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奪われしもの編
129)奪われしもの・5
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シャシカラ島の小さな港にクルーザーが停泊すると、家につづく階段でアルカネットが出迎えてくれた。
「みんなおかえり」
「よ、アルカネット」
「ただいま、アル」
ベルトルドとリュリュは先に降りて、アルカネットとはしゃぎ合う。
「3人とも、早く宿題してきなさいね」
クルーザーをロープでつなぎながら、リューディアが叫ぶ。
「はーい」
ベルトルドが手を上げて応えると、3人は小走りに階段を上がっていった。
ビーチで宿題を終えたベルトルドたちは、砂山崩しゲームを楽しんだあと、夕飯時間が近くなって家に戻っていった。
3人の両親たちは、全て共働きである。しかし、緊急の仕事が入らない限りは、必ず両親とも夕方には揃って帰ってくる。子供がまだ小さいから、勤務時間の都合をつけてもらっているのだ。
木で作られた小さな門の前に、リューディアが佇んでいた。
「ディア」
ビーチから帰ってきたベルトルドが声をかけると、俯いていたリューディアは顔を上げて小さく微笑んだ。
「ちょっとだけ、話、いいかしら」
やや遠慮がちに言うリューディアに、ベルトルドは迷いなく頷いた。
門を開けて中に入り、庭を通ってプールまでくる。
すでに陽は沈み、家屋から漏れる明かりが、暗い庭を柔らかく照らしていた。
プールサイドに置かれたデッキチェアの一つに、ベルトルドは座って背もたれに身体を預ける。リューディアも隣のデッキチェアに座った。
「話って?」
ぶっきらぼうに促すと、リューディアはちょっと困ったように顎をひいた。
ベルトルドには、リューディアが何を聞きたいかよく判っていた。けれど、彼女が話し出すのをじっと待つ。
数分ほど沈黙が続いたが、意を決したようにリューディアが口を開いた。
「あのね、…ベルは、ベルはわたしのこと、好き?」
「えっ」
予想が外れて、ベルトルドはズリッとデッキチェアからずり落ちそうになった。てっきり、アルカネットの事件の真相を問われるかと思っていたのだ。
そんなベルトルドにはお構いなしに、胸の前でそっと手を組んで、リューディアは続ける。青い瞳が、真っ直ぐベルトルドを見据えていた。
「気づいてるよね? わたしがベルのこと好きだ、って」
「そ、そりゃ、幼馴染だし、俺もディアが好きだよ」
慌てるベルトルドに対し、リューディアは落ち着いていた。
「そういうんじゃなく、わたしに恋をしているか、ってことよ」
「俺は……」
恋をしている。
そう、口に出せたら。
しかしベルトルドは、それを絶対口に出すまいと、心に誓っていた。
「してないよ」
「ウソつき……」
沈んだ声で即答されて、ベルトルドはドキリとした。プールに向けるリューディアの横顔が、とても寂しそうに見える。それがベルトルドの心をざわつかせた。
「ねえ、なんでアルに遠慮しているの? 遠慮するようなことじゃないじゃない」
アルカネットに遠慮している、そう、リューディアは思っていた。それで、どこか責めるような口調になる。
「遠慮なんかじゃない…」
ベルトルドは膝を抱えると、少し俯いて目を伏せた。
本当の想いを話さないとリューディアは納得できないだろう。しかし話してもきっと納得したくはないだろうな、とも思っていた。
「…今から話すこと、ディアと俺との秘密にしてくれる?」
