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04:冷たい熱
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「依織、何か欲しいものはあるか? 新鮮な空気が欲しければ風を入れるが」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「必要なものがあれば、遠慮なくお申し付けくださいね」
「ありがとうございます。お粥も、ごちそうさまでした」
「いいえ、依織様のお口に合って何よりです」
真紅さんは嫌な顔ひとつせずに、私に会釈をすると、空の食器を乗せたお盆を手に部屋を出ていった。
続いて起き上がろうとした私の身体は、白緑によって布団の中へ押し戻されてしまう。ぼんやりする頭では抗う気にもなれなくて、大人しく彼を見上げる形になる。
気のせいなのかもしれないけれど、威風堂々としている白緑の九本の尻尾が、今日はちょっとだけ元気が無いように見えた。
「いいから寝ていろ。無理に起き上がろうとするな」
「ごめんなさい。私、妖都に来たばかりなのにこんな……」
「気にしなくていい、人間にはたまにあることだ。急な環境の変化にお前の身体が適応しきれていないだけで、すぐに良くなる」
「見た目ほど、具合は悪くないんだよ? 普段は熱なんて出さないから、身体がびっくりしてるんだと思う」
「落ち着くまで横になっていればいい。俺が治してやれたらいいんだが、こればかりは勝手が違っていてな」
まるで言い訳のように言葉を並べる私に、白緑はきちんと耳を傾けてくれている。
こんな風に熱を出したのなんて、いつぶりだろうか?
今日から婚約者としての務めを果たそうと思っていたというのに。目が覚めたら、身体が重くて動くことができなくなっていたのだ。
幸いにも、吐き気や頭痛はない。真紅さんが運んできてくれたお粥も食べることができた。白緑の言う通り、少し休めば調子は戻ってくるのだろう。
それでも、任された仕事ひとつこなせない自分が情けなくて仕方がない。
「豆狸は部屋に入れないよう言ってある。寝ている間に埋もれでもしたら困るからな」
「力を分けてあげるって約束したのに、あの子たちに嘘ついたことになるね」
「アイツらも理解している。お前が元気になったら嫌でも寄ってくるから覚悟しておけ」
覚悟だなんて。むしろ、あのもふもふの波に溺れるのは、私にとって幸せ以外のなにものでもない。
元の世界では、動物を飼うなんてありえない選択だった。
ペットを飼っている同級生は多かったけど、私の家では勉強の邪魔になるからと、ショップにすら行くことは許されなかったのだ。
動物は好きだったし、学校で飼われているウサギを触る時間は、数少ない癒しだった。
だから今、こうして豆狸たちに懐かれている暮らしは、大袈裟でなく人生の絶頂なのかもしれないと思う。
この環境も、白緑が私を婚約者として迎え入れてくれたからこそのものなのに。
「俺はどうしても片づけてこなきゃならない仕事がある。少し離れるが、大丈夫か?」
「大丈夫。子どもじゃないんだから、一人でも平気だよ」
「……そうか」
そんなつもりはなかったのに、自己嫌悪の中で問いかけられて、突き放すような言い方をしてしまったかもしれない。
けれど、つきっきりで看病をしてもらうなんてことはできないのだから、仕事があるのならそちらを優先してほしい。それは紛れもない本音だ。
何より今は、こんな役立たずの姿を見られていることが心苦しかった。
「一人でいるのは慣れてるし、私のことで手を煩わせたくないの。放っておいてくれて大丈夫だから」
両親は、私が体調を崩しても気にかけたりなんかしなかった。
申し訳程度に用意された薬を飲んで、布団の中で丸くなって、苦しみが去るのをじっと待つだけだ。
これまで大きな怪我や病気をしなかったのは、私にとっても両親にとっても幸いなのかもしれない。
期待に応えることもできない。誰かに傍にいてもらう資格なんか、私にはないのだから。
そんなことを考えていた私は、ひんやりとした大きな何かに手を包まれて、意識を現実へと引き戻される。
「白緑……?」
「依織が平気でも、俺は心配だから早く戻る。何かあれば真紅か緋色に言え」
視線を落として気がつく。私の手を握っていたのは、白緑の手だった。
冷たく感じたのは、私の手がそれだけ熱を持っているからなのだろう。彼の体温が心地よい。
そういえば、誰かに手を握られたのなんていつぶりだろう?
幼い頃は手を引かれて歩いたこともあっただろうけど、はっきりとした記憶の中にその光景は浮かばない。
昨日は妖都に来たばかりで頭が混乱していたから、強くは意識しなかったのだけれど。なんの躊躇いもなく私の手を握ってくれる体温が、離れてしまうことが心苦しい。
遠慮がちにその手を握り返してみると、少しだけ力が強まったのを感じた。
「……ありがとう、白緑」
「礼はいい。早く良くなれ、依織」
そう言って、もうひとつの大きな掌が私の目元を覆う。
まるで魔法のように訪れる眠気は、白緑の持つ不思議な力によるものなのだろうか?
(私……本当は、心細かったんだ)
慣れっこだと思っていたけれど、独りぼっちで苦しいのはいつだって悲しかった。
だけど、ここには世話を焼いてくれる真紅さんたちや、私を心配してくれる白緑がいる。
まったく知らない場所なのに、私の記憶にあるどの場所よりも、ひどく温かい。
(そういえば、白緑はどうして私の名前を知っていたんだろう?)
