最終死発電車

真霜ナオ

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08:食事

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「それじゃあ、みなさんも早く……」

「退かないか! お前らは年功序列という言葉を知らんのかグズ共が!!」

「あっ、店長待ってくださいよ! 俺も行きますってば!」

 続いて他の人たちを誘導しようとした僕は、またしても眼前の光景に目を疑ってしまう。

 通ることができるとわかった途端、周囲の人間を押し退けて、店長が前に出てきたのだ。その後に続いて、福村も慌ただしく駆け寄ってくる。

 どのみち全員こちらに来てもらわなければならないし、ここで揉めて状況が悪化するのだけは避けたい。
 どうやら同じ考えらしい後方のメンバーは、不満そうな顔をしているものの、店長たちを止めようとはしていなかった。

「いいか、喜多川! わたしをきちんと受け止めなければどうなるか、わかってるだろうな!?」

「えっ!? あっ、はい……!」

「そらっ!! うおぉッと……!?」

 唐突に名指しされた喜多川は驚きに裏返った声を出しているが、先ほどの様子を見た店長は、体格のいい相手に受け止めてもらうのが確実だと判断したのだろう。

 けれど、足を踏み切る瞬間につま先が液体を踏んでしまったらしい。 
 滑った店長は体勢を崩して、液体の真上に倒れてしまうかに思われた。それを寸でのところで喜多川が腕を掴んで支え、乱暴に引き寄せる。

「っ……店長、大丈夫ですか?」

「うわああああっ!! 靴が……!!靴がっ!!!!」

「おわっ、あっぶね……!?」

 喜多川の咄嗟の判断で難を逃れることができた店長だが、引っ張られた拍子に液体を思い切り踏んづけてしまったようだ。

 靴底からはジュウジュウという音と共に煙が出ていて、ゴムの焼ける嫌な臭いがする。
 情けない悲鳴と共に脱ぎ捨てたそれを、店長は思いきり投げ捨てた。

 その靴が、続いてやってきた福村の顔面にヒットしかける。
 反射神経のいい福村は、器用に身体をひねってその靴を避けることに成功した。悪運の強い男だ。

「クソッ、お前がもっとしっかり支えないからこんなことになるんだぞ!? あれがいくらしたと思ってる!?」

「はあ……すんません」

 理不尽な物言いに、とりあえずという感じで謝っている喜多川に同情しつつ、僕は他のメンバーを誘導する。

 怖がりながらもどうにかジャンプに成功した間宮さんは、どこからその余裕が出てくるのか、スマホで化け物の写真を撮っているようだ。
 残っているのは、一ノ瀬いちのせ黄金こがね梨本なしもと銀造ぎんぞうの二人だった。

「清瀬、やっぱこんなの無理だって……!」

「無理じゃないよ、一ノ瀬。みんなできてるだろ? 飛ぶだけだから」

「でもさあ……! あたしが運動音痴なの知ってるじゃん!」

 どうしても恐怖心に打ち勝てないでいるらしい一ノ瀬は、人の噂が大好きで口が軽いところが玉にきずな、僕の同期だ。
 もう何人もこちらに移動しているというのに、それを見てもなお決心がつかないらしい。

「……行かないなら先に行くぞ」

「えっ……あっ……」

 そんな彼女を励ますでもなく、梨本さんは無表情のまま巨体をドスドスと走らせて、僕たちの方へと飛び込んできた。
 さすがに一人で受け止められる気はしなかったのだが、喜多川と二人でどうにか衝撃を受け止める。――それでも、軽く殴られたような感覚を味わったのだが。

 梨本さんは、42歳だけど特に先輩というわけではない。僕がバイトを始めるよりも、ほんの数日前にキッチンで採用された人だ。

 喋っている姿をほとんど見たことがない上に、一ノ瀬の噂話によれば、自分の不細工さや体格、学歴などのすべてにコンプレックスを抱えているらしい。

 実際、愛想良く接しても返事がないこともある。
 闇の深そうな人だ。近寄るなという雰囲気が強すぎて、今日まであまり関わってきたことがなかった。

 受け止めた礼もなく、梨本さんは車両の前方へと熊のように移動してく。
 僕は気持ちを切り替えて、一ノ瀬の方へと向き直った。

「ほら、一ノ瀬。あとはお前だけだぞ!」

「うぅ……」

「大丈夫、飛べばいいだけだから! 早く……」

「清瀬くん……!」

 早く来いと言いかけたところで、緊張感の走る高月さんの声が僕の名前を呼ぶ。
 呼ばれた理由は、問い返すまでもなくわかっていた。あの化け物が、動こうとしているからだ。

