青いオム・ファタル

落汰花

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5.マグカップ

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 カフェから歩いておよそ十分ほどのところに最寄駅があり、そこから電車に乗って十五分揺られればここら辺で一番大きなショッピングモールに辿り着く。
 青は切符を買うところから改札を通り電車に乗ってからも、やけにきょろきょろとしていた。
「どうかした?」
 と尋ねれば、青はこくりと頷いた。
「電車に乗るの、すごい久々で」
 青は車窓に目を向けると、素早く流れていく景色を瞬きせず見つめた。微笑ましいなと思いつつ、昨夜性欲発散を手伝うと言った人間とは思えないなともつい考えてしまう。青は十九歳とは思えない色気と幼気を持っている。
 青はいったいどういうふうに育ち、どういう理由であの街を放浪していたのだろうか。
 これほど電車を珍しがり、すごい久々と言うことは、少なくとも中学や高校は電車通学ではなかったことだろうか。
 葬儀で見た青は十七歳だったらしいから、まさに高校生のタイミング。もし青が西四辻会の人間、組員の誰かの子どもとかだったのなら、たしかに電車通学はしないだろう。透がかつて天原組に世話になっていたとき、若頭の息子の面倒を見ていたが、彼も組所属の運転手によって送迎されていた。
 けれど、そう推定するには、引っ掛かりがいくつかある。
 ひとつ、葬儀に出ていた青は学生服ではなくスーツを着ていた。おかしなことではないけれど、同じく葬儀に出ていた天原組若頭の息子は普通に高校の学ランを着ていた。もしかしたら、青が通っていた高校は自由服だったか、はたまた高校には進学しなかった可能性がある。
 ふたつ、透は少なくない年月、天原組を中心に関わり西四辻会本部にも何度か顔を出したことがある。だが、透はあの葬儀以外で青を見たことはなかった。西四辻会は大きな組織だ、その一端でしかなく組員だったわけでもない透が全構成員を把握しているわけがないし、一度も見たことがない人間もたくさんいるだろう。だからこれもおかしなことではないといえばそうなのだが……それでも、もし、青を一瞬でも見かけたことがあったなら、絶対に記憶に残っていると思ったのだ。なにせ、ゴミ捨て場で青を見つけたとき、透はすぐに二年前の邂逅を思い出した。それほどに、青は鮮烈だった。
 みっつ、青は自分の本物の苗字を忘れたと言っていた。そう語った青が嘘や誤魔化しを口にしているようにも思えなかった。一体どういう事情があったら、苗字を忘れることがあるのだろうか。
 その話を聞いた時から、透の中に浮かんでいた可能性がひとつある——青はもしかしたら、親に捨てられた子どもなのかもしれないということ。
 だが、それでも。透は自分の苗字を忘れるまでには至らなかった。


