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奪われしもの編
66)モナルダ大陸戦争開幕
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「あの耄碌ジジイ、よくもやってくれたわね」
薄く紅をはいた唇を歪め、リュリュは所かまわず「ちぃっ」と大きく舌打ちした。
正面に立つブルーベル将軍は、内心で「くわばらくわばら」と呟き肩をすぼめる。「オカマが怒ると迫力2倍だな」と後ろに控える副官のハギも肩をすぼめた。
「しょうがないわ、取り敢えずベルにこのことを伝えてちょうだい。――どーせ現場の判断に任せる、てなるでしょうけど」
「承りました!」
報告のために会議室に来ていた通信係の尉官は、オカマの驚異に怯えた表情を出さないように気をつけながら、敬礼をして足早に退室していった。
「こんな時に援軍とは……どこに隠匿していたんでしょうねえ」
「…6月にアルイールで暴れていたソレル王国軍が、どこへ潜伏したのか掴めなかったの。あまり大々的にも内々的にも調査していなかったから。てっきりエルアーラまで下がらせていたのかと思いきや、同盟国に隠していたとか、いやんなっちゃう」
「なるほどなるほど」
好々爺の笑みを浮かべ、ブルーベル将軍は肩を揺らした。
「こちらも戦端を開くには各地準備不足でしょうが、始めないと潰されてしまうでしょう。やるしかありませんな」
「全くだわ」
「それに」
ブルーベル将軍は言葉を切ると、つぶらな瞳を細めて顎を引いた。
「この戦争には勝つ必要がない、と閣下は仰せになった」
リュリュは頷く。
「エルアーラ遺跡のことを世界中に気取られないためにも、戦争は大々的にやってもらわなくちゃいけないの」
妖しい笑みを浮かべ、唇を笑みの形に歪める。
「だってエルアーラ遺跡は、ハワドウレ皇国の秘密兵器なんだもの」
* * *
「アタシたちってぇ、働き者だよねえ~」
綺麗に片付いた――さすがに壊れたものは修復しようがなかったが――食堂を見渡して、マリオンが満足そうに微笑んだ。
みんな疲れて椅子に座って「やれやれ」とくつろいでいたが、やがて食堂にベルトルド、アルカネット、キュッリッキが入ってきて顔を向けた。
「お前たちに話がある」
そう言うと、ベルトルドは空いてるテーブルの上に座り脚を組んだ。
椅子ではなくテーブルの上に座ったため、アルカネットがじろりと睨んだが「説教は聞きません」といった表情で、ツイっと顔を背けてスルーする。
アルカネットは露骨に溜息を吐き出すと、そのテーブルにしまわれていた椅子を引き出して座った。
キュッリッキはメルヴィンの隣に空いていた椅子を見つけると、少し躊躇したが、顔を赤くしながらも積極性を大発揮してその椅子に座った。
隣に座ったキュッリッキに気づいたメルヴィンが、優しい笑みを向ける。キュッリッキも恥ずかしそうにしながらも、にっこり微笑み返した。
ほんわかとした空気が2人の間に漂いだすと、素早く察知したベルトルドとアルカネットが、嫉妬モロ出しの視線をメルヴィンに飛ばす。しかし2人の世界オーラにガードされて、視線は弾き飛ばされてしまった。その弾かれた痛すぎる視線を、ライオン傭兵団の皆は素早く避けた。
このままでは話が脱線する、と悟ったシビルが小さな手を口元に当てて「コホンッ」と咳払いする。
「えっと、どのようなお話でしょう?」
じろりとした視線はそのままにベルトルドが正面を見据えると、何やら複数の話し声がして食堂の入口に姿を現した。
「ガエル、タルコット、ランドン~」
さらに到着したメンバーに、キュッリッキが嬉しそうに声をあげた。
「元気そうだな」
ニヤリとガエルが笑い返すと、タルコットとランドンは無言で片手を上げて挨拶を返した。
食堂の中を見渡したあと、何やら話し中と察して、3人はそのまま壁際に並んだ。
