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第一章<異世界生活編>
22:猫にモテる料理人
しおりを挟む時間はかかったが、狼猫とヴァンダールの町の住人たちは、少しずつわかり合うことができるようになっていた。
元はカフェで保護するつもりでいたのだが、狼猫は室内よりも屋外で生活する方が、適している種類でもあるようだ。
雪山で生活しているだけあって、寒さにも耐性がある。
結果的に、彼らの生活環境を変えることはしないという結論に至った。それは町の住人たちの同意も得た上でのもので、必要な食糧も与えてくれるということで合意したのだ。
俺も様子を見に足を運ぶことはあるだろうが、恐らくあの町はもう心配いらないだろう。
ヴァンダールの町から帰った時には、コシュカには「だから言ったでしょう」とお叱りを受けた。グレイからは、「何やってんスか店長!」と胸倉まで掴まれてしまったが。
捻挫程度の怪我であれば、町医者の魔法ですぐに治すことができると知った。便利な世界だ。──だからといって、もう怪我をするのは御免だとは思っている。
そんなわけで、今日は久々にカフェの営業に集中することにした。
すっかりカフェとしても人気を得ることができたSmile Catだが、あくまで主体は猫だ。客入りの多い日であっても、手を休める暇がないほど食事の注文が入るようなことはない。
昼時などは忙しいものだが、ピークを過ぎれば案外暇な時間も多いくらいだった。
この店では、従業員の休憩は自由にとってもらうスタイルにしている。とはいえ、指示をしないと休まないことも多い従業員たちは、一体誰に似たのやら。
コシュカは猫と遊びながら休憩していることも多いのだが、グレイは暇な時間を利用して、料理のメニューを考えていることが多かった。
やはり料理というもの自体が好きなのだろうが、それは人間のものだけではない。
猫たちにとっても、より栄養バランスがよく、好まれるメニューを考案してくれている。
始めは、元の世界でいうところの、キャットフードのような固形食を作ってもらった。
これはどの猫でも食べることができるのだが──何なら人間が食べることもできる──猫だって人間と同じように食の好みは様々だ。主食となる食材だって異なる。
グレイはそういった部分も把握した上で、それぞれの猫が好む料理を生み出し続けているのだ。
「そんなに慌てねーでも、全員分あるっての! ホラ、お前らが退かないとメシが置けないだろ!」
始めはグレイという人間を遠目に観察していた猫たちだが、彼が美味しい食事を用意してくれる人間なのだと理解したらしい。
加えて、人目を盗んで猫たちを可愛がっていることもあって、グレイは猫たちにとても好かれている。時に妬ましくなるほどだ。
現に今も、猫の昼食を運ぼうとする彼の足元には、猫の大群が押し寄せている。背中にも数匹の掌猫がしがみついていた。
(……ちょっと、いやかなり羨ましい)
猫たちは俺にももちろん懐いてくれている。しかし、食事担当のグレイに対する群がり方は尋常ではない。
普段は裏方で仕事をしているグレイだが、猫の食事タイムはもはや凱旋パレードだ。店では一種の見世物のようになっていた。
「グレイさん、大人気ですね。私も猫の胃袋を掴むことができたらいいんですが」
「アハハ、確かに。けど、あれはグレイにしかできないだろうなあ」
実際、俺だって毎日の食事で胃袋を掴まれているのだ。猫たちの気持ちもよくわかる。
店の営業が終わった後にも、そうした光景を目にする機会は度々あった。
人目を気にする必要は無くなっても、この店の中では常に猫の目が光っている。意図しない限り猫が入れない空間は、幼児連れ専用の個室に、トイレと風呂とグレイの部屋くらいではないだろうか?
そうはいっても、グレイの部屋も扉を開けて猫の出入りを自由にしているようだが。
ある時は、風呂に入っているグレイを心配した猫たちが、列をなして様子を見に行く姿を目撃した。俺の時にも同様のことがあったのだが、猫は人間が溺れていないか心配して見に来てくれることがあるらしい。
それを知らなかったグレイは、始めは食事の時間でもないのに何事かと驚いていた。恐らく心配して見に来てくれたのだということを説明すると、どこか嬉しそうにしていたのを覚えている。
そんな風に、猫にまでも好かれるほどの料理の腕前を持つグレイだ。この店に無くてはならない人材となっている彼が、なぜ前職を辞めるに至ったのかが気になっていた。
本人は素直に認めようとしていないが、これほどの猫好きなのだ。募集を見て、ここで働きたいと思ってくれたことは理解できる。
けれど、前職だけではなくそれ以前の職場もまた、短期間で転々としていたようなのだ。
「こんなに料理上手なんだから、辞めるって言っても引き留められて大変だったんじゃないのか?」
「いやあ、そうでもないっスよ。店長、スープのおかわりいります?」
「ああ、うん。貰おうかな」
食卓を共にしているので、何気なく話題を振ってみたことはあった。しかし、その度に何となくはぐらかされてしまい、本当の理由を聞くことはできずにいたのだ。
本人が話したがらないことを、無理に聞き出すことはしたくない。コシュカだってそうだが、誰にだって知られたくない部分はあるものだろう。
そんなことを思いながら、いつものように無事に店を閉めたある日のことだった。
「…………ん?」
一日の仕事を終えてシャワーを浴びた俺は、さっぱりとした気持ちで厨房へと向かっていた。風呂上がりの牛乳が欲しくなってしまったのだ。
カフェ内の不要な電気は消しているはずなのだが、廊下を歩いていくと、厨房から明かりが漏れていることに気がつく。
消し忘れたのかと思っていると、中から話し声が聞こえてきた。
「副店長、ちょっと太ったんじゃないスか? 少しくらい丸い方が可愛いけど」
(副店長……?)
