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夏、海、カツオ8
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にべもなく話を区切り釣りに集中する。ひさびさのアタリは腕に力をいれても身体ごと持っていかれるような力強さで、思わず立ち上がり全身を使って格闘する。その感触に大物の予感から後頭部の毛が逆立つ。
「あんた――」
「よっ、なかなか……強い……で、ヤクザだから? ん、んぐぐ……関係ないでしょ、やりたいようにやればよし、他人の目なんて気にするのはまだまだ余裕がある、おっと、証拠ぉお!」
鉛のように重たいリールを回しながら舞は答える。
おそらく幼少期から何かあったのだろう、親の職業のことで同級生からはいじめられていたか無視されていたか。近所からも腫物扱い、想像に難くない。ただそれだけだ、その時の琴子の心情を察することなどできないし、過ぎてしまったことを同情しても詮無きことだった。
「……」
黙ってしまった戸事の存在を忘れ舞は一心不乱に竿を持ち上げる。幸い距離が近かったことと食い付きが良かったようでバラさず岸まで引き上げることが出来ていた。
唯一の誤算があるとするならばヒキは強いのに獲物は程々に軽く、海面から飛び出した際に抵抗が無くなり大きな放物線を描いて舞の頭上を飛んでいく。見上げながら舞も背中から倒れ込み、陽に当たりじりじりと暑くなり始めた砂浜というベッドへ身体を預けていた。
「なかなか強敵だったわ。食いごたえありそう」
達成感に身体を震わせながら、極度に昂った感情が顔に出る。笑っているのだろうが、餌を前にした猛獣のように八重歯が光る。
立ち上がり、服についた砂もお構い無し、俎上の鯉ではないが疲れて横たわったまま時折思い出したように跳ねることしか出来ない魚を見下ろす。長さは舞の腕よりやや短いくらい、アジかサバと同じ青魚で銀の腹にメタリックブルーの背がよく映える。
細身ながら丸く太った胴は脂を感じさせ、鮮魚店でも一際目を引くことだろう、惜しむらくは顔が鎧のような装甲で覆われていくつか棘が天に伸びているところがモンスターであることを隠しきれずにいた。
「……ねぇ」
「なんすか」
近くに落としていた鉈を持ち振り下ろす、ふふふと笑いながら処理する姿は猟奇的で、噴き出す血が頬を汚しても気にする素振りもない。その姿に戸事は顔を引き攣らせながら、
「……どうして貴方はそんな風にいられるの? 怖くないの、人からどう見られるとか」
「全然」
何も考えていないと捉えかねないほどの即答だった。
「だいたいどう見てるなんて分かりません? チビだの小学生だの、生意気だの。面倒くさいからそう思わせておけばいいんですよ、プライベートまで付き合いがある訳でもないんですから。表ではイメージ通りを演じて裏で何してても気づかない、他人なんて単純ですよねぇ」
「そ、そう……そこまで割り切れる人はなかなかいないと思うけど」
「皆にそうしろって言ってるわけじゃないですし、どうでもいいんです。大事な人だけに分かってもらえれば、そうでしょ?」
「まぁ……うん……」
曖昧に返事する戸事へ、舞は頷きながら、
……ちょろいな!
