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奪われしもの編
115)アルケラの巫女
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廃村寸前の漁村で、ユリディスは生まれた。
父母は近海で魚をとり、近隣の市場に出荷していた。しかし、近海でとれる魚はあまり育ちが良くなく、買い手がつかないことが多い。二束三文で取引され、市場に支払う仲介手数料で殆ど取り分がなくなってしまう。
自由に売り歩くことは禁止されており、遠い海まで漁をおこないにいきたかったが、幼いユリディスの育児でそれは難しい。何より漁に出るための船もない。安く買い入れた小船を使っているため、海上で寝泊りする設備も備わっていなのだ。
ユリディスが7歳を迎えた頃、父母は借金に押しつぶされる寸前だった。
「もう、心中するしかないのかしら……」
化粧っけもなく、みすぼらしい姿の母親は、涙を流しながら残酷なことを呟く。
生活は少しも豊かにならない。これも全て、種族統一国神王国ソレルの政策の杜撰さの煽りからきている。
近海は汚され生態系にも影響が出ているのに、放置されたまま。漁師組合も毎年頭を抱えているが、市場では地方から新鮮な魚を運搬してきて、国民の食卓に魚がなくなることはない。
仕事もなく、他の土地へ移住することになれば、移住税が多くのしかかる。それを支払うことは出来ない。毎月納める税金さえないのだ。
満足に食べさせてもらえず、ユリディスの身体は筋張って痩せ細っている。それでもどうにか、浜辺で貝を掘り、岩場で海藻を採って食いつないでいた。
母親の膝に抱きついて、ユリディスがウトウトとした頃、突然多くの足音がアバラ小屋を取り囲んだ。
「失礼します。こちらに、ユリディスという名の娘がいませんか?」
上品な身なりをした初老の女性が、柔らかな声で戸口から声をかけた。
眠い目を半分開けて、ユリディスは声の主を見た。そして、眠気に耐え切れず、そのまま目を閉じた。
気が付けば、そこは見たこともないような場所だった。
自分が寝ているのは、母親の膝の上ではなく、フカフカで真っ白なシーツの上。そして、身につけているのは、ボロ布を継ぎ接ぎしたワンピースではなく、ツルツルとした肌触りがくすぐったいシルクの寝巻きだった。
身体を起こすと、そこは柔らかな光に包まれた、広い広い部屋の中。自分が座っているのは大きなベッド。
一体何が起こったのか判らず、ユリディスは不安な顔で室内を見回した。
「おかあさん、おとうさん」
か細い声で父母を呼ぶが、返事はない。
「ここはどこ?」
「ここは神殿の中よ。心配しないで」
ハキハキとした少女の声が答えて、ユリディスはビクッと身体を震わせる。
「驚かせてごめんなさいね。私の名はヴェルナ、そしてこの白い狼はフェンリル」
自分より年上だけど、でもまだ幼い顔立ちをした少女。そして、生まれて初めて見る大きな狼。
ベッドの上でシーツを掴み、呆気にとられているユリディスに、ヴェルナはくすくすと笑いかけた。
「訳も判らないわよね。私もそうだったの。でも本当に安心してね、あなたのお父様とお母様は、別室にいらっしゃるわ。あとで一緒に会いに行きましょうね」
父母も近くにいるのだと判って、ユリディスの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。
* * *
「ユリディスの記憶か……」
ベルトルドは急に苦いものがこみ上げてきて、小さく苦笑を浮かべた。
貧しいなりをしたユリディスの姿が、かつてキュッリッキの記憶で視た、幼い日のキュッリッキの姿に重なったのだ。
「記憶が視えたんですか?」
隣でシ・アティウスが言うと、ベルトルドは肯定するように頷いた。
「まだ幼い頃の記憶がな、流れ込んできた」
「ほほう」
「ユリディスの先代も視えた。名をヴェルナといったかな、あどけなさを残す美少女だった」
暫く宙に視線を彷徨わせていたシ・アティウスが、ああ、と小さく声を上げた。
「記録にありますね。後継にユリディスを見出し、役目を全うした最後の人です」
「最後?」
「ユリディスは全うできなかったのですよ、自らに課せられた本来の役目を」
記憶〈才能〉を持つシ・アティウスは、己の記憶格納庫からユリディスに関する情報を取り出す。
「ヤルヴィレフト王家の暴挙によって、ユリディスは王家に捕らえられてしまいました。そして役目を最後まで果たすことができず、こうして閉じ込められた」
目の前の台座にそっと手を触れる。
半円形の台座の上には、柩のような縦長のケースが立てられていた。
透明なケースの中には何もない。
ベルトルドの雷霆により破壊された神殿は、レディトゥス・システムと床だけを残し、木っ端微塵に吹き飛んでいた。15名の少女たちの亡骸も、蒸発して消えている。
大人一人入るくらいの大きさのケースには、傷跡一つ無い。
「俺の雷霆でも傷が付かないとか、頑丈だなあ」
しみじみと感心したように呟く。
「おそらくユリディスの結界が、このケースにもかかっているのでしょう」
