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09:贈り物
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「うわあ……! 改めて見ると、やっぱり綺麗……!」
「はしゃいで湖に落ちるなよ」
「そこまで子どもじゃありません」
「ねえ、依織。あの辺りがいいんじゃない?」
「あ、二人とも待って! 僕も行く!」
背中に白緑の視線を受けながら、淡紅に腕を引かれる私は、大きな木の傍へと足を進めていく。
その後を追いかけてくる紫土くんの頭上から、私の肩へと豆狸が飛び乗ってきた。
広い湖が見渡せるその場所からは、満開の桜を咲かせた大樹がよく見える。
持ってきていた大きな敷物を広げると、私たちはその場所へ腰を下ろすことにした。遅れて白緑と、朱さんもやってくる。
短い時間で、随分と賑やかになった私の生活。
今日、こんな風にみんなで過ごすことになった理由はほかでもない。私のことを一人で出歩かせたくないという、白緑の過保護の結果だ。
せっかくなので、花見の真似事をしようということになった。こんなに綺麗な桜があるのだから、鑑賞しないのはもったいない。
「依織ちゃん、豆狸たち重くない? 引き取ろうか?」
「大丈夫。踏んづけないかはちょっと心配だけど、懐いてくれてるのは嬉しいよ」
そんな風に紫土くんが気にかけるのも無理はない。
なぜなら、座る私の膝の上にはおしくらまんじゅうのごとく密集した豆狸が十匹。肩や頭の上にも数匹。
さらに、お尻の辺りや脚の周りにも、所狭しと豆狸が密着しているのだ。
これはもう、豆狸の波に飲まれているといっても過言ではない。
「ならいいけど。豆狸は群れで行動するから、一度懐くとそうなっちゃうんだよね」
「依織、コレ美味しいから食べてみて」
「淡紅、これって……果物?」
「そう、妖果。妖都でしか食べられない、私のお気に入り」
どこからか戻ってきた淡紅が差し出してきたのは、桃に似た一口サイズの果物だった。
興味のままに口にしてみると、想像していたよりもかなり瑞々しくて、さっぱりとした甘さをしている。水分補給にもなりそうだ。
「ん、甘くて美味しい……!」
「でしょ? 熟すともっと甘くなるんだけど、アタシはこのくらいが一番好き」
「淡紅、僕にもちょうだい」
「そこにあるから自分で食べたら?」
「なにその塩対応……! 食べるけど!」
口を開けて要求する紫土くんに対して、淡紅は顎先だけで麻袋の中に入った妖果を示す。抗議をしながらも、彼は大人しく袋に手を伸ばしていた。
私には懐いてくれているらしい淡紅だけれど、紫土くんへの態度が素っ気ないのは、どうやらデフォルトのようだ。
「そういえば、依織は白緑の婚約者になったのよね?」
「えっ? うん、まあ……一応」
「それじゃあいつ結婚するの? 妖都に慣れたらかしら?」
「いや、私はその、仮の婚約者だから……」
「白緑が結婚だなんて、アタシにはまだ信じられないわ。だけど、相手が依織なら大歓迎」
確かに、白緑の婚約者になったことで、私はこの場所にいるのだけど。
あくまで仮の婚約者なのだという説明を、淡紅は聞いているのかいないのか。一人でどんどん話を進めてしまう。
「白緑と朱と……まあ、紫土とかもなんだけど。小さい頃から一緒だったから」
「淡紅たちは、みんな幼馴染みみたいなものなの?」
「そんなところかな。先代……まだ白緑の母親が王だった頃は、私たちの中から次の王が決まるなんて、考えたこともなかったもの」
そう言いながら大樹を見つめる淡紅の瞳は、目の前の光景ではなく過去の思い出を見ているような気がする。
時折、風に揺られて舞い落ちる花弁が、湖に落ちて雪のように溶けていく。幻想的な光景だ。
淡紅たちはこの場所に、たくさんの思い出を持っているのだろう。
「……ちょっと、羨ましいな」
「依織?」
私には、幼少期を共に過ごすような友人なんて一人もいなかった。
ただひたすらに勉強をして、両親の指示するままに受験対策をして、認めてもらうことに必死だった頃。
子どもの頃から、今でもこうして一緒に過ごせる友人が傍にいるのは羨ましい。
