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13:束の間の休息
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二日ほどが経って、淡紅が無事に目を覚ました。
傷が消えたとはいっても、眠り続けたままだったらどうしよう。そんな風に不安を抱えたままだったので、この二日は生きた心地がしなかった。
「僕にもさ、兄弟がいたんだよ。兄貴なんだけど」
「そうなんだ? けど、紫土くんが弟ってちょっとわかるかも」
「う~ん、僕は弟か妹が欲しかったんだけどね。兄ちゃんって呼ばれたかったし」
「お兄さんと仲良くないの?」
「いや、仲は良かったよ。僕は兄貴のこと好きだったし、兄貴にも可愛がられてたと思う」
私と同じように淡紅を心配していた紫土くんは、彼女が目を覚ますまで屋敷に泊まり込んでいた。
今はようやく気が抜けて、私は紫土くんと二人で、縁側でお茶をしているところなのだけど。紫土くんはずっと、お兄さんのことを過去形で話す。
「兄貴にはさ、人間の恋人がいたんだ。……けど、その人を追って、兄貴は……消滅した」
「え、消滅って……どうして?」
「あやかしはさ、妖都から離れたら生きていけないんだ。人間の世界に留まり続ければ、あっという間に消滅する」
「そんな……」
だから白緑たちは、妖都の力が不足していても、自ら人間の世界に行って誰かを連れてくることができなかったのか。
紫土くんのお兄さんが消滅してしまったというのなら。旦那さんを追いかけて、人間の世界に行ったという白緑のお母さんは――。
「僕ら兄弟はこんな風になっちゃったけど、あの二人……白緑と藍白には、昔みたく仲のいい兄と妹に戻ってほしいんだよね」
「紫土くん……」
もう取り戻すことのできないお兄さんとは違って、藍白は生きている。
話し合いは難しいようにも思えたけれど、紫土くんは白緑たちの関係に希望を持っているのかもしれない。
私だって、二人の仲が元通りになってくれるならそれが一番いいと思う。白緑にとって、唯一の家族なのだろうから。
「ねえ、なんの話をしてるの?」
「わっ、淡紅……! もう大丈夫なの?」
伏し目がちに話す紫土くんに、どう声を掛ければいいかと考えあぐねていた時。背中に急激な重みが加わる。
振り返ると、きょとんとした顔の淡紅が私に抱き着いていた。
ほんの少し前まで眠り続けていたとは思えないほど、淡紅は元気な様子に見える。
「すっかり元気よ。依織にカッコ悪いトコ見せちゃった」
「かっこ悪くなんてないよ。淡紅、助けてくれてありがとう」
「助けるのなんて当たり前だわ、友達だもの」
言葉そのままに、特別なことではないという口ぶりで話す淡紅。
上体を捻って彼女の身体を抱き締め返すと、淡紅は嬉しそうに頬を擦り寄せてきた。
屋敷の外を歩く気にはなれなかったので、今日は淡紅たちと一緒に過ごすことにする。
けれど、私の頭の中にはずっと、白緑から言われた言葉が引っ掛かり続けていた。
『依織。お前は人間の世界に帰るべきだ』
私は仮の婚約者で、白緑にふさわしい正式な伴侶が見つかれば、お役御免になる。そうなれば、私がこの世界にいられる理由もなくなってしまう。
始めは元の世界に戻りたくない一心だったというのに。日を重ねるごとに、この世界にいたい理由が増えていく。
「……依織、どうかしたの?」
「へっ!?」
「なんだか、浮かない顔をしてるから。もしかして悩み事? アタシが相談に乗るわよ?」
私のことを心配してくれているらしい淡紅が、宝石のような真っ赤な瞳で覗き込んでくる。
彼女の瞳は何でも見透かしてくるような気がして、隠し事ができない。
「た、例えばの話なんだけど……」
「うん? なにかしら?」