「結界まだあるのか? フリングホルニにこれ設置して、ちゃんと作動するんだろうな?」
ベルトルドがやや声を荒らげ怪訝そうに言うと、
「問題ありません。ご心配なく」
メガネのブリッジを指で軽く押し上げ、シ・アティウスは口元を歪ませた。
ベルトルドはエーベルハルド長官を呼ぶと、いくつか指示を出した。
「ハーメンリンナに戻ったら、リュリュと一緒に召喚〈才能〉の娘たちの家族を全て逮捕しろ。そして家財全て差し押さえ、家族は地下の処理場で始末しておけ」
「はっ!」
「周辺で騒ぐ者があれば、問答無用で圧力をかけろ。今回のことは皇王も存じているから、そのあたりの脅迫は黙殺して構わん。俺たちはこいつをエルアーラ遺跡に運び込んでから戻る。あとのことは任せた」
「承知致しました。お気をつけて」
「ああ」
ベルトルド、アルカネット、シ・アティウスの3人はレディトゥス・システムの台座の上に立った。
ベルトルドは意識を集中して、フリングホルニの動力部を脳裏に思い出し描く。
「いくぞ」
* * *
「アルケラを守らなくては」
静かな薄暗い水の中で、ユリディスは必死に考えた。
幸いレディトゥス・システムはフリングホルニとは別の場所で作られ、まだフリングホルニに設置されていない。
「あんなもので、フェンリルを永遠に抑え続けることは不可能だわ。フェンリルの力が膨れ上がって、戒めを解こうと必死に抗っているのを感じる……。私はもうこの装置からは出られない。ヒューゴもイーダもいない……」
ヤルヴィレフト王家の突然の反旗。護衛騎士であるヒューゴとイーダとは離され、フェンリルは罠にかけられてしまい、ユリディスはレディトゥス・システムに閉じ込められてしまった。
超巨大戦艦フリングホルニ。ヤルヴィレフト王家が国費の殆どを費やして建造しているもの。レディトゥス・システムはそのフリングホルニの起動装置である。
怒り狂っているフェンリルが戒めを解けば、そのあとどうなるかユリディスには判っていた。
「フェンリルは神だもの、あの力が暴発したら、ただでは済まない。そうなる前に、この装置に手が出せないようにしなくては」
ユリディスは装置の中から、アルケラの住人を召喚した。抜け出すことはできないが、召喚する力までは封じられていないようだ。
「偉大なるドヴェルグたち、この装置を守る神殿を築いてください。そして、私と同じ力を持つ者がこの神殿に入ったとき、罠が発動するようにしてください。その者を迷宮に誘い込み、化物に殺されるように……」
ユリディスの願い通り、ドヴェルグたちは神殿を築いて、レディトゥス・システムを深部に安置した。そして罠の発動とともに、キマイラが召喚されるように仕掛け、レディトゥス・システム内にいるユリディスの意識とリンクさせた。
「何者がこの神殿と装置を害することがないよう、結界を張りましょう」
* * *
「ベルトルド様?」
肩を揺すられ、ベルトルドはハッとなって顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
アルカネットに顔を覗きこまれ、ベルトルドは小さく頷いた。
「いかんな、装置に触れていたら、またユリディスの記憶が流れ込んできて、トリップしていたようだ…」
時として強すぎる力は厄介である。ベルトルドの場合能力値があまりにも高すぎて、勝手に他人の記憶や思考が流れ込んでくることがある。
視るつもりなど全くなくても、問答無用の時があるのでうんざりする。あまりにも強すぎる思念に捕まると、引きずられそうになることもあり、同調を避けるために精神には防御を張っていた。
触れるたびに記憶を視せられるのでは、少々気が滅入ってしまう。どうにも能力が些か敏感になりすぎているようだと、ベルトルドは内心深々とため息をついた。
「面白いものでも視えましたか?」
シ・アティウスに言われ、ベルトルドは「うーん」と首をひねる。
「断片的なんだ。知ってることを再確認する感じかな」
「ふむ」
「もう散々透視して、貴様たちにも情報は共有してあるだろう。同じものを何度も見せられている」
「覗き尽くした感じでしょうか」
「たぶん」
ただ、幼い頃の記憶はさっき初めて視た。きっと、透視を深めれば、違うことも見えるかもしれない。しかし、欲しい情報は全て視てある。今は余計な記憶など必要なかった。
ようやくフリングホルニの動力部に、レディトゥス・システムを運び込むことができた。目の前では、シ・アティウスとケレヴィルの技術者たちが、レディトゥス・システムを設置しているところだ。
「どのくらいかかりそうだ?」
用済みとなったベルトルドとアルカネットは、邪魔にならない位置で作業を見ている。
「そうですね……、起動実験とその他各部試験運転、調整などなどで、半月は最低限ほしいところです」
「そんなにかかるのか」
「焦ることもないでしょう、もはや時間の問題ですし」
「アルカネットの言う通りです」
「うん、判った」
ベルトルドは素直に頷いた。そして、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「計画は順調に進み、ヒューゴもユリディスも、結局俺を止められなかったな」