「あと到着してないのはどいつだ?」
ベルトルドは食堂を見渡し、カーティスに顎をしゃくる。
「ハーマンとヴァルトがまだです」
「マリオン、ルー、2人がどのあたりにいるか探せ」
「あ~い」
「へい」
命じられた2人は、透視のために目を閉じて意識をこらす。すぐにマリオンが声を上げた。
「ハーマンみーっけ。あと1時間ほどでぇ、到着するって言ってるぅ」
「ヴァルトのほうは?」
「………えっと………」
ルーファスが目を閉じたまま、物凄くイヤそうな表情を浮かべた。
「昼寝が忙しいから、気が向いたら出発すると。こっから離れた街にいます……」
ベルトルドとアルカネットの眉がぴくりと動く。
「ルーファス、私と意識をリンクしなさい」
片眉をひきつらせたアルカネットが、冷ややかな微笑みを浮かべながらルーファスに顔を向けた。
「は、はひっ」
食堂に生唾を飲む音が静かに響いた。
「いましたね」
ルーファスから送られる映像でヴァルトを見つけたアルカネットは、額に人差し指をあてて一言呟いた。
「ブラベウス・プロクス」
食堂にはなんの変化もなかったが、ルーファスの表情が青ざめ引きつっている。
「飛べばすぐでしょう。今から1時間以内にこないと、本当に焼き鳥にすると言っておきなさい」
「承知しましたっ!」
「全く、世話の焼ける子ですね」
アルカネットが小さく息をつくと、キュッリッキだけが不思議そうに首をかしげた。
「全員揃ってないが、諸々明日からのことを話しておくぞ」
ベルトルドの声に皆背筋を伸ばして、居住まいを正した。
「6月にアルイールで暴れていたソレル王国軍が、各同盟国に潜り込んでいたようだ。さきほどボルクンド王国軍の援軍として現れ、第ニ正規部隊と全面衝突した。こちらの準備がどこもまだ整っていないが、今日明日には正式に開戦となるだろう」
小さく頷いたカーティスは、簾のような前髪の奥で目を眇めた。
「では、他の国にも同様に現れる可能性があるでしょうねえ」
「うん。リューに確認を取ったところ、やはり出てきたようだ。こちらが準備不足なのが判っていて襲って来るから、トコトン可愛げがない」
「現地は意表をつかれて、だいぶ焦っているそうです」
アルカネットが補足すると、カーティスはわざとらしく肩をすくめ、両手で『お手上げ』の形をとった。
「こんなことなら、6月に半壊させておくんでしたね」
「ホントにね~。ここぞとばかりに暴れてやればよかったな」
ルーファスが苦笑気味に同意する。
「救出と大暴れの両立は厳しかったろ」
「ちぇっ」と口を尖らせ、ギャリーが真面目くさった形で不満を漏らした。
食堂に漂う残念ムードに、ベルトルドは小さく笑う。
「雑魚の相手は正規部隊にでも任せておけばいい。それよりお前たち、わざわざ軍に混ぜて、メンドくさい行程で集まってもらったが、頼んでおいたことは調査してきたな?」
キュッリッキ、ルーファス、メルヴィン以外のライオン傭兵団の皆は頷いた。
「報道機関や関係者への情報漏洩はありませんでした。一様に戦争に集中しているようです。エルアーラ遺跡のことに関しては、問題ないと思われます」
一同を代表してカーティスが報告する。
「エルアーラ遺跡の詳細を知る者は殆どおらず、――我々も当然知りません。とくダネ目当てで忍び込んでくる記者も居ませんでしたし、ダエヴァの監視もあったので大丈夫だと判断します」
今回ライオン傭兵団を軍に一時徴兵し、各部隊へ潜り込ませ移動させたのは、重要な仕事を与えたからだ。
軍内部と他国の報道機関についての調査と、場合によっては処理を行い、闇へ屠る役目も担っていた。
エルアーラ遺跡については、世界中でその存在自体は知られているが、遺跡がどういうものなのかの詳細は秘匿されている。遺跡はボルクンド王国内にあるが、管理を皇国のアルケラ研究機関ケレヴィルが行っていることは、公にはされていない。
