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幕間1

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 翌朝。
「ふあぁぁ……」
 それは大きなあくびから始まった。
 まだ陽が浅く昇る頃。白んだ空に朝刊を運ぶ原付バイクの音が叫びをあげる。厚手の遮光カーテンに囲われた部屋は深夜のようにまだ暗い。
 ……ん。
 薄く目を開け、また閉じる。今が何時か分からないが、いつもより早く起きたことへ損をしたと不貞腐れながら眠りに戻る。
 ベッドにしては硬いマットに顔を擦りつけ、浅く息を吐く。まだ酔いの残る頭は夢見心地の微睡みには勝てずにいた。
 ……昨日は、ずいぶん飲んだな……。
 ストレスによるものだろうか、とぼんやりと振り返る。滅多に自棄酒なんてしないが余程のことがあったのだろう。
 あれはなにが原因だったか。いつものように舞に振り回されて、それから六波羅部長と――。
 ……あっ。
 呼び起こされる記憶に押されるように、新堂は目を見開いて起き上がる。昨日は飲み会で、薬師寺が来たところまでは覚えているがその先は霞みがかってよく見えない。
 ……てか、ここどこだ!?
 路上でないことが救いだ。首を振り回し見てみるが暗く、ぼんやりと輪郭を映すだけ。着衣は皺がついているくらいで大きな乱れはなかった。
 コツコツと音を立てながら手探りで周囲を確認する。ベッドだと思っていたのはただのソファーで、近くにテーブルがある。手の届く範囲には他に何もないようだ。
 時間が経つにつれ焦りが生まれる。そもそも今何時なのかすら分からない。
 ……そうだ!
 文明の利器、今では手放せなくなったスマホを探す。何処だと手でまさぐるとテーブルの上にある硬く平たいものに触れていた。
 慣れた手つきでそれを掴み、すぐに戻す。リモコンじゃねぇか。酷く落胆して捜索を再開する。
 その時だった。
「――んぁ。ふう……何騒いでんのぉ」
「舞!」
「……うるさ。今何時だと思ってんのよー」
 間延びした声が闇の中から響く。緊張感のない寝起きの声だ。
「そんな場合じゃないだろ。ここはどこなんだ!」
「……うち」
「うち……ってなんだ」
「だからぁ……私の家」
 ……うん。
 舞の言葉を噛み砕き、飲み込む。たっぷりの時間をかけて理解した後、新堂は糸が切れたようにソファーに倒れ込んだ。
 なんだ、良かった……か?
 腑に落ちない何かを感じているとパチと音が鳴った直後、天井に吊るされた蛍光灯に光が灯る。
 視界が白に染まり、眩しさのあまり手で覆う。1分足らずの時間を置いて目を薄らと開けると、
「ありがと」
「どーいたしまして」
 気のない返事をする部屋の主を見る。
 ……はい?
 形容に困る。端的に言うなら下着姿の舞がそこにいた。
 桃色のタンクトップと、同じ色のショーツ姿。眠たげに瞼を擦る彼女は部屋の隅にあるダンボール箱の中に入っていった。
 情報の過多に殴られ言葉を失う。真っ白に飛んだ頭が1つ1つ整理を始め、再起動した後に、
「……俺、やらかした?」
 まずそれを確認せよと司令を出していた。
 ダンボール箱の中は見えず、ただ、
「んー、そうだよ」
 無慈悲な言葉だけが飛んで、新堂の胸に突き刺さる。
 まさか、そんなはずは無い。だって相手は舞だぞ。いくらご無沙汰だったからと言ってあんなちんちくりんに手を出すか普通!
 しかし否定しようにも肝心の記憶がない。被害者? がうんと言っている以上、ありえないと跳ね除けるほど人間終わっていなかった。
 責任という言葉が両肩に重くのしかかる。同じ職場の仲間、今後否が応でも顔を付け合わせることを考えると禍根を残すようなことは出来ない。新堂が慎重に言葉を選んでいると、先にダンボールが話す。
「だから皆には謝っときなよー。特に辛さん、心配してたから」
「お、おう……いやお前にも」
「私はいいよ。慣れてるから」
「慣れてるのか!?」
 怒鳴るように声を上げる。最近の若い子は進んでいるというが退廃的すぎるだろう。
 人として注意をと考え、いや無理だと首を振る。加害者の1人が何を言うんだ。恥を知れ、恥を。
「舞、そんなところに居ないでこっちに来いよ」
 とりあえず彼女の顔が見たくて声をかける。それとも顔も見たくないという意思表示なのか。だからといってダンボールに入るというのはどうなんだろう。
「やだ、眠い」
 しかし無下にされる。その短い言葉が新堂の心をズタズタに引き裂いた。
 なんて駄目な大人なんだろう。いっそのことこのまま去勢してしまおうか。そう考えながら膝を抱える新堂は、軋むソファーの音に顔を上げる。
「……なによ」
「舞……」
「うわ、泣いてんの? 気持ち悪い」
「どうせ気持ち悪い大人だもん」
 瞳を潤ませる新堂に舞はため息を漏らす。そしてソファーに座りながら煙草を咥えて、
「まったく、そんなに飲み会でやらかした事がショックならお酒なんか飲まなきゃいいのに」
「ごめん……飲み会?」
 ……ん?
 僅かな引っかかりを覚えて涙を引っ込める。
 何か、重大な勘違いをしているのではないか。恐ろしくとも確認せずにはいられなかった。
「俺、何したの?」
「何したって、酔っ払って散々騒いだ挙句寝ちゃっただけだけど。それからタクシーに乗せて部屋についたらソファーでまた爆睡。ほんとよく寝るわね」
「……それだけ?」
「それだけって……十分でしょ、まだ何かしたかったの?」
 問われ、新堂は首を横に振る。
 あれ……ということは俺は舞を襲ってない?
 睡眠、また睡眠。彼女の証言はそれだけだ。恥ずべきことだから言葉を濁している可能性もあるが少女の顔にそんな憂いは浮かんでいなかった。
 いやまだだ。楽観的、逃避的に考えているだけかもしれないと口を開く。
「なんで下着姿なんだ?」
「なんでって、家で寝る時は裸の方が落ち着くから。ダンジョンに2年もいるとね、着てたものなんかボロボロになるしいつ襲われるか分からないから狭いところのほうが好都合で。その名残りなんだよね」
 だからうちに布団ないのと彼女は言う。
 なるほど……。
 なるほどなるほどと頷く。全てが繋がり、新堂は微笑む。
 そして、
「――紛らわしいことしてんじゃねえ!」
 全身全霊の怒りを拳に乗せて舞の頭を殴りつけるが、ひょいとかわされる。煙草に火をつけた彼女にはそれくらい容易いことだった。
「え、何いきなり。怖いんだけど」
「他人がいる時くらい服着ろよ!」
「だから配慮して下着は来てるでしょ!」
「それじゃ変な想像するだろ!」
「……変な想像ってなによ?」
 問われ言葉に詰まる。
 ……言えるかそんなこと。
 酔った勢いで襲ったと思っていましたなんて、口が裂けても言えない。新堂は床に転がる鞄から煙草を取り出して、舞の顔を見ないように火をつける。
 ……ふう。
 並んで座る2人は揃えて煙を吐く。
「……変態」
 ……分かってんなら言うなよ。
 ぽつりと呟いた舞の声は煙とともに消えていく。新堂の尊厳も一緒に連れていった。
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