上 下
1 / 82

しおりを挟む
「だああー!」

 つるりと磨かれた岩肌で四方を囲われた洞窟を夜巡よめぐり まいは一人走っていた。
 人一倍小さな足を目いっぱい動かし地面を蹴り、進む。ドタドタと忙しない足音が反響し、等間隔に並ぶ松明の灯りは陽炎のように揺らぐ。その僅かな灯りでは先が見通せず、深淵しんえんへといざなうかのように暗い。
 途中、意地の悪い幾つもの分かれ道が行く手をはばんでいた。それを手持ちのメモに目を落としながら軽快とは程遠い足取りで少女は走破そうはする。
 ……右、右、左、下……下!?
 メモをしわくちゃになるまで握りしめて前を向く。そこには道案内のとおり直線の通路の真ん中にぽっかりと空いた穴があった。
 止まれ。前へ前へとく足をくいのように地面に突き立てブレーキを掛ける。勢い余って前のめりになる上半身を両手を風車のごとく回してこらえると、真っ暗な奈落の底の手前でゆっくりと静止する。
 傾いた身体を真っ直ぐに戻し、僅かな静寂の中でほっと一息つく。つま先から蹴り落ちた小石が斜面を伝って穴に吸い込まれていくが、転がる音は小さくなるばかりで終点の音は聞こえない。
 ……ここかぁ。
 落ちたら二度とい上がれないような暗闇に舞は引きつった苦笑いを浮かべていた。目的地にたどり着く為にはここを降りなければならないが、はたして降りた先で無事でいられるかも分からない。
 無理でしたと泣き言の1つも言いたい気分だが状況はそれを許してはくれない。先程から聞こえている背後からの騒音は徐々に大きく、彼女を追い詰めていた。
 躊躇ちゅうちょしている時間はあまりない。無数の足音が舞の来た道から手ぐすねを引くように攻め立てている。
 ……ええい、南無三なむさん
 意を決して舞は1歩踏み出した。
 跳ねて穴に落ちていく。滑り台のようになだらかな斜面を風を切って進むと視線の先に小さな白い点が見えていた。
 灯りだ。徐々に大きくなるそれが終点を示している。舞は予想できる最悪の事態に備えて身体を丸めていた。
 ……性悪しょうわるっ!
 一瞬視界が白に染まる。案の定空中に放り出された舞は迫る地面に対して両足で着地、そのまま前転を2回して、
 ……いったぁ。
 硬い岩に擦り付け、声高に痛みを叫ぶ肩や腰を労わるように擦る。全身砂埃にまみれ顔には吹き出した汗で貼り付いた髪が妖艶に乱れていた。しかしまだ生きている、動ける。天井にぽっかりと開いた穴を恨めしそうににらみながら舞は立ち上がる。
 後続が来る気配はない。耳をすませてしばらく確認していたがそれを確信するとまたメモを見る。
 目的地は……すぐそこね。
 行先を確認し、くしゃくしゃになった紙を丁寧ていねいに折りたたむ。腰につけたバックからクリアファイルを取り出してしまいこむと先程までの痛みを忘れたようにしっかりとした足取りで進んでいた。

 たどり着いたのは、石製の扉の前だった。
 平均より低い身長の舞だと見上げるほど高い扉には、ライオンのような動物をかたどった意匠いしょうが施されていた。左右にらみ合うように扉を守る彫刻は、さほど詳しくない舞の目にも精巧で価値のあるものに見えていた。
 しかし今は美術品を見学に来たわけではない。仕事のため、用事をこなすためにはこの扉の先に行かなければならなかった。
 宙を見て、舞は首を左右に振る。いくら探しても、扉を開けるドアノブのようなものは見当たらない。日本式の外開きではないとしても、押して開くような軽い扉にも見えない。
「すみませーん、ダンジョンワーカーの者ですがー」
 舞は拳を作り、ハンマーのように扉をたたく。ひんやりとした石は相応に硬く、打ち付けた箇所から悲鳴のような痛みが走る。
 ……。
 しばらく待っていたが反応はない。舞が思わず真顔になる程度には時間が経過した後、がりがりと耳障りな音を立ててゆっくりと扉が開いていた。
 扉に挟まれた隙間から漏れる一筋の光はその太さを増していく。その光を背負って一人の人物が立っていた。
 大きい。舞は彼を見てそう感想を抱く。人類の最高記録を優に超える身長は舞を二人積み上げてちょうどいいくらい。きりっとした目立ちに白の貫頭衣かんとういを身に着け、石の彫刻のように太くたくましい腕は青銅せいどう色がむき出しだ。右手には鋭い金の穂先が輝く、先端が二又に分かれたやりがプリズムのように光を反射させていた。
「――何用だ、赤き民よ」
 異形の男性は瞳だけを下に向けて喉を震わせる。何気ない言葉のはずなのに空気はビリビリと振動し威圧感があふれ出す。
 怖い。普段相手するクレーマーとは違った怖さが舞を襲う。このまま後ろを向いて走り出したい気持ちを抑えて、舞はバッグから封筒を取り出す。A4用紙が入る角2封筒だ。道中ついてしまったしわを丁寧に伸ばして、
「こちら、住民票申請書類になります! 必要事項を記入の上3か月以内の提出をお願いします!」
 斜め45度に腰を曲げ表彰状の如く封筒を両手で差し出していた。
 男性は聞こえていないのか様子を見ているのか、微動だにせず胸を上下させていた。舞は不審者を見つけた時の警察のような鋭い視線を後頭部に感じながら、この時間が早く終わることを祈っていた。
「――赤き民よ、おもてを上げよ」
 じんわりとにじんだ汗が大きなたまを作るほどの時間が経ってから、男性は感情のない無機質な声で語りかける。
 舞が姿勢を元に戻すと、男性は指先で器用に封筒を受け取る。手渡しなので封緘ふうかんしておらず、男性は中の書類を見るとペラペラと札束を数えるように確認していた。
 そして、
「そちらの文字はまだ読めんのだ。代読と代筆を願う」
「わかりました」
 返された書類を胸に抱え、舞は深く頷いていた。
 それともうひとつ。思い出したようにあっと言葉をこぼし、気恥ずかしげに頬を赤らめると、
「……すみません。仲間の人が来るまで匿ってもらえませんか?」
 客に対して不躾ぶしつけな要求をしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