まだ考えたいことがあるというのに、頭が上手く働いてくれない。眠気に抗うことができなくて、意識がゆっくりと沈んでいく。
ただ、私に触れる彼の手が、離れていかなければいいのにと思った。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「必要なものがあれば、遠慮なくお申し付けくださいね」
「ありがとうございます。お粥も、ごちそうさまでした」
「いいえ、依織様のお口に合って何よりです」
真紅さんは嫌な顔ひとつせずに、私に会釈をすると、空の食器を乗せたお盆を手に部屋を出ていった。
続いて起き上がろうとした私の身体は、白緑によって布団の中へ押し戻されてしまう。ぼんやりする頭では抗う気にもなれなくて、大人しく彼を見上げる形になる。
気のせいなのかもしれないけれど、威風堂々としている白緑の九本の尻尾が、今日はちょっとだけ元気が無いように見えた。
「いいから寝ていろ。無理に起き上がろうとするな」
「ごめんなさい。私、妖都に来たばかりなのにこんな……」
「気にしなくていい、人間にはたまにあることだ。急な環境の変化にお前の身体が適応しきれていないだけで、すぐに良くなる」
「見た目ほど、具合は悪くないんだよ? 普段は熱なんて出さないから、身体がびっくりしてるんだと思う」
「落ち着くまで横になっていればいい。俺が治してやれたらいいんだが、こればかりは勝手が違っていてな」
まるで言い訳のように言葉を並べる私に、白緑はきちんと耳を傾けてくれている。
こんな風に熱を出したのなんて、いつぶりだろうか?
今日から婚約者としての務めを果たそうと思っていたというのに。目が覚めたら、身体が重くて動くことができなくなっていたのだ。
幸いにも、吐き気や頭痛はない。真紅さんが運んできてくれたお粥も食べることができた。白緑の言う通り、少し休めば調子は戻ってくるのだろう。
それでも、任された仕事ひとつこなせない自分が情けなくて仕方がない。
「豆狸は部屋に入れないよう言ってある。寝ている間に埋もれでもしたら困るからな」
「力を分けてあげるって約束したのに、あの子たちに嘘ついたことになるね」
「アイツらも理解している。お前が元気になったら嫌でも寄ってくるから覚悟しておけ」
覚悟だなんて。むしろ、あのもふもふの波に溺れるのは、私にとって幸せ以外のなにものでもない。
元の世界では、動物を飼うなんてありえない選択だった。
ペットを飼っている同級生は多かったけど、私の家では勉強の邪魔になるからと、ショップにすら行くことは許されなかったのだ。
動物は好きだったし、学校で飼われているウサギを触る時間は、数少ない癒しだった。
だから今、こうして豆狸たちに懐かれている暮らしは、大袈裟でなく人生の絶頂なのかもしれないと思う。
この環境も、白緑が私を婚約者として迎え入れてくれたからこそのものなのに。
「俺はどうしても片づけてこなきゃならない仕事がある。少し離れるが、大丈夫か?」
「大丈夫。子どもじゃないんだから、一人でも平気だよ」
「……そうか」
そんなつもりはなかったのに、自己嫌悪の中で問いかけられて、突き放すような言い方をしてしまったかもしれない。
けれど、つきっきりで看病をしてもらうなんてことはできないのだから、仕事があるのならそちらを優先してほしい。それは紛れもない本音だ。
何より今は、こんな役立たずの姿を見られていることが心苦しかった。
「一人でいるのは慣れてるし、私のことで手を煩わせたくないの。放っておいてくれて大丈夫だから」
両親は、私が体調を崩しても気にかけたりなんかしなかった。
申し訳程度に用意された薬を飲んで、布団の中で丸くなって、苦しみが去るのをじっと待つだけだ。
これまで大きな怪我や病気をしなかったのは、私にとっても両親にとっても幸いなのかもしれない。
期待に応えることもできない。誰かに傍にいてもらう資格なんか、私にはないのだから。
そんなことを考えていた私は、ひんやりとした大きな何かに手を包まれて、意識を現実へと引き戻される。
「白緑……?」
「依織が平気でも、俺は心配だから早く戻る。何かあれば真紅か緋色に言え」
視線を落として気がつく。私の手を握っていたのは、白緑の手だった。
冷たく感じたのは、私の手がそれだけ熱を持っているからなのだろう。彼の体温が心地よい。
そういえば、誰かに手を握られたのなんていつぶりだろう?
幼い頃は手を引かれて歩いたこともあっただろうけど、はっきりとした記憶の中にその光景は浮かばない。
昨日は妖都に来たばかりで頭が混乱していたから、強くは意識しなかったのだけれど。なんの躊躇いもなく私の手を握ってくれる体温が、離れてしまうことが心苦しい。
遠慮がちにその手を握り返してみると、少しだけ力が強まったのを感じた。
「……ありがとう、白緑」
「礼はいい。早く良くなれ、依織」
そう言って、もうひとつの大きな掌が私の目元を覆う。
まるで魔法のように訪れる眠気は、白緑の持つ不思議な力によるものなのだろうか?
(私……本当は、心細かったんだ)
慣れっこだと思っていたけれど、独りぼっちで苦しいのはいつだって悲しかった。
だけど、ここには世話を焼いてくれる真紅さんたちや、私を心配してくれる白緑がいる。
まったく知らない場所なのに、私の記憶にあるどの場所よりも、ひどく温かい。
(そういえば、白緑はどうして私の名前を知っていたんだろう?)
まだ考えたいことがあるというのに、頭が上手く働いてくれない。眠気に抗うことができなくて、意識がゆっくりと沈んでいく。
ただ、私に触れる彼の手が、離れていかなければいいのにと思った。
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