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しおりを挟む「じゃあ、宮原妃麻は被害者じゃなかったってことか!?」
「わかりませんけど、その可能性が高そうです」
慧斗の手から宮原妃麻の資料を受け取った來は、改めてその内容に目を通していく。
死因は確かに心臓発作で、状況は他の被害者たちと同じであったことから、1人目の被害者は彼女なのだと思い込んでいた。
けれど、彼女の身体には他の被害者たちとは異なり、欠損した部分が無いこともわかっている。
「あれ、待ってください」
「何かわかったか?」
「宮原妃麻には、通院の履歴があったみたいです。心臓の疾患だと」
「あ、ホントだ」
はっきりと詳しいことは書かれていないものの、心臓に大きな負担がかかるようなことは、避けなければならない身のようだった。
死後にデリマスでの注文をするという不自然な出来事が無ければ、病死として片付けられていた可能性もあるのかもしれない。
「胸元に小さな痣……?」
來の隣で記載された身体状況についての項目を確認していた慧斗は、ついでのように記された一文に目を留める。
「……日記に俺が配達に来るって書かれてたけど、この子もしかして……誰かに殺されたんじゃ?」
「ッ……そうかもしれません」
ふとした思いつきでの慧斗の言葉に、何かがストンと腑に落ちた來は宮原妃麻に起こった出来事を思い返す。
死亡推定日時に第三者がこの家を訪れた経緯は不明だが、配達があると思い込んでいたから、彼女は無警戒に扉を開けたのだ。
難なく侵入を果たした犯人に脅かされた宮原妃麻は、心臓への多大な負担により命を落としてしまう。
「彼女の心残りが慧斗さんへの想いなのか、あるいは……助けを求めてるのか」
「っ、日記にさっき書かれてたよな? ”助けて”って」
実家から逃げ出して大学で親しい友人も作れず、孤独だった彼女が頼れる人間は、優しさをくれた配達員だけだったのかもしれない。
「けど、じゃあ他の人を殺す理由って……」
「死んだ人間に常識は通用しな――」
ガチャリ、と扉が開かれる音がして二人は声を飲み込む。鍵をかけていなかったので、そうしようと思えば誰でも部屋の中に入ることができる状態だった。
家主が死亡したことは家族にも伝わっているだろうし、関係者が家を訪れてもなんら不思議はない。
けれど、咄嗟に來はクローゼットの方へと慧斗を押し込んで、自身もその中に入り込む。
物はあるが整頓されているお陰で、どうにか隠れることはできたものの、あまりにも窮屈すぎる状態であることは否めない。
「來っ、急に、っんぐ」
柔らかなシルバーブロンドに鼻先を擽られて、抗議の声を上げかけた慧斗の口元は彼の手によって塞がれてしまう。
ほんのわずか開けられた扉の隙間から部屋の中を見ると、そこに現れたのは家族や関係者ではなく、拳銃を手にした加苅だった。
なぜこの場所がバレたのかと浮かんだ疑問は、彼に憑りついているのがこの部屋の主であることを思い出し、居場所が知られたのだろうと推測できる。
「オレが正してやる……どこだ、來ィ……」
もはやゾンビのようにすら見える緩慢な動作で狭い室内を徘徊する加苅が、徐々にクローゼットへと近づいてくる。
なぜこんなに狭くて逃げ場のない場所へ隠れてしまったのかと後悔するが、それよりも今は対処法を見つけるべきだと周囲を見回す。
とはいえ、上着やバッグの収納されたクローゼット内に大した武器があるはずもなく、手ぶらでいるよりはと來はプラスチックのハンガーを手に取る。
「どうすれば、憑りついた奴をどうにかできるんだ?」
加苅に聞こえないよう慧斗は極力声のトーンを抑えて、自身もハンガーを手に対処法を尋ねる。
「……加苅さんを気絶させられれば離れるはずです」
「結構、物理的だな」
「信じなくてもいいですけど……相手が生きた人間なので」
謎の札や特別な道具を使うものかと予想していた慧斗は、想像以上にシンプルな対処法だと來の顔を見る。
赤い瞳はずっと加苅の動きを窺っているようだが、それがふと慧斗の方へ向けられたのでぎくりとしてしまう。
「……あの、これは提案なんですけど」
* * *
ベッドの下やベランダを覗いて他に隠れる場所が無いと判断したらしい加苅が、まっすぐにクローゼットを目指して歩いてくる。
同様に銃口も向けられていて、内部から飛び出して逃げ出すのと銃弾が放たれる速度では、どちらが先かなど考えるまでもなかった。
カチャリ、と撃鉄を下ろす音が聞こえる。クローゼットの扉を開けた瞬間、中の人間を撃つつもりなのだとわかった。
「宮原妃麻!!」
「っ……!?」
突如として聞こえた慧斗の大声に、加苅が一瞬動きを止める。その隙を突いて飛び出した來は、手にしていたバスタオルで加苅の顔面を覆う。
続けて慧斗が手元を力いっぱい蹴り飛ばすと、放り出された拳銃が床を転がっていく。加苅が武器を手放したのだとわかった。