この店にいるのは、店長の俺と、フロア担当のコシュカ、そして厨房担当のグレイだけだ。
城のメイドが手伝いで入ることはあるが、副店長を雇った覚えはない。
一体誰と話しているのだろうかと、こっそり覗き見た先にいたのは、しゃがみ込むグレイとヨルの姿だった。
「あんまり丸くなると、バンみてえに浮き上がっちまうかも。なーんて……って、店長!?」
「あ、ごめん……『副店長』と話の邪魔したみたいだね」
「!!!!」
グレイがヨルを副店長として扱っていたことに驚いて、思わず前のめりに覗き込みすぎていたらしい。ばっちりと目が合ってしまい、グレイが飛び上がりそうになる。
ついでに話を聞かれていたこともわかると、グレイは真っ赤に染まる顔を灰色の髪で必死に隠そうとしていた。
「盗み聞きとか……店長には人の心がねえんだ……」
「ごめんて。俺はただ牛乳飲みに来ただけだったんだけど」
嘘はついていないので、グレイに謝罪しつつ俺は冷蔵庫の中から目的の牛乳を取り出す。
もちろん、盗み聞きする形となってしまったことは悪いと思っている。それを飲んでさっさと退散してしまおうと思ったのだが、意外にも口を開いたのはグレイの方からだった。
「……オレ、人相悪いじゃないスか」
「え? ……そうかな」
「いいっスよ。店長だって、面接の日ちょっとビビってたじゃないスか」
誤魔化そうとはしたのだが、突然の問いに間が空いてしまったのが良くなかった。
確かに、最初にやってきたグレイは、冷やかし目的の不良なのではないかと思ったのは事実だ。外見で判断するのは良くないが、態度だって良かったとは言えない。
けれど、それが緊張からくるものだとわかってからは、見る目だって変化している。
「人付き合いとかあんま得意じゃなくて……始めは雇ってもらえるけど、すぐクビになっちまったりしてたんスよ。態度が悪いとか、表情が気に食わねえとか言われて」
どうやら、同僚や雇い主と上手くいっていなかったようだ。俺やコシュカと話している時には、そんな風には見えないのだが。
「オレもムカついて、つい言い返しちまうから衝突ばっかしてて。最終的には隣人とトラブって、住んでた部屋も追い出されちまって……いっそ喧嘩屋にでもなるかって時に、ここの求人見つけたんです」
「そっか……だから住み込みで働きたいって希望だったんだ」
住み込みがいいと言われた時、その理由を深く問うことはしなかった。食事を作ってくれるという申し出もあって、俺にとってはラッキーという感覚だけだったからだ。
確かにグレイは、人相も含めて威圧感のある態度を取ってしまうこともあるのだろう。腹の立つことがあれば、それを黙って飲み込むことが、まだできないのだと思う。
けれど、一緒に働いてみてわかったことの方が多い。グレイという青年は、根は真面目な人間なのだ。
「店長とコイツらは、オレを受け入れてくれた。このカフェで働くうちに……猫の前だと、素でいられるって気がついたんスよ」
そう言って照れたように笑うグレイは、ヨルの頭を優しく撫でる。
これまでは対人トラブルが絶えなかったというグレイ。だがここは、彼がやっと見つけた、自分らしくいられる場所なのかもしれない。
(そういう店に、なれていたらいいと思う)
猫のための店ではあるのだけれど、そこに関わる人たちにも笑顔になってほしい。客はもちろん、従業員だって。
欲張りな願いかもしれないが、Smile Catをそんな店にしていきたいと思った。
「グレイらしく働いてくれたら、俺はそれで構わないよ。猫たちも、すっかりグレイに懐いてるしね」
「ミャオ」
俺の意見に賛同するように、ヨルも声を上げる。
そんなヨルを抱き上げたグレイは、嬉しそうに鼻先同士をくっつけ合っていた。
「……ところで、副店長って何?」
「え、いや、それは……! 店長!!」
指摘に慌てるグレイの姿を楽しみながら、俺はようやく牛乳を飲むという目的を果たす。
何やら言い訳を並べている様子だったが、そんなグレイを尻目にヨルを肩に乗せると、俺は自室へと戻っていったのだった。
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