呪配

真霜ナオ

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19:疑念

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「おはよ、慧斗。來くん」

「はよ。ゆっくり眠れ……るわけないか」

 慧斗の住むアパートの前で合流したセラを見ると、確認するまでもなく寝不足の顔をしていて互いに苦い笑みをこぼす。

 二人ほどではないものの、來の表情にも疲れのようなものが滲んでいて、三人の間に流れる空気はあまりにも重い。

 倉敷からのビデオ通話を受けた後、慧斗は何度も通話をかけ直したのだが、番号の持ち主が折り返してくることはなかった。

 何かの間違いであってほしいという望みは、加苅からの一方的な通話が決定打となり、倉敷が犠牲になったという事実を現実として認識する。

 セラの呪いについては慧斗と同様に不明な点も多く、通知が届いた形跡もなければ、不可解な現象に遭遇したという話もない。

 いずれにしろ一度視えている以上は危険があると予想し、できる限り近くにいる方がいいと判断した慧斗は、セラをアパートへと連れてきた。

 どうしても部屋が狭いこともあって、相談の末に來の部屋にセラを泊まらせ、慧斗は自身の部屋で來と共に一晩を過ごしたのだが。

『……慧斗さん。加苅さんは、その……他には何も言ってなかったんですよね?』

 マットレスをセラに貸し出した代わりに、慧斗は硬い床に寝そべって天井を見上げていた。

 隣から向けられた問いは通話の件だとすぐに理解したのだが、慧斗は上手く言葉を紡げずに妙な沈黙が流れてしまう。

『…………言ってない。つーか、ちゃんと会話にならなかったし』

『そう、ですか……』

 加苅の意図がわからず、あの場で受けた忠告を來に伝えることはできなかった。そう考えていたのだが、実際には慧斗の中にも疑念が生まれていたのだろう。


――――來といたら、お前も……危険だ――――


 なぜ加苅はあんなことを言ったのか。引き寄せているとはどういう意味なのか。

 自分よりもよほど付き合いが長く、仕事においても規則を破ってまで頼ることをしていた相手だというのに、その加苅が來を危険だと判断したのだ。

『……來くんには、ちょっと気をつけた方がいいと思うんだ』

 ずっと早くにリスクに気がついて注意を促してくれていたセラの言葉が、ここにきて急激に真実味を帯びてくる。

 確かに慧斗と來の出会い方は普通ではないもので、彼に特別な力があると信じたからこそ慧斗も頼ることを決めたのだ。

 けれど、今の慧斗には來のことがわからなくなっていた。否、何一つ彼のことを知らないというのに、知った気になっていただけなのかもしれない。

 人は時に都合の悪さに蓋をして、信じたいものだけを信じようとする。

 特別な力のない者が視えないものを視ようとしないように、その方が自分にとっての利になるからだ。

 立ち会った事件現場で女の霊が現れた時、來の手にしていた透明なナイフに、彼女は明らかに拒絶する反応を見せていた。

 けれど、來はそれで彼女を攻撃するわけでもなく、結果的にあの悪霊に逃げられてしまったのだ。

 物理的な攻撃は効かない相手だというのなら、あのナイフで倒せば良かったのではないのだろうか?

 あそこで女の霊を倒すことができていれば、倉敷は死なずに済んだのではないのだろうか?