そんな失礼なことを考えていた。
先程までの嫌悪感は何処へやら、もはや警戒する価値もないと戸事に思わせた時点で舞の勝ちであった。
「で、なんの話しでしたっけ?」
「もういいわ。価値観が違いすぎて話が合わないもの」
「へーい」
話していても業務は続くもので、あの大物取りの後、竿にめっきり音沙汰が無くなった舞とは対称的に昨日同様戸事の竿にはよく魚が食いついていた。距離もそれほど離れておらず、それどころか痺れを切らした舞が近づいたとて変わらず、戸事から特殊なフェロモンでも出ているのかと疑うほど両者の間には明確な差が出来ていた。
傍から見れば仲の良い姉妹に見えるだろう、肩を並べて大海を見る2つの背中を周囲の警戒にあたっていた辛が見つけ寄ってくる。
「あらあら」
「お疲れ様です。なにか変化はありました?」
砂を踏む音とその声に2人は一斉に振り返る。その揃った行動は双子かなにか、辛は緩く笑みを作り、
「大丈夫よ。それより、ちょっとは仲良くなったのかしら?」
「そんなことありません、煙草臭いし負けず嫌いだし、生意気でどうしようもない奴です」
戸事が悪態をつくのも無理はない、舞が火を絶やさないチェーンスモーカーであるから流れる煙を直接顔に受けること数回、その度にわざとらしく咳き込んだり顔の前で手を扇いでみたりと意思表示してみても我関せずと無視され続けていたからだ。
「ふふ」
まるで子供の告げ口のようで、声を出して笑う辛に舞はため息をひとつ漏らす。
「まぁ悪態つかれる程度には距離が縮まったんじゃないですかね。わざわざそんなことするくらいなら無視してていただいた方がいいんですけど」
「また減らず口を――」
「それより、男性陣って何してるんですか? 昨日は部屋の清掃と調理なのは分かってましたけど」
また面倒くさそうなことになる雰囲気を察して舞は話題を変える。興味はなかったが延々と戸事の愚痴に付き合うくらいならどんな話題でもマシに感じていた。
「素潜りしてるわ」
「危なくないですか?」
しれっと言う辛。先日聞いた話では海の中はモンスターのホーム、人では太刀打ち出来ないのに当の本人達が挑むというのは如何なものか。
小首を傾げる舞は納得いかないと口を尖らせる。愛らしいその仕草に辛の目付きがいっそう怪しく、したがって戸事の目線も厳しいものとなったが、辛がその長い腕を伸ばし今朝までいた小屋のほうを指さして、
「一応金網で一帯を囲ってあるから。それに水中銃も持ってるから何かあっても逃げる時間稼ぎはできるはずよ」
「駄目だったら?」
「その時は3人で帰りましょうね」
躊躇いもなく見捨てるという発言は恐らく冗談である。
「あんた――」
「よっ、なかなか……強い……で、ヤクザだから? ん、んぐぐ……関係ないでしょ、やりたいようにやればよし、他人の目なんて気にするのはまだまだ余裕がある、おっと、証拠ぉお!」
鉛のように重たいリールを回しながら舞は答える。
おそらく幼少期から何かあったのだろう、親の職業のことで同級生からはいじめられていたか無視されていたか。近所からも腫物扱い、想像に難くない。ただそれだけだ、その時の琴子の心情を察することなどできないし、過ぎてしまったことを同情しても詮無きことだった。
「……」
黙ってしまった戸事の存在を忘れ舞は一心不乱に竿を持ち上げる。幸い距離が近かったことと食い付きが良かったようでバラさず岸まで引き上げることが出来ていた。
唯一の誤算があるとするならばヒキは強いのに獲物は程々に軽く、海面から飛び出した際に抵抗が無くなり大きな放物線を描いて舞の頭上を飛んでいく。見上げながら舞も背中から倒れ込み、陽に当たりじりじりと暑くなり始めた砂浜というベッドへ身体を預けていた。
「なかなか強敵だったわ。食いごたえありそう」
達成感に身体を震わせながら、極度に昂った感情が顔に出る。笑っているのだろうが、餌を前にした猛獣のように八重歯が光る。
立ち上がり、服についた砂もお構い無し、俎上の鯉ではないが疲れて横たわったまま時折思い出したように跳ねることしか出来ない魚を見下ろす。長さは舞の腕よりやや短いくらい、アジかサバと同じ青魚で銀の腹にメタリックブルーの背がよく映える。
細身ながら丸く太った胴は脂を感じさせ、鮮魚店でも一際目を引くことだろう、惜しむらくは顔が鎧のような装甲で覆われていくつか棘が天に伸びているところがモンスターであることを隠しきれずにいた。
「……ねぇ」
「なんすか」
近くに落としていた鉈を持ち振り下ろす、ふふふと笑いながら処理する姿は猟奇的で、噴き出す血が頬を汚しても気にする素振りもない。その姿に戸事は顔を引き攣らせながら、
「……どうして貴方はそんな風にいられるの? 怖くないの、人からどう見られるとか」
「全然」
何も考えていないと捉えかねないほどの即答だった。
「だいたいどう見てるなんて分かりません? チビだの小学生だの、生意気だの。面倒くさいからそう思わせておけばいいんですよ、プライベートまで付き合いがある訳でもないんですから。表ではイメージ通りを演じて裏で何してても気づかない、他人なんて単純ですよねぇ」
「そ、そう……そこまで割り切れる人はなかなかいないと思うけど」
「皆にそうしろって言ってるわけじゃないですし、どうでもいいんです。大事な人だけに分かってもらえれば、そうでしょ?」
「まぁ……うん……」
曖昧に返事する戸事へ、舞は頷きながら、
……ちょろいな!