「望まれていないのに、一緒にいたい人がいる場合……どうしたらいいと思う?」
ひどく曖昧で、こんなことを聞かれたって困るだろうと思う。それでも淡紅は、私の質問の意図を汲み取ろうと真剣な顔で悩んでくれている。
「そうね……詳しいことはわからないけど、ひとつ言えることがある」
そうして淡紅は、額同士が触れるほどの至近距離まで顔を近づけてくる。
「依織はもっと、自分の気持ちを大事にするべきだわ」
「私の、気持ち……?」
「そう。アタシたちあやかしだって、自分の情は一番大事にするものよ」
はっきりと言い切る淡紅は、誰が見ても自信たっぷりで。私は、そんな彼女のことを見習えたらいいのにと思った。
◆
淡紅たちと別れて部屋に戻ろうと廊下を歩いている時、奥の廊下を通り過ぎていく一匹の子狐の姿を見つけた。
始めは藍白かと思って身構えたのだけど、少なくともこの屋敷内は白緑が支配している空間だ。悪意のあるあやかしは近づくことができない。
それによく見れば、子狐の尻尾の数は藍白のものより明らかに多い。
(もしかして、あれって……)
確証はないというのに、どうしてだか間違いない気がして、私はその子狐の後を追いかける。
とぼとぼと歩いている小さな背中には、慌てずとも簡単に追いつくことができた。
「あの、白緑……?」
声を掛けると、子狐はぴたりと足を止める。
そうして振り向いたその瞳は、見覚えのある淡い緑色をしていた。
「……依織」
私に見つかったことに対して、気恥ずかしそうな様子ではあったけれど、白緑は大人しく寄ってきてくれる。
一緒に私の部屋へ戻る道中で、その姿になった理由を教えてくれた。
「つまり、力を一気に使いすぎたから小さくなっちゃったの?」
「まあ、この方が力の消費も最低限になるからな。人の形を保つのもそれなりに力がいるものなんだ」
淡紅の傷を治療してくれたのは朱さんだったけれど、失われた妖力を補ってくれていたのは白緑だった。
さらに、屋敷の結界に使う力も増やしたと聞いている。妖都の維持にも力を使っているだろうし、思っているより力を消耗しているのかもしれない。
白緑は疲れを顔に出さないから、気づくことができないのだけれど。
「朱さんが治療してくれたから、あのままでも淡紅は問題なかったんだよね?」
「ああ。だが、回復させる方法があるんだから、苦しみを長引かせる理由はない」
そうきっぱりと言い切る白緑は、王というだけではない。本当はずっと、あやかし想いの優しいひとなのではないだろうか?
こんな風に消耗してしまうのを承知の上で、私のためにも力を使ってくれている。
それがどれほど大変なことなのか、力のない私には想像することしかできない。
「……白緑」
「何だ? 眠るなら俺は出て……っ」
白緑をそっと抱き上げると、小さな身体を膝に乗せてみる。豆狸よりは大きいけれど、小型犬と同じくらいなのでそれほど重くはない。
手触りの良い綺麗な白銀を、毛並みに沿って優しく撫でていく。
「こうしたら、白緑の力も少しは早く戻るかな?」
「……王を膝に乗せるとは、いい度胸だな」
「王だけど、今は小さくて可愛いから」
「力が戻ったら可愛いなんて言わせないぞ」
「ふふ、その姿でなにを言われても怖くないよ」
ふすふすと鼻を鳴らしながら、白緑はなんとなく不満そうな顔をしているように見える。
けれど、今の白緑は小さくてもふもふのぬいぐるみみたいで、どうしたって可愛いので仕方がない。
ついでに肉球も触ろうとしたら、さすがにそれはデリケートな場所だからと怒られてしまった。だけど、いつかはそこにも触ってみたい。
「抱っこしたまま寝てもいいかな?」
「俺は構わんが、目を覚ます頃には俺がお前を抱いて寝ていることになるぞ」
「……やっぱり白緑は自分の部屋で寝てね」
