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03:青年
しおりを挟む「ぅ…………ん……?」
「あ、もしかして起きた?」
身動ぎをする気配を感じ取ってスマホの画面に落としていた視線を上げると、丁度青年の瞼が持ち上げられるところだった。
ぼんやりと天井を見つめたまま動きを止めてしまった彼に、慧斗は首を傾げる。目を開けたまま、また気を失ってしまったのではないだろうか?
それが杞憂だということは、青年の腕が持ち上げられたために尋ねるまでもなく証明された。
細くて長い綺麗な指だが、骨張った造りは確かに同性のものだと認識できる。
何かを確かめるように何度かそれを握っては開き、指先が眉間の辺りをなぞったかと思うと、彼はようやく慧斗の方へと顔を向けた。
「……あの、ここはどこですか?」
「俺の部屋だよ。状況わかる? 外に放置もできねーし、ひとまず運び込んだんだけど」
腕の中で気を失った青年を前にして、救急車や警察を呼ぶべきだろうかと悩みはしたのだ。
外傷らしきものは見当たらなかったものの、実際に具合が悪そうな様子だったことは確かで、何かの病気なのかもしれない。
けれど、眉間に寄せられていた深い皺が徐々に和らいでいくのを目にした慧斗は、なぜだかその必要はないと感じていた。
抱え上げた彼と共に自分の部屋へと戻り、広げたソファベッドの上にその身体を横たわらせる。
そうして現在に至るまでに、三十分ほどの時間が過ぎていた。
眠っている時は生気を感じさせない人形のようだと感じたのだが、改めて見ても整った顔立ちをしていると思う。
少し吊り上がった目元に通った鼻筋。日本人離れをしていると感じたのはシルバーブロンドの髪だけではなく、印象的な赤色の瞳にあるのだろう。
「僕の眼鏡は……?」
のそりと上体を起こした青年は、自身の周囲を見回してそんな問いを口にする。
気を失う前にも同じことを気に掛けていたと思い出して、床に座っていた慧斗は膝立ちになり青年の傍へと移動した。
「一応外は見たけど、眼鏡は落ちてなかったぜ?」
そもそもこの青年は、アパートの二階から落下してきたように見えた。事故なのか故意なのかは定かでないが、薄暗い中でも眼鏡はかけていなかった気がする。
「じゃあ、部屋かな……」
「そうかもな。なら、部屋まで送ろうか」
「え?」
「俺は使ったことねーけど、眼鏡無しじゃ不便だろ?」
視力がどの程度悪いかにもよるだろうが、慧斗は誤って眼鏡を壊してしまったクラスメイトの姿を思い出す。
彼女いわく、眼鏡が無ければ視界がぼやけてしまうので、とてもじゃないが外を移動することはできないと話していた。
人の顔も判別できなければ、恐ろしくて道を歩くことなどできないらしい。
幸いにも青年は上階の住人なのだろう。階段を踏み外しでもして怪我をされても寝覚めが悪いし、送り届けるくらい大した手間でもない。
「そうですね、眼鏡が無いと”視える”んで」
「そうそう。見え……ん?」
「じゃあ、お願いします」
聞き間違いだろうかと問い掛ける慧斗の視線も、彼にはぼやけて見えていないのかもしれない。
動き出そうとする青年につられて慌てて立ち上がった慧斗は、誘導するつもりで手を差し出す。
「…………」
「……あ、いや。支えがあった方が安心かなって」
心なしか訝しむような目を向けられている気がする。そう感じて妙な弁明をしてしまうのだが、青年は少し間を置いてから慧斗の手を取った。
「……どうも」
「おう、そんじゃ行くか。えーと、203?」
「はい」
慧斗の部屋は一階の103号室に位置している。その真上の部屋の辺りから彼が落下してきたこともあり、そこの住人かと目星をつけていたのだが、正解らしい。
存外にも危なげなく歩いていく青年に、支えは必要なかっただろうかとも思うものの、そこは万が一の保険だと割り切ることにした。
ほどなく二階の目的の部屋の前まで到着すると、施錠されていなかった玄関扉がすんなりと開く。
「あの、ついてきてもらってもいいですか?」