そんな失礼なことを考えていた。
先程までの嫌悪感は何処へやら、もはや警戒する価値もないと戸事に思わせた時点で舞の勝ちであった。
「で、なんの話しでしたっけ?」
「もういいわ。価値観が違いすぎて話が合わないもの」
「へーい」
話していても業務は続くもので、あの大物取りの後、竿にめっきり音沙汰が無くなった舞とは対称的に昨日同様戸事の竿にはよく魚が食いついていた。距離もそれほど離れておらず、それどころか痺れを切らした舞が近づいたとて変わらず、戸事から特殊なフェロモンでも出ているのかと疑うほど両者の間には明確な差が出来ていた。
傍から見れば仲の良い姉妹に見えるだろう、肩を並べて大海を見る2つの背中を周囲の警戒にあたっていた辛が見つけ寄ってくる。
「あらあら」
「お疲れ様です。なにか変化はありました?」
砂を踏む音とその声に2人は一斉に振り返る。その揃った行動は双子かなにか、辛は緩く笑みを作り、
「大丈夫よ。それより、ちょっとは仲良くなったのかしら?」
「そんなことありません、煙草臭いし負けず嫌いだし、生意気でどうしようもない奴です」
戸事が悪態をつくのも無理はない、舞が火を絶やさないチェーンスモーカーであるから流れる煙を直接顔に受けること数回、その度にわざとらしく咳き込んだり顔の前で手を扇いでみたりと意思表示してみても我関せずと無視され続けていたからだ。
「ふふ」
まるで子供の告げ口のようで、声を出して笑う辛に舞はため息をひとつ漏らす。
「まぁ悪態つかれる程度には距離が縮まったんじゃないですかね。わざわざそんなことするくらいなら無視してていただいた方がいいんですけど」
「また減らず口を――」
「それより、男性陣って何してるんですか? 昨日は部屋の清掃と調理なのは分かってましたけど」
また面倒くさそうなことになる雰囲気を察して舞は話題を変える。興味はなかったが延々と戸事の愚痴に付き合うくらいならどんな話題でもマシに感じていた。
「素潜りしてるわ」
「危なくないですか?」
しれっと言う辛。先日聞いた話では海の中はモンスターのホーム、人では太刀打ち出来ないのに当の本人達が挑むというのは如何なものか。
小首を傾げる舞は納得いかないと口を尖らせる。愛らしいその仕草に辛の目付きがいっそう怪しく、したがって戸事の目線も厳しいものとなったが、辛がその長い腕を伸ばし今朝までいた小屋のほうを指さして、
「一応金網で一帯を囲ってあるから。それに水中銃も持ってるから何かあっても逃げる時間稼ぎはできるはずよ」
「駄目だったら?」
「その時は3人で帰りましょうね」
躊躇いもなく見捨てるという発言は恐らく冗談である。
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