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29:怪異の正体
しおりを挟む体力も限界にきている柚梨を支えながら、石段を上がっていくと広い境内が見えてくる。
しかし、そこに人気があるようには到底見えなかった。スマホを見れば、とうに二十一時を過ぎている。
考えてみれば当然だ。こんな時間に、参拝客を迎えることはないのだろう。
肩を大きく上下させながら、打つ手が消えてしまったように思えて俺は立ち尽くす。
後ろを振り返ると、階段のすぐ下にも怪異が迫っているようだった。
「着いたはいいけど、どうすんのよ!? 神社にいるだけじゃ、アイツから逃げらんないじゃない!」
「わかってる! とりあえず、どうにかしてアイツを撒いて……」
「……ああ、やはりいらっしゃった」
俺と葵衣の言い合う声に混じって、落ち着きのある穏やかな声が耳に届く。
拝殿の向こう側から姿を現したのは、一人の年配の男性だった。
紫地に白い文様の入った袴を纏う彼は、恐らくこの神社の神主であろうことが見て取れる。
白髪交じりの髪を後方に撫でつけながら、穏やかな笑みを浮かべてその人物はこちらへやってきた。
「あの……!」
「今日は、どなたかがいらっしゃる予感がしておりましてね。お待ちしていました」
その口振りは、まるで俺たちがここに来るということを予想していたようだった。
神主は俺たちの後ろへ歩みを進めると、階段の上で数珠を構えて何やら唱えている。
彼の背中を呆然と眺めていた俺たちだったが、電子音が鳴ったことでスマホに目を遣る。
先ほどまで起動しなかった地図アプリが、いつの間にか正常に作動していた。
「生者の方以外は、立ち入らないようにしておきました。さて、奥へどうぞ」
神主に促されて、俺たちは拝殿の奥にある本殿の中へと案内される。
彼以外に人はいないようだったが、用意してもらった座布団の上にそれぞれ腰を落ち着けた。
始めは信じてもらえないのではないかと思ったが、神主は俺たちの現実とは思えない話に、真剣に耳を傾けてくれた。
怪異が起こり始めたきっかけや、これまで起こった出来事を話すうちに、神主の表情が徐々に険しいものへと変化していく。
「それで、身代わり人形が成功したと思ってたんですけど……そいつはやっぱりまだ、消えてなかったんです。それで、祓い師の人にも協力してもらったんですけど、彼女もやられてしまって……」
「……なるほど、それであなた方はこの場所へいらしたんですね」
「はい。スマホを買い替えても意味が無くて……もう他に、手段が思い浮かばなかったんです」
「あの、闇空って人、ここに来たことないですか? いかにもオタクっぽい感じの……あ、武志って名乗ったかも」
神主にそう問いかけたのは葵衣だった。
闇空とは、あのブログにコメントを残して失踪した人物の名前だ。確かに彼がここに来たかどうかは気になるが、それ以上に引っ掛かることがある。
「闇空……って、もしかして、お前の兄貴なのか?」
頷く葵衣を見て、俺はまさかそんな偶然があるものかと驚いた。
暗黒魔術師と連絡を取り合っていたのは、彼女の兄だったというのか。
「……いえ、覚えがありませんね。あなた方と同じ相談事をしにきた人間は、これまで一人もおりません」
「そう、ですか……」
葵衣の兄もまたここを目指していたはずだが、辿り着く前に怪異にやられてしまったということなのだろう。
眉間に皺を寄せている神主は、柚梨と葵衣に交互に視線を向ける。
正確には、その視線は彼女らの背後に向けられているようにも思えた。彼の目には、何かが見えているのかもしれない。
「本来、死者の世界というものは軽々しく関わるべきではない。しかし、何がきっかけでその扉が開くかは、誰にもわからないものです」
「けど……親友や家族の死を、どうしてもそのままにはできなかったんです」
肝試しをしたり、都市伝説を探ってみたり、興味本位で現実とは別の世界の何かに触れようとする者も少なくはないのだろう。
けれど、俺たちが怪異に巻き込まれたのは、少なくとも軽い好奇心などではない。
