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奪われしもの編
147)フェンリル救出・後編
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超能力を持っているわけではないので、他人の思考や物の記憶を、自在に透視する芸当は持ち合わせてはいない。しかしアルケラの住人たちの力を介せば、キュッリッキには同等の事が可能だ。
神であるフローズヴィトニルの力を使えば、かなり正確に記憶を視ることが出来る。
(……それにしても……フローズヴィトニル重い……)
肩と後頭部にずっしりとした重みを感じ、キュッリッキは薄く笑った。時間が経てば、ムチウチになりそうなほどだ。
(もう、おやつ減らさないとダメだね。こんなに太って、糖尿病になっちゃうよ)
(えー! そんな病気になんてならないよ、ボク神様だよ!!)
大好きなおやつを減らされては一大事と、フローズヴィトニルは慌てた。
(ダイエットしないと、アルケラに還しちゃうぞ)
(ヤダーヤダーやあだああ!! おやつ減らしてもいいから、もっとこっちに居たい)
フローズヴィトニルと精神が繋がっているキュッリッキは、頭の中でギャンギャン喚かれて、ゲッソリと肩を落とした。
(それより、早くグレイプニルの記憶を視るよ)
(ふぁ~い)
そこは神殿の中だった。
ユリディスの記憶の映像で見た神殿とは、どことなく雰囲気が違う。
象牙色の大理石で作られた明るい室内には、一人の少女しかいない。
ふわふわと長い淡い茶髪に、雪のように白い肌、長いまつげに縁どられた大きな目。愛くるしさを凝縮したような、その美しい少女の背には、気高い白い大きな翼が備わっていた。
(アイオン族の女の子……)
アイオン族のアルケラの巫女。キュッリッキと同じように、アイオン族からも巫女が誕生していたのだと知り、キュッリッキは複雑な気分に陥った。
(大事にされているんだろうなあ……)
微かな嫉妬が胸を過ぎり、キュッリッキは頭を振って打ち消した。嫉妬なんか感じている場合ではない。
少女は白いカバーのかけられたソファに寝そべって、じっと怯えた視線を前方に向けていた。その視線の先には、狼の姿のフェンリルが、その場に座って少女の方を見ている。
フェンリルを見ていた少女は、ふいに視線をそらせると、ソファに突っ伏した。
「わたくしの見えないところに、行っててちょうだい!」
突っ伏したまま、少女は突っ慳貪に叫んだ。
フェンリルは暫し少女を見ていたが、やがて立ち上がると、外に消えていった。
(…ちょ……ちょっと! なによあの子!!)
キュッリッキが憤慨したように叫ぶと、逆にフローズヴィトニルは淡々とした声でぽつりと言った。
(あの子、怖がってる)
場面がスッと切り替わり、アルケラの巫女の少女と、年配のアイオン族の女性が先ほどの室内にいた。
「カティヤ、わたくし怖いの。神などといっても、あれではただの獣ですわ。いつ理性を失って獣の本性を現すのか……。ああ…どうすればいいのでしょう」
「落ち着きなさいませ、リリヤ様は巫女なのです。リリヤ様を弑することなど、あの獣に出来るものですか」
「でも、でも…」
「あれはただの獣、犬ですわ。そう、犬は犬らしく、しっかりと縄でつないでおくのが宜しかろうと存じます」
「ただの縄じゃ、すぐ噛み切られてしまう…」
「アルケラからドヴェルグたちを呼び寄せ、あの犬を躾ける縄を作らせるのでございますよ」
「ああ、そうね、それがいいわ。早速コンタクトをとってみましょう」
更に画面が変わり、2人の姿は消え、テラスに横たわるフェンリルの姿が現れた。
白銀の毛並みに覆われた首に、黒い縄が巻かれている。そのフェンリルのそばには、武装した兵士が2人、監視するように立っていた。
キュッリッキはこれでもかと言わんばかりに両頬を膨らませると、萎む前に涙をポロポロとこぼし始めた。
(酷い…、なんてことするのあの子!! フェンリルは犬じゃない、気高い神なのよ、狼なのにっ)
悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
アルケラの巫女を護るために、地上に遣わされた神であるフェンリル。狼の姿を持つ神であり、人の身にはならない。狼の姿に誇りを持っているからだ。
(フェンリル、どうしてあんなもの首に巻かせたりしたんだろう…)
(ドヴェルグ達は、わざと手を抜いたのだ。いざという時に、我が巫女を護ることが出来なければ、本末転倒だからな。繋がれたフリをすることで、リリナが安心するならばそれもよしと思ったのだ)
(フェンリル!)