腕を組んでふんぞり返り、レディトゥス・システムに嘲笑を向けた。
「所詮は、過去の亡霊たちです」
「そうだな」
ふふんと笑い、ベルトルドは真剣な表情になる。
「かつて惑星ヒイシには、ヴィプネン族の種族統一国家、神王国ソレルが在った。この時代のようにいくつもの離反した小国が存在せず、見事に一つの国にまとまっていた。それは、他惑星のアイオン族、トゥーリ族も同じだ。だが、国はまとまっていたが、政治の中枢は腐敗し、国を治めるヤルヴィレフト王家もまた腐っていた。――1万年前のこの世界は、3つの種族間で戦争が頻発していた。その戦いに打ち勝つために、ヤルヴィレフト王家はこの超巨大戦艦を建造したんだ」
ベルトルドの脳裏に、ユリディスの記憶で見た光景がオーバーラップしていく。
「神に愛されし召喚士に手を出してまで、この艦で得ようとしたものは、けっして人間が手を出してはいけない領域だった」
アルカネットとシ・アティウスは、黙ってベルトルドの話を聞いている。
「ヤルヴィレフト王家の愚行を阻止するために、ユリディスは命をかけた。そのかいあって、ヤルヴィレフト王家の野望は食い止められた。だが、1万年の時を越えて、この俺に見つかった」
「せっかく命をかけたのに、無駄になってしまいましたね」
「そうじゃないさアルカネット。1万年間守りきったんだ、じゅうぶん頑張ったさ」
これには、アルカネットもシ・アティウスも肩をすくめて苦笑う。
「先代のヴェルナから引き継ぎ、ユリディスもつつがなく役目を果たして、次代へ引き継がせて眠るはずだっただろうに。――ユリディスはな、その日に食うのにも困る貧しい漁師の夫婦のもとに生まれた。母親が一家心中を考えていた矢先に、神殿から迎えがきて命拾いしたんだ」
「ほお…」
それはシ・アティウスの記憶格納庫には入っていない情報だ。
「波乱な人生が待っていることが判っていれば、心中していたほうが幸せだったのかもしれん。だが、神は次なる後継者をヴェルナに教え、迎えさせてしまった」
ベルトルドはレディトゥス・システムの前に立って、じっと透明な柩のようなケースを見上げた。
「召喚士とはな、後世が勝手に改変してつけた名称だ。今では真の呼び名を知る者はほとんどいなくなってしまった。それもまた、神の計画通りだったのだろうが、俺たちは知っている」
ベルトルドはニヤリと口の端を歪める。
「アルケラの巫女、それが召喚士の正式名称だ」
この世界には〈才能〉というものが存在する。それは、一つの突出した能力で、必ず一人一つ、授かって生まれてくる。
〈才能〉は遺伝しない。両親と同じ〈才能〉を授かって生まれてくれば、それは偶然のことだ。
シ・アティウスは記憶〈才能〉を授かって生まれてきた。幼い頃は記憶〈才能〉というものが、どんな役に立つのか理解に苦しんだ。しかし、成長していくにつれて、記憶〈才能〉が素晴らしい能力であることを実感する。
人間は興味のあることや衝撃的なことはよく覚えているが、興味のないことや関心のないものは大概忘れてしまう。しかし記憶〈才能〉はそんな些細なことでも鮮明に脳裏に焼き付け、絶対に忘れることがない。目にしたもの、耳にしたこと、体感したことなどなんでも覚えてしまう。
知識を吸収していくことが面白くなり、シ・アティウスは色々な書物を読み込み、旅に出かけて世界を巡り、先々で人々から色々な話を聞いた。
その中で唯一理解に苦しむものがあった。
召喚〈才能〉である。
生まれて〈才能〉が確認されると、すぐ生国が召し上げ一般人たちからは隔離されて国が大切に面倒を見る。そのため、召喚〈才能〉を持つ者と知己を得るのは不可能に近く、話すら聞けない。
召喚〈才能〉に関しては、子供でも知っているレベルしか伝わっておらず、一体どんな能力か判らなかった。
そこで、ハワドウレ皇国のアルケラ研究機関ケレヴィルに興味を持ち、いち研究員として働くことにする。神々の住む世界アルケラに関する事柄や、超古代文明なども調査研究する大きな組織だ。召喚〈才能〉を調べるにも適している。
「お前、召喚〈才能〉に興味があるのか?」
ケレヴィルの所長を兼任する副宰相ベルトルドに、そう声をかけられ、以来ベルトルドの仲間となった。
公私ともにベルトルドと一緒にいると、召喚〈才能〉について色々なことを知り得るようになった。アルケラの存在、召喚士の本来の役割、1万年前の出来事などを知っていく。そんな中で、キュッリッキとの出会いは衝撃的だった。
アルケラを実際視ることができて、神々と語り合い、神をこちら側の世界へ招き寄せることのできる、本物の召喚士。
「アルケラの巫女……」
囁くように呟いて、シ・アティウスは頷いた。
ずっと疑問だったことの一つが、召喚士は何故アルケラ限定でしか召喚することができないのか、ということだ。何かを招き寄せるのなら、この世界の何を呼んでもいいはずだ。それなのに、神々の世界を覗き視て、そこからこちらの世界へと招き寄せる。
何故アルケラでなくては、ならないのか。