「私には、思い出って呼べるような記憶もないから」
「……思い出なら、これから作ればいいじゃん」
「え?」
ぽつりと落としたのは、半ば独り言だったのに。
ひどく軽い口調でそう言った紫土くんは、いつの間にか小さな蛇の姿に変わっていた。
そのまま私の膝の辺りへ移動してくると、綺麗な金色の瞳がこちらを見上げてくる。
「今日のことも、きっと楽しい思い出になるでしょ?」
「そうね。出会い方はちょっと失敗したけど、思い出なんて今からだって作れるもの」
「紫土くん……淡紅……ありがとう」
後ろ向きな発言をしてしまったと思ったのに、二人は私に楽しい思い出をくれるという。
そんな風に提案してくれるのは、私が人間だからなのかもしれない。
だけど、それが泣きそうになるほど嬉しくて、私は下手くそな笑顔を作って見せた。
「けど、女の子の膝に気安く乗るんじゃないわよ。馬鹿ヘビ」
「うわああっ!?」
不意に淡紅の声音が変化したかと思うと、紫土くんは前置きもなくその胴体を鷲掴みにされる。
そして、止める間もないまま彼の細長い身体は、湖に向けて放り投げられてしまった。
「し、紫土くん!? 淡紅、早く紫土くんを助けなきゃ……!!」
「大丈夫よ、馬鹿でも泳ぎは得意だから」
慌てる私とは対照的に、落ち着いた様子の淡紅。
その言葉通り、遠くの方から湖面を揺らしてこちらに向かってくる、細長い影が見えた。どうやら無事らしい。
「依織、そろそろ構う相手を変えてもいいんじゃないか?」
「ひゃわっ!?」
安心して肩の力を抜いたところで、突然耳元に吐息を吹きかけられる。
思わず変な声を上げてしまった私は、掌で耳を押さえながら犯人の方を振り返った。
「いきなりそういうことしないで、白緑」
「お前が俺に背を向けたままなのが悪い」
「男の嫉妬はみっともないわよ、白緑」
「俺の婚約者を奪うからだ。お前はヘビとタヌキの面倒でも見ていろ、淡紅」
悪びれない様子の白緑は、豆狸の群れの中から私を軽々と抱え上げる。
抵抗しようにも力の差がありすぎて、私は大人しく彼に運ばれるしかなかった。
「依織、これを身に着けておけ」
淡紅たちから少し離れた場所で、ようやく地面に足をつけることができた。恥ずかしかったけれど、白緑は特に気にした様子もない。
彼が懐から取り出したのは、福寿草をかたどった白緑色の花飾りだ。
「これは……?」
「妖具だけでは不安だからな。身に着けておけば、悪意からお前の身を守ってくれる。お守り代わりだとでも思っておけ」
「あ、ありがとう」
妖具と同じで、契約相手の私の身を守るためのもの。きっとそこに他意はない。そう思うのに。
白緑からの初めての贈り物が、とても嬉しい。
「あの、私も何かお返しを……」
「必要ない。お前がいてくれるだけで助かってる」
「でも……」
確かに、白緑たちあやかしにしてみれば、私の力があるだけで良いのかもしれない。
けれど、人から何かを貰う生活なんて慣れていないのだ。ましてや、自分が何かをしているという実感すらないのに。
(……そうだ)
「白緑、少しだけ待ってて……!」
「依織?」
ひとつアイデアを思い付いた私は、白緑を置いて足早に淡紅たちのところへ戻る。そこで目的のものを見つけると、少ししてから白緑のもとへと引き返した。
「あの、これ……お返し、にもならないんだけど……」
私が差し出したのは、白い花。――もとい、紙で作った白い花だ。
いつだって一人で遊ぶことしかできなかった私の、ささやかな癒しを生んでくれる趣味。
それを見た白緑は、すごく驚いた顔をしている。そんな彼の反応に、私は途端に非常識なことをしているのではないかと恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。小さな子どもじゃないのに、こんなの貰っても困るよね……!?」
「いや、貰う。お前から貰って困るものなんてあるはずがない」
花だけではなく、私の手ごと包み込む白緑の顔をそっと見上げる。
気を使わせているのではないかと思ったけれど、彼は柔らかな笑みを浮かべていた。
「ありがとう、依織。大事にする」
そんな白緑の表情があまりにも綺麗で、心臓がとてもうるさい。
