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貧者の水1
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ぱちりと目を覚ましすと、そこは灰色の洞窟だった。
……。
……?
寝起きの頭は労働を拒否して、身体もボイコットをする。かろうじて心臓と肺だけは能動的に動いているが、鉛を詰めたようなひどい倦怠感に瞼ですらその仕事を放棄し始め、いくらかひんやりとした岩肌をベッドに、かつてない解放感を味わいながら欲求に身体を預ける。
あぁそうか、と辛は得心する。先程の夢が続いているのか身につけるものは何も無く、それが当然であるかのように清々しい、裸で寝る習慣はなかったけれど、今後はナイトウェアを着たら煩わしさに目が覚めてしまうのではなかろうか。
絵もいえぬ開放感に身を浸し、つかの間のうたた寝にしけこむ。良い良い、と思わずこぼれる笑みに、それを邪魔する者がいた。
「おはようございます」
まさか声を掛けられると思っておらず、というよりもただ辛の現実が見えていないことが原因なのだが、ここは依然変わらずダンジョンの中で、全裸で寝ていていい場所ではない。余程の命知らずか自殺志願者出ない限りは。
それでもまだ魂が半分浮遊している彼女に、声をかけた少女、舞が微笑みかける。
「調子はどうですか?」
「ちょう……し……?」
生理とはまた違った気だるさの中、辛は上体を起こす。まだ恥じらうべきところに気付いておらず、色々とさらけ出したままだったが舞も気にはせず、後から振り返れば女同士で良かったと顔から火を吹いて後悔していたことだろうが、今はぼんやりと少女の顔を見続け、言葉の理解に努めていた。
調子、調子……体調。したことは無いが鉄人レース後の疲労感とはこのような感じだろうか、と1人物思いにふける。何もしたくない、何も考えたくない、ただ時の過ぎるに身を任せ、気が向いた時に食べ寝ていたい。日々知らずの間に積み重ねていた緊張は解れ、社会によって雁字搦めになっていた縛りが溶けていく、休暇に行く温泉よりも心身休まる現状に、身体の境界が霧散していく快楽が心地よい。
あぁ……自由だ……。
または野生とでも言うのだろうか。やらなければならないことを取っ払い、最低限の生存に心力を注ぐ。欲張らず、望まず、ただあるを楽しむ。未だ社会に染まらないどこぞの原生民族の、文明に触れず自然と共に生きるとはこのようなことなのだろうと、1人勝手に納得する。
が、しかしくだらない妄想に浸るなら今でなくてもいいだろう、そんなことを言いたそうな目つきの舞が見下ろしていた。
「お取り込み中悪いんだけどさ、鏡ないと説明難しいからとりあえず手を見てみてよ」
手を見ろと。何を言っているか分からないまま言葉に従う。ごく普通の、当たり前であるが、なんら変わり映えしない翠のゲルがそこにあった。いつも通り、それがなんだと――。
「――えっ、なにこれ。どうなってんの!?」
「身体は痛くない?」
「痛い痛くないとかそういう状況じゃ……痛くない」
だんだんと蘇ってくる記憶に混乱を極め、1周どころか3周くらい巡り巡って冷静になる、いや冷静になったように見せかけてその実、考えることを止めていただけであった。
たしか……。
直前の記憶はなんだっただろうか。ダンジョンに入り、罠にかかって、それから……。
ずきんと痛んだのはどこだっただろうか、全身くまなくしたたかに打ち付けて、感覚もおぼろげになって、それから……舞に助けられていた。1人ではなんら抵抗できなかった相手だというのに、ほとんど致命傷を負わせていたとはいえ、命の恩人であることは間違いない。そしてそれは今も変わらず、変わらず……。
「えっと……どういう状況?」
気が付けばあれだけぼろぼろになっていた身体は変色を通り越してペンキをぶちまけたように着色されている。かろうじて四肢の形はわかるが、メロン味の安っぽいゼリーになって力も入らない。
笑える。いや笑えない。笑えてたまるかと、辛は顔まで青くする。不思議と痛みや不調はないことがなおのこと不気味で、
「じゃあ汗を身体に引っ込める感じで力入れてみて。多分それで大丈夫なはずだから」
それは助言なのか、舞の告げた言葉に辛の口が半開きになる。どこの世界に一度噴き出した汗を身体にしまい戻せる人間がいるというのだろう、あまりにばかげた話に沸騰寸前だった頭が冷や水をかけられたようにおとなしくなる。
出来ない、出来やしない。大人をあまりからかうなと、可愛らしく上目遣いをする辛は嘲笑半分で手に力を込める。
……ほら見たことか。何も変わらないじゃないか……。
翠から肌色に変わった手を振る。意味の分からない助言に振り回されるほど若くないのだと、手を見て、
「……出来た」
出来ちゃった、どうしよう。
ダンジョンに入る前と変わらない、いや幾分かハリ艶がよくなったような気のする手をまじまじと見る。長く、よく長物を振り回している割には整った指は自慢の1つであり、瑕疵などあれば世界中の美への冒涜であるが、新品の工芸品のような光沢すら放っていた。
「……いったい何が起こったの?」
「簡単に言うならスライム、それも強酸バブルになっちゃった」
「……は?」
……。
……?