「慧斗さん?」

「えっ……!?」

「大丈夫ですか? 着きましたけど」

 意識が別の方向に逸れていたことに気づいた慧斗は、來の呼びかけでようやく目の前の警察署を認識した。

「悪い、ちょっとボーっとしてた」

 自動ドアを潜るとエントランスを抜けた先に、いくつかの窓口が並んでいる。

 受付に座る人間のうち何人かの視線が慧斗たちの方を向いて、少しだけ居心地の悪さを覚えた慧斗は、その場に立ち止まった。

「とりあえず、僕が話を通してみます。二人はここで待っててください」

「ん……」

 そう言って先を行く來の背中を、これまでのように見ることができずに妙な気まずさを感じてしまう。

「……來くんと何かあった?」

「いや……」

 慧斗の不自然な態度に違和感を覚えたのだろう。そろりと近づいたセラの問い掛けに、どう答えるべきかと開いた口を閉じる。

 受付で女性と何かを話している來には、二人の会話は聞こえることはなさそうだ。

「……何を、どう信じればいいか、わかんなくなってる」

「やっぱり、何か危ないことされた?」

「や、そうじゃねーんだけど……」

 慧斗自身が來に危害を加えられたわけではない上に、倉敷の件だって彼が手を下したとはいえない。

 警戒すべきは明らかにあの女の霊であるはずなのだが、加苅の忠告が慧斗の疑念を余計に深めてしまった。

「……まあ、無理もないよね。デリマスのせいで人が死ぬとか、幽霊とか、普通はありえないことばっかりだし」

 直接的な繋がりがほとんど無いとはいえ、顔を合わせたことのある人間、それも刑事が簡単に殺されてしまう状況は絶望的だ。

 自らの身体を抱くように腕を回したセラは、俯いていた顔を上げると真っすぐに慧斗を見つめる。

「でも、あたしは慧斗を信じてるから」

「セラ……」

「他の誰を信じられなくても、慧斗だけは信じられる。それだけは絶対だよ」

「……ああ、そうだな」

 他に確証が持てないとしても、目の前の腐れ縁だけは長年苦楽を共にしてきた存在だ。

 そのたったひとつだけでも、今の慧斗には大きな支えに感じられていた。

「慧斗さん、セラさん」

 向けられる声にそちらを見ると、話を終えた來が二人のもとへと戻ってくる。その表情を見れば、求める答えは得られなかったのだろうと察することができた。

「すみません。やっぱり、部外者は通せないと言われました」

「そうだろうな、加苅さんが仕事してるとは思えねーし」

 電話の向こうで何が起こっていたのかを知る手段がこの場所しかなかったので、慧斗たちはダメ元で警察署にやってきた。

 しかし、結果は予想されたもので簡単に追い返されてしまう。協力者とはいえ非公式で、これまで捜査に立ち入れたのは加苅の存在がすべてだったのだろう。

「加苅さんには連絡がつかないし、僕らだけでどうにかするしかないですね」

「あれ、來クン?」

 諦めて警察署の外へと出ることにした慧斗たちは、出入口へと向かおうとしたところで、聞き覚えのない第三者の声に足を止める。

 そこにいたのは、ライトグレーのトレンチコートにサンダルという、ちぐはぐな格好をした亜麻色の髪の男だった。

「透葉さん……? 今お帰りですか?」

「久しぶり。八一クンの解剖が終わったからね、これから帰って寝るところだよ」

「っ……!」

 解剖という言葉に、目の前の男が司法解剖か何かを担当している人物なのだろうと察する。しかし、慧斗が反応したのは口に出された名前の方だった。

「あの、倉敷さん……本当に亡くなったんですか?」

「ん? キミもしかして八一クンの知り合い? 私がこの手で夜通し解剖したからね、間違いなく死んでるよ」

「そう……すか」

 下の名を呼ぶくらいなのだから、それなりに親しい間柄なのではないかと思うのだが、のらりくらりとした印象の透葉という男は平然としている。

 仕事柄心を動かすことがないだけなのか、部外者の前で冷静な顔をしているだけなのかはわからないが。

「あの、透葉さん。倉敷さんのご遺体から、何か新しい情報って……」

「ふふ、それは教えられませーん」

「あ……そう、ですよね。すみません」

 長い前髪に隠されていない片方の目だけでにこりと笑う男は、一応の守秘義務を守る人間ではあるらしい。

 ここでこれ以上得られる情報はありそうにないと判断した來は、透葉に一礼して踵を返そうとする。

「……ただ、ね。ここに確認用の事件資料のコピーがあるんだけど」

「え?」

 振り返った先で、透葉の手元には数枚のコピー用紙がひらひらと揺れている。

 まだ彼の思考を理解することができていない來を見てにやりと口角を持ち上げた透葉は、署内に設置されたゴミ箱の中へ、その紙をおもむろに落としていく。

「私にはもう必要のないものだから、ここに捨てることにするよ」

「ッ……どうして」

 予想もしていなかった行動に目を丸くした來は、すぐさまゴミ箱の中から資料を取り上げる。

 そこにはほんのわずか目を通しただけでも重要な情報が記されており、このような場所に廃棄して良いものでないことは一目瞭然だ。

「私は他人の生には毛ほども興味がないんだけどね」

 ひとつ大きなあくびをした透葉は、用事は済んだとばかりに背を向けて出口を目指して歩き始める。

「螢クンの解剖をするのは、まだもうちょっと先がいいんだ」

 そう言い残して署を後にする男の心の内は慧斗に理解はできない。ただ、彼が情報不足の自分たちに協力してくれたという事実だけが残る。

 透葉の後に続いて建物の外に出た三人は、ひとまず手に入れた資料が関係者に見つからないよう、人目につかない細い路地へ入る。

「透葉……さん? 不思議な人だったね」

「だな。あの人って、加苅さんたちの知り合いなのか?」

「そうですね、法医学者の透葉さんです。僕もそこまで親しいわけではないですけど」

 名前を呼んでいたこともあり、來とも顔見知りの関係であるとは感じていた。

 倉敷と比べれば加苅との相性はあまり良いようには見えなかったものの、慧斗にはそれ以上彼らの関係性を知る術もない。

「それより、これ見てください」

 改めて資料を見てみると、そこには被害者たちの死の状況や、デリマスの注文に関する情報が記されているようだった。

「被害者は、倉敷さんで6人目……死因はやっぱり心臓発作だったんですね」

「テレビ電話では、最後は全然見えなかったけどな……」

 倉敷の名前の項目には両腕切断とも記載があり、出血多量やその他の要因の方が直接の死因に繋がりそうなものだと思う。

 けれど、そうした不自然な状況であっても心臓発作とされるのは、霊的な力の成せる技なのかもしれない。

「…………あれ、このルート……」

「ん? 何かあったか?」

 來が指差したのは、資料の中にあるデリマスの注文に関する項目だ。被害者たちが最後にした注文の履歴が詳細に記されている。

「もしかしたら、あの霊の動きがわかったかもしれません」

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