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27:1両目
しおりを挟む決死の覚悟で辿り着くことができた先頭車両。
貫通扉を開けたそこは、これまで見てきた車両とは明らかに様子が異なっていた。
「これ……通れるの……?」
現実とは思えない現象が起こること以外は、車両自体は普通の電車だったはずだ。
けれど、1両目の車内はまるで蜘蛛の巣のように、黒い糸のようなものが張り巡らされている。
人が通れるだけの隙間はあるのだが、糸の太さはバラバラで、天井や床だけでなく座席の周囲も糸だらけだ。
「わからないけど、進まないと。電車を止めろってことは、運転席に行けばいいんだと思います」
「そうだね……終点まで、もう時間もないはずだし」
「とりあえず、僕が先頭を行きます。高月さんはついてきてください」
「わかった、気をつけてね」
どちらかが進んでいかなければならない状況なのだから、僕が先を行くべきだ。
そう判断して、黒い糸には触れないように注意を払いながら運転席を目指し始める。
「痛ッ!!」
「清瀬くん……!」
「大丈夫です。これ……刃物になってるみたいだ」
斜めに張られた糸を潜ろうとした時、そちらに意識が向きすぎて肩が別の糸に触れてしまったらしい。
黒い液体に触れた時とは異なり、焼かれるような痛みは無い。代わりに、鋭利な刃物で傷つけられてしまったみたいに、肩に一本の線が走っている。
「触るとヤバそうです、慎重に行かないと……」
そうはいっても、慎重には限度があるのも理解していた。電車は揺れているし、緩やかな傾斜が余計にバランスを崩しやすくしている。
人数が多ければ多いほど、ここを抜けるのは厳しくなっていたかもしれない。
生き残っているのが高月さんと僕の二人で良かった。そんな風に考えてしまうくらい、僕の精神は限界に達していた。
「うわっ! クソ、揺れるなよ……!」
「清瀬くん、足元も危ない!」
「ッ……ありがとうございます」
目の前の糸に集中すれば足元への注意が疎かになる。その逆も然りで、どうしたって鈍足になってしまうのがもどかしい。
少しくらい怪我をしたって、このまま死んでしまうよりはマシだろう。そう思って、僕は先ほどまでよりも大胆に足を踏み出した。
「えっ……?」
その時、車体が大きく揺れて僕は体勢を崩してしまう。
左手が何かにぶつかった気がして、そちらに視線を向けてみると、そこにあるはずの何かが無い。
そうだ。僕は左腕を持ち上げているのだから、そこに左手が無ければおかしいはずじゃないか。
「ぎゃああああああッ……!!??」
「そんな……清瀬くんっ!!」
無いと認識した瞬間、これまでに味わったことのない激しい痛みに襲われる。
斜めに切り取られた左手首から上が、どこにも無くなっていた。断面から真っ赤な血が噴き出して、周囲を染めていく。
切断された僕の手首は、ロングシートの上に落ちていた。
血を止めなければ。手首は持ち帰ったらくっつくんだろうか? もうループしていいんじゃないか? いや、怪我はリセットされないんだ。ここまで来たのに諦めるなんて。
ほんの数秒足らずの間に、頭の中で様々な思考が駆け巡る。
「何してるの! 早く止血しなきゃ!!」
そんな僕の後ろに追いついた高月さんが、自分の服の裾を破って僕の腕を強く縛り付けた。
強烈な痛みが走ったが、垂れ流しになっていた血の勢いは落ち着いたように思える。
「ぅ……あ、ありがとう……ございます」
「痛いだろうけど、早く行かなきゃ。ここまで頑張ってきたの、全部無駄になっちゃうよ」
「はい……わかってます」
そうだ、こんな状況を最後尾からやり直すことなんて、できるはずがない。
あれだけの人数がいたから運よくここまで来られたけれど、二人ですべてをやり直すのは無理だ。
「……幡垣さんのやったこと、少しわかるかもしれません」
「え?」
「酷いやり方ですけど……生き残るために、他人を利用することも必要なのかなって」
日常生活の中でも、上に行くために他人を蹴落とそうとする人間はいる。
そこに命が懸かっているとなれば、自分が大切になるのは必然なのではないだろうか?
