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第一章 クナイ

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「外に出るって、なに言ってんだおまえ」

 呆れたようなユリスの第一声だが、オレは至って大真面目なのだと主張するために床の上に正座をする。

 寝台の端に腰かけた彼はこちらを見下ろしながら適切な言葉を考えているのだろう。

 その腕には真っ白な包帯が巻きつけられていて、薬のために血を抜かれた後なのだということがわかった。

 オレたち魔狼にしかできない毒花の管理は、国としても最重要課題とされている。

 毒花という存在の詳細については国民には明かされておらず、その血液が万能薬になることは魔狼の中でもごく一部にしか知られていない。

 これは毒花の悪用を企む危険因子が生まれる可能性を排除するためで、オレたち兄弟はそんな重要な任務を任されている魔狼だ。

 だけどオレは、任務じゃなかったとしても毒花――ユリスのそばにいたい。

「ずっと屋敷に篭りっぱなしじゃつまんないだろ。寝る前に気分転換しよう」

「無理に決まってんだろ、庭にだって出られねーのに」

 ユリスの暮らす屋敷には、複数人の魔狼によって施された特殊な結界が張られている。

 この屋敷の内側でなら、ユリスの身体から放出された毒素を閉じ込めておくことができる仕組みだ。

「おまえは魔狼のくせに世界を滅ぼすつもりか」

「そうじゃないって! ほら、これ!」

 自分の屋敷から持ち出してきた鞄の中から、オレはあるものを取り出してみせる。それはユリスの体格よりも一回り大きなサイズの、真っ黒なローブだ。

「なんだよ、これ?」

「この屋敷の簡易版っていうか、オレが魔力を込めた特別なローブ。長い時間は無理だけど、半日くらいならそれ着て外歩き回れるはず」

「は……? おまえ、こんなもんどうやって許可貰って……」

「いや、ソルダムたちには内緒で作ったけど」

「おまえなあ……!」

 外出許可が欲しいからと言ったところで、どうせ却下される未来は目に見えている。

 だからこそオレはこの日のために魔力の込め方について猛勉強をして、半日という期間だけでもユリスが自由になれるよう準備を進めたのだ。

「いや、仮に……仮にな? 可能だとしてもこっちがあるだろ」

 そう言ってユリスが視線を落としたのは、自身の足元――足首に嵌められた枷だった。

 この屋敷でのみ生活できるとはいえ、ユリスが万が一にも反乱を起こさないとも限らない。

 毒花の管理を任された一族としては、保険のためにこうして物理的な拘束もしておく必要があると判断したのだ。

 分厚い鉄の塊は簡単に壊すことなどできる代物ではない。いっそユリスの足首を切り落とした方が早いだろうとさえ思われる。

「ここまでしといて、準備怠るわけないだろ?」

 ニヤリと口角を持ち上げたオレは、ポケットの中から一本の大きな鍵を取り出してみせる。

「お、おまえ……! どんだけ計画的な犯行を……!?」

「そりゃ入念に準備するに決まってるだろ。今日と明日はオレが世話係の日だから、ダイルもソルダムもここには来ないし」

 なにもユリスをこの屋敷から逃がそうというわけではない。もちろんそうできたら一番良いが、その後に暮らしていける術が無いのでは意味がない。

「いいのかよ、魔狼がこんなことして」

「種族じゃなくて、オレが勝手にしてることだし」

「……知らねえぞ、親父から罰受けても」

「ユリスとデートできるならいい」

「デートって、あのな……」

 急な提案に戸惑うユリスは視線をあちこちに彷徨わせていたが、最終的には根負けしたらしく枷の嵌まった片足を差し出す。

 その足を自分の膝に乗せて錠前に鍵を差し込むと、ごとりと重たい音を立てて外れた枷が床に転がった。

「それじゃ、着替えてデートだな!」

「……はあ」





 *  *  *





「ユリス、足痛くない?」

「へーき。俺の足のサイズとかよくわかったな」

「そりゃ、いつも触ってるから覚えてた」

「うわ、変態かよ」

「っ、違うって!」

 積もった新雪を踏みしめながら、ランタンの灯りを頼りにユリスの手を引いて山道を順調に登っていく。

 一人なら難なく駆け抜けられるこの雪道も、今日は相棒が一緒だから時間をかけて進んでいく必要がある。

 真っ黒なローブを纏うユリスは、着込んだ防寒具も相まってほとんど目元しか見えていない。

「……マジで効果あるんだな、このローブ」