「な……」

 やや背を丸めるようにしてじっとしていた化け物は、喉らしい箇所を一度ゴクリと動かす。
 唾を飲み込むというよりも、まるで何か食べ物でも嚥下えんかするみたいに。

「なんで……急に動き出すの……!?」

「もしかして、湖山を飲み込んだのか……?」

 福村の思わぬ言葉に、僕は鼓動が速まるのを感じる。
 あの黒い液体に溶かされることのない化け物の身体の仕組みなんて、わかるはずがない。ただ、口の中に入れば必然的に溶かされるものと思っていた。

 それは間違いだったのかもしれない。
 今まで化け物が動かなかったのは、食事・・をしていたからではないのか?

 だとすれば、食事・・を終えたあの化け物は、また動き出すのではないだろうか?

「っ、一ノ瀬! 走れ!!」

「えっ、なに……?」

「いいから走れ!! 死にたいのか!?」

 一ノ瀬は状況を飲み込めていないらしく、突然動き出した化け物を見て全身を震わせている。
 そうしている間にも、僕から見える位置にある化け物の右手は、何かを探るみたいに床を這いまわり始めていた。

「時間がない、化け物が動き出すぞ!! 走れ一ノ瀬!!」

「一ノ瀬さん、早く!!」

「うえ……動くって……」

「早く走れ!!!!」

 僕たちは口々に、一ノ瀬を急かす言葉を投げかける。さすがの彼女も、切迫した状況であることをようやく理解したらしい。
 数歩を後ずさりしてから、泣きそうな顔のままこちらに向かって駆け出してきた。


 バクン!!!!


 そんな音が聞こえたような気がする。
 真っ直ぐに僕を見ていた一ノ瀬の姿が、一瞬のうちに消えて無くなっていた。

「……え……」

 一ノ瀬の身体が化け物の真正面に差し掛かった時、大きな口が寸分の狂いもなく彼女の身体を飲み込んだのだ。
 分厚い壁に遮られているみたいな悲鳴が、小さく聞こえてくる。

「うそ……聞こえてないんじゃ……」

「そんな……」

 音に反応しないのだから、聞こえていないのだとばかり思い込んでいた。
 それは、単にあの化け物が食事・・の最中には、他のものに気を逸らさないというだけの話だったのかもしれない。

「い、一ノ瀬……」

 悲鳴は、もう聞こえない。それがなにを意味するのかは、考えるまでもないことだろう。
 僕のせいで、一ノ瀬は化け物に食われてしまったのか。

「……清瀬くん、行こう」

「高月さん、でも……」

「行かなきゃダメ、あれがこっちに来るよ」

 僕の腕を引く高月さんは、先ほどまでよりもずっと潜めた声で僕に話しかけてくる。
 もう一度目を遣ったあの化け物は、湖山の時よりも早く一ノ瀬を飲み込んだらしい。

(目覚めたばかりの状態では、僕も朝食を食べ進めるのはかなり遅いんだ)

 そんな場違いなことを考えながら、『じゃあ目が覚めたら?』という僕の考えを、まるで読んだみたいに。

 巨躯きょくを僕たちの方へまっすぐに向けた化け物は、ズリ……ズリ……と音を立てて、膝立ちのまま近づき始めたのだ。

「まずい……っ、早く6両目に……!」

「開けろ……! 早く開けんか!!」

 膝で歩む速度こそ遅いものの、化け物が腕を伸ばせば簡単に僕らに届いてしまう。

 再びパニックに陥った店長に急かされるまま、福村が貫通扉を開ける。
 その先がどうなっているかなんてわからなかったが、ここに留まれば間違いなく化け物に殺される。

 その場にいた全員が足を止めることなく、一目散に6両目の車内へと駆け込んでいった。
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