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19:恋をしただけなのに
しおりを挟むあたしの初恋は小学5年生の時、クラスメイトの増田という男子だった。
何が良かったのかなんてもう覚えてもいないけれど。足が速かったとか、クラスの中でも目立ってるとか、好きになった理由はそんなものだったと思う。
なんとなく両想いだと感じていた予感は当たっていて、告白をしたらすんなりOKを貰うことができた。
それでも、初めての彼氏に浮かれるような余裕なんかなくて。
翌日、増田と付き合っていることがバレたあたしは、クラスの女子から一斉に無視されるようになった。
始めは気にしていなかったものの、それが気に食わなかったのか次は持ち物を隠されるようになる。
いじめは徐々にエスカレートしていって、増田どころかクラスの男子ですらも、あたしにはどんなことをしてもいいと認識しているようだった。
ほどなくして学校に行かなくなったあたしは、何もかもがどうでもよくなっていたのだけど。
「眞白、お手紙届いてるよ。千綿ちゃんから」
ベッドに寝転ぶあたしのところに母親が持ってきたのは、手紙とすら呼べないノートの切れ端を折り畳んだものだった。
『今日の給食はきなこあげパンだったよ。
残ってるの、もうひとつ食べたかったけど、じゃんけんで負けちゃったから食べられなかった。
どうやったらじゃんけん強くなれるかな?
ましろが元気になったら、じゃんけんの特訓がしたい!』
丸みを帯びた可愛らしい文字。
不登校になったあたしを心配するというよりも、千綿の日記のような内容が綴られたその手紙は、飽きもせず毎日ポストに投函されていた。
「……千綿は、顔に出やすいんじゃないのかな」
じゃんけんをしている彼女の姿を想像すると、笑いが込み上げてきてしまう。
本人にそのつもりはないのだろうけれど、勝負事の時には特に顔に出やすい性格をしているから、相手に読まれてしまったのだろうと容易に想像できる。
学校に行きたいとは思えなかったのに、そういう千綿の楽しいところを見られないのはつまらないと思った。
(…………学校、行こうかな)
またいじめられるかもしれないという不安や恐怖も、無くなったわけではない。
それでも、あたしは何も悪いことをしていないのに千綿と引き離されているこの時間は、理不尽に思えてならなかった。
結果的に、学校に行き始めてからいじめが再発することはなかったし、卒業まで何事もなく過ごせていた。
さすがに空気がいいとは言えなかったものの、あたしの神経も図太くなったような気がする。それも功を奏したのだろう。
中学に入ってからはごく普通の生活をしていたし、友達も多い方だったはずだ。
――――自覚している問題があるとすれば、ただひとつ。
「眞白も琴葉ノ学園受けるんだよね?」
「うん、そのつもり」
「やった! それじゃあ合格したら高校も一緒だね!」
嬉しそうな千綿の姿を前にして、あたしは素直に喜ぶことができずにいた。
将来にまだ明確な目標を持てないまま、仲のいい友人と同じという理由で進学する高校を選ぶ生徒も少なくはない。
実際にあたしも将来についてはまだわからない状態だから、通いやすくて自分の学力に見合った高校であればどこに行ってもいいと考えていた。
ただ、あたしが琴葉ノ学園を選ぶのには将来以外の明確な理由がある。
あたしは千綿のことが、好きだった。
ずっと気がつかないふりをしていたけれど、思えば不登校の期間に貰ったあの手紙の山たちがきっかけだったのだろう。
多くの友達の中でも一番近くにいて、長い時間を一緒に過ごして、抱く感情が友情以上のものであると自覚を持ったのはいつだったか。
あたしのこの感情を千綿は知らないし、伝える気もない。伝えられるはずがない。
(あたしが男だったら……千綿に好きだって言えたのかな)
同性同士の恋愛というものも、近頃では目にする機会が増えたように思う。
世の中がそうした感情を受け入れやすい流れに変化してきている。そんな中でも、あたしはあたし自身がその気持ちを大事にしてあげられなかった。
千綿はあたしに対して恋愛感情を抱いていないし、そういう対象として見られることもない。
気持ちを知っても嫌悪する子ではないだろうけれど、あたしは女だという時点で土俵に立つことすらできないのだ。
「千綿、あれ誰?」
「藤岡くん。同じクラスの人だよ」
これまで過ごしてきた中で、千綿の恋愛話なんて聞いたことがなかった。
少女漫画を読んで騒いだりすることはあったものの、現実の恋愛においてはまだその時期が来ていなかったのだろう。
だけど、あたしは直感していた。千綿は彼と恋に落ちるんじゃないかって。
