上 下
1 / 110

しおりを挟む
「だああー!」

 つるりと磨かれた岩肌で四方を囲われた洞窟を夜巡よめぐり まいは一人走っていた。
 人一倍小さな足を目いっぱい動かし地面を蹴り、進む。ドタドタと忙しない足音が反響し、等間隔に並ぶ松明の灯りは陽炎のように揺らぐ。その僅かな灯りでは先が見通せず、深淵しんえんへといざなうかのように暗い。
 途中、意地の悪い幾つもの分かれ道が行く手をはばんでいた。それを手持ちのメモに目を落としながら軽快とは程遠い足取りで少女は走破そうはする。
 ……右、右、左、下……下!?
 メモをしわくちゃになるまで握りしめて前を向く。そこには道案内のとおり直線の通路の真ん中にぽっかりと空いた穴があった。
 止まれ。前へ前へとく足をくいのように地面に突き立てブレーキを掛ける。勢い余って前のめりになる上半身を両手を風車のごとく回してこらえると、真っ暗な奈落の底の手前でゆっくりと静止する。
 傾いた身体を真っ直ぐに戻し、僅かな静寂の中でほっと一息つく。つま先から蹴り落ちた小石が斜面を伝って穴に吸い込まれていくが、転がる音は小さくなるばかりで終点の音は聞こえない。
 ……ここかぁ。
 落ちたら二度とい上がれないような暗闇に舞は引きつった苦笑いを浮かべていた。目的地にたどり着く為にはここを降りなければならないが、はたして降りた先で無事でいられるかも分からない。
 無理でしたと泣き言の1つも言いたい気分だが状況はそれを許してはくれない。先程から聞こえている背後からの騒音は徐々に大きく、彼女を追い詰めていた。
 躊躇ちゅうちょしている時間はあまりない。無数の足音が舞の来た道から手ぐすねを引くように攻め立てている。
 ……ええい、南無三なむさん
 意を決して舞は1歩踏み出した。
 跳ねて穴に落ちていく。滑り台のようになだらかな斜面を風を切って進むと視線の先に小さな白い点が見えていた。
 灯りだ。徐々に大きくなるそれが終点を示している。舞は予想できる最悪の事態に備えて身体を丸めていた。
 ……性悪しょうわるっ!
 一瞬視界が白に染まる。案の定空中に放り出された舞は迫る地面に対して両足で着地、そのまま前転を2回して、
 ……いったぁ。
 硬い岩に擦り付け、声高に痛みを叫ぶ肩や腰を労わるように擦る。全身砂埃にまみれ顔には吹き出した汗で貼り付いた髪が妖艶に乱れていた。しかしまだ生きている、動ける。天井にぽっかりと開いた穴を恨めしそうににらみながら舞は立ち上がる。
 後続が来る気配はない。耳をすませてしばらく確認していたがそれを確信するとまたメモを見る。
 目的地は……すぐそこね。
 行先を確認し、くしゃくしゃになった紙を丁寧ていねいに折りたたむ。腰につけたバックからクリアファイルを取り出してしまいこむと先程までの痛みを忘れたようにしっかりとした足取りで進んでいた。

 たどり着いたのは、石製の扉の前だった。
 平均より低い身長の舞だと見上げるほど高い扉には、ライオンのような動物をかたどった意匠いしょうが施されていた。左右にらみ合うように扉を守る彫刻は、さほど詳しくない舞の目にも精巧で価値のあるものに見えていた。
 しかし今は美術品を見学に来たわけではない。仕事のため、用事をこなすためにはこの扉の先に行かなければならなかった。
 宙を見て、舞は首を左右に振る。いくら探しても、扉を開けるドアノブのようなものは見当たらない。日本式の外開きではないとしても、押して開くような軽い扉にも見えない。
「すみませーん、ダンジョンワーカーの者ですがー」
 舞は拳を作り、ハンマーのように扉をたたく。ひんやりとした石は相応に硬く、打ち付けた箇所から悲鳴のような痛みが走る。
 ……。
 しばらく待っていたが反応はない。舞が思わず真顔になる程度には時間が経過した後、がりがりと耳障りな音を立ててゆっくりと扉が開いていた。
 扉に挟まれた隙間から漏れる一筋の光はその太さを増していく。その光を背負って一人の人物が立っていた。
 大きい。舞は彼を見てそう感想を抱く。人類の最高記録を優に超える身長は舞を二人積み上げてちょうどいいくらい。きりっとした目立ちに白の貫頭衣かんとういを身に着け、石の彫刻のように太くたくましい腕は青銅せいどう色がむき出しだ。右手には鋭い金の穂先が輝く、先端が二又に分かれたやりがプリズムのように光を反射させていた。
「――何用だ、赤き民よ」
 異形の男性は瞳だけを下に向けて喉を震わせる。何気ない言葉のはずなのに空気はビリビリと振動し威圧感があふれ出す。
 怖い。普段相手するクレーマーとは違った怖さが舞を襲う。このまま後ろを向いて走り出したい気持ちを抑えて、舞はバッグから封筒を取り出す。A4用紙が入る角2封筒だ。道中ついてしまったしわを丁寧に伸ばして、
「こちら、住民票申請書類になります! 必要事項を記入の上3か月以内の提出をお願いします!」
 斜め45度に腰を曲げ表彰状の如く封筒を両手で差し出していた。
 男性は聞こえていないのか様子を見ているのか、微動だにせず胸を上下させていた。舞は不審者を見つけた時の警察のような鋭い視線を後頭部に感じながら、この時間が早く終わることを祈っていた。
「――赤き民よ、おもてを上げよ」
 じんわりとにじんだ汗が大きなたまを作るほどの時間が経ってから、男性は感情のない無機質な声で語りかける。
 舞が姿勢を元に戻すと、男性は指先で器用に封筒を受け取る。手渡しなので封緘ふうかんしておらず、男性は中の書類を見るとペラペラと札束を数えるように確認していた。
 そして、
「そちらの文字はまだ読めんのだ。代読と代筆を願う」
「わかりました」
 返された書類を胸に抱え、舞は深く頷いていた。
 それともうひとつ。思い出したようにあっと言葉をこぼし、気恥ずかしげに頬を赤らめると、
「……すみません。仲間の人が来るまで匿ってもらえませんか?」
 客に対して不躾ぶしつけな要求をしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

兄の悪戯

廣瀬純一
大衆娯楽
悪戯好きな兄が弟と妹に催眠術をかける話

兄になった姉

廣瀬純一
大衆娯楽
催眠術で自分の事を男だと思っている姉の話

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

短編集

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
いろいろなお話BOX

処理中です...