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飲み会1
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午後6時。
まだ夕方の赤い太陽が空を染める時間、京成線の金町駅には人の姿が多くあった。
常磐線との乗り換えがあるため往来は絶えず、それに伴って駅前には多くの店が並んでいる。
その一角、雑居ビルが立ち並ぶ、いわゆる飲み屋街にその店はあった。
両脇をそびえ立つビルに挟まれた店舗は、こじんまりとした個人店でよく言えば年季が入っている、悪く言えば小汚い印象を与えていた。
『小料理 さくら』と書かれた暖簾は元の白が想像できないほど薄汚れており、斜向かいに立つ新しいチェーンの居酒屋とは比べることも烏滸がましい。しかし換気のために開け放たれた小窓から流れる焼き台の煙の香りは、通りすがるサラリーマンの胃袋をこれでもかと刺激する。
下町をかきたてるような店構えに、同じ時代を生きた人が通ぶってこういうのでいいんだよ、と言って誘われる。そんな一定の需要を満たしてその店は健在していた。
外見同様、店内も相応だ。漆喰の壁は油はねで木の柱と色の違いがわからず、元々は白い半紙で書かれたメニューも黄ばんでいる。間隔狭く置かれたテーブルには醤油差しがあり、出口には塩が固まっていた。こういうのでいいんだよおじさんは歓喜するだろう。
席は4人がひしめき合って座らざるを得ないテーブルだけでなく、入口から見て奥に小上がりがあり、そこに掘りごたつと6人がけのテーブルが2つ用意されている。
まだ混み合う前の時間、常連の飲兵衛が管を巻く中、小上がりの席に座る団体がいた。
公益財団法人ダンジョンワーカーの面々である。人事部の3人が下座に並び、実働1部の部長が上座を占領する。鍛えあげられた六波羅の巨躯はそれでも窮屈そうにしていた。
席に座るなり店員がおしぼりを持ってやってくる。齢60をとおに越えた顔つきながら背筋は伸びてハキハキと注文を取る姿は、長年の経験を感じさせていた。
最初は何にしますか? と居酒屋特有の注文の取り方にいち早く返答したのは舞だった。
「あ、私飲めないんで。烏龍茶で」
「はぁ? 自分で誘っておいてそれはないだろ」
「体質なんですぅ。甘酒で吐くんだぞ私は」
人を挟んで言い争う2人を放っておいて、辛は紹興酒のお湯割りと生中を頼んでいた。
「六波羅部長は何にします?」
「……ウィスキーダブルをストレートで」
話を振られた六波羅は居心地悪そうに注文を口にする。
……はぁ。
どうしてこうなっているのか。ここに来るまで何度も自問したことを性懲りもなく再度繰り返す。
我ながら女々しいと思っていた。子供のころから図体ばかり大きくて、内心を言わずとも表情だけで相手が勝手によくしてくれる。そんなぬるま湯に馴れきったせいでちゃんとした話し方すら忘れていた。
思い返してみれば、先輩からも意思表示をしっかりしろと言われていた。彼くらいだ、自分に忖度なく𠮟っていたのは。
もう5年も会っていない人を思い出し、胸奥で嘆息する。ひとつ、またひとつと手から命がこぼれ落ちるたびにこの仕事が向いていないことを自覚させられていた。
全部、自分のせいだ。人と話すことを怠り、本心を隠し、そのせいで心労を溜めていく。部長なんて立場のせいで一向に改善せず、より深い泥に沈んでいくようだ。足掻いて這い上がる努力もせず、ただ流されていく、そんな自分が女々しくないはずがない。
「おまたせしました」
老女がオーダーの品をそれぞれの前に置いていく。形だけの乾杯の後六波羅はグラスに口をつける。いつからだろうか、どれだけ強い酒を飲んでも、浴びるほど飲んでも酔えなくなってしまったのは。近頃では口にするものも砂のように味気ない。
「甘酒ってアルコール入ってたか?」
ホワイトカラーらしく、一息でジョッキを半分飲み干した新堂が話をぶり返していた。
「材料によって変わるよ。酒粕なら入ってるけど米麹から作るやつなら入ってない感じで」
「そうなんです?」
「うん。でもそこまで弱いなら飲まないに越したことはないけどね」
意外な博識を見せる辛にへぇと、舞が感心したように頷く。
……はぁ。
いつの間にか届いていたお通しに箸をつける少女を眺め、六波羅はため息をつく。
人事部に新人が入ったことは知っていた。しかしその人物がどのような人柄なのかは知らなかった。知る必要もなかった。
それがまさか先輩と関係のある人だなんて、思いつくはずもない。それに、
……似ている、な。