突如フェンリルの声が頭に響いて、目の前の記憶のフェンリルに目を向ける。しかし、喋っているのは記憶のフェンリルではなかった。
(よかった、無事なんだね? 大丈夫なの?)
(大丈夫だ)
とても静かな落ち着いた声で、そうフェンリルは答えた。
(巫女だからといって、急に目の前のものを全て受け入れられるものではない。リリナは小さな頃に、犬に襲われて怪我をしたことがある。我は犬ではないが似ているのだろう、いつも我を見て怖がっていた)
(フェンリル……)
(リリナの時はそれでよかった。だが、ユリディスの代になって、あのような事態となり、再びグレイプニルを持ち出されたときは本当に驚いた。クレメッティ王は神殿の関係者を買収し、我をグレイプニルで束縛したのだ。だが先も言ったとおり、グレイプニルは不完全なものだ。我の力を抑えきれず、世界を滅ぼすこととなってしまった)
深い後悔をにじませた声は、キュッリッキの涙を更に増やした。
フェンリルは巫女の許しなくしては、神の力を自在に振るうことも人間を害することもできない。唯一、巫女の身の危険を回避するために、自ら動くことは許されている。しかし自らに危害が及ぼうとするときに、自発的に動くことは認められていない。そのために、グレイプニルで束縛されることになってしまった。
不完全なものとは言え、首だけではなく全身に巻かれてしまうと、身動きも力も抑えられ、抜け出すために時間がかかってしまった。
(ユリディスを護れず、怒り任せに世界も壊してしまった。1万年を経て再び同じ事態を招き、キュッリッキまでも護れず我は……我は……)
(大丈夫だよ! アタシ大丈夫なの!! あのね、ユリディスが助けてくれたんだよ、ヒューゴも一緒に。レディトゥス・システムから助けてくれたの。あの2人がアタシに力をくれたの)
(なんと、ユリディスは生きておったのか!?)
フェンリルの声が、驚きに包まれる。
(えと、思念体だったの……)
(そうか……)
再び沈んだようなフェンリルの声に、キュッリッキは焦った。
(色々あったけど、でもね、アタシはもう大丈夫だから、だから、助けに来たんだよフェンリル! フローズヴィトニルも一緒だよ)
(お寝坊のフェンリル、早く起きなよー)
必死に叫ぶキュッリッキとは対照的に、呑気にフローズヴィトニルは笑った。
(フローズヴィトニル!!)
叱るようにキュッリッキに言われ、フローズヴィトニルはツーンとそっぽを向いた。
(だってさー、フェンリルが意地を張り続けた結果、リリナはあんな縄を作らせちゃったんでしょ)
(意地ってなによ…?)
(狼の姿。確かにボクたち狼の姿で生まれたけど、姿を別のものに変えるのなんて、お茶のコさいさいなんだ。リリナが怖がってるのを知ってて、姿を変えなかったのはフェンリルのせい。キュッリッキには仔犬の姿をして現れたのに、なんでリリナのときはダメだったのさ)
意地悪そうに目を細め、フローズヴィトニルは尻尾を振った。
痛いところを突かれたように、フェンリルは言葉を失って黙り込んだ。
キュッリッキはフェンリルと初めて出会った時のことを思い出していた。あの修道院の納屋の中、一人捨てられたように入れられ、粗末な毛布にくるまっていたとき、フェンリルは突然目の前に現れたのだ。
真っ白な可愛い仔犬の姿で。
おぼつかない足取りで、ぺたぺた歩いてそばにくる小さな仔犬を見て、キュッリッキの世界に初めて光が差した。
はっきりと言葉にしたことはないが、キュッリッキには判っている。
フェンリルは自らに与えられた狼の姿を、誇りにしているのだ。白銀の毛並みに、雄々しい気高い姿。巫女を護るという使命を帯びているが、そこは譲れないものがあったのだろう。
再び人間の世界に降臨したフェンリルは、過去の教訓から、自らの考えを律して姿を変えることにしたのだ。幼子が驚かないように、怖がらないように。キュッリッキの心や境遇を慮って、仔犬の形をとってくれた。
リリナという過去の巫女が犬を恐れていて、それが判っていても曲げられなかったフェンリルにも多少は責任があるのかもしれない。姿を別のものに変えていれば、関係は修復され、グレイプニルの存在自体がないものとされただろう。
終わってしまったことを、責めても悔やんでも詮無いことだ。もう過去は変えられないし、それをいつまで引きずっていてもどうしようもない。
頭では判っているのに、それでも人は記憶や心に刻みつけて、思い出しては悔いる。
キュッリッキはクスッと小さく笑った。
(なんだかフェンリル、思考がすっかり人間みたくなっちゃったんだね)
(失礼なことを言うでないぞ!)