その正体が巫女だというのなら、納得できる。
神々と唯一直接語り合える、神聖な乙女。
「1万年前は召喚士とは呼ばれず、アルケラの巫女と呼ばれていた。あまり遡っては判らないが、ヴィプネン族の中に生まれてくることが多かったらしい。それもあってヴィプネン族の統一国家は、神王国ソレルなどと言っていたようだ。――今と違ってアルケラの巫女は、神の言葉を人間に伝え、人間を正しく導く役目を担っていた。その生は千年に及び、代替わりする数年前に、次代の巫女が神から選ばれる。巫女は初潮を迎える頃に外見の年齢が止まり、女になる前の姿のまま千年生き続けるんだ」
しみじみと語り、ベルトルドは切なげにため息をつく。
「男を知らずに千年も生きるとか、不憫でならないな」
「そういう破廉恥なことを考える人間がいるから、きっとフェンリルがそばで守っていたのでしょうね」
「………」
ベルトルドは腕を組んだまま、口をへの字に曲げて眉をひくつかせた。
「フェンリルは巫女を守るために使わされた、ということですか」
「うん。歴代の巫女の傍らには、必ずフェンリルが付き添っている」
「なるほど」
シ・アティウスは顎に手をあてる。
「ということは、キュッリッキ嬢は現代のアルケラの巫女というわけですか」
「そうだな」
「まさか、千年も生きるんでしょうか?」
「んー……、それは俺も判らん……」
キュッリッキがいくつで初潮を迎えたかは知らないが、さすがに外見の成長は止まっていない。はずである。
「では、あの15名の召喚〈才能〉を持っていた少女たちは、何なのです?」
アルカネットが不思議そうに首をかしげる。
「フェイク、偽装だ」
アルカネットとシ・アティウスは顔を見合わせる。
「1万年前のユリディスの悲劇が、そうさせたんだ。神は巫女を守るために、フェイクを用意することにした。万が一ヤルヴィレフト王家の者のような暴挙が巫女に及ばないよう、本物の巫女を守るためだけに用意されたフェイク。それが召喚〈才能〉を持たされた、少女たちの存在理由なんだ」
アルケラの巫女であるキュッリッキを、隠し守るためだけに生まれてきた少女たち。同じ日に生を受け、そんな重い宿命を背負わされているとは一生知らずに、贅沢を謳歌してきた。
召喚〈才能〉を示す証はその特異な目だけで、召喚〈才能〉が実際どんなものか、キュッリッキが現れるまで誰も知らなかった。だから本物か偽物かなど、判りようがない。
そもそも、本物か偽物かなど、誰も考えつかないことだ。
「ダエヴァに調べさせたが、アイオン族とトゥーリ族にも、やはり召喚〈才能〉を持った者は数名存在していた。リッキーと同じように、7月7日に生まれた女児だ」
フェイクは各種族に、均等にばら蒔かれていた。
「何故召喚〈才能〉を持つ者を国が保護するか、どうしてそれが3種族で昔から決められていたのか。謎でしかなかったがな、神がそう仕組みを人間たちに仕込んだ。それなのにどういうわけか、リッキーはその仕組みの外に居た。それこそが、神の守護だったんだ。フェンリルを使わし、国の保護から外れさせた。リッキーからしてみたら、えらい迷惑な話だがな。不憫な境遇に落とし込んでも、それでも神は巫女の命を守りたかったのだろう」
片翼で生まれなくてはならなかったことも、それによって両親から捨てられたことも、全て神の仕組んだこと。そこまでして、巫女として生まれてきたキュッリッキを、神は守りたかったのだろうか。ベルトルドにはまるで理解できないことだ。他にいくらでも方法はあっただろうに、心を傷つけてまで何故そうしたのか。
「ユリディスの末路を考えれば、そうなりますね。良い方法とは思いませんが」
本来尊ばれ、神と同等に扱われていた筈の地上の女神。しかしヤルヴィレフト王家は禁を破ってユリディスに手を出した。その結果、世界は半壊しかけ、多くの歴史を闇に葬り、9千年の時を経て、新たな歴史が紡がれ始めた。
それが、今の世界。
「キュッリッキ嬢が生まれるまで、召喚士…アルケラの巫女が存在していた記録は残っていませんでした」
「おそらくユリディス以来の、初めてのアルケラの巫女誕生なのだろうな。もっとも、リッキーにはアルケラの巫女としての自覚もないし、神から巫女としての役目を言い渡されていない感じはする。どういうことなのかは不明だが」
人間の未来を正しく導く、という意思は全く感じられないし、キュッリッキ自身ようやく安住の地を得たのだ。大勢の他人のことを考えられるようになるには、まだ時間がかかるだろう。自分のことで手一杯なのだから。
「さて、長話がすぎたな。俺とアルカネットは事後処理で皇都に戻る。こちらのことはお前に任せた」
「はい」
「戻るぞアルカネット」
「ええ」
ベルトルドとアルカネットが空間転移でその場から瞬時に消えると、シ・アティウスはレディトゥス・システムへ目を向けた。
フリングホルニの動力部中央へ設置されたレディトゥス・システム。これを運び込むなとヒューゴは言っていた。それによって何が引き起こされるか、シ・アティウスにはよく判っている。それを成す為だけに、ベルトルドは動いているのだから。しかしそれと同時に、あることもまた心を複雑にさせていた。
