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ダンジョン攻略2

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「駄目だ」
 開口一番、六波羅は言い切った。
 肉達磨の偉丈夫は岩のように頑として動かない姿勢をとる。忙しなく動く指は丸々と太った芋虫のようで、顔は冷静の奥に滾る炎が漏れ出ている。
 人事部から真っ直ぐ六波羅のいる部屋へ向かった舞は、扉を開けた直後何かを口にする前に告げられていた。
 バリトンの低く痺れる声に棒立ちになる。呆気に取られて抜けていく魂を押し込み戻し、くるりとした目を瞬かせて、
「なんでですか?」
「なんでって……遊びじゃねえんだぞ」 
「わかってます。だから真剣にお願いしているんです、同行させてください」
「だから駄目だ」
 下げた頭の上を否定が真っ直ぐ通り過ぎる。
 野郎……。
 緊急会議で決まったことだからといって見殺しにするつもりの六波羅に腹が立つ。12のB、千葉県船橋市の山の方にあるダンジョンへはこの会社から行くのが1番近かった。他所からいつ来るか分からないヘルプを待つよりも今は動く時だと言うのに弱気な大男は、動くつもりはないと言って椅子に座っていた。
 舞は足音をたてて前に行く。机の目の前に立ち、無言の圧をかけると、
「俺からもお願いします。行方不明になってもう2時間、デッドラインを超えているんです」
 横に新堂が並んでいた。
 他部署2人から見つめられ、それでも六波羅は首を縦には振らない。
「……諦めろ」
「諦める理由がありません。なら1人でも行きます」
「首にするぞ」
「どうぞご勝手に。その小さな椅子でも温めて待っててください」
 捨て台詞を吐いて舞は反転する。新堂へ伸ばしかけた手を引っ込めて、扉に手をかけた。
 その後ろから声がする。
「……勝算は?」
 六波羅が聞く。
 舞は身体を翻し、にんまりと笑う。姿勢を正し、大きく息を吸って、
「ないです。だからその分は努力と何かしらで補います」
 ……完全に無いわけじゃないんだけどね。
 あまりに不確定な作戦を除くと策などない。それを舞は自信を持って口にする。
 勇み足が過ぎたとわかったのはこの部屋の扉を開いてからだった。どうして遭難したのか、何階層ではぐれたのか、その時の敵はどんなモンスターだったのか。何1つ知らないまま舞はここに立っていた。
「……ひとつ聞きたい。貧者の水とはなんだ?」
 低音の声が轟く。呆れたように腕を組む六波羅は眉を寄せ目を閉じ、それを聞くまでは動かないと意志を示していた。
 ……んー?
 悩む。悩みに悩んで、首が90度曲がる。麒麟ほど長ければ一周していただろうだけの時間をかけて、
「地球の記憶。そんなくだらないこと聞く時間があるなら協力してください」
 誰も知りえなかったことを路傍の石のように告げていた。



 ダンジョンの命名には規則がある。数字とアルファベットの組み合わせであり、ただの社内ルールのため外で使っても伝わることはない。47都道府県を北から数値化した県コードとその県での発見順にABCが振り分けられていく。
 つまり12のBとは千葉県で2番目に発見されたダンジョンということだ。国内でも早い方に出来たダンジョンは完熟期になりしばらくの時間が経過しているため、危険度はかなり高い。
 ダンジョンワーカーでも定期的にアタックしているが、20階層辺りでその歩みを止めていた。中層域まで掃討していればモンスターが外に溢れることは少ないことと、周囲が山で囲われているため優先度が低いことが影響していた。
 ダンジョンはその地域毎に特色を残す。山の中なら獣系のモンスター、水辺が近ければダンジョン内にも水辺があり、水棲モンスターが多く出る。ダンジョンワーカーが抱えるダンジョンも山系が多く、ノウハウは多分に蓄えられていた。
 だと言うのに、
「……参ったね」
 辛は岩壁にもたれ掛かり独りごちる。
 姿は砂埃にまみれ、愛用の武器は1本が真ん中からへし折れて地面に転がっている。もう1本は包帯でぐるぐると巻かれた足の添え木代わりに使われていた。
 ……ぬかったなぁ。
 軽いため息をついて上を見れば、開いていたはずの穴はいつの間にかに無くなっていて、さらさらとした砂が垂れるのみ。どのくらい落ちてきたのか皆目見当もつかないが、数階では効かないだろう。