溺愛されて育った夫が幼馴染と不倫してるのが分かり愛情がなくなる。さらに相手は妊娠したらしい。

window
恋愛
大恋愛の末に結婚したフレディ王太子殿下とジェシカ公爵令嬢だったがフレディ殿下が幼馴染のマリア伯爵令嬢と不倫をしました。結婚1年目で子供はまだいない。 夫婦の愛をつないできた絆には亀裂が生じるがお互いの両親の説得もあり離婚を思いとどまったジェシカ。しかし元の仲の良い夫婦に戻ることはできないと確信している。 そんな時相手のマリア令嬢が妊娠したことが分かり頭を悩ませていた。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

養子の妹が、私の許嫁を横取りしようとしてきます

ヘロディア
恋愛
養子である妹と折り合いが悪い貴族の娘。 彼女には許嫁がいた。彼とは何度かデートし、次第に、でも確実に惹かれていった彼女だったが、妹の野心はそれを許さない。 着実に彼に近づいていく妹に、圧倒される彼女はとうとう行き過ぎた二人の関係を見てしまう。 そこで、自分の全てをかけた挑戦をするのだった。

前世を思い出したのでクッキーを焼きました。〔ざまぁ〕

ラララキヲ
恋愛
 侯爵令嬢ルイーゼ・ロッチは第一王子ジャスティン・パルキアディオの婚約者だった。  しかしそれは義妹カミラがジャスティンと親しくなるまでの事。  カミラとジャスティンの仲が深まった事によりルイーゼの婚約は無くなった。  ショックからルイーゼは高熱を出して寝込んだ。  高熱に浮かされたルイーゼは夢を見る。  前世の夢を……  そして前世を思い出したルイーゼは暇になった時間でお菓子作りを始めた。前世で大好きだった味を楽しむ為に。  しかしそのクッキーすら義妹カミラは盗っていく。 「これはわたくしが作った物よ!」  そう言ってカミラはルイーゼの作ったクッキーを自分が作った物としてジャスティンに出した…………──  そして、ルイーゼは幸せになる。 〈※死人が出るのでR15に〉 〈※深く考えずに上辺だけサラッと読んでいただきたい話です(;^∀^)w〉 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げました。 ※女性向けHOTランキング14位入り、ありがとうございます!!

浮気されて黙っているわけがありません、婚約は解消します!

kieiku
恋愛
婚約者が他の女と仲良くしているところを見てしまったリシュリーナ。「ちょっと!どういうこと!?」その場で問い詰めると「心配することはないよ。君とは必ず結婚するんだから」なんていう。冗談じゃない、しっかり婚約破棄させていただきます!

3歳児にも劣る淑女(笑)

章槻雅希
恋愛
公爵令嬢は、第一王子から理不尽な言いがかりをつけられていた。 男爵家の庶子と懇ろになった王子はその醜態を学園内に晒し続けている。 その状況を打破したのは、僅か3歳の王女殿下だった。 カテゴリーは悩みましたが、一応5歳児と3歳児のほのぼのカップルがいるので恋愛ということで(;^ω^) ほんの思い付きの1場面的な小噺。 王女以外の固有名詞を無くしました。 元ネタをご存じの方にはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。 創作SNSでの、ジャンル外での配慮に欠けておりました。

妹が私こそ当主にふさわしいと言うので、婚約者を譲って、これからは自由に生きようと思います。

雲丹はち
恋愛
「ねえ、お父さま。お姉さまより私の方が伯爵家を継ぐのにふさわしいと思うの」 妹シエラが突然、食卓の席でそんなことを言い出した。 今まで家のため、亡くなった母のためと思い耐えてきたけれど、それももう限界だ。 私、クローディア・バローは自分のために新しい人生を切り拓こうと思います。

処理中です...