屋敷から見える大樹の桜は、今日も多くの花弁を湖へと降り注がせている。
できることなら、こんな風に穏やかな日々がずっと続いてくれたらいいのに。
傷が消えたとはいっても、眠り続けたままだったらどうしよう。そんな風に不安を抱えたままだったので、この二日は生きた心地がしなかった。
「僕にもさ、兄弟がいたんだよ。兄貴なんだけど」
「そうなんだ? けど、紫土くんが弟ってちょっとわかるかも」
「う~ん、僕は弟か妹が欲しかったんだけどね。兄ちゃんって呼ばれたかったし」
「お兄さんと仲良くないの?」
「いや、仲は良かったよ。僕は兄貴のこと好きだったし、兄貴にも可愛がられてたと思う」
私と同じように淡紅を心配していた紫土くんは、彼女が目を覚ますまで屋敷に泊まり込んでいた。
今はようやく気が抜けて、私は紫土くんと二人で、縁側でお茶をしているところなのだけど。紫土くんはずっと、お兄さんのことを過去形で話す。
「兄貴にはさ、人間の恋人がいたんだ。……けど、その人を追って、兄貴は……消滅した」
「え、消滅って……どうして?」
「あやかしはさ、妖都から離れたら生きていけないんだ。人間の世界に留まり続ければ、あっという間に消滅する」
「そんな……」
だから白緑たちは、妖都の力が不足していても、自ら人間の世界に行って誰かを連れてくることができなかったのか。
紫土くんのお兄さんが消滅してしまったというのなら。旦那さんを追いかけて、人間の世界に行ったという白緑のお母さんは――。
「僕ら兄弟はこんな風になっちゃったけど、あの二人……白緑と藍白には、昔みたく仲のいい兄と妹に戻ってほしいんだよね」
「紫土くん……」
もう取り戻すことのできないお兄さんとは違って、藍白は生きている。
話し合いは難しいようにも思えたけれど、紫土くんは白緑たちの関係に希望を持っているのかもしれない。
私だって、二人の仲が元通りになってくれるならそれが一番いいと思う。白緑にとって、唯一の家族なのだろうから。
「ねえ、なんの話をしてるの?」
「わっ、淡紅……! もう大丈夫なの?」
伏し目がちに話す紫土くんに、どう声を掛ければいいかと考えあぐねていた時。背中に急激な重みが加わる。
振り返ると、きょとんとした顔の淡紅が私に抱き着いていた。
ほんの少し前まで眠り続けていたとは思えないほど、淡紅は元気な様子に見える。
「すっかり元気よ。依織にカッコ悪いトコ見せちゃった」
「かっこ悪くなんてないよ。淡紅、助けてくれてありがとう」
「助けるのなんて当たり前だわ、友達だもの」
言葉そのままに、特別なことではないという口ぶりで話す淡紅。
上体を捻って彼女の身体を抱き締め返すと、淡紅は嬉しそうに頬を擦り寄せてきた。
屋敷の外を歩く気にはなれなかったので、今日は淡紅たちと一緒に過ごすことにする。
けれど、私の頭の中にはずっと、白緑から言われた言葉が引っ掛かり続けていた。
『依織。お前は人間の世界に帰るべきだ』
私は仮の婚約者で、白緑にふさわしい正式な伴侶が見つかれば、お役御免になる。そうなれば、私がこの世界にいられる理由もなくなってしまう。
始めは元の世界に戻りたくない一心だったというのに。日を重ねるごとに、この世界にいたい理由が増えていく。
「……依織、どうかしたの?」
「へっ!?」
「なんだか、浮かない顔をしてるから。もしかして悩み事? アタシが相談に乗るわよ?」
私のことを心配してくれているらしい淡紅が、宝石のような真っ赤な瞳で覗き込んでくる。
彼女の瞳は何でも見透かしてくるような気がして、隠し事ができない。
「た、例えばの話なんだけど……」
「うん? なにかしら?」
「望まれていないのに、一緒にいたい人がいる場合……どうしたらいいと思う?」
ひどく曖昧で、こんなことを聞かれたって困るだろうと思う。それでも淡紅は、私の質問の意図を汲み取ろうと真剣な顔で悩んでくれている。
