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番外編1
フェンリル
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ナルバ山の遺跡で瀕死の重傷を負ったキュッリッキが、ベルトルド邸に運ばれて1週間が経った。
キュッリッキが怪物に出くわしたまさにその時、フェンリルは何もできなかった。何かの力によって、アルケラに強制送還されてしまったのだ。
キュッリッキがあれほど怯え、フェンリルも言いようのない違和感を、あの神殿に感じていた。何者の仕業か判らないが、神を強制的に排除できる、強大な力がそこにあったのは確かだった。その為にキュッリッキが、酷い怪我をする羽目になったのだ。
守るために人間の世に来たというのに、守ることができなかった。そのことがフェンリルを心底落ち込ませていた。
キュッリッキは毎日薬を飲まされ、今もぐっすりと眠っている。傷を治すため身体を安静に休ませる必要があるのは判る。しかし、薬漬けにされるのを見ているのは辛い。
最近気に入っている青い天鵞絨張りのクッションから飛び降りると、窓をすり抜け、庭に躍り出た。
神とは言えど人間の世で、自らの意思で力を全て解放することは禁じられている。
唯一召喚士の求めに応じて、相応の力を振るうことは許されているが、キュッリッキの傷を瞬時に治すような奇跡は、決してやってはならないことだった。
掟を破れば、キュッリッキのそばに居てやれなくなる。それは耐え難い。しかし、早く治してやりたいと思う。あんなに辛そうなのだ。
この屋敷の人間たちは、献身的にキュッリッキを看護している。今は信用して、あの人間たちに任せるしかなかった。
見守ることしかできない今の状況に辟易し、フェンリルは用もないのに外に出た。
屋敷同様だだっ広い庭をうろうろし、やがて花が咲き乱れる一角にきた。
綺麗に整えられた花壇に、ふと白い小さな花を見つけた。
鈴蘭とよく似た形をしているが、なんという名の花かは知らない。
気休めに、一本持って行ってやろう。そう思いつき、フェンリルは短い前脚を伸ばして茎を折ろうとする。だが、仔犬の姿だと思うように身体が動かせず、かといってこんな場所で顕現するわけにもいかない。
もどかしげに花をつついていると、
「コラッ! 何をしている犬っころが」
突然怒鳴られ、フェンリルはびっくりして背後を振り返った。
作業用のエプロンを身につけた初老の男が、顔を怒らせて歩いてきた。
「どこから紛れ込んできたんだか、花を荒らすとはケシカラン犬だ」
我は犬ではない!と言いたかったが、喋るわけにもいかず、恨めしそうに男を睨みあげた。
「いいか犬っころ、ここの花々は雑草とは違うんだ。ワシたちが毎日丁寧に世話をして、大切に育てている花なんだぞ。そんなに足で叩いたら、すぐ死んでしまうんだ」
よく日焼けした顔のシワを、さらに深く刻みながら、男は花に害はないかを確かめていた。
フェンリルは男を睨みつけていたが、キュッリッキのもとへ持って行ってやりたい花を諦めきれず、そこに踏ん張るように立ちすくしていた。
「おめえ、この花欲しいのか?」
男は動かないフェンリルを見おろしながら、白い花を指す。
こういう場合、本物の犬のように尻尾を振ればいいのだろう。しかし仔犬の姿をとっているが、中身まで犬を真似るつもりは毛頭ない。唸れば以心伝心で判ってくれるキュッリッキと違い、相手は見知らぬ人間の男。
妙案が思い浮かばず自然と喉を鳴らしてしまうと、男は屈み直してフェンリルが折ろうとしていた花を、パチリとハサミで切った。
「こいつはな、スノーフレークって花なんだ。可愛いだろう? 花言葉もいいのがついててな、純粋、汚れなき心、慈愛といったものがあるんだ」
そう説明をすると、男はフェンリルの口元にスノーフレークの一輪を差し出した。
「おめえさんの飼い主にあげてえんだな。一本持っていけ、きっと喜んでくれるさ」
フェンリルは男を見上げ、目の前の節くれだった職人気質の手をじっと見る。そして躊躇いつつもそっと花を口にくわえた。
フェンリルは小さく数回尻尾を振ると、男の優しい笑顔を振り返り、逃げるように屋敷に駆けて行った。
まだ眠っているキュッリッキのベッドに飛び乗ると、枕元にスノーフレークの一輪を置いた。