その遺跡をソレル王国が乗っ取り、遺跡から世界中へ宣戦布告を行った事が大問題だった。
世界の関心は遺跡のことではなく、属国の身で主に喧嘩を仕掛けたソレル王国と同盟国の方へ向いていた。しかし「何故遺跡で宣言を発したのか?」と疑問符を持つ者がいて、そのどさくさに紛れて遺跡に注目する報道機関関係者が出てくれば、軍の末端から情報を買収し機密が漏れる可能性がある。
大組織にもなると末端まで管理しきれない部分があり、そこは現在どうしようもない有様なのが常に悩みの種だ。
エルアーラ遺跡のことは情報がもれないよう、ケレヴィルの職員には徹底した箝口令が常に敷かれている。しかし軍になると、どうしても目が行き届かない。こと戦争準備期間はなおさらだった。
ダエヴァの監視も常に潜り込ませていたが、人員的に限度がある。その為身軽なライオン傭兵団を使い、その調査を命じてあったのだ。
もし遺跡から宣戦布告を発していなければ、ベルトルドはここまで大掛かりな規模で戦争を行おうなどと考えてはいなかった。せいぜい2部隊程度を送り込んでおけばいいくらいに思っていたので、想定外の事態だった。
世界中の目を引きつけてもらうために、キュッリッキをメディアの目に晒し、召喚士を害したソレル王国を――本当はソレル王国は一切関与していない――批難して民心を煽り、この戦争の大義名分をでっち上げて注目を集めさせた。
そして大々的に戦争宣言をし、エルアーラ遺跡の存在を隠した。エルアーラ遺跡へは、自らとライオン傭兵団のみで赴く。エルアーラ遺跡を取り戻すまでの間、どの国の軍隊も派手に戦闘をしてくれればいい。
エルアーラ遺跡には、多勢の命をヴェールにするだけの価値が有る。そして真の価値を、多くが知る必要はないのだから。
「なら、心置きなく遺跡に乗り込めるな」
ベルトルドは満足げに、にやりと口を歪めた。
「アタシたちは遺跡に乗り込んで、何をするの?」
キュッリッキが片手をあげて質問を投げかけると、ベルトルドとアルカネットはにっこりと微笑んだ。
「悪い王様を引きずり出してぶっ殺す!」
握り拳を顔の高さに上げると、ベルトルドは物凄く要訳してきっぱり断言した。
「うわー、簡潔すぎ…」という空気が漂う中、キュッリッキは指を折りながら悪い王様を数える。
「全部で4人もいるね」
どこかはしゃぐように言うキュッリッキに、ベルトルドはウンウンと笑いかけた。
「まあ、そのものズバリは王たちの息の根を止めることもありますが、一緒にどのくらいの戦力が持ち込まれているか判りません。あなた方には、敵戦力の一掃をやっていただきます。その間に私とベルトルド様は、王たちを処分しに行きます」
「キューリちゃんは、アタシらと一緒でいいのぉ~?」
「ええ、身を引き裂かれるような思いですが、今回はあなた方と行動を共にしていただきます」
「やった!」
キュッリッキは万歳して満面に笑みを浮かべると、隣のメルヴィンに嬉しそうに笑いかけた。その笑みを受けてメルヴィンも微笑む。
「ナルバ山でのような失態は、くれぐれも起こさぬように。厳命しておきますよ」
射抜くようなアルカネットの視線を受けて、皆生唾を飲み込んだ。キュッリッキはハッとすると、笑顔が引っ込み、しゅんっと俯いてしまった。
(ナルバ山での出来事をいつまでも引きずっていて、本当にみんなに申し訳ないな…。アタシも傭兵団の一員なのに、召喚士っていうだけで特別扱いされて、守られてばっかり。一緒に仕事ができるけどかえって迷惑にしかなっていないような気がする。――一体いつまでみんなをナルバ山の事件で縛っちゃうんだろう…)
膝の上で小さく拳を握り締めていると、その上にメルヴィンがそっと掌を重ねてきた。言葉はなかったが、勞ってくれるような穏やかな笑みが、沈む気持ちを柔らかく包んでくれて嬉しい。
(うん! 自棄を起こしたり軽はずみな行動をしないで、慎重に行動すれば大丈夫だよね。今度はしっかりみんなのサポートをするんだから!)