「あなたは恨むでしょうか、それとも、許すのでしょうか……」
父母は近海で魚をとり、近隣の市場に出荷していた。しかし、近海でとれる魚はあまり育ちが良くなく、買い手がつかないことが多い。二束三文で取引され、市場に支払う仲介手数料で殆ど取り分がなくなってしまう。
自由に売り歩くことは禁止されており、遠い海まで漁をおこないにいきたかったが、幼いユリディスの育児でそれは難しい。何より漁に出るための船もない。安く買い入れた小船を使っているため、海上で寝泊りする設備も備わっていなのだ。
ユリディスが7歳を迎えた頃、父母は借金に押しつぶされる寸前だった。
「もう、心中するしかないのかしら……」
化粧っけもなく、みすぼらしい姿の母親は、涙を流しながら残酷なことを呟く。
生活は少しも豊かにならない。これも全て、種族統一国神王国ソレルの政策の杜撰さの煽りからきている。
近海は汚され生態系にも影響が出ているのに、放置されたまま。漁師組合も毎年頭を抱えているが、市場では地方から新鮮な魚を運搬してきて、国民の食卓に魚がなくなることはない。
仕事もなく、他の土地へ移住することになれば、移住税が多くのしかかる。それを支払うことは出来ない。毎月納める税金さえないのだ。
満足に食べさせてもらえず、ユリディスの身体は筋張って痩せ細っている。それでもどうにか、浜辺で貝を掘り、岩場で海藻を採って食いつないでいた。
母親の膝に抱きついて、ユリディスがウトウトとした頃、突然多くの足音がアバラ小屋を取り囲んだ。
「失礼します。こちらに、ユリディスという名の娘がいませんか?」
上品な身なりをした初老の女性が、柔らかな声で戸口から声をかけた。
眠い目を半分開けて、ユリディスは声の主を見た。そして、眠気に耐え切れず、そのまま目を閉じた。
気が付けば、そこは見たこともないような場所だった。
自分が寝ているのは、母親の膝の上ではなく、フカフカで真っ白なシーツの上。そして、身につけているのは、ボロ布を継ぎ接ぎしたワンピースではなく、ツルツルとした肌触りがくすぐったいシルクの寝巻きだった。
身体を起こすと、そこは柔らかな光に包まれた、広い広い部屋の中。自分が座っているのは大きなベッド。
一体何が起こったのか判らず、ユリディスは不安な顔で室内を見回した。
「おかあさん、おとうさん」
か細い声で父母を呼ぶが、返事はない。
「ここはどこ?」
「ここは神殿の中よ。心配しないで」
ハキハキとした少女の声が答えて、ユリディスはビクッと身体を震わせる。
「驚かせてごめんなさいね。私の名はヴェルナ、そしてこの白い狼はフェンリル」
自分より年上だけど、でもまだ幼い顔立ちをした少女。そして、生まれて初めて見る大きな狼。
ベッドの上でシーツを掴み、呆気にとられているユリディスに、ヴェルナはくすくすと笑いかけた。
「訳も判らないわよね。私もそうだったの。でも本当に安心してね、あなたのお父様とお母様は、別室にいらっしゃるわ。あとで一緒に会いに行きましょうね」
父母も近くにいるのだと判って、ユリディスの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。
* * *
「ユリディスの記憶か……」
ベルトルドは急に苦いものがこみ上げてきて、小さく苦笑を浮かべた。
貧しいなりをしたユリディスの姿が、かつてキュッリッキの記憶で視た、幼い日のキュッリッキの姿に重なったのだ。
「記憶が視えたんですか?」
隣でシ・アティウスが言うと、ベルトルドは肯定するように頷いた。
「まだ幼い頃の記憶がな、流れ込んできた」
「ほほう」
「ユリディスの先代も視えた。名をヴェルナといったかな、あどけなさを残す美少女だった」
暫く宙に視線を彷徨わせていたシ・アティウスが、ああ、と小さく声を上げた。
「記録にありますね。後継にユリディスを見出し、役目を全うした最後の人です」
「最後?」
「ユリディスは全うできなかったのですよ、自らに課せられた本来の役目を」
記憶〈才能〉を持つシ・アティウスは、己の記憶格納庫からユリディスに関する情報を取り出す。
「ヤルヴィレフト王家の暴挙によって、ユリディスは王家に捕らえられてしまいました。そして役目を最後まで果たすことができず、こうして閉じ込められた」
目の前の台座にそっと手を触れる。
半円形の台座の上には、柩のような縦長のケースが立てられていた。
透明なケースの中には何もない。
ベルトルドの雷霆により破壊された神殿は、レディトゥス・システムと床だけを残し、木っ端微塵に吹き飛んでいた。15名の少女たちの亡骸も、蒸発して消えている。
大人一人入るくらいの大きさのケースには、傷跡一つ無い。
「俺の雷霆でも傷が付かないとか、頑丈だなあ」
しみじみと感心したように呟く。
「おそらくユリディスの結界が、このケースにもかかっているのでしょう」
「結界まだあるのか? フリングホルニにこれ設置して、ちゃんと作動するんだろうな?」
ベルトルドがやや声を荒らげ怪訝そうに言うと、
「問題ありません。ご心配なく」
