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09:6両目
しおりを挟む「閉めろ閉めろ閉めろっ!!!!」
貫通扉を抜けた直後、店長が大声で指示を出す。
最後尾にいた僕は当然そのつもりだったのだが、振り向いた瞬間、化け物は想像していた以上にすぐ間近まで迫っていた。
「うわあッ……!?」
僕のことを食べようとしていたらしい大きな口の中には、夥しいほどの歯が無造作に生えている。
滴る唾液は黒い色をしていて、舌のようなものは見当たらない。
勢いよく扉を閉めた時、夏場に放置した生ゴミみたいな不快な臭いが、僕の全身を覆いつくした。
「うえっ……ゲホッ、おえ……っ」
「清瀬くん、大丈夫……!?」
「あいつ、扉を突き破ってくるんじゃないか!?」
高月さんに背中を擦られながら、僕は急いで扉から離れる。
あれだけの巨体なのだ。喜多川の言うように、こんな扉一枚すぐに突き破って追いかけてきてもおかしくはない。
「…………静かに、なった……?」
けれど、僕たちの予想に反して隣の車両は静まり返っている。扉を叩いたりするような気配もない。
窓は真っ黒に塗り潰された状態なので、化け物がどうしているのかを窺い見ることはできないが。
わざわざこの扉を開けて中を確認しようとする者は、この中にはいなかった。
「……もしかして、車両を移動はできないとか?」
「いや、音の件もあったし断定はできないよ。とりあえず、早めに前の車両に行きたいけど……」
「す、少しだけ……休んじゃダメですか?」
今は入ってこないとしても、隣の車両に化け物がいることは間違いない。
なるべく先に進む方がいいとは思ったのだが、桧野さんは膝をガクガクと震わせながらそんな申し出をする。
人が死んだ上にあんな化け物を見たのだから、そうなるのも無理はないのかもしれない。
「じゃあ、少しだけ」
「ありがとうございます……」
「俺は早く進んだ方がいいと思うけどな。あの化け物が入ってきたらどーすんだ」
「先に進むのが安全だとも限らないだろ、またあんな化け物がいる可能性だってある」
「チッ」
すぐ隣の車両に化け物がいる状態で、この場に留まりたくないという気持ちもわかる。
それでも、先の車両で同じことが起こらないとは断言できない。
福村は舌打ちをすると、店長の方へと移動していった。
勢いのまま飛び込んだはいいが、改めて6両目の車内を見回してみる。幸いというべきか、ここも前の車両と同じように人気のない車内に見えた。
化け物がいるような気配はしないので、ひとまずは安全だと思いたい。
そういえば、いつの間にか乗降扉が閉まって電車が動き出している。
化け物に気を取られていて、走り出したことにも気がつかなかったのだろう。
「後ろの車両には戻れないし、前に進むしかなさそうだね」
「はい。……そうえいば、店長」
「あ? なんだ、清瀬」
「8両目に戻ろうとした時、何を見たんですか?」
進行方向にまた化け物が現れたとしても、僕たちは前に進んでいくしかない。
最後尾の車両には何も無かったのに……と考えたところで、雛橋さんを閉じ込めた8両目のことを思い出したのだ。
僕の問い掛けに、店長と福村は明らかにギクリとした反応を見せる。
「な、何も見とらん! そんなことより早く……」
「死にたくなかったら開けるなって言ってましたよね?」
「うるさい! 黙れ! バイト風情がわたしに意見するつもりか!?」
「バイトだとか今は関係ないですよ」
頑なに口を割ろうとしない店長は、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げている。
自分だって雇われ店長のくせに、店長という肩書きだけでいつも王様気取りの振る舞いをしている男だ。
それを何かと持ち上げている福村は、店長に気に入られているらしいが。
僕はあの居酒屋に永久就職するつもりはないし、就職先が決まるまでの辛抱だと思っていた。おそらく、みんなもそうなのだろう。