要領よく生きて他人を利用する人間が嫌いだった。
それでも、僕だってそうできるならそんな風に生きていたのかもしれない。
「……私は、みんなで生き残りたかったよ」
僕の後ろにいる高月さんの表情は見えないが、声音は少し沈んでいるようにも聞こえる。
振り返っている余裕はないので、先を急ぎながら耳を傾ける。
「あんな怪異がいて、現実的じゃないのはわかってるけど。みんな大事な仲間だったから……理不尽な理由で死んでいい人なんて、誰もいなかったよ」
「……そうですね」
店長や福村は僕にとって嫌いな人間だったから、生き残ってほしい優先順位は確かにあったように思う。
けれど、高月さんはそういう人だ。誰にでも分け隔てなく優しくて、仲間想いで、裏表のない人。
「だからこそ、僕たちが生き残らなきゃいけません。全滅したら、ここで起こったことを伝える人間がいなくなる」
「そうだね。電車を降りて、真実を伝えないと。……信じてもらえるかは、わからないけど」
「二人なら大丈夫ですよ。一緒に頭がおかしくなったって思われるかもしれないけど……高月さんとなら、それも悪くないです」
「なにそれ、清瀬くんって物好きだね」
「物好きじゃないですよ。……僕は、高月さんのことが好きだから」
それまで紡がれていた高月さんの言葉が止まったのがわかる。
こんな状況で伝えるべきではないと思うのに、こんな状況だからこそ、伝えておかなければいけないと思った。
手首が痛い。そこだけじゃない、怪我だらけの全身が痛みを訴えている。
だけどそれ以上に、今は心臓が破裂しそうなくらい脈打っているのが聞こえてしまいそうだ。
「こ、こんな時にすいません。だけど、僕はずっと高月さんのことが好きでした。遠くから眺めてるだけでいいって思ってたけど……やっぱり、それじゃ嫌なんです」
絶対に二人で生き残ってやると思う反面、今日が最後になってしまうなら。僕は今抱えているありったけの気持ちを、彼女に伝えておきたい。
「高月さんにとって、僕はただの後輩かもしれません。でも、少しでも可能性があるなら……僕のこと、意識してほしいです」
これまで言葉にすることもできなかった想いが、すらすらと口から出てくるのが不思議だ。
それでもすべて隠しようのない僕の本音で、それを聞いているはずの高月さんの反応はない。
「高月さん……?」
危険な場所を移動しているとはいえ、僕の声は届いているはずだ。
電車が駅に到着したわけでもないので、新たな怪異が知らず忍び込んでいるということはない。――そう考えたところで、絶対はあり得ないのだと思い直す。
間宮さんだって、なんの前触れもなく怪異へと変貌を遂げてしまった。
それならば、高月さんの身に予期せぬことが起こっても不思議ではない。
「っ…………あ……」
血の気が引く思いで振り返った僕の目の前には、高月さんの姿があった。
怪異になってはいなかったのだが、その瞳からはどうしてだか、涙が伝い落ちている。
「た、高月さ……」
「……私の気持ちは、もう知ってるよね」
「え……?」
彼女が泣いている理由すらわからないというのに、気持ちとはどういうことだろうか?
好意も嫌悪も伝えられたことはない。後輩想いの良き先輩で、僕にも優しくしてくれていた。
『……清瀬くんのことは、よく見てるよ』
そこで、電車に乗る前の高月さんの言葉が脳裏に蘇る
まさか。まさかとは思うが、あの時はわからなかった高月さんの言葉の意味。都合よく解釈しすぎかもしれない。
「あの、もしかして……ッ」
『次は、終点。八寒駅。次は、八寒駅。お出口はありません』
問い掛ける途中で、車内にアナウンスが流れる。
とうとう終着駅まで近づいてしまった。僕は優先すべき目的を思い出して、先頭へと向き直る。
運転席はもうすぐ目の前だ。通路の突き当り、向かって右側に運転席へと続く扉がある。
他の扉と同様に中を見ることはできないが、そこに何があるとしても、僕たちは進むしかない。
「高月さん、行きましょう……!」
「……うん」
多少の怪我を気にかけている場合ではない。
僕は張り巡らされた糸をどうにか潜り抜けると、運転席の扉を開けた。
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