メガネのブリッジを指で軽く押し上げ、シ・アティウスは口元を歪ませた。
ベルトルドはエーベルハルド長官を呼ぶと、いくつか指示を出した。
「ハーメンリンナに戻ったら、リュリュと一緒に召喚〈才能〉の娘たちの家族を全て逮捕しろ。そして家財全て差し押さえ、家族は地下の処理場で始末しておけ」
「はっ!」
「周辺で騒ぐ者があれば、問答無用で圧力をかけろ。今回のことは皇王も存じているから、そのあたりの脅迫は黙殺して構わん。俺たちはこいつをエルアーラ遺跡に運び込んでから戻る。あとのことは任せた」
「承知致しました。お気をつけて」
「ああ」
ベルトルド、アルカネット、シ・アティウスの3人はレディトゥス・システムの台座の上に立った。
ベルトルドは意識を集中して、フリングホルニの動力部を脳裏に思い出し描く。
「いくぞ」
* * *
「アルケラを守らなくては」
静かな薄暗い水の中で、ユリディスは必死に考えた。
幸いレディトゥス・システムはフリングホルニとは別の場所で作られ、まだフリングホルニに設置されていない。
「あんなもので、フェンリルを永遠に抑え続けることは不可能だわ。フェンリルの力が膨れ上がって、戒めを解こうと必死に抗っているのを感じる……。私はもうこの装置からは出られない。ヒューゴもイーダもいない……」
ヤルヴィレフト王家の突然の反旗。護衛騎士であるヒューゴとイーダとは離され、フェンリルは罠にかけられてしまい、ユリディスはレディトゥス・システムに閉じ込められてしまった。
超巨大戦艦フリングホルニ。ヤルヴィレフト王家が国費の殆どを費やして建造しているもの。レディトゥス・システムはそのフリングホルニの起動装置である。
怒り狂っているフェンリルが戒めを解けば、そのあとどうなるかユリディスには判っていた。
「フェンリルは神だもの、あの力が暴発したら、ただでは済まない。そうなる前に、この装置に手が出せないようにしなくては」
ユリディスは装置の中から、アルケラの住人を召喚した。抜け出すことはできないが、召喚する力までは封じられていないようだ。
「偉大なるドヴェルグたち、この装置を守る神殿を築いてください。そして、私と同じ力を持つ者がこの神殿に入ったとき、罠が発動するようにしてください。その者を迷宮に誘い込み、化物に殺されるように……」
ユリディスの願い通り、ドヴェルグたちは神殿を築いて、レディトゥス・システムを深部に安置した。そして罠の発動とともに、キマイラが召喚されるように仕掛け、レディトゥス・システム内にいるユリディスの意識とリンクさせた。
「何者がこの神殿と装置を害することがないよう、結界を張りましょう」
* * *
「ベルトルド様?」
肩を揺すられ、ベルトルドはハッとなって顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
アルカネットに顔を覗きこまれ、ベルトルドは小さく頷いた。
「いかんな、装置に触れていたら、またユリディスの記憶が流れ込んできて、トリップしていたようだ…」
時として強すぎる力は厄介である。ベルトルドの場合能力値があまりにも高すぎて、勝手に他人の記憶や思考が流れ込んでくることがある。
視るつもりなど全くなくても、問答無用の時があるのでうんざりする。あまりにも強すぎる思念に捕まると、引きずられそうになることもあり、同調を避けるために精神には防御を張っていた。
触れるたびに記憶を視せられるのでは、少々気が滅入ってしまう。どうにも能力が些か敏感になりすぎているようだと、ベルトルドは内心深々とため息をついた。
「面白いものでも視えましたか?」
シ・アティウスに言われ、ベルトルドは「うーん」と首をひねる。
「断片的なんだ。知ってることを再確認する感じかな」
「ふむ」
「もう散々透視して、貴様たちにも情報は共有してあるだろう。同じものを何度も見せられている」
「覗き尽くした感じでしょうか」
「たぶん」
ただ、幼い頃の記憶はさっき初めて視た。きっと、透視を深めれば、違うことも見えるかもしれない。しかし、欲しい情報は全て視てある。今は余計な記憶など必要なかった。
ようやくフリングホルニの動力部に、レディトゥス・システムを運び込むことができた。目の前では、シ・アティウスとケレヴィルの技術者たちが、レディトゥス・システムを設置しているところだ。
「どのくらいかかりそうだ?」
用済みとなったベルトルドとアルカネットは、邪魔にならない位置で作業を見ている。
「そうですね……、起動実験とその他各部試験運転、調整などなどで、半月は最低限ほしいところです」
「そんなにかかるのか」
「焦ることもないでしょう、もはや時間の問題ですし」
「アルカネットの言う通りです」
「うん、判った」
ベルトルドは素直に頷いた。そして、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「計画は順調に進み、ヒューゴもユリディスも、結局俺を止められなかったな」
腕を組んでふんぞり返り、レディトゥス・システムに嘲笑を向けた。
「所詮は、過去の亡霊たちです」
