冥恋アプリ

真霜ナオ

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14:張り付く者

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 翌朝。
 無事に待ち合わせ時間に駅前に到着した俺は、白いワゴン車の助手席に座っていた。運転席には丈介が、後部座席には柚梨と葵衣がいる。
 迎えが来るまでの間は妙な緊張感に包まれていたが、今の車内はまるでこれから遠足にでも向かうかのような空気だ。
 それも、後部座席に座る女子二人が意気投合して、盛り上がっているからだろう。
 今は今朝発表されたばかりの、有名アイドルの電撃結婚についての話をしているようだった。

(……多分、気を使ってくれてるんだろうな)

 柚梨に命の危険が迫っていることは、車内にいる全員が承知の事実だ。
 そうかといって、重い空気のまま村まで車を走らせることもない。
 一緒に後部座席に座ることを提案したのも、思えば葵衣からだった。
 適当なラジオを流しながら運転する丈介の横に座る俺は、少なからずの気まずさを感じてはいるのだが。

「あの、運転ありがとうございます。俺も免許持ってたら良かったんですけど……」

 後ろの二人の会話を遮らないよう気遣って、控えめに丈介に声を掛けてみる。
 特にこちらを見ることもなく、正面を向いたままの丈介は口を開く。

「気にすんな。運転は趣味みてェなモンだしな」

 見た目から荒い運転をしそうだという偏見があったが、丈介の運転はとてもスムーズだ。
 一時停止もきちんとするし、ブレーキも不要な振動を感じさせない。
 カフェでの注文を見ていてもそうだが、甘いものが好きなのだろう。
 こういうのをギャップというのだろうか、などと思いながら彼の横顔を見ていたのだが、どうやら凝視しすぎていたらしい。
 赤信号で停止すると、丈介が急に俺の方を向いた。

「気になるか?」

「えっ……!?」

 唐突な問いかけに、思わず声が裏返ってしまった。
 そんな俺の様子を気にすることもなく、丈介は自身の眉間を指差す。そこにあるのは、左頬にかけての大きな傷跡だ。
 そういうつもりではなかったのだが、彼を見ていたことでその傷が気になっているのだと、勘違いをさせてしまったようだ。
 確かにその傷跡も気にはなるのだが、気軽に理由を聞いても良いものなのだろうかと焦る。
 そんな俺の心中を知ってか知らずか、丈介は低い声をさらに低くして話し始める。

「コレはな、オメェらくらいの年の頃に、とある組のモンに因縁つけられてよ……タイマン張った時にザックリ」

「ヒェ……!?」

 とんでもない話を聞かされているのではないかと、俺のこめかみを冷や汗が伝う。
 やはりカタギの人間ではなかったのかと震えるが、次いで後ろから不似合いな野次が飛んできた。

「ナニが組のモンよ。中学の時に悪ふざけしてて、ジャングルジムから顔面落ちした時の傷でしょ」

「え、ジャングルジム……?」

 今しがた聞かされた話に似つかわしくない単語に、頭がついていかない。
 ぽかんとした顔で彼を見る俺の肩を叩いて、丈介はルームミラー越しに葵衣を見る。

「バラすんじゃねーよ葵衣、コイツ今ビビってただろうが」

 そのまま信号が変わり、車が動き出す頃になってようやく俺はからかわれたのだということに気がつく。
 強張っていた肩の力が抜けていくのを感じると共に、後ろではそんな俺の様子を見て柚梨も笑っているのが伝わってきた。

「丈介ってこんな顔だから、スグ勘違いされるんだよね。一緒に歩いてるとたまに警官に声掛けられるし」

「オメェがか弱い女子高生演じたりすっから、話がややこしくなるんだろうが。毎度同じ言い訳させられるオレの身にもなれ」

 申し訳ないが、その光景が容易に想像できてしまう。
 見た目で怖い人なのではないかという印象が拭いきれなかったが、実際はユーモアのある面白い人物なのかもしれない。

「最初に兄貴がダチだって言って丈介連れてきた時は、絶対カツアゲされてると思ったけど」

「あン時お前スゲー顔してオレのこと見てたな」

「だってさ、あの兄貴だよ? 丈介じゃなくてもカツアゲされてそうだし」

 初対面の時を思い出しながら談笑する二人の姿に、彼らの大切な人も被害者の一人なのだということを思い出す。
 まだまだつらい時期であろうことは考えるまでもないが、そんな様子を微塵も見せない二人はとても強く見えた。