 ぽつりと言葉を落としたユリスは、枯れた木々のそばを通り過ぎる度に不思議そうにそれを眺めている。

「効果無いのにこんなことしないって」

「ま、リスクがでかすぎるか」

 ユリスは常時毒素を放ち続けているわけではなく、感情の揺れやふとした拍子に毒素が放出されてしまうらしいと聞かされたことがある。

 それが本人の意思で制御できるものであれば良かったのだが、そうではないから監禁状態で生活するしかなくなっていた。

 ローブの効果が無い状態だった場合、こうしてそばを通り過ぎた木々たちはたちまち腐食して崩れ落ちていくのだという。

「で、どこ行くつもりなんだよ?」

「それは着いてからのお楽しみ」

「人のこと誘拐しといて教えてくれねーのか」

「人聞き悪いって!」

 言葉には棘があるようにも聞こえるが、楽しそうに笑うユリスの姿にオレの尻尾が自然と揺れてしまう。

 白い息を吐き出しながらしばらく歩き続けていると、ようやく長い上り坂の頂上まで辿り着いた。

 足を止めたオレの隣に並び立ったユリスは、ちらりとこちらを見た後に目の前の光景を視界に入れて息を呑む。

「わ……っ」

「ここ、オレのお気に入りスポットなんだ」

 途切れた道の先は高い崖になっているが、その先へと視線を落とせば雪に包まれた広い街並みが一望できる。

 闇夜の中に散らばる星明かりと人工的な街の明かり。異なる二つの光がきらきらと輝く光景を眺めるのが好きだった。

「……綺麗だな」

「だろ? 今日が吹雪じゃなくて良かった」

 毒花であるユリスの住まう屋敷は、山の奥深くにある森に囲まれた土地に建てられている。

 彼の世話係となるオレたちの住む屋敷もまた、比較的街に近くはあるものの人気のない場所にあるから、使用人や兄弟が定期的に街へと降りる必要があった。

「これをオレに見せたくて、ルール違反までしたのかよ」

「そ、その話はもういいだろ……!」

「こんなことして、オレが逃げ出したらどうするつもりなんだ?」

 繋いだままの片手を軽く引かれる感覚に、オレは自然と景色からユリスの方へと視線を向ける。

 金色の瞳は街ではなくてオレの方を見つめていて、それは心奪われる目の前の明かりより何倍も美しく見えた。

「……なんてな。ほら、バレる前に帰るぞクナイ」

 口を開くよりも早くユリスがそう言って踵を返すから、彼を引き留めたくなったオレは反射的に握った手を引いてしまう。

 それが想定したよりも強い力だったようで、不意のことでバランスを崩したユリスが足を滑らせる。

「うわっ……!?」

「ユリス……!」

 咄嗟にランタンを投げ捨てた腕をユリスの方へ伸ばすと、オレは下敷きになる形で彼の身体を抱き留めることに成功した。

「わ、悪い……クナイ、大丈夫か?」

 カシャン、と音を立てて落ちたランタンは灯していた火も消えてしまい、もう使い物にはなりそうもない。

 けれど、ユリスに怪我はないようだったので安堵する。オレ自身も防寒具越しの背中が少し冷たさを感じるが、特に問題はなさそうだ。

 月明かりのお陰で、見上げた先のローブの隙間から赤い髪がはらりと滑り落ちてきたのが見える。

「……逃げないだろ、ユリスは」

 先ほどは音に乗せられなかった言葉を口にすると、彼の瞳が小さく見開かれたような気がする。

「…………どうだろうな?」

「オレが逃げろって言ったって逃げないじゃん」

 そうすることができないとわかっていても、逃げてほしいと口に出さずにはいられない子どもだった時期があったのだ。

 そんなオレに目の前の彼は、「自分の意思でここにいるのだ」と笑っていたのを覚えている。

 その時のことをユリスも思い返しているのか、子どもにするみたいに優しく頭を撫で付けてきて、胸がきゅっと締め付けられる思いがした。

「毒花のことなんか気にしなくていいんだよ、おまえは」

「ユリス」

 咎めるように名前を呼ぶと、ユリスは困ったみたいに視線を泳がせてから身体を起こして片手を差し出してくる。

「……帰るぞ」

 こうしていつも線を引かれてしまうのに、オレはいつだってその一線を越える術を思いつくことができない。

 手を取って立ち上がったオレは歯がゆさを抱えたまま、結局はまたあの屋敷にユリスを送り届けなければならないのだ。

「クナイ」

「……ん?」

「連れてきてくれてありがとな」

 オレを見上げて微笑んだような気がしたユリスの表情に、なんとしてでも彼を自由にしてやりたいという思いが、今日もまた強まっていくのを感じた。
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