「そうだな」
ふふんと笑い、ベルトルドは真剣な表情になる。
「かつて惑星ヒイシには、ヴィプネン族の種族統一国家、神王国ソレルが在った。この時代のようにいくつもの離反した小国が存在せず、見事に一つの国にまとまっていた。それは、他惑星のアイオン族、トゥーリ族も同じだ。だが、国はまとまっていたが、政治の中枢は腐敗し、国を治めるヤルヴィレフト王家もまた腐っていた。――1万年前のこの世界は、3つの種族間で戦争が頻発していた。その戦いに打ち勝つために、ヤルヴィレフト王家はこの超巨大戦艦を建造したんだ」
ベルトルドの脳裏に、ユリディスの記憶で見た光景がオーバーラップしていく。
「神に愛されし召喚士に手を出してまで、この艦で得ようとしたものは、けっして人間が手を出してはいけない領域だった」
アルカネットとシ・アティウスは、黙ってベルトルドの話を聞いている。
「ヤルヴィレフト王家の愚行を阻止するために、ユリディスは命をかけた。そのかいあって、ヤルヴィレフト王家の野望は食い止められた。だが、1万年の時を越えて、この俺に見つかった」
「せっかく命をかけたのに、無駄になってしまいましたね」
「そうじゃないさアルカネット。1万年間守りきったんだ、じゅうぶん頑張ったさ」
これには、アルカネットもシ・アティウスも肩をすくめて苦笑う。
「先代のヴェルナから引き継ぎ、ユリディスもつつがなく役目を果たして、次代へ引き継がせて眠るはずだっただろうに。――ユリディスはな、その日に食うのにも困る貧しい漁師の夫婦のもとに生まれた。母親が一家心中を考えていた矢先に、神殿から迎えがきて命拾いしたんだ」
「ほお…」
それはシ・アティウスの記憶格納庫には入っていない情報だ。
「波乱な人生が待っていることが判っていれば、心中していたほうが幸せだったのかもしれん。だが、神は次なる後継者をヴェルナに教え、迎えさせてしまった」
ベルトルドはレディトゥス・システムの前に立って、じっと透明な柩のようなケースを見上げた。
「召喚士とはな、後世が勝手に改変してつけた名称だ。今では真の呼び名を知る者はほとんどいなくなってしまった。それもまた、神の計画通りだったのだろうが、俺たちは知っている」
ベルトルドはニヤリと口の端を歪める。
「アルケラの巫女、それが召喚士の正式名称だ」
この世界には〈才能〉というものが存在する。それは、一つの突出した能力で、必ず一人一つ、授かって生まれてくる。
〈才能〉は遺伝しない。両親と同じ〈才能〉を授かって生まれてくれば、それは偶然のことだ。
シ・アティウスは記憶〈才能〉を授かって生まれてきた。幼い頃は記憶〈才能〉というものが、どんな役に立つのか理解に苦しんだ。しかし、成長していくにつれて、記憶〈才能〉が素晴らしい能力であることを実感する。
人間は興味のあることや衝撃的なことはよく覚えているが、興味のないことや関心のないものは大概忘れてしまう。しかし記憶〈才能〉はそんな些細なことでも鮮明に脳裏に焼き付け、絶対に忘れることがない。目にしたもの、耳にしたこと、体感したことなどなんでも覚えてしまう。
知識を吸収していくことが面白くなり、シ・アティウスは色々な書物を読み込み、旅に出かけて世界を巡り、先々で人々から色々な話を聞いた。
その中で唯一理解に苦しむものがあった。
召喚〈才能〉である。
生まれて〈才能〉が確認されると、すぐ生国が召し上げ一般人たちからは隔離されて国が大切に面倒を見る。そのため、召喚〈才能〉を持つ者と知己を得るのは不可能に近く、話すら聞けない。
召喚〈才能〉に関しては、子供でも知っているレベルしか伝わっておらず、一体どんな能力か判らなかった。
そこで、ハワドウレ皇国のアルケラ研究機関ケレヴィルに興味を持ち、いち研究員として働くことにする。神々の住む世界アルケラに関する事柄や、超古代文明なども調査研究する大きな組織だ。召喚〈才能〉を調べるにも適している。
「お前、召喚〈才能〉に興味があるのか?」
ケレヴィルの所長を兼任する副宰相ベルトルドに、そう声をかけられ、以来ベルトルドの仲間となった。
公私ともにベルトルドと一緒にいると、召喚〈才能〉について色々なことを知り得るようになった。アルケラの存在、召喚士の本来の役割、1万年前の出来事などを知っていく。そんな中で、キュッリッキとの出会いは衝撃的だった。
アルケラを実際視ることができて、神々と語り合い、神をこちら側の世界へ招き寄せることのできる、本物の召喚士。
「アルケラの巫女……」
囁くように呟いて、シ・アティウスは頷いた。
ずっと疑問だったことの一つが、召喚士は何故アルケラ限定でしか召喚することができないのか、ということだ。何かを招き寄せるのなら、この世界の何を呼んでもいいはずだ。それなのに、神々の世界を覗き視て、そこからこちらの世界へと招き寄せる。
何故アルケラでなくては、ならないのか。
その正体が巫女だというのなら、納得できる。
神々と唯一直接語り合える、神聖な乙女。