メルヴィンの手の甲を見つめながら、キュッリッキは自らに何度も言い聞かせた。
「明日の出発時間だが…」
「どわあああああああっ!!!」
「ちょっ! そこ窓ドああああああああ」
ドシャン、ガシャン、バリン、ドサッ、ゴロゴロゴロ………、という派手な音を立てて、巨大な鳥が獣を咥えて宿に飛び込んできた。
そう、皆思って反射的に立ち上がったが、ガエル、タルコット、ランドンの3人が立つ目の前に転がり止まったものを見ると、食堂に「やれやれ」といった空気が流れた。
「くそっ、ちょー痛てぇ……」
「だから無理だっていったんだよー」
頭を両手で抑えて座り込み、白い巨大な翼をバサバサと羽ばたかせながら、ヴァルトが大声で喚きたてた。その横にうつ伏せに倒れ込んだまま、ハーマンがぶつくさと文句を垂れる。
「だいたい無軌道に空飛ぶヴァルトと、飛空魔法の融合とか即興でできるわけナイんだよー!」
「バカヤロウ! オレ様のナイスアイデアを具現してこそ、イチリューのマホー使いだろうがっ!!」
「出来なくったってボクは一流の魔法使いだっ!」
手足をジタバタとバタつかせながらハーマンが抗議していると、コツ、コツ、とゆっくりと歩み寄る殺気を含んだ靴音に、2人はゲッと顔を向けた。
「今すぐ焼き鳥とキツネうどんのディナーセットになるのと、俺にじわじわと血の一滴も漏らさず絞り嬲り殺されるのと、どっちがいいか30秒以内に答えろ馬鹿者共が」
「どっちも嫌ですお代官様っ!!!」
ヴァルトとハーマンが速攻正座して反論すると、ベルトルドは片足で思いっきり床を踏みつけた。
「副宰相と軍総帥を兼任する超絶偉い俺を、代官程度で呼び表すとかいい度胸だな貴様ら!! 今日の晩飯は抜きだっ!!!」
「ノオオオオオお慈悲をおおおおお」
(あーあ、結局脱線しちゃった……)
ベルトルドの怒りっぷりを離れてみやり、シビルは天井を仰いで薄く笑った。
慌てて飛んできたヴァルトとハーマンは、ミーティング中に騒々しく乗り込んできた咎で、ベルトルドとアルカネットからたっぷり1時間説教された。
食堂を片付けさせられた後、夕飯は宣言通り抜かれ、食堂の片隅に正座させられている。
お腹の虫を喧しく鳴らす2人を哀れに思ったキュッリッキがとりなして、2人は遅い夕食にありつくことができたのだった。
翌朝7時に出立することが改めて伝達されると、夕食後は解散となり、各自割り当てられた部屋へおとなしく下がっていった。
入浴を済ませたあと一人部屋を抜け出したキュッリッキは、昼間見つけたサンルームに入る。
大して広くもないサンルームの中は、ガラス戸が全て閉じられていて、むわっと熱気がこもっていて熱い。
急いでいくつかのガラス戸を開け放つと、気持ちのいい風が流れ込んできて、こもった熱気を洗い流していく。
植物の放つ清々しい緑の匂いに包まれながら、籐で編まれた長椅子に座って天井を見上げた。
柔らかな白い光を瞬かせる夏の星空。透明なガラスの向こうに見える空をぼんやりと眺め、キュッリッキはほんの少しドキドキしていた。
* * *
明日はいよいよ戦場に向かう。小さな頃から慣れ親しんだ場所へ。
幼い小さな女の子が、一人前の傭兵として大人たちに認められることは、すっごく大変な事だったんだよ。
身寄りをなくして、武器を手に取って戦場に身を投じる子供も少なくない。でもそういう子供は、ある程度傭兵のもとで訓練を積んでいるの。将来的に見込みのありそうな子供は、傭兵ギルドが世話をしてくれる。ギルドと傭兵との信頼関係の後ろ盾があるから、子供でも戦場に向かわせられるし戦えるんだよね。