ちらりとベルトルドに目を向けられて、リューディアはこくりと頷いた。
ベルトルドは散々躊躇ったあと、小さな声で話し始めた。
「俺が5歳の時、母さん、流産したんだ」
リューディアは驚いたように目を見開いた。それは初耳である。
「でも、母さんは自分が子供が出来てたことに気づいてなくて、流産した時に初めて知ったんだ。だから、とっても悲しんで悲しんで、いっぱい泣いてた」
仕事が忙しい、忙しいと言っていた母親の姿を思い出す。当時、ゼイルストラ所有の海上石油工場で大きな事故があり、たくさんの人が怪我をして、病院は大忙しだと言っていた。小児科医のサーラもかりだされ、いつも遅くまで働いていた。
その疲労が祟ったのが原因だと、ベルトルドは思っている。
その頃リクハルドもまた、自身の仕事に忙殺されていた。アーナンド島のホテルのオーナーシェフとして抜擢されて、あまりの目まぐるしい日々に、妻の身体の不調に気づいてやれなかった。
謝る事しかできなくてゴメン、とリクハルドは泣きながらサーラを慰めていた。
流産したことを、両親は幼いベルトルドには話していない。しかしベルトルドは超能力によって、全てのことを把握したのだ。そのことに両親は気づいていなかった。
リビングの入口で2人の様子をそっと覗き見ていたベルトルドは、顔を見ることが叶わなかった弟を、心から痛ましく思って涙を流した。この不運な事故は、けっして両親のせいではないと、幼いながらも理解していた。
「弟だったの?」
「俺さ、母さんのお腹に子供が出来てたこと知ってたんだ。その子は弟だってことも判ってた」
てっきり、父母共に弟のことを知っているとばかり思っていた。だから、ベルトルドは言っていない。死んでしまった赤ちゃんは、男の子だったと。言えば母はもっと悲しむから。
「俺に弟が生まれる、て判って、俺すっごく嬉しかった。楽しみだった。だから、死んじゃったことが悲しくて、ビーチで一人泣いてたんだ。そしたらさ、いつの間にかアルカネットが隣に座ってたんだ」
何も言わず、ただ、寄り添うように隣にアルカネットが座っていた。
弟を失って、世界中でひとりぼっちになったような、そんな悲しい気分に包まれていたから、アルカネットが寄り添って一緒に居てくれてベルトルドは嬉しかった。
――俺の弟が、死んじゃったんだ。
ぐすぐすと泣きながら呟いた。
――いっしょに遊びたかった。
小さな小さな命が、母のおなかの中で少しずつ育っていく様子を、幼いベルトルドはハッキリと視ていた。
だから、いなくなってしまって、本当に悲しかった。
――ボクが、ベルトルドのおとうとになってあげる。
無邪気な笑顔で、アルカネットがそう言った。
――今日からベルトルドは、ボクのおにいちゃんで、ボクはベルトルドのおとうと。
今のアルカネットは、そんなことはきっと忘れているだろう。だけど、ベルトルドにとって、アルカネットのその言葉は、何よりも救いだった。
失いかけた守るべき存在を、アルカネットが与えてくれたからだ。
その日からベルトルドにとって、アルカネットはかけがえのない”おとうと”になった。大切で、守るべき存在に。
自分の恋を諦めてもいいくらいに。
遠慮とかそんなことではない。アルカネットが望むなら、なんでも叶えてやりたかった。だから、アルカネットが幸せになれば、それは自分にとっての幸せなのだ。
「でも、でも、だからって……」
ベルトルドの気持ちは理解出来なくはない。しかし、それで本当に恋を諦められるものなのか、リューディアは納得できなかった。
(ベルトルドがそれでよくっても、わたしの気持ちはどうなるの?)