 油断や驕りはなかった。ただただ運が悪かった。いつものようにモンスターを掃討していた時、一緒にいた新人が罠にかかっただけ。ただそれだけだった。突然視界から消えた新人の子の飲まれゆく腕を掴み、踏ん張りきれずに共倒れ、そのまま流砂に流され真っ暗闇から解放された時には着地のことを忘れ利き足が嫌な音を立てていた。
 ……大丈夫かな、皆は。
 落下する直前を思い出して、辛はため息をつく。Y字の三叉路さんさろ、その前方両方からモンスターが押し寄せていた。強いモンスターはいないように見えたが急に前衛が2人減っては苦労するだろう。 
「すみません」
 思考の海に入っていた辛は、横から響く声に顔を上げる。
 そこにいたのは先に落ちた新人だ。同じく砂埃を服にまとわりつかせ、汗とモンスターの血潮の匂いを振りまいている。
 辛はその、男らしさとも言える匂いに顔1つしかめず、ただ母のように微笑む。
「気にしない、気にしない。先に予測しろって方が無理だから」
 事故、あれは事故だった。だから避けようもないし、ここから助かる見込みもない。
 あれからどれだけ時間が経っただろうか。ダンジョン特有の夏日のようなじめじめとした熱さと痛みの脂汗が額を照らす。非常用に持っていた痛み止めの薬はようやく効き始め、ねずみがかじり続けているような痛みは徐々に治まりを見せていた。
 代わりに浮かんでくるのは焦りだ。まだ生きていることはなんら希望ではなく、ただいたずらに苦痛の時間を引き延ばしているだけなのだろうか。張りぼての期待は打ち砕かれたときにより深い絶望へと変わる。自分だけならいい、だが新人はどうか。落ちてから今のところモンスターに出会っていないが、お荷物を抱えたまま戦えるかは不明だ。
 思考が悪循環を繰り返し、深く深く闇に堕ちていく。もしくはそれがダンジョンの狙いなのか。群れからはぐれ、怯えた仔羊ほど狩りやすい獲物などないのだから。
「どうしたもんかね」
 1人ごちる。答えは虚空に消え残響すらもない。
 辛は冷静に、冷静に見えるよう算段を弾く。このままの状況がいつまで続くかわからない。否、いつまでも続かないだろう。初冬の薄氷の上を歩いている今、最も生き残りに近い方法とは、
「1人で地上まで行けるかい?」
 自分を置いて五体満足の新人1人を外に逃がすことだった。
 無事地上にたどり着くことが出来たなら、逆を辿って助けが来る。そうでなくとも1人は助かる。いつ救助隊が結成されるかもわからない状況で、座して待つだけということがどれだけ愚かであるか、考えなくともわかることだ。
 だがこの作戦には欠点もある。それは、
「現在地もわからないのに? それに僕は仲間を見捨てたりしません」
 作戦の実行役が賛同するかどうかということだ。
 そうだよねぇ……。
 ダンジョンに慣れている面子メンツなら頷いたであろう。若しくはもっといい策を思いつくこともあった。しかし彼はまだ今年入社したばかり、危機的状況に陥ったことすらない。ないように立ち回っているのだから当然だ。
 それが今は命取りだった。数あるリスクの先にしか生存の目がないのならば、何かしら危険という炎に自らの身を投げ込まなければならない。1人で帰るという精神的孤独を埋めるために、足手まといと一緒にいることを選ぶ、最悪の悪手を彼は選択してしまった。
 そしてまた、辛もそれ以上口を開けずにいた。
 ……見捨てない、か。
 本当だろうか。本当であってほしい。こんなところに1人で置いていかれ、そこら辺の雑魚に蹂躙じゅうりんされてしまうなら、誰かと一緒にいたいと考えるのは当然だ。辛もまた、自分の弱さに心が負けていた。
 せめてこの子だけでも……。
 女だからと言って守られるだけではしゃくさわる。先輩であり経験者である、その薄っぺらい経験だけが痛みに震える足を奮い立たせていた。
「さて……そろそろ動くか」
「駄目ですよ、悪化します」
「かと言って助けなんか来ないよ。自力で脱出するしかない――待って」
 制止、唇に指を当て息をひそめる。
 心臓の鼓動が耳朶じだを叩くほどの静寂にも、かすかな物音は存在している。それは衣擦れの音であり、風の通る囁きであり、そして正体不明の何かの存在を知らしめるものでもあった。
「……なんだと思う?」
「……常識的に考えれば餌を探す猛獣ですかね。希望的観測なら助けが来たかと」
「賭けるかい?」
「分が悪すぎですよ。肩貸します」
 そう言って男性は手を伸ばす。2人は背後の影から逃げるようにゆっくりと一本道を進んでいた。それが正解であると信じ、いや妄信して。
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