「葵衣のお兄さんって想像すると、丈介さんに近そうなんだけど」

「全っ然。真逆。陰キャ代表っていうか、根暗オタクで表に出すのもハズい感じ」

 気が強く物怖じしない葵衣から思い浮かぶ兄といえば、明るそうなイメージがあった。
 けれど、その印象は即座に否定されてしまう。それどころか、想像以上に酷い言われようだ。

「確かに暗いは暗い奴だったな。けど、極度の人見知りなだけだろ。オレとは結構喋ってたしよ」

 そう言って口元を緩ませる丈介の横顔は、どこか過去を懐かしむようだ。
 その姿を見て、俺は自分と幸司もかつては似たような関係性だったことを思い返す。

「……俺と幸司……親友も、最初はそんな感じでした。アイツはお調子者で誰とでも仲良くなるような奴だったけど、俺はすぐ打ち解けられるタイプじゃなくて」

「樹、幸司くんが来ると私に一緒にいてってオーラ出してたよね」

「そんなこと……」

 ない、とは言い切れず口ごもってしまう。後ろから葵衣の笑う声が聞こえた。
 親友と呼べるまでの関係になれたのは、柚梨の存在が大きかったのも事実だろう。
 物怖じせずグイグイとくる幸司は距離感が近く、俺だけでは壁を作ったままだったかもしれない。

「いい奴だったんだな」

「……はい、最高の親友でした」

 過去形にしなければならない現実を、まだ受け入れられない。生涯の友人になるのが、当たり前の存在だと思っていた。
 鼻先がツンと痛み、それを誤魔化すように窓の外へと顔を向ける。高いビル街ばかりだった風景は、気がつけば高速道路の壁に遮られて見えなくなっている。

「……?」

 しんみりとしてしまった空気を変えたくて、口を開こうとした時だった。流れていたラジオの中に、ノイズが混じったような気がして不審に思う。
 電波が悪いのかもしれないと思ったが、ノイズは少しずつ大きさを増して、ラジオの声がかき消されていく。
 代わりに聞こえてきたのは、あの呻き声だった。

「ッ……」

 車内を見ると、今度は俺だけではない。柚梨にも、そして他の二人にもこの声は聞こえているようだった。
 咄嗟にラジオの放送局を変えようとボタンを押してみるが、ノイズは収まらない。
ラジオ自体を消すこともできなかった。

 助手席側のサイドミラーに目を向けると、そこに黒いモヤが見える。モヤというよりも、それは蛙のように車の側面に張り付く、人のような形をしていた。
 まだ明るい時間帯で、周囲には同じく走る車も多いのだが、他の車の人間は誰もその黒い人影には気がついていない様子だった。
 というより、もしも見えているのであれば、驚いた人間が事故を起こしてもおかしくない異様な光景だ。

「きゃあッ……!」

「柚梨ちゃん、こっち……!」

 開かれた口から垂れる長い舌は、後部座席の窓を這うようにうごめいている。
 その窓ガラス越しには、柚梨がいるのだ。
明らかに彼女を獲物として狙っているような動きに、車内に緊張が走る。
 短い悲鳴を上げる柚梨を、葵衣が自分の方へと抱き寄せる。車内で物理的に距離を取るには限界があるが、それ以外に方法もない。

 瞳があると思われる部分は底の無いみぞのようになっていて、あの日電車で見た幸司の姿を思い出す。
 その目は車内が見えているのかいないのか、何かを探すように窓ガラスに顔を擦りつけている。
 それは車外にいるというのに、呻き声だけはスピーカーから聞こえてくるのが不可思議だった。

 どれくらいそうしていたのか、やがてモヤは風圧に吹き飛ばされるようにして、徐々に小さくなり消えていく。
 同時に、ラジオには元通りの和やかな音声が戻ってきた。

「……消えた……のか……?」

 四人揃って同じ幻覚を見たのだと思えたら、どれほど良かっただろうか。
 しかし、後部座席の窓には黒く汚れた液体のようなものが、べったりとこびりついていた。
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