「たとえベルがアルに譲ったとしても、わたしがアルの想いを受け入れるって保証はないのよ?」
「うん。そこはアルカネット自身の問題だから、俺にはどうもできない」
ベルトルドが諦めたとしても、リューディアがアルカネットを選ぶとは限らない。そのことくらいは、判っているつもりだ。
それでもベルトルドの気持ちは揺るがなかった。
リューディアはデッキチェアから立ち上がると、ベルトルドに背を向けた。
「わたし、フラれちゃった、ってことだよね」
淡々とした口調で呟く。
「13歳にして10歳の男の子にフラれるなんてネ。初失恋なのに、なんかイヤんなっちゃう」
「……ごめん」
「もうご飯の時間だから、帰るね。また明日」
肩ごしに振り向いて、リューディアは小さく微笑んだ。
軽やかな足取りで駆けていくリューディアの後ろ姿を見送って、ベルトルドは立ち上がった。
「これでいいんだ……」
心臓のあたりが、チクリと痛む気がした。小さな手で、痛む胸をそっと押さえる。
リューディアには酷いことをしたんだと、ベルトルドには判っていた。大切な想いを、譲るとかなんとか、物じゃないのだ。でもどうしても、ベルトルドは自分の決意を曲げることができない。
あの日、アルカネットが与えてくれたものは、今のベルトルドには恋にも勝るのだ。
空を見上げ、銀色に煌く星星を見つめる。
(いつの日か、俺は「キミに恋をしている」と、はっきり伝えることが出来る相手が見つかるだろうか。こんなふうに、胸が痛んだりせずにすむんだろうか…)
恋に出来なかったこの小さな想いを、ベルトルドは胸の痛みと共に、心の奥底に静かに仕舞いこんだ。
* * *
夏休みに入り、ベルトルド、アルカネット、リュリュの3人は宿題漬けとなった。
毎日午前中は、ビーチに集まって3人で宿題をする。計画的に進めていかないと、絶対に終わらないからだ。
「これじゃ、勉強している場所が、学校か家かの違いしかない」
問題集を開き、ベルトルドが3人の気持ちを駄弁した。
2ヶ月もの長期に渡る休暇のため、宿題の量がハンパではない。
「ねえリュリュ、毎日リューディアはどこへ行ってるの?」
寂しそうにアルカネットがたずねると、リュリュは問題集から顔も上げずに答える。
「学校で特別講習を受けてるわ。おねえちゃん来月になったら、冬のお休みまでハワドウレ皇国の学校に、特別編入で行っちゃうの」
「え、2年後じゃないの?」
びっくりしたアルカネットが、リュリュの肩を掴む。
「おねえちゃん、すっごく優秀だとかで、飛び級? とかいうので早期に入るんですって」
「そんなあ……」
表情を曇らせると、アルカネットは唇を尖らせて俯いてしまった。
「アタシだってイヤよ。おねえちゃんとこんなに早く、離れ離れになっちゃうなんて」
リュリュも負けずに唇を尖らせる。
そんな2人の様子を見て、ベルトルドは苦笑を浮かべた。
ベルトルドもそれは、初耳である。
リューディアをフってから、かれこれ半月が経っている。あれから彼女なりに立ち直り、そしてどこか変わってしまった。
自分で決めたことだけど、やはりツライと思うときがある。こんなふうに、直接本人から言ってもらえなかった時だ。
いつだって、なんでも隠さず教えてくれていたのに。最近は話すらあまりしていない。
一生懸命自分の心に言い聞かせる。
(これで、いいんだ)
「よーし、今日のノルマ終わったわ」
リュリュが嬉しそうに声を張り上げる。
「ボクも終わったよ。ベルトルドは?」
「ああ、俺も終わってる」
ベルトルドにとって、宿題に出された問題集は簡単すぎた。悩むまでもなく、すでに全部終わっているのだ。それを隠し、2人の勉強を見てやりながら合わせている。
「ランチまでまだ時間あるし、ベルのおうちのプールで泳ぎましょうよ」
「そうだな。そうするか」
「今日のランチは、ベルトルドの家で食べるんだよね」
「うん。親父が出がけに用意してってくれてる」
共働きの両親たちなので、毎日交代で子供たちの昼食を、準備していくことになっていた。
「ベルのパパのお料理おいしいから、楽しみ」
「そうだね」
リュリュとアルカネットの母親の作る料理も、ベルトルドは好きだった。
ベルトルドの家では、もっぱら料理担当は父親だ。母サーラは自他ともに認めるほど、料理に対する才能がなさすぎた。標準的な家庭料理すら、サーラにかかれば生ゴミとかわりがなくなる。
「よし、帰ろう」
3人は本やノートを閉じて、小脇に抱えて家に向かって走っていった。
* * *
ベルトルドにフラれてから、リューディアは数日は食欲も失せるほど消沈していた。しかし、これまでずっと思い悩んでいたことから解放されると、発明に対する意欲がどんどん向上していった。
辛いことから逃れようとするためなのか、発明に没頭することで、気持ちを立て直そうとしているのか。
とにかく失恋したということを、あまり思い悩みたくなかった。
それから毎日勉強と発明に集中している中で、リューディアはついに、空飛ぶ乗り物の基礎設計にたどり着こうとしていた。
「あと少し、あと少しで完成するわ」
機械工学〈才能〉という、レアな〈才能〉を授かって生まれてきたリューディアは、大きなスケッチブックに、たくさんの発明を描き込んでいた。とくに、空を飛ぶ発明に関しては、教師も舌を巻くほどのものだ。
ハワドウレ皇国にある研究機関へ行けば、超古代文明の遺産からも、良いヒントが得られるに違いないと確信している。
アイオン族のように翼に頼らず、魔法や超能力にも頼らず、自らの技術で空を飛ぶのだ。
――あと、もう少しで完成する!