千綿が落し物を拾った翌日から、藤岡くんと話をしている姿を見かける機会が増えていた。
男子と話すことはもちろんあったけれど、特定の男子と頻繁にとなると話は別だ。
「しま~、ちょっといい?」
「「ん?」」
「あっ……いや、えーと、藤岡志麻の方」
二人一緒にいるとそんな光景を目にすることも増えてきて、『しましまコンビ』と呼ばれるようになったのもその頃からだったように思う。
藤岡くんと呼んでいた千綿が『志麻くん』と呼ぶようになって、藤岡くんもまた『千綿』と名前で呼ぶようになっていった。
傍目に見れば二人はどうしたって明らかに両想いで、第三者が立ち入るような隙もない。
「……眞白、あのね。私……志麻くんのことが、好きかも」
彼女の中に初めて生まれた感情を、一番最初にあたしに伝えてくれたのは嬉しかった。
千綿自身はバレないようにと気遣っていたみたいだけど、藤岡くんの方は隠すつもりもないらしい。
それに気がついていないのは千綿くらいのもので、あとはそうと認めたくない女子の少数がアプローチをかけているくらいだった。
「とうとう自覚したか。あたしは応援するよ」
「ありがとう、眞白……!」
応援すると言った気持ちは本当で、千綿が幸せになるならそれでいいと思った。
藤岡くんがどんな人なのか詳しくは知らないけれど、きっと悪い人ではない。千綿のことを第一に考えて行動しているように見えたから。
それでも、千綿は放っておいたら気持ちを伝えられずに高校生活を終える気がする。
きっと藤岡くんが告白をしてくるだろうし、そこまで心配する必要もないとは考えたのだけど。お節介でも、二人にはちゃんとくっついてほしかったのだ。
あたしが千綿を、ちゃんと放してあげられるように。
「それじゃあ、志麻くんと学園祭回ってくるね」
「うん。頑張りなよ、千綿」
学園祭当日。藤岡くんと約束をしているという千綿を送り出してからは、あたしもそれなりに学園祭を楽しんでいた。
全員が全員ジンクスを頼りに告白をするわけではないから、独り身の友達同士で集まった状態だ。
(片付けを済ませたら、後夜祭には参加せずに帰ろう)
ゴミ捨てのために校舎の外に出た時、後夜祭が始まるという放送が流れ出す。
(千綿は今頃、藤岡くんに告白してるのかな)
誰もいない一人ぼっちの状態で、そんなことを考えたのが間違いだった。
千綿も藤岡くんも、なんの障害もなく自分の気持ちを相手に伝えることができる。ジンクスが無くたって、タイミングはいつだって構わない。
(あたしには、できないのに……)
ただ、恋をしただけだった。
伝えなきゃ気持ちは伝わらない。それが事実だとしても、あたしの中に生まれたこの気持ちが伝わることはない。
それどころか、これから先も千綿はその可能性に思い至ることすらないのだ。
(あたしの方が、ずっと好きだったのに……)
ずっと隣にいた。大好きで、苦しくて、きっと本当は気づいてほしかったのに。
両想いになんてなれなくていいから、千綿を好きだって気づいてほしかったのに。
「千綿なんか……いなくなっちゃえ」
あたしの気持ちに気づいてくれない千綿なんか。そんな自分勝手を考えてしまった後、あたしは驚いて掌で自分の口元を押さえる。
いなくなってほしいなんてあり得ない。こんな一方的な感情を押し付けたいわけじゃないのに。
こんなにもどす黒い感情が自分の中にあったことが恐ろしくなる。
千綿の害になるようなこんな感情なら、全部捨ててしまおう。建物が振動するほどの大きな爆発音が響いたのは、その直後だった。
「な、なに……!?」
パニックになった生徒の悲鳴や、走り回る足音が聞こえる。
爆発が起こったのはどうやらすぐ近くのようで、もうもうと黒い煙が立ち込めるその先を呆然と見つめていたのだけど。
「嫌だ……っ、千綿……」
倒れ込む藤岡くんが誰かを抱き起こすのが見えた。それが千綿なのだと知ったあたしは視界がぐらついて、その場にへたり込んでしまう。
(あ、あたしが……いなくなれなんて、考えたから……?)
たとえ偶然なのだとしても、あまりにもタイミングが出来すぎている。
閉じ込め続けていた感情が歪な形に膨らんでしまっただけで、本心から願ったわけじゃない。こんなこと望んでない。
大きなショックを受けたせいなのか、視界がじわじわと暗転していく。千綿のところに行きたいのに、意識を保っていることができない。
「……やだ……お願い、千綿を……生き返らせて……ッ」
目が覚めたらすべて元通りになっていて、あたしの抱いた感情もすべてが悪夢であればいい。
そう願い続けながら、あたしは瞼を閉じたのだった。
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