「ま、ッ……じか……」
「慧斗さんっ、押さえて……!!」
安心している暇はない。加苅を羽交い絞めにする來は、力が足りず今にも振り落とされそうになっている。
慌てて加勢した慧斗が暴れる身体を力づくで押さえつけると、しばらくして加苅の身体は力を失ったように動かなくなった。
「は……っ、殺してねーよな……?」
「大丈夫、息はあります……ッ」
恐る恐る力を抜いてバスタオルを剥がしてみると、加苅は気を失っているだけらしく胸が上下している。
その彼の口元からごぷりと黒い粘液が溢れ出したかと思うと、生き物のように這いずるそれは膨張して人の形を作り上げていく。
それが悪霊・宮原妃麻の姿に変化するのに時間は要さなかった。
彼女と目が合うと、慧斗の身体は金縛りに遭ったみたいに硬直してしまう。そんな慧斗を庇うように、あの透明なナイフを手にした來が立ちはだかる。
「封呪」
眼前にナイフを構えた來は短く言葉を唱えると、切っ先を宮原妃麻に向けてその胸に深々と突き立てた。
美しい顔立ちからは想像もできないような恐ろしい形相となった彼女は、甲高い悲鳴を響かせてパラパラと砕け散るように消滅していく。
すべてが消えてなくなると、來はナイフを引き抜いてようやく肩の力を抜いた。
「……や、やった……のか?」
「はい。これで呪いを封じられたので、宮原妃麻の魂は成仏できたはずです」
「前にそれ使った時も、そうやって倒せば良かったんじゃないのか?」
あの時はタイミングではないと濁されてしまったが、慧斗の目からは今のそれと変わりはないのではと思える。
しかし、そうではないらしく來は少しだけ横に首を振って見せた。
「悪霊の目的がわからないまま祓ってしまうと、成仏できずに再び悪霊が生まれてしまうんです。僕にもっと力があれば、選択肢は増えるんですけど」
「そう、だったのか」
「彼女は自分を殺した人間がいることを知らせたくて、彷徨っていたのかと」
加苅の身体をそっと横たえる來の表情は、大きな変化はないものの心底安堵しているように見える。
事件の協力関係にあるとはいえ、彼にとっても加苅は大切な存在であるのだろう。
「……ってことは、全部終わったのか……?」
「犯人逮捕に繋げないといけないですけど、とりあえずは」
來の口からはっきりと終わりが告げられたというのに、慧斗の中にはまだ実感が湧かない。
それでも、加苅は無事でセラの命も守られたのだと思えば、自然と大きな溜め息がこぼれ落ちていった。
「……慧斗さん、よく賛成しましたね」
「ん?」
「名前を呼んで憑りついてる宮原妃麻を動揺させるって、我ながら結構無謀な作戦だと思ったんですけど」
「やらせといて、上手くいく確証無かったのかよ」
他に良い案も浮かばなかったからこそ彼の提案に乗ったのだが、半ば賭けのような状況だったのだろう。
一歩間違えば銃弾が当たっていたのは自分の身体だったし、そうでなくとも來自身が命を失っていたかもしれない。
「……信じようと思ったんだよ、お前のこと」
「え……?」
結果的に加苅は操られていたとはいえ、彼の言葉が慧斗の心中を揺さぶったのは事実だ。
まだ出会って数日しか経っていない來のことなど何もわからないし、嘘をついていないという保証はどこにもない。
ただ、慧斗は思い出してしまったのだ。公園でセラを見送ったあの時、來の見せた寂しげな表情を。
『ちょっと、…………羨ましいです』
異質な力を持つ彼は、これまで出会ってきた人間の多くに、その力に関連した発言を信じてもらうことができなかったのだろう。
だからこそ來が慧斗に何かを話そうとする時に、必ず予防線を張っていることに気がついた。
『信じなくてもいいですけど』
おそらくは本人も意識しているというよりは、それが口癖になってしまっているのだろうと慧斗は感じていた。
『……信じるんですか?』
來が初めて自分の体質について打ち明けてくれた時、そう言って驚いていた顔だって覚えている。
「言っただろ、友達になれたらいいって」
「っ…………あんた、なんなんですか……」
レンズの向こうの赤い瞳がまん丸になった後、漏れ出た言葉は尻すぼみに消えていく。
気恥ずかしそうな、どこか泣き出しそうな顔をしているようにも見えたのだが、來がそっぽを向いてしまったので慧斗には確認する術が無くなってしまう。
「と、とりあえず。宮原妃麻さんの事件について、もう一度警察に捜査してもらえるように、情報を伝えてみましょう」
「そうだな。とりあえずセラに連絡して、警察に来てもらうか」
不法侵入の罪に問われるかもしれないが、犯人が野放しになっているのだとすれば情報を伝えないわけにはいかない。
本当にこれですべてが終わりであればいい。セラへ通話を繋げる慧斗は、そう願わずにはいられなかった。
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