「みんなおかえり」
「よ、アルカネット」
「ただいま、アル」
ベルトルドとリュリュは先に降りて、アルカネットとはしゃぎ合う。
「3人とも、早く宿題してきなさいね」
クルーザーをロープでつなぎながら、リューディアが叫ぶ。
「はーい」
ベルトルドが手を上げて応えると、3人は小走りに階段を上がっていった。
ビーチで宿題を終えたベルトルドたちは、砂山崩しゲームを楽しんだあと、夕飯時間が近くなって家に戻っていった。
3人の両親たちは、全て共働きである。しかし、緊急の仕事が入らない限りは、必ず両親とも夕方には揃って帰ってくる。子供がまだ小さいから、勤務時間の都合をつけてもらっているのだ。
木で作られた小さな門の前に、リューディアが佇んでいた。
「ディア」
ビーチから帰ってきたベルトルドが声をかけると、俯いていたリューディアは顔を上げて小さく微笑んだ。
「ちょっとだけ、話、いいかしら」
やや遠慮がちに言うリューディアに、ベルトルドは迷いなく頷いた。
門を開けて中に入り、庭を通ってプールまでくる。
すでに陽は沈み、家屋から漏れる明かりが、暗い庭を柔らかく照らしていた。
プールサイドに置かれたデッキチェアの一つに、ベルトルドは座って背もたれに身体を預ける。リューディアも隣のデッキチェアに座った。
「話って?」
ぶっきらぼうに促すと、リューディアはちょっと困ったように顎をひいた。
ベルトルドには、リューディアが何を聞きたいかよく判っていた。けれど、彼女が話し出すのをじっと待つ。
数分ほど沈黙が続いたが、意を決したようにリューディアが口を開いた。
「あのね、…ベルは、ベルはわたしのこと、好き?」
「えっ」
予想が外れて、ベルトルドはズリッとデッキチェアからずり落ちそうになった。てっきり、アルカネットの事件の真相を問われるかと思っていたのだ。
そんなベルトルドにはお構いなしに、胸の前でそっと手を組んで、リューディアは続ける。青い瞳が、真っ直ぐベルトルドを見据えていた。
「気づいてるよね? わたしがベルのこと好きだ、って」
「そ、そりゃ、幼馴染だし、俺もディアが好きだよ」
慌てるベルトルドに対し、リューディアは落ち着いていた。
「そういうんじゃなく、わたしに恋をしているか、ってことよ」
「俺は……」
恋をしている。
そう、口に出せたら。
しかしベルトルドは、それを絶対口に出すまいと、心に誓っていた。
「してないよ」
「ウソつき……」
沈んだ声で即答されて、ベルトルドはドキリとした。プールに向けるリューディアの横顔が、とても寂しそうに見える。それがベルトルドの心をざわつかせた。
「ねえ、なんでアルに遠慮しているの? 遠慮するようなことじゃないじゃない」
アルカネットに遠慮している、そう、リューディアは思っていた。それで、どこか責めるような口調になる。
「遠慮なんかじゃない…」
ベルトルドは膝を抱えると、少し俯いて目を伏せた。
本当の想いを話さないとリューディアは納得できないだろう。しかし話してもきっと納得したくはないだろうな、とも思っていた。
「…今から話すこと、ディアと俺との秘密にしてくれる?」
ちらりとベルトルドに目を向けられて、リューディアはこくりと頷いた。
ベルトルドは散々躊躇ったあと、小さな声で話し始めた。
