呪配

真霜ナオ

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14:対峙

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「っ…………!」

 視界がぼやけるほどの至近距離に存在する女は、長い髪の隙間からこぼれ落ちそうなほどにぎょろりとした瞳を覗かせている。

 顔のパーツの位置が不自然だと感じた慧斗は、骨が軋むような音を立てて彼女が首を動かしたことで、背をのけ反らせた体勢で自分を見ていたのだと気がついた。

「おいっ、お前ら大丈夫か……!?」

 状況を把握しきれていないらしい加苅には、おそらくこの女の姿が見えていないのだろう。

 こちらに近寄ろうとしてくる彼を止めなければと口を開くのだが、声を発する前に巻き付いてきた長い髪の毛によって口を塞がれてしまう。

「んぐっ……!?」

 さらに生き物のようにうねる髪は、舌を押し退けて喉の奥へ入り込もうとする。そうはさせまいと、慧斗は力いっぱい髪に歯を立てて抵抗を試みた。

 髪の毛自体に痛覚は無いのだろう――そもそも霊というものが痛みを感じるのかどうかも定かではないのだが――口の中の存在が怯む様子はない。

<豈泌�縺輔s繧�▲縺ィ莨壹∴縺�>

 女の霊が何かを喋っている。それは到底理解できる言語ではなく、声ですらないような不快な音で構成されているのだが、確かに喋っている。

 それを聞き取るほどの余裕など今の慧斗にあるはずもなく、両手で掴んだ髪の毛を口元から引きはがそうと奮闘していた。

 これの侵入を許せば自分は死ぬのかもしれない。いや、間違いなく殺されてしまうのだろう。

 内臓を突き破られるのか、あるいは腹に穴が開くのかはわからないが。

 同じ部屋の中にある下半身のない遺体が、慧斗の視界の端にちらつく。あんな風に命を奪われるのだと思うと、息苦しさも相俟あいまって自然と涙が滲んだ。

「ッふ……ぐ……!」

「比嘉くん、何かいるのか!?」

 言葉も発せずに喘ぐ慧斗の苦しげな様子に、ようやく何が起こっているのかを察した加苅が、床に転がる椅子を手にして歩み寄ってくる。

 そんなもので悪霊に対抗できるはずなどない。だが、邪魔しようとする者の気配を感じ取ったのであろう女の顔が、不自然な角度で加苅の方を見た。

 直感的に良くないと感じた慧斗は掴んでいた髪を離して、女の顔をこちらに向けようと腕を伸ばす。

 けれど、阻むものを失った髪はチャンスとばかりに慧斗の喉奥へと押し入ろうとした――はずだった。

「~~~~っ!!?」

 目の前で切断された長い髪は、本体から切り離されたためか力を失って口元から垂れ下がる。

 髪の一部を失った女が、加苅から自身の髪へと視線を移した先で目にしたのは、透明なナイフを手にする來の姿だった。

「っ、うえ……ゲホッ、おえっ……!!」

「大丈夫ですか、慧斗さん」

「ぅえッ……だ、いじょ、ぶ……」

 口からこぼれ落ちる髪を思いきり引っ張ると、今度は抵抗なく抜き去ることができる。

 口内に留まっていた異物をすべて吐き出した慧斗は、激しく咳き込みながら立ち上がる來を見上げた。

「すみません、一瞬意識が飛んだみたいで」

 來に突き飛ばされたものとばかり思っていたのだが、おそらく女の攻撃を自分の代わりに來が食らっていたのだろうと気がつく。

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 彼と対峙する女の霊は、何かを喚いているように甲高い耳障りな音を発している。

