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第1章 メイドな日常の終わり
第9話 思い通りに動かないのが、他人
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野営地の中央にある一番大きな幕舎の前に馬車が到着し、レオナが開かれた扉から現れた。
「へ……?」
馬車の外には、出迎えの武官らしき情けなさそうな顔をした中年男がいたのだが、レオナの顔を見て唖然とした表情に変わり、動きが不自然に止まる。
この武官は、最初のゴブリン討伐でティアが預けた百人ほどの兵を実質指揮する――つまりここでは副指揮官の一人だ。
「…………」
レオナは色々――顔に向けられた視線とか――気づかないふりをして馬車から降りた。
とにかく知らん顔だ。
事情を聞かれても困る。
「着いたな」
最後に馬車から降りたマリアの表情は清々しかった。
「はあ……そうですね…………」
緊張から解放されて放心状態のレオナは、あらあらといった表情のサイカにハンカチで顔を拭いてもらっていた。
ハンカチの汚れに比例して、顔のあちこちに付いている口紅の跡が取れていく。
「すまない。つい、興が乗ってしまった」
苦笑交じりにレオナの頭を撫でながら謝罪するマリアには、まったく悪びれたところがない。
前半のサイカの激しいスキンシップとは異なり、馬車の中のマリアは彼女のイメージに違わず、静かな雰囲気でレオナに接していた。
静かに膝の上に乗せられ、静かに愛でられ、逃げようともがいてもビクともしない力で静かに抱きしめられ、ときどき静かに顔中に接吻が降ってくる中、まるでぬいぐるみと化していたレオナ。
(前世では判らなかった、飼い主に可愛がられる猫の気持ちが判った気がする……)
これ以上、馬車の移動が続いていたら、レオナは限界を迎えていただろう。
「さて。ここからは、仕事だ」
「はっ」
レオナから離れたマリアが、見事に態度を使者のものへと切り替え、サイカもそれに倣う。
先ほどまでの二人はどこへ行った? というほどの変わり身を見て、レオナも慌てて気持ちを切り替えた。
「で、ではご案内しましょう」
先ほどまでの様子に何かを察しているらしい武官は、何も気づかなかったことにしたようだった。
多少ぎこちない歩き方で先導していく。
レオナたちの方も、何事もなかったかのようについていく。
「お付きの方は、こちらへ」
「無用だ」
幕舎の入り口で、武官はレオナを別のところへ案内しようとしたが、マリアがそれを止める。
この国の慣例に従っている武官の言うことの方がもっともなので、従者としてついてきただけのレオナとしては、マリアが止める意味が判らない。
「は? いや、それは……」
だが、戸惑う武官を後目に、マリアとサイカは平然と幕舎の中へ向かっていった。
レオナは仕方なくマリアたちの後を追う。
副指揮官はそれ以上は何も言わず、情けなさそうな顔のまま、最後尾を付いてきた。
■■■
レオナたちが幕舎の中へ入ると、中で出迎えたのは一人の若い男。
「お待ちしておりました。副指揮官のグエンです」
しかし、それは本来マリアたちを出迎えるはずの若い武官ではなく、ティアの指示により今回の増援で加わったもうひとりの副指揮官だった。
もう一人の副指揮官よりも堂々としたその姿は、まだ若い。
マリアたちと同年代だろうか。
マリアがわざとらしく周囲を見回してから、口を開いた。
「指揮官殿の姿が見えないようだが……?」
幕舎の中はがらんとしていた。
人払いをしているのか、他に誰もいない。
おかしな話だった。
約二百とはいえ正式に兵を預かる指揮官であるはずの、あの若い武官の姿が見えないとは、どういうことだろうか。
「ええ」
副指揮官が、困ったものだという感じで肩を竦めた。
案内役だった副指揮官が蒼ざめているのに引き換え、こちらはその飄々とした態度と表情に一片の揺らぎもなかった。
「ヨーク殿は今、不在でして」
ヨークというのは、指揮官である若い武官の名前である。
「我々が来ることは、判っていたはずです。にも拘らず不在にして部下に出迎えを任せるとは、指揮官殿は太守様の使者を愚弄する気ですか?」
サイカが副指揮官二人を順に睨むと、ここまで案内してきた方の副指揮官が蒼ざめ、『じ、自分はこれで……』などと口ごもりつつ、慌てて幕舎を出て行った。
これが当然の反応だ。
太守の使者――ひいては太守本人の怒りを買っているのだ。
太守などという権力者の機嫌を損ねる行為は、この国では命に係わる。
同じく睨まれて平然としている、グエンの方がおかしい。
もちろん、グエンが本当におかしいわけでも、非常識なわけでもない。
グエンがティアから裏の使命(若い武官のお守り)を受けていることは、マリアもサイカも(あとレオナも)知っている。
つまり、ここに残っている者は皆、ティアから直接、裏の使命を受けている者同士なのだ。
なので他に人がいなくなれば、使者だの副指揮官だのといった肩書とは別の場になる。
蒼い顔色をした副指揮官が出て行った瞬間から、グエン、マリア、サイカは揃って、肩の力を抜いて多少くだけた雰囲気に変わっていた。
レオナだけは、従者という立場上、そうもいかずに畏まっているが。
「本人にそのつもりはなかったんでしょうが、結果的にそうなってしまってましてね……困ったもんです」
完全に仲間内モードが入っているグエンの言葉は、一応マリアたちを立てた口調ではあるが、もはや言葉に交じる溜息を隠そうともしない。