「1万年前は召喚士とは呼ばれず、アルケラの巫女と呼ばれていた。あまり遡っては判らないが、ヴィプネン族の中に生まれてくることが多かったらしい。それもあってヴィプネン族の統一国家は、神王国ソレルなどと言っていたようだ。――今と違ってアルケラの巫女は、神の言葉を人間に伝え、人間を正しく導く役目を担っていた。その生は千年に及び、代替わりする数年前に、次代の巫女が神から選ばれる。巫女は初潮を迎える頃に外見の年齢が止まり、女になる前の姿のまま千年生き続けるんだ」
しみじみと語り、ベルトルドは切なげにため息をつく。
「男を知らずに千年も生きるとか、不憫でならないな」
「そういう破廉恥なことを考える人間がいるから、きっとフェンリルがそばで守っていたのでしょうね」
「………」
ベルトルドは腕を組んだまま、口をへの字に曲げて眉をひくつかせた。
「フェンリルは巫女を守るために使わされた、ということですか」
「うん。歴代の巫女の傍らには、必ずフェンリルが付き添っている」
「なるほど」
シ・アティウスは顎に手をあてる。
「ということは、キュッリッキ嬢は現代のアルケラの巫女というわけですか」
「そうだな」
「まさか、千年も生きるんでしょうか?」
「んー……、それは俺も判らん……」
キュッリッキがいくつで初潮を迎えたかは知らないが、さすがに外見の成長は止まっていない。はずである。
「では、あの15名の召喚〈才能〉を持っていた少女たちは、何なのです?」
アルカネットが不思議そうに首をかしげる。
「フェイク、偽装だ」
アルカネットとシ・アティウスは顔を見合わせる。
「1万年前のユリディスの悲劇が、そうさせたんだ。神は巫女を守るために、フェイクを用意することにした。万が一ヤルヴィレフト王家の者のような暴挙が巫女に及ばないよう、本物の巫女を守るためだけに用意されたフェイク。それが召喚〈才能〉を持たされた、少女たちの存在理由なんだ」
アルケラの巫女であるキュッリッキを、隠し守るためだけに生まれてきた少女たち。同じ日に生を受け、そんな重い宿命を背負わされているとは一生知らずに、贅沢を謳歌してきた。
召喚〈才能〉を示す証はその特異な目だけで、召喚〈才能〉が実際どんなものか、キュッリッキが現れるまで誰も知らなかった。だから本物か偽物かなど、判りようがない。
そもそも、本物か偽物かなど、誰も考えつかないことだ。
「ダエヴァに調べさせたが、アイオン族とトゥーリ族にも、やはり召喚〈才能〉を持った者は数名存在していた。リッキーと同じように、7月7日に生まれた女児だ」
フェイクは各種族に、均等にばら蒔かれていた。
「何故召喚〈才能〉を持つ者を国が保護するか、どうしてそれが3種族で昔から決められていたのか。謎でしかなかったがな、神がそう仕組みを人間たちに仕込んだ。それなのにどういうわけか、リッキーはその仕組みの外に居た。それこそが、神の守護だったんだ。フェンリルを使わし、国の保護から外れさせた。リッキーからしてみたら、えらい迷惑な話だがな。不憫な境遇に落とし込んでも、それでも神は巫女の命を守りたかったのだろう」
片翼で生まれなくてはならなかったことも、それによって両親から捨てられたことも、全て神の仕組んだこと。そこまでして、巫女として生まれてきたキュッリッキを、神は守りたかったのだろうか。ベルトルドにはまるで理解できないことだ。他にいくらでも方法はあっただろうに、心を傷つけてまで何故そうしたのか。
「ユリディスの末路を考えれば、そうなりますね。良い方法とは思いませんが」
本来尊ばれ、神と同等に扱われていた筈の地上の女神。しかしヤルヴィレフト王家は禁を破ってユリディスに手を出した。その結果、世界は半壊しかけ、多くの歴史を闇に葬り、9千年の時を経て、新たな歴史が紡がれ始めた。
それが、今の世界。
「キュッリッキ嬢が生まれるまで、召喚士…アルケラの巫女が存在していた記録は残っていませんでした」
「おそらくユリディス以来の、初めてのアルケラの巫女誕生なのだろうな。もっとも、リッキーにはアルケラの巫女としての自覚もないし、神から巫女としての役目を言い渡されていない感じはする。どういうことなのかは不明だが」
人間の未来を正しく導く、という意思は全く感じられないし、キュッリッキ自身ようやく安住の地を得たのだ。大勢の他人のことを考えられるようになるには、まだ時間がかかるだろう。自分のことで手一杯なのだから。
「さて、長話がすぎたな。俺とアルカネットは事後処理で皇都に戻る。こちらのことはお前に任せた」
「はい」
「戻るぞアルカネット」
「ええ」
ベルトルドとアルカネットが空間転移でその場から瞬時に消えると、シ・アティウスはレディトゥス・システムへ目を向けた。
フリングホルニの動力部中央へ設置されたレディトゥス・システム。これを運び込むなとヒューゴは言っていた。それによって何が引き起こされるか、シ・アティウスにはよく判っている。それを成す為だけに、ベルトルドは動いているのだから。しかしそれと同時に、あることもまた心を複雑にさせていた。
「あなたは恨むでしょうか、それとも、許すのでしょうか……」
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