「おい、梨本! その靴を寄越せ!!」
「えっ……どうしてぼく……」
「口答えするな! わたしに靴下で歩けというのか!?」
「…………」
怒りの矛先が、乗降扉の前に立っていた梨本さんに向かう。
いきなりの要求に動揺している彼は、半ば奪い取られるような形で、履いていたスニーカーを店長に差し出すことになった。
恰幅のいい梨本さんは、足のサイズも大きいらしい。
背の低い店長には合わないみたいだが、靴紐をぎゅうぎゅうに結んで無理矢理に履いていた。
一方の梨本さんは、足の親指の部分に穴が開いた靴下だけの状態になってしまう。
可哀想だとは思うものの、あの液体の件もある。自分の靴を譲るわけにはいかないし、そもそも僕の靴では入らないだろう。
「……ねえ、琥珀ちゃん。さっき、8両目の様子が見えてたよね?」
「え……あの、えっと……」
彼らが横暴なやり取りをしている最中、高月さんがこっそり桧野さんに話しかけている。
そういえば、彼女はあの二人と共に8両目の貫通扉に近い場所に立っていた。そして、何かを見て青ざめた表情を浮かべていたことを思い出す。
高月さんも、そんな桧野さんの様子に気がついていたのだろう。
「雛橋さんに何があったのか、教えてもらえないかな?」
「あ、あたし……」
桧野さんは、店長と福村の方へチラチラと視線を向けている。告げ口をするような形になるから、迷っているのかもしれない。
「大丈夫、桧野さんのことは僕たちで守るよ」
「清瀬先輩……」
「俺も……! 桧野さん守るためなら、店長とこぶしで戦ってもいいし!」
「暴力沙汰はちょっと……いや、でも向こうも先に手出してるしな……」
さすがに怪我をさせるのはまずいと思ったのだが、考えてみれば店長はすでに桧野さんに怪我を負わせている。
いざとなったら正当防衛として、僕も証人になることにしよう。
「……あたし、あの時なにも言えなくて……」
「うん?」
僕と喜多川のやり取りに、桧野さんの表情が少しだけ和らいだように見える。
思案するみたいに俯いた彼女は、ぽつりぽつりと話し始めてくれた。
「福村先輩が扉を開けた時、8両目の中が見えました。でも、その先には何も無くて……」
「何も無い?」
彼女の言葉の意味がわからずに、僕たちは首を傾げる。
8両目は最後尾の車両なので、その先に別の車両が続いていないことは確認済みだ。それが、扉を閉める理由にはならないはずなのだが。
「真っ暗で……闇が、迫ってきているみたいでした。電車が……飲み込まれてるみたいに……」
「飲み込まれてる、って……8両目が、電車の外みたいになってたってこと?」
「っ……はい……」
桧野さんは瞳から大粒の涙を落として、コクコクと頷いている。
僕たちからその光景は見えなかったが、彼女の言うことが事実なのであれば、8両目は最後尾から外と同じ闇に浸食されていたということだ。
その闇が迫ってきていたから、店長と福村は慌てて扉を閉めることにした。
つまり、8両目に取り残された雛橋さんは、その闇に飲み込まれてしまったのか。
「……話してくれてありがとう、琥珀ちゃん」
「あたし……ッ、雛橋さんを助けられたかもしれないのに……」
「桧野さんは悪くないよ! 福村たちが、扉を閉めたりしなければ……!」
「俺たちがなんだよ?」
桧野さんを励ますために、喜多川の声量が大きくなる。それによって、会話の一部が当人たちに聞こえてしまったらしい。
「お前らが雛橋さんを殺したようなもんだ」
「バカを言うな喜多川! わたしたちが何をしたというんだ!?」
「扉を閉めたじゃないですか、助けられたのに。死ぬってわかってて閉じ込めたんだ」
「ハッ、あの女がどんくさいからだろ。自分のトロさを恨めばいい」
「……最低」
自分の非を認めることをしない店長と、開き直った福村。軽蔑の眼差しを向けながら、高月さんが小さく言葉を落とす。
「殺したっていうんなら、お前もだろ。清瀬?」
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