「すごい、人もものもたくさん」
 青はショッピングモールにおいては来るのは久々どころか、はじめてらしかった。
 その様子はやっぱり微笑ましいが、同時に少しでも目を離したら逸れてしまいそうで心配になり、透は青の手を掴んだ。青は観察対象を周囲から透の手に切り替えるように見た。
「とーりくんの手、大きいね。あと、あったかい」
「青の指は細いね」
「よく言われる」
 よく言われるのか。
 どうしてか、ほんの少し胸のあたりがもやっとする。
 だが、透の手をきゅっと握り返した青に微笑みかけられると、それはすぐに晴れていく。
「まずは青の服、見に行こうか」
 青の手を引いて、目についたショップに入っていく。
「青はどういう服が好き?」
「なんでも着るよ」
 なんとなく予想できていた回答だった。
「生地が余る感じのと生地が肌にぴったりと沿う感じの、どっちの方が動きやすい?」
 質問を変えてみれば、青は少し考えてから、「余る方かな」と答えた。
「このとーりくんの服もゆるっとしてて動きやすいよ」
 今日の青が纏っているのは白いニットとゆるっとしたズボン、その上にチェスターコート。透自身ゆるめの服装を好むから、青がそれを着るとよりだぼっとして見える。なのになぜか格好悪くならないどころか、妙な色気が醸されるというか、甘い隙を感じるというか。
 それが今回服を買いに行くことを提案した理由のひとつでもあった。
 別に青に服を貸し続けること自体は構わなかったのだ。だが、透が持っているどの服を青に着せてもどことなく危うい印象を受ける。それに透も妙に落ち着かなくなるし、青も変な相手に絡まれたら大変だと思ったから、青のための服を用意したほうがいいのではないかと思った。
 青似合いそうな色やサイズの衣服をいくつかピックアップし、試着室に入ってもらう。やがて出てきた青は、少なくとも透が貸した服を纏っているときよりは安全ではあった。それでもどうしようもなく漂う色気はもう青自身のものだから仕方ない。
「それにしても、何着てもよく似合うな」
「そう?」
 明るめの色の袖で切替があるパーカーを纏った青がくるりとその場で一周する。
「俺は、俺の似合う似合わないはよくわからないけど。でも、ありがと」
 青がにこっと笑う。これも買いだなと思う。
 そうこうしてあちこちを巡っては試着をさせ、青に似合う服を見つけてはつい買っていたら、ショッパーで両手が埋まった。いつも通り昼前に起きブランチを済ませてから来たが、いつもより軽めにしていたから腹が少し減った。
 ここらでひと休憩しようかなと思ったとき、たまたま通り掛かった雑貨屋の店頭に置かれたマグカップが目についた。
 そこには青い猫が大の字で寝ている絵が描かれていた。
「とーりくん? どうしたの、そのマグカップじっと見て」
「青みたいだと思って」
 青はこてんと首を傾げる。
「とーりくんから見た俺ってこんな感じってこと?」
「うん。なぁ、これ、青のマグカップにしていい?」
「俺の?」
 青は瞳を丸くし瞬かせた。
「そう、青専用マグカップ。このカップには青のコーヒーしかいれないし、青のミルクしか入れない」
「俺専用」
 青はじっとマグカップを見つめ、それから視線を隣へと動かした。
「じゃあ、透くんはこれ?」
 そこには赤い猫が伸びをしているマグカップがあった。青い猫とペアのもののように見える。
「あ、でも、透くんのマグカップはいっぱいあるか」
「……あれは、二人で一緒に使うものだから。俺専用はこれにする」
「とーりくんだけのコーヒーをいれて、とーりくんだけのミルクを入れるマグカップ?」
「うん」
「ねぇ、とーりくん」
 と、青が二つのマグカップを手に取る。
「服いっぱい買ったけど、俺の給料ってまだ残ってる?」
 透はひとつ瞬いて、頷いた。
「残ってるよ」
「じゃあ、これ、透くんへのお礼に買わせて。あの日拾ってくれたお礼と、たくさんお世話になってるお礼。って考えると、全然足りないと思うけど」
 透が青に用意した給料は彼の頑張りや働いた時間に対する正当な対価だと思った。だから青がいつか欲しいものができたときに使ってほしいと思って、実は今日はそこから一銭も出していなかった。
 そのいつかが、今来るなんて。それも、透へのお礼だなんて。
 胸がほうっとあたたかく、切なくなる。
 きっとこのことをまた常連たちに話したら、彼の演技の一環だと言うのかもしれない。けれど、透にはどうしても、ふたつのマグカップを持ってどこか楽しげに微笑む彼が偽りには見えない。
 欲目なのかもしれない。自分が青のことを気に入っている自覚はある。そうでなければ、いくら根無草の男の子を見つけても家に住まわせたり服を買ったりしない。警察に届けるのが関の山だ。
 聞き齧っただけでない複雑な過去がある子なのだろうけれど。色や性をとても容易く口にする子だけれど。
 それでも透には、今目の前にいる青はとても純粋でやさしい子に思えてならなかった。
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