「それで? 指揮官殿は、なぜここに姿を現さんのだ?」
「実は――行方不明なんですよ」
「へ……?」
馬車の外には、出迎えの武官らしき情けなさそうな顔をした中年男がいたのだが、レオナの顔を見て唖然とした表情に変わり、動きが不自然に止まる。
この武官は、最初のゴブリン討伐でティアが預けた百人ほどの兵を実質指揮する――つまりここでは副指揮官の一人だ。
「…………」
レオナは色々――顔に向けられた視線とか――気づかないふりをして馬車から降りた。
とにかく知らん顔だ。
事情を聞かれても困る。
「着いたな」
最後に馬車から降りたマリアの表情は清々しかった。
「はあ……そうですね…………」
緊張から解放されて放心状態のレオナは、あらあらといった表情のサイカにハンカチで顔を拭いてもらっていた。
ハンカチの汚れに比例して、顔のあちこちに付いている口紅の跡が取れていく。
「すまない。つい、興が乗ってしまった」
苦笑交じりにレオナの頭を撫でながら謝罪するマリアには、まったく悪びれたところがない。
前半のサイカの激しいスキンシップとは異なり、馬車の中のマリアは彼女のイメージに違わず、静かな雰囲気でレオナに接していた。
静かに膝の上に乗せられ、静かに愛でられ、逃げようともがいてもビクともしない力で静かに抱きしめられ、ときどき静かに顔中に接吻が降ってくる中、まるでぬいぐるみと化していたレオナ。
(前世では判らなかった、飼い主に可愛がられる猫の気持ちが判った気がする……)
これ以上、馬車の移動が続いていたら、レオナは限界を迎えていただろう。
「さて。ここからは、仕事だ」
「はっ」
レオナから離れたマリアが、見事に態度を使者のものへと切り替え、サイカもそれに倣う。
先ほどまでの二人はどこへ行った? というほどの変わり身を見て、レオナも慌てて気持ちを切り替えた。
「で、ではご案内しましょう」
先ほどまでの様子に何かを察しているらしい武官は、何も気づかなかったことにしたようだった。
多少ぎこちない歩き方で先導していく。
レオナたちの方も、何事もなかったかのようについていく。
「お付きの方は、こちらへ」
「無用だ」
幕舎の入り口で、武官はレオナを別のところへ案内しようとしたが、マリアがそれを止める。
この国の慣例に従っている武官の言うことの方がもっともなので、従者としてついてきただけのレオナとしては、マリアが止める意味が判らない。
「は? いや、それは……」
だが、戸惑う武官を後目に、マリアとサイカは平然と幕舎の中へ向かっていった。
レオナは仕方なくマリアたちの後を追う。
副指揮官はそれ以上は何も言わず、情けなさそうな顔のまま、最後尾を付いてきた。
■■■
レオナたちが幕舎の中へ入ると、中で出迎えたのは一人の若い男。
「お待ちしておりました。副指揮官のグエンです」
しかし、それは本来マリアたちを出迎えるはずの若い武官ではなく、ティアの指示により今回の増援で加わったもうひとりの副指揮官だった。
もう一人の副指揮官よりも堂々としたその姿は、まだ若い。
マリアたちと同年代だろうか。
マリアがわざとらしく周囲を見回してから、口を開いた。
「指揮官殿の姿が見えないようだが……?」
幕舎の中はがらんとしていた。
人払いをしているのか、他に誰もいない。
おかしな話だった。
約二百とはいえ正式に兵を預かる指揮官であるはずの、あの若い武官の姿が見えないとは、どういうことだろうか。
「ええ」
副指揮官が、困ったものだという感じで肩を竦めた。
案内役だった副指揮官が蒼ざめているのに引き換え、こちらはその飄々とした態度と表情に一片の揺らぎもなかった。
「ヨーク殿は今、不在でして」
ヨークというのは、指揮官である若い武官の名前である。
「我々が来ることは、判っていたはずです。にも拘らず不在にして部下に出迎えを任せるとは、指揮官殿は太守様の使者を愚弄する気ですか?」
サイカが副指揮官二人を順に睨むと、ここまで案内してきた方の副指揮官が蒼ざめ、『じ、自分はこれで……』などと口ごもりつつ、慌てて幕舎を出て行った。
これが当然の反応だ。
太守の使者――ひいては太守本人の怒りを買っているのだ。
太守などという権力者の機嫌を損ねる行為は、この国では命に係わる。
同じく睨まれて平然としている、グエンの方がおかしい。
もちろん、グエンが本当におかしいわけでも、非常識なわけでもない。
グエンがティアから裏の使命(若い武官のお守り)を受けていることは、マリアもサイカも(あとレオナも)知っている。
つまり、ここに残っている者は皆、ティアから直接、裏の使命を受けている者同士なのだ。
なので他に人がいなくなれば、使者だの副指揮官だのといった肩書とは別の場になる。
蒼い顔色をした副指揮官が出て行った瞬間から、グエン、マリア、サイカは揃って、肩の力を抜いて多少くだけた雰囲気に変わっていた。
レオナだけは、従者という立場上、そうもいかずに畏まっているが。
「本人にそのつもりはなかったんでしょうが、結果的にそうなってしまってましてね……困ったもんです」
完全に仲間内モードが入っているグエンの言葉は、一応マリアたちを立てた口調ではあるが、もはや言葉に交じる溜息を隠そうともしない。
「それで? 指揮官殿は、なぜここに姿を現さんのだ?」
「実は――行方不明なんですよ」
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