半官半民でいく公益財団法人ダンジョンワーカー 現代社会のダンジョンはチートも無双も無いけど利権争いはあるよ

文字の大きさ
上 下
83 / 138

幕間 銭湯にて1

しおりを挟む
 あれからまた数日が経った頃。
 二日と職場を空けたにしては仕事はさほど溜まっておらず、いいことなのかどうかは置いておくとしても、翌日の朝を少し騒がしくした程度で日常が戻っていた。それからはやけに忙しく動き回る新堂が新人への教育もできずにいたため、他に指示を出せる人間もおらず、舞は書類整理や入力作業などの雑用に精を出していた。
 辛は相変わらず業務1部へ出突っ張り、日に一度も姿を見ない日も多々あるなど、もはやどこの部に所属しているかわからない状況である。波平も各部を転々としているようで、人事部には戸事と舞の2人しか居ない日が多くなっていた。狂島は初めからいないのでカウントする必要も無い。
 あの日以来これといって話すことも無く、お互いの仕事を全うする。時折目が合う時は軽く頭を下げる程度で世間話をすることも無い。倦怠期を迎えた夫婦よりも冷めきっており、そのせいでお互い一日中口を開かないなんてこともざらにあった。
 ただ険悪という訳でもなく態度は穏やかで、わざわざかける言葉がないから静かなだけであり居心地が悪いということもない。当然嫌がらせなどもなく、時間が軟化させていくものだと思われた。
 そんなある日のことである。
「夜巡さん……すこし……いい?」
 他に誰もいないフロアに女性らしいキーの高い声が響く。
 戸事だ。彼女はいつも通り前髪を目が隠れるまで垂らし、小さな背を丸めているせいでより小柄に見せていた。それでも舞の方が低いのだからその小ささは折り紙付きだった。
「あ、はい。なんでしょうか」
「今日の定時の後……時間ある?」
「いいですよ」
 珍しいどころか初めての誘いであった。舞は予定も見ずに即答する、それが社会人としての努めだとかいう訳ではなく、確認するまでもなく予定などないことがわかっていたからだ。
 席に座っていた舞にわざわざ立ち上がり、真横に立って誘う戸事は要件を伝え終わったというのにそのまま動こうとはせず、
「……」
「どうかしました?」
 言葉を探っているのか、まっすぐな細い髪に隠れた瞳で見つめられては疑惑よりも恥ずかしさが勝る。
 ビーチではあれだけすらすらと物を言っていたのにふたりきりでも社内では小心者が顔をのぞかせているようで、戸事は会話というには十分すぎるほどの時間を置いてから口を開いた。
「その……どこ行きたいかなって」
 たったそれだけのことを聞くのに何をためらう必要があるのか、舞にはわからないが首を傾けながらふと思い出したことを口にする。
「どこでもいいですけど、リクエストしてもいいですか?」



 都内某所、職場の近く。
 創業50年を超える銭湯に2人の姿があった。昨今のブームに乗っかってか改築したばかりのお風呂場は光り輝くほどに磨かれており、真新しいタイルはよく滑る。もうもうと立ち込める湯気は霧よりも深く、しかし慣れてくればさほど気にならないものでもあった。
 点々と客がいるだけの風呂は幾つかのブロックに分かれており、それぞれ違うタイプの風呂が楽しめるようになっていて、舞達は勢いよく泡の噴き出すジェットバスへと向かっていた。
 身体を洗い湯舟に足を入れる。江戸っ子は熱い湯にさっと入りさっと出る、せわしなさを象徴するかのように湯の温度は高く、浸かった先から痺れるような感覚に身震いさせられる。火傷しそうな湯温が肌を撫で、そこからじんわりと芯を温めていく。
「私……銭湯って初めて来たわ。いいものね足を伸ばせるなんて」
 一種のマゾヒズム的な快楽を味わいながら戸事はゆっくりと肩まで浸かっていく。その横で、
「あ゛あ゛ぁ……ふうぅ……」
 おおよそ見た目に似つかわしくない低い声で唸るのは舞であり、その姿を見ていた戸事は険しく眉をひそめていた。
「人間社会に戻ってきてお風呂が最高だって思いましたよ」
「どこの原住民の言葉よ」
「あれ、言ってませんでしたっけ。私二年くらいダンジョンに住んでいて、その後引き取られた先でネグレクト受けてたんですよ」
「いきなりぶっ込んで来るじゃない」
 他愛のない話も戸事は気に食わなかったらしく、表情は硬い。それでも舞は気にした様子はなく、少しは気にした方がいいのだが、弁解を続ける。
「まぁネグレクトって言ってもいないもの扱いされてただけなんですけどね。そのおかげでのびのびやれてた部分もあるので悪いことばかりでもなかったですし。あ、でも今思えばうちの実家土地含め売り払った金はぶんどっても良かったかな」
「なかなか壮絶な体験をしてるのね」
 聞いて何故か舞は目を開いて驚く。そしてやだなぁと笑い、
「こんなもんそこら辺に転がってる話ですよ。誰にだってひとつやふたつ、重たい話を抱えてるもんです」
「嫌よ、そんな世界」
 どちらが正常かと言えば戸事の言葉のほうなのだが、如何せんダンジョンが出来てから世は荒れている、暗いニュースも事欠かないため不幸自慢も多くなりつつあるというのが現実でもあった。嫌な世の中である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ!

コバひろ
大衆娯楽
格闘技を通して、男と女がリングで戦うことの意味、ジェンダー論を描きたく思います。また、それによる両者の苦悩、家族愛、宿命。 性差とは何か?

処理中です...