片翼の召喚士

ユズキ

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奪われしもの編

110)温泉旅行の終わり

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 朝顔の間にベルトルドとアルカネットが現れると、ピタッと雑談がやんで静まり返る。

「なんだ、急に静かになって不気味な。露骨な奴らだな」

 ベルトルドは頭を傾げ、いつものキュッリッキの隣に座った。

「おはようリッキー」

 にっこりと無邪気な笑顔を向けるが、キュッリッキは心底怯えた顔をベルトルドに向けてきた。

「どうした? リッキー」
「昨夜の、あなたのおとなげない殺気に怯えてしまっているのですよ。可哀想に。ね、リッキーさん」

 反対側に座っているアルカネットが、優しくキュッリッキの肩を抱き、ベルトルドから遠ざけるように自らに寄せる。

「リッキーに向けたわけじゃないんだぞ? もう怒ってないから、怖がらないでくれ、な?」
「ふにゅう…」

 キュッリッキは上目遣いで、恐る恐る小さく頷いた。
 鳳凰の間でメルヴィンと一緒に寝ていると、大きな地震かと思えるような震撼と、全身総毛立つほどの殺意が一度に襲ってきて目が覚めた。
 座布団の上で丸くなって寝ていたフェンリルとフローズヴィトニルも、飛び上がって目を覚ましていた。
 それがベルトルドの殺意であると、すぐに気づいた。彼の気配が漲っていて、間違えようがなかったのだ。
 強烈な殺意は一瞬だったが、暫く身体の震えはおさまらず、同じように動揺するメルヴィンに必死にしがみついていた。
 みんなも似たり寄ったりで、お陰で寝不足である。
 一体誰に向けた殺意なのか判らない以上、落ち着いて眠れなかったのだ。

(あれは、ホントに怖かったの…)

 今の様子を見る限り、この部屋にいる誰かに向けていたものではないことに、少なからず安堵した。
 では、誰に向けたのだろう? そう思った瞬間、頭をよぎった名前があった。

(まさか…、違うよ…ね?)

 アルッティが宿のどこで働いているのか知らない。聞けば呼んでもらえるだろうが、もしいなかったらと思うと怖い。
 自分のことを、本当に大事に愛してくれているのは判る。しかし、そのせいで誰かが死んだり傷ついたりすることは、絶対に嫌だ。そして、自分のためにベルトルドの手が汚れるのも辛い。
 憤りを感じても、何もしないで欲しいのがキュッリッキの本音である。
 報復や復讐などしても虚しいだけだ。ずっと辛く苦しい日々を送ってきたが、今はライオン傭兵団、ベルトルドやアルカネット、そして最愛のメルヴィンがいる。毎日幸せだと思えるほど、愛に包まれているから。だから、もう大丈夫。

「可哀想に、よほど恐ろしかったのですね。こんなに塞いでしまって」

 物思いにふけっていると、いつの間にかアルカネットに抱き上げられて、頭に頬ずりされていた。

「狡いぞアルカネット! この俺が抱きしめれば、リッキーの憂いなど吹っ飛ぶ!」
「誰がこんなふうにしてしまったのでしょうね~? 昨夜の今ですよ? アナタがこの部屋にいるだけで、みんな怖がっているのです。自重しておとなしく朝ごはんを食べていればいいんですよ」
「ぐぬぬ…」
「ほらベル、ちゃんとお食事なさい」
「いでで」

 リュリュに耳を引っ張られて、ベルトルドは子供のように両頬を膨らませて箸を取った。


* * *


「さて、食事が終わったら、11時までは自由行動よ。11時には荷物持ってロビーに集合ネ」
「出発そんな遅くていいんですかぃ?」
「ええ、帰りはベルにハーメンリンナに転移してもらうから、チェックアウトまでゆっくり堪能してらっしゃい」

 おお!っと歓喜が上がる。
 ここへ来るまでの道のりを思い返すと、あれをこれから「マタカ」という気分なのだ。それをベルトルドの空間転移で帰れるのが、嬉しくてしょうがないライオン傭兵団だった。
 しかし、

「ええ、もう一度港行きたかったなあ…。お土産屋さんいっぱいあったし、ちょっと見たかったかも」

 キュッリッキだけが酷く残念そうに呟いた。

「よし、予定を変更して、港で昼飯を食べて帰ろうか」
「ホント?」
「ああ。リッキーがそうしたいなら、そうしよう」
「ありがとう、ベルトルドさん」

 港に立ち寄れることになって、キュッリッキはベルトルドに抱きついて喜んだ。

「リッキーのためなら、なんだってしてやるからな」

 キュッリッキを素早く自分の膝の上に抱き上げ、これでもかと額にキスの雨を降らせる。

「ずーずーしー」

 ドヤ顔のベルトルドに、アルカネットは舌打ちした。



 朝食のあとは、みんな温泉に浸かりに行った。
 もう二度と来れないかもしれないと思うと、最後にしっかり入らないと気がすまない。

「たった2日だったけど、随分と肌がつるつる綺麗になったわよね」

 ファニーが浴衣の袖をまくり、腕を見せる。

「それに、腰痛や脚の痛みが、なくなったような気がしますよ」

 キリ夫人が嬉しそうに微笑んだ。

「わたくしもリフレッシュできました~。お嬢様のおかげです」
「よかったね、アリサも」

 女性陣はみんな揃って、肌が綺麗になるという露天風呂に入った。
 一方男性陣は各自散って、それぞれ好きな温泉に入っていた。



 思い残すことがないくらいギリギリまで温泉を堪能し、最後にベルトルドがきて全員揃った。

「あれ、御大仕事ですか?」

 軍服を着て現れたベルトルドに、ギャリーは目を丸くする。

「当たり前だ! 仕事が溜まりに溜まってるらしいからな、帰ったらすぐ宰相府行きだ…」
「総帥本部でもお仕事ヨ」

 リュリュもアルカネットも軍服を着ており、シ・アティウスは白衣をまとっていた。
 ハーメンリンナに行く前に、エルダー街で下ろしてくれ、とギャリーは言いたかったが、軍服を着ているのを見るとそれは言えなかった。
 見送りのため、女将のシグネと従業員数名がロビーに姿を現した。

「またのお越しを、お待ちしております」

 艶やかな笑みを浮かべ、シグネはゆるりと頭を下げる。

「料理も温泉も宿も、何もかも素晴らしかった」

 ベルトルドの言葉に、シグネは更に笑みを深めた。

「貴様ら、忘れ物はないな」

 ういーっす、という返事をもらい、ベルトルドは顎を引いて意識をこらす。

「まずは港へ飛ぶ!」

 ベルトルドが叫ぶように言うと、皆の姿はその場から消えた。
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