 來は少し表情を歪めただけで怯むこともなく、彼女の方へナイフを突きつけると、女は反発する磁石のように壁際へとその身を寄せた。

「今回の件、全部あんたの仕業だな。目的はなんだ?」

<縺ゅ↑縺溘↓縺ッ髢「菫ゅ↑縺�>

「話さないなら――っ、」

 悪霊に対話を試みる來の言葉を遮る電子音が鳴り響く。音の主は慧斗のポケットに入っているスマホで、誰かからの着信を知らせるために鳴り続けている。

 ほんの一瞬そちらに気を取られた來の隙を突いて、女の霊は熱された氷のように床に溶け落ちていく。

「……逃げられた」

 止める間もなく床には奇妙な黒い染みだけが残り、ナイフを構えていた手を下ろすと來は慧斗の方を振り返った。

「ゲホ、悪い……俺のせいだな」

「いえ、どちらにしてもタイミングは今じゃなかったので」

「タイミング……?」

 ナイフをしまった來が片手を差し出すので、慧斗はその手を取って立ち上がる。

 足音がしたかと思うと、まだ椅子を手にしたままの加苅がすぐ隣へとやってきているのが見えた。

「い、いなくなったのか……?」

「はい、逃げられました。加苅さん、ソレじゃ戦えないですよ」

「……素手よりマシだろうが」

 來の指摘を受けて手元と彼の顔を交互に見た加苅は、咳払いをしながらそっと椅子を下ろす。

 足元には切り取られた髪の毛の束が落ちていて、あれの侵入を許したら今頃どうなっていたのかと、今さらのように慧斗は身震いした。

「それよりすみません、現場を荒らしてしまって」

「あー、まあどうにかする。お前らが無事で何よりだよ」

 一介の刑事がどうにかできるものなのだろうか、という疑問は残るものの、慧斗にできることもないので言葉を飲み込む。

 先ほどの間の悪い着信の主は誰だったのだろうかと、慧斗は取り出したスマホの着信履歴を確認した。

「……セラか? あいつ、なんつータイミングで……」

 履歴に残されていた名前はほんの一時間ほど前に別れたばかりの相手で、マナーモードにしておくべきだったと溜め息がこぼれてしまう。

「セラさん、かけ直さなくていいんですか?」

「あー、メッセでいいわ」

 セラからくだらない用事で着信があることは日常茶飯事で、別段珍しいことではない。

 慧斗は「どうした?」と短いメッセージを送信した後、今度こそスマホをマナーモードに切り替えてポケットに押し込む。

「ひとまず、比嘉くんには改めて話を聞かせてもらわにゃならねえな?」

「は、はい……」

 手錠でもかけられるのではないかという加苅の圧力に、慧斗の背中は自然と丸まってしまう。

 勝手口を通って外に出ると、肺の中に溜まった空気を入れ替えたくて深く息を吸い込む。

 口の中の異物の感触はまだしばらく残りそうだが、こうして生きていられるだけ良かったのだろうと思うことにした。

 慧斗たちと入れ替わるようにして、庭先にいた刑事たちが家の中へと足を進めていく。

「うわ、マジかよ」

「やらかしたなあ、ったく……これだから嫌なんだよ」

 途端、背後から聞こえてきたのは不愉快を隠そうともしない声で、思わず振り向いた慧斗は彼らの一人と目が合ってしまう。

 故意ではないとはいえ、事件現場を荒らしてしまったのは紛れもない事実だ。彼らが文句を言いたくなるのも無理はないと思ったのだが。

ホタル・・・ちゃーん、どーすんのコレ?」

「バカ、聞くまでもねえって。いつも通り、上にケツ拭いてもらうんだよ」

「適当なオシゴトして金もらえる奴はいいよなあ」

 現場の関係性がわからない慧斗でも察せるほどの明らかな悪意に、動かしていた手足が固まってしまう。

 おそらくは加苅に向けられたのであろうそれらの言葉と、下卑た笑み。

 來も不快そうな顔をしていたのだが、加苅自身はそちらに向き直るでもなく、はいはいと適当に流している。

「部外者連れ込んで霊能者ごっこってか?」

「刑事より詐欺師の方が向いてんじゃねーの?」

 次々と向けられる棘に眉ひとつ動かすことのない加苅は、普段からそうした悪意を受け慣れているのだろう。

 彼らも反論されることがないということを理解していて、言葉の針を投げているように見える。

「ア、アンタら……っ!」

 けれど、我慢することができなかった慧斗がその悪意を非難しようとした時だった。

「加苅さん! お疲れ様っス!」

 最後尾にいた慧斗と刑事たちの間に割り込んできたのは、先ほどまではこの場にいなかったはずの倉敷だった。

 加苅に向かってぴしりと敬礼をして見せた彼は、主人を見つけた大型犬のように見えない尻尾を振っている。

「八一、早かったな」

「道が空いてたんでスイスイだったっス! 頼まれてた資料どうします?」

「確認し直す必要が出てきたんで、一旦お前の家に行く」

「自分の家っスか!?」

「署に戻るより近いからな」

 それまでのギスギスとしていた空気が、倉敷の存在によって一気に吹き飛ばされたのを感じる。

 嫌味を口にしていた刑事たちもそれは同じだったようで、始めは呆気に取られていたものの、すぐに元の人を小馬鹿にした表情を取り戻す。

「……ハッ、若者を手懐けるのは得意みたいだな」

「ホタルちゃんは自分より下の人間にしか相手にしてもらえねーんだろ」

「佐伯さん、中山さん」

 再び棘のある言葉を吐き出した二人に対して、倉敷は変わらない調子で彼らの名を呼ぶ。

「動かすのが口ばっかりだから、いつまで経っても昇進できないんじゃないですか?」

 面食らった顔をする二人と同様に、慧斗も目を丸くして倉敷を見てしまう。そんな風に人懐っこい笑顔で毒を吐く人間には思えなかったからだ。

 遅れて顔を真っ赤にしながら抗議の声を上げる刑事たちを今度こそ無視して、倉敷に押されるまま慧斗たちは敷地の外へと誘導されていく。

「…………ったく、お前ってやつは」

 それまで嫌味を相手にもしていなかった加苅は、堪らずといった様子で笑みを溢していた。

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