あとで人間が、花瓶に活けてくれるだろう。
フェンリルは何度も何度も顔をキュッリッキの頬に擦り付け、お気に入りのクッションに戻った。
キュッリッキが怪物に出くわしたまさにその時、フェンリルは何もできなかった。何かの力によって、アルケラに強制送還されてしまったのだ。
キュッリッキがあれほど怯え、フェンリルも言いようのない違和感を、あの神殿に感じていた。何者の仕業か判らないが、神を強制的に排除できる、強大な力がそこにあったのは確かだった。その為にキュッリッキが、酷い怪我をする羽目になったのだ。
守るために人間の世に来たというのに、守ることができなかった。そのことがフェンリルを心底落ち込ませていた。
キュッリッキは毎日薬を飲まされ、今もぐっすりと眠っている。傷を治すため身体を安静に休ませる必要があるのは判る。しかし、薬漬けにされるのを見ているのは辛い。
最近気に入っている青い天鵞絨張りのクッションから飛び降りると、窓をすり抜け、庭に躍り出た。
神とは言えど人間の世で、自らの意思で力を全て解放することは禁じられている。
唯一召喚士の求めに応じて、相応の力を振るうことは許されているが、キュッリッキの傷を瞬時に治すような奇跡は、決してやってはならないことだった。
掟を破れば、キュッリッキのそばに居てやれなくなる。それは耐え難い。しかし、早く治してやりたいと思う。あんなに辛そうなのだ。
この屋敷の人間たちは、献身的にキュッリッキを看護している。今は信用して、あの人間たちに任せるしかなかった。
見守ることしかできない今の状況に辟易し、フェンリルは用もないのに外に出た。
屋敷同様だだっ広い庭をうろうろし、やがて花が咲き乱れる一角にきた。
綺麗に整えられた花壇に、ふと白い小さな花を見つけた。
鈴蘭とよく似た形をしているが、なんという名の花かは知らない。
気休めに、一本持って行ってやろう。そう思いつき、フェンリルは短い前脚を伸ばして茎を折ろうとする。だが、仔犬の姿だと思うように身体が動かせず、かといってこんな場所で顕現するわけにもいかない。
もどかしげに花をつついていると、
「コラッ! 何をしている犬っころが」
突然怒鳴られ、フェンリルはびっくりして背後を振り返った。
作業用のエプロンを身につけた初老の男が、顔を怒らせて歩いてきた。
「どこから紛れ込んできたんだか、花を荒らすとはケシカラン犬だ」
我は犬ではない!と言いたかったが、喋るわけにもいかず、恨めしそうに男を睨みあげた。
「いいか犬っころ、ここの花々は雑草とは違うんだ。ワシたちが毎日丁寧に世話をして、大切に育てている花なんだぞ。そんなに足で叩いたら、すぐ死んでしまうんだ」
よく日焼けした顔のシワを、さらに深く刻みながら、男は花に害はないかを確かめていた。
フェンリルは男を睨みつけていたが、キュッリッキのもとへ持って行ってやりたい花を諦めきれず、そこに踏ん張るように立ちすくしていた。
「おめえ、この花欲しいのか?」
男は動かないフェンリルを見おろしながら、白い花を指す。
こういう場合、本物の犬のように尻尾を振ればいいのだろう。しかし仔犬の姿をとっているが、中身まで犬を真似るつもりは毛頭ない。唸れば以心伝心で判ってくれるキュッリッキと違い、相手は見知らぬ人間の男。
妙案が思い浮かばず自然と喉を鳴らしてしまうと、男は屈み直してフェンリルが折ろうとしていた花を、パチリとハサミで切った。
「こいつはな、スノーフレークって花なんだ。可愛いだろう? 花言葉もいいのがついててな、純粋、汚れなき心、慈愛といったものがあるんだ」
そう説明をすると、男はフェンリルの口元にスノーフレークの一輪を差し出した。
「おめえさんの飼い主にあげてえんだな。一本持っていけ、きっと喜んでくれるさ」
フェンリルは男を見上げ、目の前の節くれだった職人気質の手をじっと見る。そして躊躇いつつもそっと花を口にくわえた。
フェンリルは小さく数回尻尾を振ると、男の優しい笑顔を振り返り、逃げるように屋敷に駆けて行った。
まだ眠っているキュッリッキのベッドに飛び乗ると、枕元にスノーフレークの一輪を置いた。
あとで人間が、花瓶に活けてくれるだろう。
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