体格等ではなく、その性格が。何事にも物怖じせず、間違ったことは間違いだと自他ともに強要する。絶対的な自信が運を呼び、どんな障害も跨ぐように超えていく。
先輩、薬師丸とはそういう人間だ。舞を見ているとその影がどうしてもちらついて頭から離れない。
……苦手だ。
少女を見て六波羅はそう考える。彼女のまっすぐな言葉を聞くと、身体が途端に動かなくなる。もはや恐怖と言ってもいい。
3人はとりとめのない話、駅前の総菜屋の弁当が上げ底しているだとか近頃家の近くに変なおじさんが現れるなどで華を咲かせている。かと思えば急に両端が煙草を吸い始め、間にいる辛は煙そうに眉を寄せていた。
まったくの自然体の飲み会に、1人強張っているのが馬鹿らしくなるほどだ。ある程度の立場になると肩肘張らずに飲む機会も少なくなり、こういう会への参加の仕方を忘れていた。
「部長、次も同じのにしますか?」
不意に、新堂から声を掛けられる。彼は一瞬だけ目線をグラスに向けてからまだぎこちない笑顔を見せていた。
「あぁ……」
「すみません、ウィスキー1つ」
「あ、それとビールも」
新堂に被せるように舞が追加を入れる。オーダーが通り1拍置いてから、
「……おい、飲めないんじゃなかったのかよ」
新堂が思い出したことを口にする。
確かにそう言っていたなと六波羅も頷く。飲みたくなったのならそれで構わないが、弱いことを自覚しているならやめて欲しい。市街地で倒れられては評判に響き、この場で1番立場のある自分が責任を追及されるからだ。
ダンジョンでいくら人が死のうがろくに取り上げない癖に、ハラスメントだけは声高に叫ばれるというのもおかしな話だけれど、昨今では役職付きは皆ハラスメント教習を受けなければならないほど世の関心は高い。これ以上評判を下げる真似は得策ではなかった。
頼んだ当の本人は薄く微笑み、いつの間にか手にしていたスマホを置く。そして、
「ゲスト呼んだのよ」
気軽に言う彼女に、皆開いた口を閉じ忘れていた。
ゲスト。誰だろうかと想像する。1番候補に上がるのは人事部長の狂島だが、その顔を思い浮かべて即座に掻き消す。あれは来ない、関係他社への報告会の後の懇親会ですら予定があるので、と1度も顔を出さない人間がこんな場所に来るはずがなかった。
なら他にいただろうか、なんて悠長に構えている余裕は直後に打ち砕かれる。
「会社の飲み会だぞ。勝手なことすんな」
言っても無駄のような注意を新堂がした時だった。
「――すまんな、勝手に呼ばれてきたぜ」
まだ夕方の赤い太陽が空を染める時間、京成線の金町駅には人の姿が多くあった。
常磐線との乗り換えがあるため往来は絶えず、それに伴って駅前には多くの店が並んでいる。
その一角、雑居ビルが立ち並ぶ、いわゆる飲み屋街にその店はあった。
両脇をそびえ立つビルに挟まれた店舗は、こじんまりとした個人店でよく言えば年季が入っている、悪く言えば小汚い印象を与えていた。
『小料理 さくら』と書かれた暖簾は元の白が想像できないほど薄汚れており、斜向かいに立つ新しいチェーンの居酒屋とは比べることも烏滸がましい。しかし換気のために開け放たれた小窓から流れる焼き台の煙の香りは、通りすがるサラリーマンの胃袋をこれでもかと刺激する。
下町をかきたてるような店構えに、同じ時代を生きた人が通ぶってこういうのでいいんだよ、と言って誘われる。そんな一定の需要を満たしてその店は健在していた。
外見同様、店内も相応だ。漆喰の壁は油はねで木の柱と色の違いがわからず、元々は白い半紙で書かれたメニューも黄ばんでいる。間隔狭く置かれたテーブルには醤油差しがあり、出口には塩が固まっていた。こういうのでいいんだよおじさんは歓喜するだろう。
席は4人がひしめき合って座らざるを得ないテーブルだけでなく、入口から見て奥に小上がりがあり、そこに掘りごたつと6人がけのテーブルが2つ用意されている。
まだ混み合う前の時間、常連の飲兵衛が管を巻く中、小上がりの席に座る団体がいた。
公益財団法人ダンジョンワーカーの面々である。人事部の3人が下座に並び、実働1部の部長が上座を占領する。鍛えあげられた六波羅の巨躯はそれでも窮屈そうにしていた。
席に座るなり店員がおしぼりを持ってやってくる。齢60をとおに越えた顔つきながら背筋は伸びてハキハキと注文を取る姿は、長年の経験を感じさせていた。
最初は何にしますか? と居酒屋特有の注文の取り方にいち早く返答したのは舞だった。
「あ、私飲めないんで。烏龍茶で」
「はぁ? 自分で誘っておいてそれはないだろ」
「体質なんですぅ。甘酒で吐くんだぞ私は」
人を挟んで言い争う2人を放っておいて、辛は紹興酒のお湯割りと生中を頼んでいた。