「……それこそが、扉を開く鍵だった」
「え……?」
神主が何を言っているのかわからず、俺は柚梨と顔を見合わせる。
「人の情念というものは、この世でもっとも恐ろしい。何かに対する愛情や憎しみ、執着を持ったまま死んでいった者の魂は、悪いものに取り込まれやすいのです」
神主の視線は、はっきりと柚梨と葵衣の間に注がれていた。
まるでそこに、俺たち以外の別の誰かがいるかのように。
「その執着が強ければ強いほど、当人の意思ではどうにもならないまでに、感情が暴走する。あなた方にとって、とても大切な人だったのでしょう?」
「一体、何の話をして……」
不意に、耳元で聞こえたのは呻き声だった。はっきりと、吐息が肌をくすぐるほどに近く。
俺も柚梨たちも、動くことができなかった。そんな俺たちの様子に構わず、神主は話を続ける。
「彼らにとっても、同じくらい大きな執着があった」
彼らとは、誰のことを指しているのだろうか。
どうして、この不快なはずの呻き声に懐かしさを感じるのだろうか。
「そうでしょう? 瀬戸武志くん、新庄幸司くん」
その瞬間、俺の視界の端に映ったのは、見慣れた茶色い髪だった。
思わず柚梨を庇うようにして、転がりながらその場を離れる。
振り返った先に立っていたのは、あの黒い影をした恐ろしい怪異だった。そのはずだったのだ。
「な、なんで……?」
しかし、その姿にはよく見覚えがある。
全身が黒いモヤに覆われているが、それは間違いなく日常が変化したあの日、俺が目にした幸司の姿だったのだ。
大きく見開かれた瞳に口元から垂れ下がる舌、まばらに生えた歯。頭部には茶色い髪が生えて、胴体はこちらに背中を向けていた。
「うそ……だろ……」
俺は、そう口にするのが精一杯だった。
これまで俺たちを執拗に追いかけてきていた怪異が、遂にその全貌を露わにした。
その正体が、まさか幸司だったというのか。
その事実を受け入れることができない俺の意思に反して、この目は確かに、幸司の姿を捉えている。
「あ……兄貴……」
そして、幸司の隣にはもうひとつ、黒い人影が立っている。
それは恐らく、闇空……葵衣の兄なのだろう。
彼らの死の真相を突き止めるために始めたことだったというのに、俺たちを恐怖に陥れていたのが、その張本人だったというのか。
「武志、オメェ……何でこんなことしやがんだ、葵衣は大事な妹だろうが!?」
怪異の正体を知って、怒りのままに飛び出したのは丈介だ。
葵衣を苦しめるものの正体がほかならぬ自分の友人だと知って、理性的ではいられなくなったのだろう。
だが、飛び掛かった丈介は武志の影をすり抜けてしまった。
「丈介さん……!」
勢いのまま転がった丈介は、部屋を区切っていた障子を突き破ってしまう。
丈介に触れさせなかった影は、葵衣の方を見ている。恐ろしいはずなのに、どうしてだかその視線は悲しげなものに見えた。
「心配はいりません。武志くんは、あなたのお兄さんなんでしょう? この場所へ導いてくれたのも彼だ。そして、彼は妹さんを守ろうとしている」
「兄貴が……アタシを……?」
「彼の執着は、あなたを一人残して逝ってしまうことだった。愛情深い優しいお兄さんだ。これまであなたに近寄ろうとした悪いものは、すべて彼が排除してくれていたんですよ」
「武志……」
同じように赤い紙を引いたはずだが、確かに葵衣には直接的な怪異の影響は、無かったように思う。
俺たちが見ていないだけで、怖い思いをしているのではないかと考えたこともあったが。神主の言葉が事実だとするならば、彼女はずっと守られていたのだ。
(あの時襲ってこなかったのも、もしかして葵衣のお兄さんだったのか……?)
俺は、パワーストーンを購入した時に現れた、謎の怪異のことを思い出す。
怪異は同一だと思い込んでいたのだが、別人だったというのなら、攻撃性がないものがいることにも納得ができた。
「問題は、どうやらそちらのようですね」
そう言って神主が向き直ったのは、幸司の姿をした怪異だ。
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