「そうね……詳しいことはわからないけど、ひとつ言えることがある」
そうして淡紅は、額同士が触れるほどの至近距離まで顔を近づけてくる。
「依織はもっと、自分の気持ちを大事にするべきだわ」
「私の、気持ち……?」
「そう。アタシたちあやかしだって、自分の情は一番大事にするものよ」
はっきりと言い切る淡紅は、誰が見ても自信たっぷりで。私は、そんな彼女のことを見習えたらいいのにと思った。
◆
淡紅たちと別れて部屋に戻ろうと廊下を歩いている時、奥の廊下を通り過ぎていく一匹の子狐の姿を見つけた。
始めは藍白かと思って身構えたのだけど、少なくともこの屋敷内は白緑が支配している空間だ。悪意のあるあやかしは近づくことができない。
それによく見れば、子狐の尻尾の数は藍白のものより明らかに多い。
(もしかして、あれって……)
確証はないというのに、どうしてだか間違いない気がして、私はその子狐の後を追いかける。
とぼとぼと歩いている小さな背中には、慌てずとも簡単に追いつくことができた。
「あの、白緑……?」
声を掛けると、子狐はぴたりと足を止める。
そうして振り向いたその瞳は、見覚えのある淡い緑色をしていた。
「……依織」
私に見つかったことに対して、気恥ずかしそうな様子ではあったけれど、白緑は大人しく寄ってきてくれる。
一緒に私の部屋へ戻る道中で、その姿になった理由を教えてくれた。
「つまり、力を一気に使いすぎたから小さくなっちゃったの?」
「まあ、この方が力の消費も最低限になるからな。人の形を保つのもそれなりに力がいるものなんだ」
淡紅の傷を治療してくれたのは朱さんだったけれど、失われた妖力を補ってくれていたのは白緑だった。
さらに、屋敷の結界に使う力も増やしたと聞いている。妖都の維持にも力を使っているだろうし、思っているより力を消耗しているのかもしれない。
白緑は疲れを顔に出さないから、気づくことができないのだけれど。
「朱さんが治療してくれたから、あのままでも淡紅は問題なかったんだよね?」
「ああ。だが、回復させる方法があるんだから、苦しみを長引かせる理由はない」
そうきっぱりと言い切る白緑は、王というだけではない。本当はずっと、あやかし想いの優しいひとなのではないだろうか?
こんな風に消耗してしまうのを承知の上で、私のためにも力を使ってくれている。
それがどれほど大変なことなのか、力のない私には想像することしかできない。
「……白緑」
「何だ? 眠るなら俺は出て……っ」
白緑をそっと抱き上げると、小さな身体を膝に乗せてみる。豆狸よりは大きいけれど、小型犬と同じくらいなのでそれほど重くはない。
手触りの良い綺麗な白銀を、毛並みに沿って優しく撫でていく。
「こうしたら、白緑の力も少しは早く戻るかな?」
「……王を膝に乗せるとは、いい度胸だな」
「王だけど、今は小さくて可愛いから」
「力が戻ったら可愛いなんて言わせないぞ」
「ふふ、その姿でなにを言われても怖くないよ」
ふすふすと鼻を鳴らしながら、白緑はなんとなく不満そうな顔をしているように見える。
けれど、今の白緑は小さくてもふもふのぬいぐるみみたいで、どうしたって可愛いので仕方がない。
ついでに肉球も触ろうとしたら、さすがにそれはデリケートな場所だからと怒られてしまった。だけど、いつかはそこにも触ってみたい。
「抱っこしたまま寝てもいいかな?」
「俺は構わんが、目を覚ます頃には俺がお前を抱いて寝ていることになるぞ」
「……やっぱり白緑は自分の部屋で寝てね」
屋敷から見える大樹の桜は、今日も多くの花弁を湖へと降り注がせている。
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