だから、二つの小さな瞳が遠くで私たちを睨みつけているだなんて、気がつけるはずもなかった。
「はしゃいで湖に落ちるなよ」
「そこまで子どもじゃありません」
「ねえ、依織。あの辺りがいいんじゃない?」
「あ、二人とも待って! 僕も行く!」
背中に白緑の視線を受けながら、淡紅に腕を引かれる私は、大きな木の傍へと足を進めていく。
その後を追いかけてくる紫土くんの頭上から、私の肩へと豆狸が飛び乗ってきた。
広い湖が見渡せるその場所からは、満開の桜を咲かせた大樹がよく見える。
持ってきていた大きな敷物を広げると、私たちはその場所へ腰を下ろすことにした。遅れて白緑と、朱さんもやってくる。
短い時間で、随分と賑やかになった私の生活。
今日、こんな風にみんなで過ごすことになった理由はほかでもない。私のことを一人で出歩かせたくないという、白緑の過保護の結果だ。
せっかくなので、花見の真似事をしようということになった。こんなに綺麗な桜があるのだから、鑑賞しないのはもったいない。
「依織ちゃん、豆狸たち重くない? 引き取ろうか?」
「大丈夫。踏んづけないかはちょっと心配だけど、懐いてくれてるのは嬉しいよ」
そんな風に紫土くんが気にかけるのも無理はない。
なぜなら、座る私の膝の上にはおしくらまんじゅうのごとく密集した豆狸が十匹。肩や頭の上にも数匹。
さらに、お尻の辺りや脚の周りにも、所狭しと豆狸が密着しているのだ。
これはもう、豆狸の波に飲まれているといっても過言ではない。
「ならいいけど。豆狸は群れで行動するから、一度懐くとそうなっちゃうんだよね」
「依織、コレ美味しいから食べてみて」
「淡紅、これって……果物?」
「そう、妖果。妖都でしか食べられない、私のお気に入り」
どこからか戻ってきた淡紅が差し出してきたのは、桃に似た一口サイズの果物だった。
興味のままに口にしてみると、想像していたよりもかなり瑞々しくて、さっぱりとした甘さをしている。水分補給にもなりそうだ。
「ん、甘くて美味しい……!」
「でしょ? 熟すともっと甘くなるんだけど、アタシはこのくらいが一番好き」
「淡紅、僕にもちょうだい」
「そこにあるから自分で食べたら?」
「なにその塩対応……! 食べるけど!」
口を開けて要求する紫土くんに対して、淡紅は顎先だけで麻袋の中に入った妖果を示す。抗議をしながらも、彼は大人しく袋に手を伸ばしていた。
私には懐いてくれているらしい淡紅だけれど、紫土くんへの態度が素っ気ないのは、どうやらデフォルトのようだ。
「そういえば、依織は白緑の婚約者になったのよね?」
「えっ? うん、まあ……一応」
「それじゃあいつ結婚するの? 妖都に慣れたらかしら?」
「いや、私はその、仮の婚約者だから……」
「白緑が結婚だなんて、アタシにはまだ信じられないわ。だけど、相手が依織なら大歓迎」
確かに、白緑の婚約者になったことで、私はこの場所にいるのだけど。
あくまで仮の婚約者なのだという説明を、淡紅は聞いているのかいないのか。一人でどんどん話を進めてしまう。
「白緑と朱と……まあ、紫土とかもなんだけど。小さい頃から一緒だったから」
「淡紅たちは、みんな幼馴染みみたいなものなの?」
「そんなところかな。先代……まだ白緑の母親が王だった頃は、私たちの中から次の王が決まるなんて、考えたこともなかったもの」
そう言いながら大樹を見つめる淡紅の瞳は、目の前の光景ではなく過去の思い出を見ているような気がする。
時折、風に揺られて舞い落ちる花弁が、湖に落ちて雪のように溶けていく。幻想的な光景だ。
淡紅たちはこの場所に、たくさんの思い出を持っているのだろう。
「……ちょっと、羨ましいな」
「依織?」
私には、幼少期を共に過ごすような友人なんて一人もいなかった。
ただひたすらに勉強をして、両親の指示するままに受験対策をして、認めてもらうことに必死だった頃。
子どもの頃から、今でもこうして一緒に過ごせる友人が傍にいるのは羨ましい。
「私には、思い出って呼べるような記憶もないから」
「……思い出なら、これから作ればいいじゃん」
「え?」
ぽつりと落としたのは、半ば独り言だったのに。