(だってフェンリル、とーっても人間臭いんだもん。フローズヴィトニルは威厳もないし食い意地は人間みたいだけど、どこか思考は人間とは違うんだよね。白状っていうか、客観的すぎっていうか)
(シツレイだなー! ボクとってもフレンドリーなんだぞ)
(だったらダイエットしないさいよ! もう、肩こってきちゃった……)
(ムキキ~~~!)
(ユリディスのこと、力を暴走させちゃったこと、フェンリルずっと苦しかったんだね。でも安心して。アタシに巫女としての記憶を引き継がせることができて、巫女としての職責を全うすることができたんだって、優しく笑っていたよ。それに、アタシはもう大丈夫。ユリディスとヒューゴとメルヴィンたちが助けてくれたから)
(キュッリッキ……)
(うん、終わったことなんだよね。でも、前を向いて歩きだしても、時々思い出して辛くなる時があると思う。そのときは、そばに居いて励ましてね。アタシが小さい時からずっとそばにいてくれたフェンリルなら、それができるんだもん)
(ボクだって出来るよ!)
(ハイハイ…)
(むっきゃー!)
グレイプニルで力を封じ込められていたこともあるが、再び1万年前と同じような状況におかれ、フェンリルには暴走するほどの怒りはなかった。怒りを上回るほどの後悔と自責の念でいっぱいなのだ、
わずかな信頼を裏切られ、ベルトルドに不覚をとり、キュッリッキを奪われた。
1万年前と、何一つ変わっていない。
それなのに、キュッリッキは助けに来てくれた。こんなにも不甲斐ない自分のために助けに来てくれたのだ。今も辛く苦しい思いが心にのしかかっているのが、ヒシヒシと伝わってくる。それをおくびにも出さない。
健気で優しい子だと、フェンリルは改めて実感する。
ユリディスの時は叶わなかったが、今度こそキュッリッキを護り、やり直すことができるだろうか。
否、守り抜く。そう、フェンリルは決意を新たにした。
(キュッリッキよ、我を束縛するこのグレイプニルを、外してくれ、頼む)
(任せて!)
フェンリルの声に立ち直った気配を感じ、キュッリッキは嬉しそうに頷いた。
グレイプニルを外す方法は、もう判っている。
(忌まわしい縄…。フェンリルの全てを縛り付けるこんなもの、なくなっちゃえばいい。ベルトルドさんの力の波動も染み込んでいるけど、アタシは召喚士だよ!)
フェンリルのそばで膝をついて座り込んでいたキュッリッキは、目を開くと、瞬時にアルケラから光の神バルドルの浄化の力を召喚した。
キュッリッキの両手に、バルドル神の浄化の力が宿る。
「こんな縄、消えちゃえ!」
叫びながらグレイプニルを掴む。すると、掴んだ箇所から縄の表面に光の亀裂が無数に走り、グレイプニルは粉々に砕け散った。
突然キュッリッキが叫びだし、フェンリルの身体に巻かれていた縄が砕け散って、取り囲んでいたメルヴィンたちはギョッと目を見張っていた。
「面目ない…」
やがて低い声がフェンリルの口から漏れて、更にメルヴィンたちは目を見張る。
フェンリルが言葉を発したのを、初めて耳にしたからだ。
「やっと起きたー」
フローズヴィトニルが得意そうに尻尾を振って言うと、キュッリッキは深々と溜息をついて、フローズヴィトニルの襟元を掴んで引き剥がす。そして乱暴にフェンリルの頭に向けて放り投げた。
「なにすんだよー!」
フェンリルの頭にしがみついて、フローズヴィトニルはプンプン怒りながら抗議の声を上げた。それには、フェンリルの呆れたような溜息が続く。
「フローズヴィトニルよ……太り過ぎだ」
「えーっ?」
台座の下から狼たちのやり取りを見ていたマリオンは、大きく頷くのであった。
神であるフローズヴィトニルの力を使えば、かなり正確に記憶を視ることが出来る。
(……それにしても……フローズヴィトニル重い……)
肩と後頭部にずっしりとした重みを感じ、キュッリッキは薄く笑った。時間が経てば、ムチウチになりそうなほどだ。
(もう、おやつ減らさないとダメだね。こんなに太って、糖尿病になっちゃうよ)
(えー! そんな病気になんてならないよ、ボク神様だよ!!)