寝起きの頭は労働を拒否して、身体もボイコットをする。かろうじて心臓と肺だけは能動的に動いているが、鉛を詰めたようなひどい倦怠感に瞼ですらその仕事を放棄し始め、いくらかひんやりとした岩肌をベッドに、かつてない解放感を味わいながら欲求に身体を預ける。
あぁそうか、と辛は得心する。先程の夢が続いているのか身につけるものは何も無く、それが当然であるかのように清々しい、裸で寝る習慣はなかったけれど、今後はナイトウェアを着たら煩わしさに目が覚めてしまうのではなかろうか。
絵もいえぬ開放感に身を浸し、つかの間のうたた寝にしけこむ。良い良い、と思わずこぼれる笑みに、それを邪魔する者がいた。
「おはようございます」
まさか声を掛けられると思っておらず、というよりもただ辛の現実が見えていないことが原因なのだが、ここは依然変わらずダンジョンの中で、全裸で寝ていていい場所ではない。余程の命知らずか自殺志願者出ない限りは。
それでもまだ魂が半分浮遊している彼女に、声をかけた少女、舞が微笑みかける。
「調子はどうですか?」
「ちょう……し……?」
生理とはまた違った気だるさの中、辛は上体を起こす。まだ恥じらうべきところに気付いておらず、色々とさらけ出したままだったが舞も気にはせず、後から振り返れば女同士で良かったと顔から火を吹いて後悔していたことだろうが、今はぼんやりと少女の顔を見続け、言葉の理解に努めていた。
調子、調子……体調。したことは無いが鉄人レース後の疲労感とはこのような感じだろうか、と1人物思いにふける。何もしたくない、何も考えたくない、ただ時の過ぎるに身を任せ、気が向いた時に食べ寝ていたい。日々知らずの間に積み重ねていた緊張は解れ、社会によって雁字搦めになっていた縛りが溶けていく、休暇に行く温泉よりも心身休まる現状に、身体の境界が霧散していく快楽が心地よい。
あぁ……自由だ……。
または野生とでも言うのだろうか。やらなければならないことを取っ払い、最低限の生存に心力を注ぐ。欲張らず、望まず、ただあるを楽しむ。未だ社会に染まらないどこぞの原生民族の、文明に触れず自然と共に生きるとはこのようなことなのだろうと、1人勝手に納得する。
が、しかしくだらない妄想に浸るなら今でなくてもいいだろう、そんなことを言いたそうな目つきの舞が見下ろしていた。
「お取り込み中悪いんだけどさ、鏡ないと説明難しいからとりあえず手を見てみてよ」
手を見ろと。何を言っているか分からないまま言葉に従う。ごく普通の、当たり前であるが、なんら変わり映えしない翠のゲルがそこにあった。いつも通り、それがなんだと――。
「――えっ、なにこれ。どうなってんの!?」
「身体は痛くない?」
「痛い痛くないとかそういう状況じゃ……痛くない」
だんだんと蘇ってくる記憶に混乱を極め、1周どころか3周くらい巡り巡って冷静になる、いや冷静になったように見せかけてその実、考えることを止めていただけであった。
たしか……。
直前の記憶はなんだっただろうか。ダンジョンに入り、罠にかかって、それから……。
ずきんと痛んだのはどこだっただろうか、全身くまなくしたたかに打ち付けて、感覚もおぼろげになって、それから……舞に助けられていた。1人ではなんら抵抗できなかった相手だというのに、ほとんど致命傷を負わせていたとはいえ、命の恩人であることは間違いない。そしてそれは今も変わらず、変わらず……。
「えっと……どういう状況?」
気が付けばあれだけぼろぼろになっていた身体は変色を通り越してペンキをぶちまけたように着色されている。かろうじて四肢の形はわかるが、メロン味の安っぽいゼリーになって力も入らない。
笑える。いや笑えない。笑えてたまるかと、辛は顔まで青くする。不思議と痛みや不調はないことがなおのこと不気味で、
「じゃあ汗を身体に引っ込める感じで力入れてみて。多分それで大丈夫なはずだから」
それは助言なのか、舞の告げた言葉に辛の口が半開きになる。どこの世界に一度噴き出した汗を身体にしまい戻せる人間がいるというのだろう、あまりにばかげた話に沸騰寸前だった頭が冷や水をかけられたようにおとなしくなる。
出来ない、出来やしない。大人をあまりからかうなと、可愛らしく上目遣いをする辛は嘲笑半分で手に力を込める。
……ほら見たことか。何も変わらないじゃないか……。
翠から肌色に変わった手を振る。意味の分からない助言に振り回されるほど若くないのだと、手を見て、
「……出来た」
出来ちゃった、どうしよう。
ダンジョンに入る前と変わらない、いや幾分かハリ艶がよくなったような気のする手をまじまじと見る。長く、よく長物を振り回している割には整った指は自慢の1つであり、瑕疵などあれば世界中の美への冒涜であるが、新品の工芸品のような光沢すら放っていた。
「……いったい何が起こったの?」
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「……は?」
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