「俺が5歳の時、母さん、流産したんだ」
リューディアは驚いたように目を見開いた。それは初耳である。
「でも、母さんは自分が子供が出来てたことに気づいてなくて、流産した時に初めて知ったんだ。だから、とっても悲しんで悲しんで、いっぱい泣いてた」
仕事が忙しい、忙しいと言っていた母親の姿を思い出す。当時、ゼイルストラ所有の海上石油工場で大きな事故があり、たくさんの人が怪我をして、病院は大忙しだと言っていた。小児科医のサーラもかりだされ、いつも遅くまで働いていた。
その疲労が祟ったのが原因だと、ベルトルドは思っている。
その頃リクハルドもまた、自身の仕事に忙殺されていた。アーナンド島のホテルのオーナーシェフとして抜擢されて、あまりの目まぐるしい日々に、妻の身体の不調に気づいてやれなかった。
謝る事しかできなくてゴメン、とリクハルドは泣きながらサーラを慰めていた。
流産したことを、両親は幼いベルトルドには話していない。しかしベルトルドは超能力によって、全てのことを把握したのだ。そのことに両親は気づいていなかった。
リビングの入口で2人の様子をそっと覗き見ていたベルトルドは、顔を見ることが叶わなかった弟を、心から痛ましく思って涙を流した。この不運な事故は、けっして両親のせいではないと、幼いながらも理解していた。
「弟だったの?」
「俺さ、母さんのお腹に子供が出来てたこと知ってたんだ。その子は弟だってことも判ってた」
てっきり、父母共に弟のことを知っているとばかり思っていた。だから、ベルトルドは言っていない。死んでしまった赤ちゃんは、男の子だったと。言えば母はもっと悲しむから。
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弟を失って、世界中でひとりぼっちになったような、そんな悲しい気分に包まれていたから、アルカネットが寄り添って一緒に居てくれてベルトルドは嬉しかった。
――俺の弟が、死んじゃったんだ。
ぐすぐすと泣きながら呟いた。
――いっしょに遊びたかった。
小さな小さな命が、母のおなかの中で少しずつ育っていく様子を、幼いベルトルドはハッキリと視ていた。
だから、いなくなってしまって、本当に悲しかった。
――ボクが、ベルトルドのおとうとになってあげる。
無邪気な笑顔で、アルカネットがそう言った。
――今日からベルトルドは、ボクのおにいちゃんで、ボクはベルトルドのおとうと。
今のアルカネットは、そんなことはきっと忘れているだろう。だけど、ベルトルドにとって、アルカネットのその言葉は、何よりも救いだった。
失いかけた守るべき存在を、アルカネットが与えてくれたからだ。
その日からベルトルドにとって、アルカネットはかけがえのない”おとうと”になった。大切で、守るべき存在に。
自分の恋を諦めてもいいくらいに。
遠慮とかそんなことではない。アルカネットが望むなら、なんでも叶えてやりたかった。だから、アルカネットが幸せになれば、それは自分にとっての幸せなのだ。
「でも、でも、だからって……」
ベルトルドの気持ちは理解出来なくはない。しかし、それで本当に恋を諦められるものなのか、リューディアは納得できなかった。
(ベルトルドがそれでよくっても、わたしの気持ちはどうなるの?)