ひどく軽い口調でそう言った紫土くんは、いつの間にか小さな蛇の姿に変わっていた。
そのまま私の膝の辺りへ移動してくると、綺麗な金色の瞳がこちらを見上げてくる。
「今日のことも、きっと楽しい思い出になるでしょ?」
「そうね。出会い方はちょっと失敗したけど、思い出なんて今からだって作れるもの」
「紫土くん……淡紅……ありがとう」
後ろ向きな発言をしてしまったと思ったのに、二人は私に楽しい思い出をくれるという。
そんな風に提案してくれるのは、私が人間だからなのかもしれない。
だけど、それが泣きそうになるほど嬉しくて、私は下手くそな笑顔を作って見せた。
「けど、女の子の膝に気安く乗るんじゃないわよ。馬鹿ヘビ」
「うわああっ!?」
不意に淡紅の声音が変化したかと思うと、紫土くんは前置きもなくその胴体を鷲掴みにされる。
そして、止める間もないまま彼の細長い身体は、湖に向けて放り投げられてしまった。
「し、紫土くん!? 淡紅、早く紫土くんを助けなきゃ……!!」
「大丈夫よ、馬鹿でも泳ぎは得意だから」
慌てる私とは対照的に、落ち着いた様子の淡紅。
その言葉通り、遠くの方から湖面を揺らしてこちらに向かってくる、細長い影が見えた。どうやら無事らしい。
「依織、そろそろ構う相手を変えてもいいんじゃないか?」
「ひゃわっ!?」
安心して肩の力を抜いたところで、突然耳元に吐息を吹きかけられる。
思わず変な声を上げてしまった私は、掌で耳を押さえながら犯人の方を振り返った。
「いきなりそういうことしないで、白緑」
「お前が俺に背を向けたままなのが悪い」
「男の嫉妬はみっともないわよ、白緑」
「俺の婚約者を奪うからだ。お前はヘビとタヌキの面倒でも見ていろ、淡紅」
悪びれない様子の白緑は、豆狸の群れの中から私を軽々と抱え上げる。
抵抗しようにも力の差がありすぎて、私は大人しく彼に運ばれるしかなかった。
「依織、これを身に着けておけ」
淡紅たちから少し離れた場所で、ようやく地面に足をつけることができた。恥ずかしかったけれど、白緑は特に気にした様子もない。
彼が懐から取り出したのは、福寿草をかたどった白緑色の花飾りだ。
「これは……?」
「妖具だけでは不安だからな。身に着けておけば、悪意からお前の身を守ってくれる。お守り代わりだとでも思っておけ」
「あ、ありがとう」
妖具と同じで、契約相手の私の身を守るためのもの。きっとそこに他意はない。そう思うのに。
白緑からの初めての贈り物が、とても嬉しい。
「あの、私も何かお返しを……」
「必要ない。お前がいてくれるだけで助かってる」
「でも……」
確かに、白緑たちあやかしにしてみれば、私の力があるだけで良いのかもしれない。
けれど、人から何かを貰う生活なんて慣れていないのだ。ましてや、自分が何かをしているという実感すらないのに。
(……そうだ)
「白緑、少しだけ待ってて……!」
「依織?」
ひとつアイデアを思い付いた私は、白緑を置いて足早に淡紅たちのところへ戻る。そこで目的のものを見つけると、少ししてから白緑のもとへと引き返した。
「あの、これ……お返し、にもならないんだけど……」
私が差し出したのは、白い花。――もとい、紙で作った白い花だ。
いつだって一人で遊ぶことしかできなかった私の、ささやかな癒しを生んでくれる趣味。
それを見た白緑は、すごく驚いた顔をしている。そんな彼の反応に、私は途端に非常識なことをしているのではないかと恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。小さな子どもじゃないのに、こんなの貰っても困るよね……!?」
「いや、貰う。お前から貰って困るものなんてあるはずがない」
花だけではなく、私の手ごと包み込む白緑の顔をそっと見上げる。
気を使わせているのではないかと思ったけれど、彼は柔らかな笑みを浮かべていた。
「ありがとう、依織。大事にする」
そんな白緑の表情があまりにも綺麗で、心臓がとてもうるさい。
だから、二つの小さな瞳が遠くで私たちを睨みつけているだなんて、気がつけるはずもなかった。
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