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01:デリバリー
しおりを挟む「あんた呪われてますよ」
当たり前の日常を大きく変える出来事は、唐突にやってくるものだ。
あの恐ろしい出来事に直面するまで、俺は今が崩れ去るなんて、考えたこともなかった――――。
* * *
「あ~、カレー食いてえな……」
時刻は夜の21時を少し過ぎたあたり。
薄暗い部屋の中でスマホの画面を眺めていた慧斗は、急激な空腹感に襲われてそんなぼやきを落としていた。
眠るにはまだ早すぎる時間だが、これからキッチンに立って料理をする気にはなれない。
米を炊くだけでも面倒だと思うのに、食材を切って煮込んでという手間を考えると、慧斗の手が動くはずもなかった。
何より、今日はもうクタクタに疲れ果ててしまっている。
そもそも、カレーを作るための食材など買い置きしていない。ならば、まずは材料の買い出しから始めなければならないのだ。
レトルトのカレーを買い置きしておけば良かったと後悔してみるものの、米を研ぐこともしたくないのだから、常備されていたとしても同じことかもしれないと思う。
「……出前にするか」
慧斗のように自炊という選択肢が最後尾にある人間にとって、金を出せば労せず腹を満たしてくれるデリバリーとは、本当に神のシステムと呼べる。
もっとも、貧乏学生にとっては湯水のように使えるほど、貯金などというものは無いのだが。
いざとなれば日雇いの派遣でも何でもすればいい。目の前の快楽には抗えない。慧斗は楽観的な人間だった。
かつてはピザや寿司、ラーメンといったものが主流だったのだろうが、現代においてデリバリー可能な食べ物の種類は爆発的に増えている。
普段ならば何を食べようかと悩むものの、慧斗が今日注文したいメニューは決まっていた。当然カレー。その一択だ。
善は急げとばかりに、慧斗は早速ソファの上に放り投げていたスマホを手に取る。
ソファといっても折り畳み式のマットレスを簡易ソファの形にしたもので、寛ぎやすいかと言われれば間違いなく普通のソファには劣るだろう。
それでも、一人暮らしの狭いワンルームにはソファとベッドを同時に置けるだけのスペースは無い。
妥協点として選んだソファベッドは10cmほどの厚みがある硬めのマットレスで、折り畳めば倍になる。座るにも眠るにも用途としては申し分なかった。
金額も一万円を切っていて、機能的な上に懐にも優しい商品だ。
(あれ、なんだこれ?)
そんなソファに上半身を寝そべらせながら、慧斗はスマホの画面に表示されたアイコンに目を留める。
白抜きにハンバーガーのイラストが描かれたそれは、『デリバリーマスター』という使い慣れた大手デリバリーアプリのものだった。
その右上に小さな赤丸がついていて、何かの通知があることを知らせている。
早速開いてみると、新たにクーポンが発行されたという内容だった。しかも、そこには『今だけ無料』の文字が大きく記載されている。
「無料って……どうせ条件とかあるんだろ」
無料の文字に反応しない人間が果たしているのだろうか? と慧斗は考える。
いや、いるのかもしれないが、ケチな人間や同じように金に困る人間ならば同様に反応する可能性の方が高いはずだ。
(まあ、見るだけならタダだし)
心の中で聞かせる相手がいるわけでもない言い訳をしながら、クーポンの適用条件が書かれたページに目を通す。
「無料って……配達料じゃなくて、ガチで無料なのかよ」
そこには確かに期間限定の無料サービスを実施していると宣伝されていて、どうやら無作為に選ばれた利用者に対して表示されているらしい。
指定された金額以上の注文で割引になったり、送料無料になるキャンペーンなら、これまでにも見てきたものだが。
完全にタダで注文ができるとあっては、常識的にどう考えてもあり得ないだろう。
さすがに先着人数が決まっていて二千円以下という縛りもあるようだが、宣伝目的のためと考えても大盤振る舞いすぎではないだろうか?
(類似の詐欺アプリで、個人情報どっかに売られたりすんのか……?)
疑わしいと思いつつ画面をスクロールしていくと、そこには大きく数字が表示されている。
「え、あと2人……!?」
無料キャンペーンが適用される人数は30人とあったのだが、28/30となっている。つまり、この胡散臭いキャンペーンを28人がすでに利用しているということを表していた。
「わ……っ、マジかよ……!」
どうやら数字はリアルタイムに反映されていくらしい。そうしている間にも、28という数字が29に変化していく。
注文した瞬間に人数が上限に達して、慧斗にはクーポンが適用されない可能性もある。そういう詐欺かもしれないし、本当にタイミングが悪い可能性だってあるだろう。
「なるようにしかならねーか、注文してやる!」
どのみちデリバリーを利用するつもりだったのだから、これで無料になればラッキーだ。
個人情報の不正利用をされてしまった場合には……その時にまた考えよう。
騒ぎ続ける腹の虫に背中を押された慧斗は、無料クーポンを利用することにした。
幸いにも、注文するものは決まっている。カレーで検索をして出てきた有名チェーン店を選択し、ロースかつの乗ったカレーをカートに入れる。
ついでだからと大盛りにしたこともあり、合計金額はギリギリ二千円に届かない絶妙なラインだ。
登録されたままのクレジットカードの番号と住所、比嘉慧斗という名前を確認すると注文確定ボタンを押す。
『ご注文ありがとうございます。配達員がお届けに伺いますので、お待ちください』
きちんと注文ができたことを知らせる画面が表示される。
それからすぐに注文履歴を確認してみると、クーポン適用の文字と並んだ合計金額は0円となっていた。
「……マジでタダじゃん、ラッキー」
後日になって突然請求されるなんてパターンもあるかもしれないが、少なくとも今現在は無料クーポンの対象になったのだ。
念のためにページを再確認してみると、一番上に『クーポンの配布は終了しました』と赤文字で記載もされていた。
夕飯時のゴールデンタイムを過ぎているからだろう。配達時間は最長20分程度とあったのだが、15分を待たずに到着の通知が入っていた。
対面で受け取る必要はなく、玄関の前に置き配の指定ができるシステムだ。
慧斗は早足に玄関へと向かい扉を開けてみると、そこには白いビニール袋に包まれた荷物がぽつんと置き去りにされている。
「よしよし、俺のカレー♪」
上機嫌に室内へと戻った慧斗は、待ちきれずに袋を開けていく。
もう春先と呼べる季節になったとはいえ、夜の空気はまだ冷たさを感じさせる。そんな中で店舗を出て運ばれてきたカレーは、少なからず冷め始めていることだろう。
けれど、固く縛られた結び目を力任せに引きちぎったところで、慧斗は明らかな違和感を覚えて動きが止まる。
いくら容器の中にしまわれているとはいえ、カレーの匂いはかなり強い。ビニール袋を開封した時点で匂いを感じ取ってもおかしくはないだろう。
その理由は、透明な容器の蓋越しにすぐに理解することができた。
「は? これ……ハンバーガーじゃねーか!?」
届けられた料理は、待ち望んだカレーでもなければ米ですらない。
白ごまの乗った艶のあるバンズに少ししなびたレタス、薄切りのトマト、黄色いチェダーチーズ。そして、ところどころに焦げのあるパティ。
バーガー袋ではなくなぜだかプラスチック容器に入れられた、よくあるハンバーガーだった。
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