大好きなおやつを減らされては一大事と、フローズヴィトニルは慌てた。
(ダイエットしないと、アルケラに還しちゃうぞ)
(ヤダーヤダーやあだああ!! おやつ減らしてもいいから、もっとこっちに居たい)
フローズヴィトニルと精神が繋がっているキュッリッキは、頭の中でギャンギャン喚かれて、ゲッソリと肩を落とした。
(それより、早くグレイプニルの記憶を視るよ)
(ふぁ~い)
そこは神殿の中だった。
ユリディスの記憶の映像で見た神殿とは、どことなく雰囲気が違う。
象牙色の大理石で作られた明るい室内には、一人の少女しかいない。
ふわふわと長い淡い茶髪に、雪のように白い肌、長いまつげに縁どられた大きな目。愛くるしさを凝縮したような、その美しい少女の背には、気高い白い大きな翼が備わっていた。
(アイオン族の女の子……)
アイオン族のアルケラの巫女。キュッリッキと同じように、アイオン族からも巫女が誕生していたのだと知り、キュッリッキは複雑な気分に陥った。
(大事にされているんだろうなあ……)
微かな嫉妬が胸を過ぎり、キュッリッキは頭を振って打ち消した。嫉妬なんか感じている場合ではない。
少女は白いカバーのかけられたソファに寝そべって、じっと怯えた視線を前方に向けていた。その視線の先には、狼の姿のフェンリルが、その場に座って少女の方を見ている。
フェンリルを見ていた少女は、ふいに視線をそらせると、ソファに突っ伏した。
「わたくしの見えないところに、行っててちょうだい!」
突っ伏したまま、少女は突っ慳貪に叫んだ。
フェンリルは暫し少女を見ていたが、やがて立ち上がると、外に消えていった。
(…ちょ……ちょっと! なによあの子!!)
キュッリッキが憤慨したように叫ぶと、逆にフローズヴィトニルは淡々とした声でぽつりと言った。
(あの子、怖がってる)
場面がスッと切り替わり、アルケラの巫女の少女と、年配のアイオン族の女性が先ほどの室内にいた。
「カティヤ、わたくし怖いの。神などといっても、あれではただの獣ですわ。いつ理性を失って獣の本性を現すのか……。ああ…どうすればいいのでしょう」
「落ち着きなさいませ、リリヤ様は巫女なのです。リリヤ様を弑することなど、あの獣に出来るものですか」
「でも、でも…」
「あれはただの獣、犬ですわ。そう、犬は犬らしく、しっかりと縄でつないでおくのが宜しかろうと存じます」
「ただの縄じゃ、すぐ噛み切られてしまう…」
「アルケラからドヴェルグたちを呼び寄せ、あの犬を躾ける縄を作らせるのでございますよ」
「ああ、そうね、それがいいわ。早速コンタクトをとってみましょう」
更に画面が変わり、2人の姿は消え、テラスに横たわるフェンリルの姿が現れた。
白銀の毛並みに覆われた首に、黒い縄が巻かれている。そのフェンリルのそばには、武装した兵士が2人、監視するように立っていた。
キュッリッキはこれでもかと言わんばかりに両頬を膨らませると、萎む前に涙をポロポロとこぼし始めた。
(酷い…、なんてことするのあの子!! フェンリルは犬じゃない、気高い神なのよ、狼なのにっ)
悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
アルケラの巫女を護るために、地上に遣わされた神であるフェンリル。狼の姿を持つ神であり、人の身にはならない。狼の姿に誇りを持っているからだ。
(フェンリル、どうしてあんなもの首に巻かせたりしたんだろう…)
(ドヴェルグ達は、わざと手を抜いたのだ。いざという時に、我が巫女を護ることが出来なければ、本末転倒だからな。繋がれたフリをすることで、リリナが安心するならばそれもよしと思ったのだ)
(フェンリル!)