自分はどこまで同行すべきだろうか、と考えていた慧斗の思考を読んだようなタイミングで、繋がれたままの手が青年によって引かれる。
「え……おう」
それをわざわざ拒否する理由も見当たらず、促されるままに慧斗は室内へと足を踏み入れることにした。
室内の間取りは自身の部屋と相違なく、だが自身の部屋よりも綺麗に片付けられている。というより、置かれている物が少ないのだろう。
探り当てた壁のスイッチを入れると、照らし出された室内の床に無造作に投げ出された眼鏡を見つけることができた。
「あ、眼鏡ってそれじゃないか?」
慧斗がそう指摘するのとほぼ同じくして、目的のものを見つけたらしい青年が眼鏡を拾い上げる。
一般的なそれに比べてサイズが大きいように思えるのだが、彼の顔が小さいから余計にそう見えるのかもしれない。
「……もう大丈夫です、面倒かけてすみませんでした」
「いや、無事に見つかったんならいいけど」
繋がれていた手はいつの間にか離れていて、青年を無事に部屋まで送り届けることができたのだから、慧斗の役目はここで終わりのはずだ。
けれど、関わってしまっては気にするなという方が無理ではないだろうかとも思う。彼は二階から降ってきたのだから。
事故か故意かはわからないが、検査のために病院にだって行った方が良いのではないだろうか?
「……なんですか?」
「あのさ、さっき……」
立ち去ろうとしない慧斗に対して、青年が怪訝な顔をする。彼にしても、同じアパートに住んでいるというだけの人間と一緒にいる理由はない。
一応は彼を救ったのだし、部屋まで送り届けたのだから理由を聞く権利くらいはあるだろう。
そう判断した慧斗のポケットから、電子音が鳴り響いたのはその直後だった。
「ん……? 何の音だ?」
自身で設定したことのない、耳慣れない音に意識が向く。ポケットから取り出したスマホの画面には、一件の通知が表示されている。
「え、配達……?」
デリバリーマスターのアプリを使用した際に表示される、現在の配達状況を表す通知のようだ。
利用後に配達員や店舗の評価を求められることはあるが、ポップアップには今現在配達に向かっているとの旨が記載されている。
間違いかと思うが、慧斗は誤配の食事を受け取っていたことを思い出す。
誤配を受けたであろうもう一人の客がクレームを入れて、誤配であったことに気がついた店舗側が、改めて正しい料理を作り直した可能性もあるかもしれない。
そんな思考を巡らせながら開いたアプリの画面には、想像もしていない文字が表示されていた。
『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』
このアプリを制作したのは海外の企業だったはずなので、日本語訳に誤りがあるのだろう。
普段の慧斗なら深く考えずにいただろうが、今日だけは違っていた。自身を隠し撮りしていた気味の悪いカメラの映像が脳裏を過ぎる。
「……あの、どうかしたんですか?」
その場から動こうとしない慧斗に痺れを切らしたのか、青年が少し不機嫌そうに声を掛けてくる。
「あ、いや……なんつーか……」
自分のもとにこれから死が届くらしい。
そんな話をして信じてもらえると思うほど、世の中を知らないわけではない。だからこそ言い淀んでしまったことで、青年にさらなる不信感を抱かせてしまったのだろう。
「今のって、なんの通知ですか?」
「なにって、アプリの……」
「見せてください」
そう言うが早いか、持ち主の許可を得ることもなく青年は慧斗の手元からスマホを取り上げる。
何かの悪ふざけだと言い訳をする前に、彼の眉間の皺が深まったのが見えた。
「……比嘉、さん」
「えっ?」
自分の名前をなぜ知っているのかと尋ねようとするが、画面に表示されていたかと思い至る。
慧斗の心臓を跳ねさせたのは、射貫くような赤色か。それとも。
「あんた呪われてますよ」
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