「たとえベルがアルに譲ったとしても、わたしがアルの想いを受け入れるって保証はないのよ?」
「うん。そこはアルカネット自身の問題だから、俺にはどうもできない」
ベルトルドが諦めたとしても、リューディアがアルカネットを選ぶとは限らない。そのことくらいは、判っているつもりだ。
それでもベルトルドの気持ちは揺るがなかった。
リューディアはデッキチェアから立ち上がると、ベルトルドに背を向けた。
「わたし、フラれちゃった、ってことだよね」
淡々とした口調で呟く。
「13歳にして10歳の男の子にフラれるなんてネ。初失恋なのに、なんかイヤんなっちゃう」
「……ごめん」
「もうご飯の時間だから、帰るね。また明日」
肩ごしに振り向いて、リューディアは小さく微笑んだ。
軽やかな足取りで駆けていくリューディアの後ろ姿を見送って、ベルトルドは立ち上がった。
「これでいいんだ……」
心臓のあたりが、チクリと痛む気がした。小さな手で、痛む胸をそっと押さえる。
リューディアには酷いことをしたんだと、ベルトルドには判っていた。大切な想いを、譲るとかなんとか、物じゃないのだ。でもどうしても、ベルトルドは自分の決意を曲げることができない。
あの日、アルカネットが与えてくれたものは、今のベルトルドには恋にも勝るのだ。
空を見上げ、銀色に煌く星星を見つめる。
(いつの日か、俺は「キミに恋をしている」と、はっきり伝えることが出来る相手が見つかるだろうか。こんなふうに、胸が痛んだりせずにすむんだろうか…)
恋に出来なかったこの小さな想いを、ベルトルドは胸の痛みと共に、心の奥底に静かに仕舞いこんだ。
* * *
夏休みに入り、ベルトルド、アルカネット、リュリュの3人は宿題漬けとなった。
毎日午前中は、ビーチに集まって3人で宿題をする。計画的に進めていかないと、絶対に終わらないからだ。
「これじゃ、勉強している場所が、学校か家かの違いしかない」
問題集を開き、ベルトルドが3人の気持ちを駄弁した。
2ヶ月もの長期に渡る休暇のため、宿題の量がハンパではない。
「ねえリュリュ、毎日リューディアはどこへ行ってるの?」
寂しそうにアルカネットがたずねると、リュリュは問題集から顔も上げずに答える。
「学校で特別講習を受けてるわ。おねえちゃん来月になったら、冬のお休みまでハワドウレ皇国の学校に、特別編入で行っちゃうの」
「え、2年後じゃないの?」
びっくりしたアルカネットが、リュリュの肩を掴む。
「おねえちゃん、すっごく優秀だとかで、飛び級? とかいうので早期に入るんですって」
「そんなあ……」
表情を曇らせると、アルカネットは唇を尖らせて俯いてしまった。
「アタシだってイヤよ。おねえちゃんとこんなに早く、離れ離れになっちゃうなんて」
リュリュも負けずに唇を尖らせる。
そんな2人の様子を見て、ベルトルドは苦笑を浮かべた。
ベルトルドもそれは、初耳である。
リューディアをフってから、かれこれ半月が経っている。あれから彼女なりに立ち直り、そしてどこか変わってしまった。
自分で決めたことだけど、やはりツライと思うときがある。こんなふうに、直接本人から言ってもらえなかった時だ。
いつだって、なんでも隠さず教えてくれていたのに。最近は話すらあまりしていない。
一生懸命自分の心に言い聞かせる。
(これで、いいんだ)
「よーし、今日のノルマ終わったわ」
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3人は本やノートを閉じて、小脇に抱えて家に向かって走っていった。
* * *
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辛いことから逃れようとするためなのか、発明に没頭することで、気持ちを立て直そうとしているのか。
とにかく失恋したということを、あまり思い悩みたくなかった。
それから毎日勉強と発明に集中している中で、リューディアはついに、空飛ぶ乗り物の基礎設計にたどり着こうとしていた。
「あと少し、あと少しで完成するわ」
機械工学〈才能〉という、レアな〈才能〉を授かって生まれてきたリューディアは、大きなスケッチブックに、たくさんの発明を描き込んでいた。とくに、空を飛ぶ発明に関しては、教師も舌を巻くほどのものだ。
ハワドウレ皇国にある研究機関へ行けば、超古代文明の遺産からも、良いヒントが得られるに違いないと確信している。
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