突如フェンリルの声が頭に響いて、目の前の記憶のフェンリルに目を向ける。しかし、喋っているのは記憶のフェンリルではなかった。
(よかった、無事なんだね? 大丈夫なの?)
(大丈夫だ)
とても静かな落ち着いた声で、そうフェンリルは答えた。
(巫女だからといって、急に目の前のものを全て受け入れられるものではない。リリナは小さな頃に、犬に襲われて怪我をしたことがある。我は犬ではないが似ているのだろう、いつも我を見て怖がっていた)
(フェンリル……)
(リリナの時はそれでよかった。だが、ユリディスの代になって、あのような事態となり、再びグレイプニルを持ち出されたときは本当に驚いた。クレメッティ王は神殿の関係者を買収し、我をグレイプニルで束縛したのだ。だが先も言ったとおり、グレイプニルは不完全なものだ。我の力を抑えきれず、世界を滅ぼすこととなってしまった)
深い後悔をにじませた声は、キュッリッキの涙を更に増やした。
フェンリルは巫女の許しなくしては、神の力を自在に振るうことも人間を害することもできない。唯一、巫女の身の危険を回避するために、自ら動くことは許されている。しかし自らに危害が及ぼうとするときに、自発的に動くことは認められていない。そのために、グレイプニルで束縛されることになってしまった。
不完全なものとは言え、首だけではなく全身に巻かれてしまうと、身動きも力も抑えられ、抜け出すために時間がかかってしまった。
(ユリディスを護れず、怒り任せに世界も壊してしまった。1万年を経て再び同じ事態を招き、キュッリッキまでも護れず我は……我は……)
(大丈夫だよ! アタシ大丈夫なの!! あのね、ユリディスが助けてくれたんだよ、ヒューゴも一緒に。レディトゥス・システムから助けてくれたの。あの2人がアタシに力をくれたの)
(なんと、ユリディスは生きておったのか!?)
フェンリルの声が、驚きに包まれる。
(えと、思念体だったの……)
(そうか……)
再び沈んだようなフェンリルの声に、キュッリッキは焦った。
(色々あったけど、でもね、アタシはもう大丈夫だから、だから、助けに来たんだよフェンリル! フローズヴィトニルも一緒だよ)
(お寝坊のフェンリル、早く起きなよー)
必死に叫ぶキュッリッキとは対照的に、呑気にフローズヴィトニルは笑った。
(フローズヴィトニル!!)
叱るようにキュッリッキに言われ、フローズヴィトニルはツーンとそっぽを向いた。
(だってさー、フェンリルが意地を張り続けた結果、リリナはあんな縄を作らせちゃったんでしょ)
(意地ってなによ…?)
(狼の姿。確かにボクたち狼の姿で生まれたけど、姿を別のものに変えるのなんて、お茶のコさいさいなんだ。リリナが怖がってるのを知ってて、姿を変えなかったのはフェンリルのせい。キュッリッキには仔犬の姿をして現れたのに、なんでリリナのときはダメだったのさ)
意地悪そうに目を細め、フローズヴィトニルは尻尾を振った。
痛いところを突かれたように、フェンリルは言葉を失って黙り込んだ。
キュッリッキはフェンリルと初めて出会った時のことを思い出していた。あの修道院の納屋の中、一人捨てられたように入れられ、粗末な毛布にくるまっていたとき、フェンリルは突然目の前に現れたのだ。
真っ白な可愛い仔犬の姿で。
おぼつかない足取りで、ぺたぺた歩いてそばにくる小さな仔犬を見て、キュッリッキの世界に初めて光が差した。
はっきりと言葉にしたことはないが、キュッリッキには判っている。
フェンリルは自らに与えられた狼の姿を、誇りにしているのだ。白銀の毛並みに、雄々しい気高い姿。巫女を護るという使命を帯びているが、そこは譲れないものがあったのだろう。
再び人間の世界に降臨したフェンリルは、過去の教訓から、自らの考えを律して姿を変えることにしたのだ。幼子が驚かないように、怖がらないように。キュッリッキの心や境遇を慮って、仔犬の形をとってくれた。
リリナという過去の巫女が犬を恐れていて、それが判っていても曲げられなかったフェンリルにも多少は責任があるのかもしれない。姿を別のものに変えていれば、関係は修復され、グレイプニルの存在自体がないものとされただろう。
終わってしまったことを、責めても悔やんでも詮無いことだ。もう過去は変えられないし、それをいつまで引きずっていてもどうしようもない。
頭では判っているのに、それでも人は記憶や心に刻みつけて、思い出しては悔いる。
キュッリッキはクスッと小さく笑った。
(なんだかフェンリル、思考がすっかり人間みたくなっちゃったんだね)
(失礼なことを言うでないぞ!)