「六波羅部長は何にします?」
「……ウィスキーダブルをストレートで」
話を振られた六波羅は居心地悪そうに注文を口にする。
……はぁ。
どうしてこうなっているのか。ここに来るまで何度も自問したことを性懲りもなく再度繰り返す。
我ながら女々しいと思っていた。子供のころから図体ばかり大きくて、内心を言わずとも表情だけで相手が勝手によくしてくれる。そんなぬるま湯に馴れきったせいでちゃんとした話し方すら忘れていた。
思い返してみれば、先輩からも意思表示をしっかりしろと言われていた。彼くらいだ、自分に忖度なく𠮟っていたのは。
もう5年も会っていない人を思い出し、胸奥で嘆息する。ひとつ、またひとつと手から命がこぼれ落ちるたびにこの仕事が向いていないことを自覚させられていた。
全部、自分のせいだ。人と話すことを怠り、本心を隠し、そのせいで心労を溜めていく。部長なんて立場のせいで一向に改善せず、より深い泥に沈んでいくようだ。足掻いて這い上がる努力もせず、ただ流されていく、そんな自分が女々しくないはずがない。
「おまたせしました」
老女がオーダーの品をそれぞれの前に置いていく。形だけの乾杯の後六波羅はグラスに口をつける。いつからだろうか、どれだけ強い酒を飲んでも、浴びるほど飲んでも酔えなくなってしまったのは。近頃では口にするものも砂のように味気ない。
「甘酒ってアルコール入ってたか?」
ホワイトカラーらしく、一息でジョッキを半分飲み干した新堂が話をぶり返していた。
「材料によって変わるよ。酒粕なら入ってるけど米麹から作るやつなら入ってない感じで」
「そうなんです?」
「うん。でもそこまで弱いなら飲まないに越したことはないけどね」
意外な博識を見せる辛にへぇと、舞が感心したように頷く。
……はぁ。
いつの間にか届いていたお通しに箸をつける少女を眺め、六波羅はため息をつく。
人事部に新人が入ったことは知っていた。しかしその人物がどのような人柄なのかは知らなかった。知る必要もなかった。
それがまさか先輩と関係のある人だなんて、思いつくはずもない。それに、
……似ている、な。
体格等ではなく、その性格が。何事にも物怖じせず、間違ったことは間違いだと自他ともに強要する。絶対的な自信が運を呼び、どんな障害も跨ぐように超えていく。
先輩、薬師丸とはそういう人間だ。舞を見ているとその影がどうしてもちらついて頭から離れない。
……苦手だ。
少女を見て六波羅はそう考える。彼女のまっすぐな言葉を聞くと、身体が途端に動かなくなる。もはや恐怖と言ってもいい。
3人はとりとめのない話、駅前の総菜屋の弁当が上げ底しているだとか近頃家の近くに変なおじさんが現れるなどで華を咲かせている。かと思えば急に両端が煙草を吸い始め、間にいる辛は煙そうに眉を寄せていた。
まったくの自然体の飲み会に、1人強張っているのが馬鹿らしくなるほどだ。ある程度の立場になると肩肘張らずに飲む機会も少なくなり、こういう会への参加の仕方を忘れていた。
「部長、次も同じのにしますか?」
不意に、新堂から声を掛けられる。彼は一瞬だけ目線をグラスに向けてからまだぎこちない笑顔を見せていた。
「あぁ……」
「すみません、ウィスキー1つ」
「あ、それとビールも」
新堂に被せるように舞が追加を入れる。オーダーが通り1拍置いてから、
「……おい、飲めないんじゃなかったのかよ」
新堂が思い出したことを口にする。
確かにそう言っていたなと六波羅も頷く。飲みたくなったのならそれで構わないが、弱いことを自覚しているならやめて欲しい。市街地で倒れられては評判に響き、この場で1番立場のある自分が責任を追及されるからだ。
ダンジョンでいくら人が死のうがろくに取り上げない癖に、ハラスメントだけは声高に叫ばれるというのもおかしな話だけれど、昨今では役職付きは皆ハラスメント教習を受けなければならないほど世の関心は高い。これ以上評判を下げる真似は得策ではなかった。
頼んだ当の本人は薄く微笑み、いつの間にか手にしていたスマホを置く。そして、
「ゲスト呼んだのよ」
気軽に言う彼女に、皆開いた口を閉じ忘れていた。
ゲスト。誰だろうかと想像する。1番候補に上がるのは人事部長の狂島だが、その顔を思い浮かべて即座に掻き消す。あれは来ない、関係他社への報告会の後の懇親会ですら予定があるので、と1度も顔を出さない人間がこんな場所に来るはずがなかった。
なら他にいただろうか、なんて悠長に構えている余裕は直後に打ち砕かれる。
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