた。

「お邪魔しまーす……」

 蚊の鳴くような声で一応と声を出す。返答はもちろんなかった。
 漬け込んできたのかと思うほどに濡れてしまっている靴は脱ぐのに労力を必要としていた。どうせだからと靴下ごと脱いで、湿った足で廊下を踏みしめる。
 くっきりと残っているだろう足跡を想像して、後で掃除しなくちゃと和は思う。掃除は嫌いではなかったが変に凝り性な所は幾度か注意されたことがある。
 なんにせよまずは来訪を告げる。そのあとに身体を拭くタオルと風呂を懇願しなければならない。甘い雰囲気になるかどうかはその時次第。
 短い廊下は、右にキッチン左にユニットバスがある。廊下の先には暖簾のような目隠しが設置されていて、その向こうには愛すべき存在がベッドに横たわっている。
 他には目もくれず、足音を殺して一直線に進む。まるで泥棒みたいだなと、和は声を殺して笑っていた。
 目隠しをかき分けて部屋を覗く。締め切られた分厚い遮光カーテンの隙間から一筋の明かりが漏れていたが、おぼろげに部屋を照らすだけで全体をはっきりと映すには心許ない。
 それでもベッドにうずくまる人の姿をとらえることができて、和は不用意に近づいていた。
 そして、それに気付いてしまった。
 露出した肩に添えられている手があった。彼女の頭の後ろにもう一つ頭があった。よく見れば掛布は女性一人分にしては盛り上がりすぎているようだった。
 増殖したり、怪物になったなどと与太話をするつもりはない。この場で一番可能性の高い答えは驚くほど安産でぽんと頭に生まれていた。

「ん……海?」

 声がする。彼女のものではない声がする。
 ……ああ。
 和はただ固まっていた。心臓ですら止まっているかのように置物と化していた。
 もぞもぞと動く音がやけに大きな音に感じられていた。何をしているのか確認するのも怖くて、しかし目を閉じることもできない。

「んっもう、変なとこ触らな――」

 甘い嬌声を出しながらたしなめる彼女は、薄く開いた目で前を見る。
 全身ずぶ濡れの哀れな男の姿がその目には映っていた。
 固まる。そのまま時すら止まってしまっていた。
 声にならない声が口から漏れている。それを見て和も何かを言いかけ、開いた口からはかすれた息すらも出ないでいた。
 ……困ったな。
 静寂の中で必死にあがきながらそんなことを考えていた。先ほどとは別の意味で熱に浮かされた頭は複雑に言葉を生み出そうとして、結局困ったなという言葉に踏みにじられていた。
 このままではいけないという自覚はあった。目を潤ませて見つめる彼女は自身の犯した罪に対しての言葉を待っていたからだ。
 しかし、それはできなかった。幼少期から続くことなかれ主義によって嫌なことがあっても自分が損をすれば丸く収まるという安い処世術を身に着けていたせいで、和は自分の感情をさらけ出すために複雑な手順をいくつも踏んでいかなければいけなかったからだ。
 したがって、

「お、お疲れ様です!」

 和は逃げ出していた。自分が何を言っているかもわからないほど動転したまま、館内放送のような高い声を残して。
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