(だってフェンリル、とーっても人間臭いんだもん。フローズヴィトニルは威厳もないし食い意地は人間みたいだけど、どこか思考は人間とは違うんだよね。白状っていうか、客観的すぎっていうか)
(シツレイだなー! ボクとってもフレンドリーなんだぞ)
(だったらダイエットしないさいよ! もう、肩こってきちゃった……)
(ムキキ~~~!)
(ユリディスのこと、力を暴走させちゃったこと、フェンリルずっと苦しかったんだね。でも安心して。アタシに巫女としての記憶を引き継がせることができて、巫女としての職責を全うすることができたんだって、優しく笑っていたよ。それに、アタシはもう大丈夫。ユリディスとヒューゴとメルヴィンたちが助けてくれたから)
(キュッリッキ……)
(うん、終わったことなんだよね。でも、前を向いて歩きだしても、時々思い出して辛くなる時があると思う。そのときは、そばに居いて励ましてね。アタシが小さい時からずっとそばにいてくれたフェンリルなら、それができるんだもん)
(ボクだって出来るよ!)
(ハイハイ…)
(むっきゃー!)
グレイプニルで力を封じ込められていたこともあるが、再び1万年前と同じような状況におかれ、フェンリルには暴走するほどの怒りはなかった。怒りを上回るほどの後悔と自責の念でいっぱいなのだ、
わずかな信頼を裏切られ、ベルトルドに不覚をとり、キュッリッキを奪われた。
1万年前と、何一つ変わっていない。
それなのに、キュッリッキは助けに来てくれた。こんなにも不甲斐ない自分のために助けに来てくれたのだ。今も辛く苦しい思いが心にのしかかっているのが、ヒシヒシと伝わってくる。それをおくびにも出さない。
健気で優しい子だと、フェンリルは改めて実感する。
ユリディスの時は叶わなかったが、今度こそキュッリッキを護り、やり直すことができるだろうか。
否、守り抜く。そう、フェンリルは決意を新たにした。
(キュッリッキよ、我を束縛するこのグレイプニルを、外してくれ、頼む)
(任せて!)
フェンリルの声に立ち直った気配を感じ、キュッリッキは嬉しそうに頷いた。
グレイプニルを外す方法は、もう判っている。
(忌まわしい縄…。フェンリルの全てを縛り付けるこんなもの、なくなっちゃえばいい。ベルトルドさんの力の波動も染み込んでいるけど、アタシは召喚士だよ!)
フェンリルのそばで膝をついて座り込んでいたキュッリッキは、目を開くと、瞬時にアルケラから光の神バルドルの浄化の力を召喚した。
キュッリッキの両手に、バルドル神の浄化の力が宿る。
「こんな縄、消えちゃえ!」
叫びながらグレイプニルを掴む。すると、掴んだ箇所から縄の表面に光の亀裂が無数に走り、グレイプニルは粉々に砕け散った。
突然キュッリッキが叫びだし、フェンリルの身体に巻かれていた縄が砕け散って、取り囲んでいたメルヴィンたちはギョッと目を見張っていた。
「面目ない…」
やがて低い声がフェンリルの口から漏れて、更にメルヴィンたちは目を見張る。
フェンリルが言葉を発したのを、初めて耳にしたからだ。
「やっと起きたー」
フローズヴィトニルが得意そうに尻尾を振って言うと、キュッリッキは深々と溜息をついて、フローズヴィトニルの襟元を掴んで引き剥がす。そして乱暴にフェンリルの頭に向けて放り投げた。
「なにすんだよー!」
フェンリルの頭にしがみついて、フローズヴィトニルはプンプン怒りながら抗議の声を上げた。それには、フェンリルの呆れたような溜息が続く。
「フローズヴィトニルよ……太り過ぎだ」
「えーっ?」
台座の下から狼たちのやり取りを見ていたマリオンは、大きく頷くのであった。
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王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
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