アタシにはそうした後ろ盾なんてなかった。フェンリルと一緒に勝手に戦場を走り回って、周囲の大人たちに実力を認めさせたの。ときには追い払われることも、敵と間違われて襲われることもよくあった。召喚士の傭兵なんてアタシだけだったから、色々な子を召喚すると「悪魔」なんて呼ばれて、勘違いされることもあったもんね。
3年ほど無謀な行動を繰り返して、やっと傭兵ギルドに認められて仕事を回してもらえるようになった。そして傭兵として一人立ちした。
戦場に向かうことは怖くない。フェンリルが常に一緒だし、今回はフローズヴィトニルもいる。そしてアルケラの仲間たちが大勢控えているもの。
こんな風に戦いの前に高揚感を覚えたり、感慨にふけることは一度もなかったなあ。だって、生きていくために仕事をするだけで、食べるものを得るために戦うだけだったから。
でも今回は大きく違ってる。
確かに生きるために働く、食べるために働くことに違いはない。けど、もっとも近しい仲間たちができて、その仲間たちと一緒に戦場へ向かうんだよ。
ナルバ山での失態は全て自分のせい。ザカリーの言葉に我を忘れて神殿に入らなければ、あの事故は起こらなかった事なんだもん。
怪我をしたのはアタシだけど、そのせいでザカリーもアルカネットさんに粛清されかかったし、未だにみんな責められてる。
もう、一人で戦わなくていいんだよね。今は仲間たちと一緒に戦えるんだから。今度は失敗しないように、上手に動こう。
* * *
僅かな緊張と期待と不安がこみ上げてきて、心臓がドキドキする。
「眠らないんですか?」
物思いにふける中穏やかに声をかけられて、キュッリッキは正面に目を向けた。
「メルヴィン」
今度は別の意味で、心臓がドキドキと早鐘を打ち始めた。
「えっと、ちょっと涼んでたの」
「ワイ・メア大陸に比べると、こちらの大陸は暑いですからね」
サンルームに入ってくるメルヴィンを、瞬くことも忘れたようにじっと見つめる。
シャワーを浴びたあとだろうか、髪は湿っているようだしバスローブに着替えていた。
「隣に座ってもいいですか?」
「ど、どうぞ」
キュッリッキはメルヴィンが座りやすいように少し横にずれた。
「ありがとうございます」
そう言ってキュッリッキを見たメルヴィンは、ほんの少し頬を赤くすると、困ったように目線をそらせた。
薄暗くて遠目からは気付かなかったが、キュッリッキの着ている寝巻きは、肌が透けるような薄い布地で出来ていた。色気に欠ける身体付きとは言え、布越しに透ける小さな胸や突起は目のやり場にとても困る、悩ましいものだ。
キュッリッキは少しも気づいていないようで、メルヴィンの前で惜しげもなくさらしている。だがそのことを口に出していいものかどうか、メルヴィンは判断に困った。
こんな時ルーファスだったら、冗談交じりに言えるのだろうけど、メルヴィンはそのテの冗談を言うセンスには欠けていた。かえって説教じみたことになるか、突慳貪な態度になりそうで自信がない。
なるべく見ないように意識するものの、つい目がチラチラと見てしまうのは、悲しい男の性だった。
露骨に見えるよりも、薄布越しに透けて見えるほうが、何倍も妖艶に映るのだ。そのことをこの少女は、自覚しているのだろうか。
「寝るにはまだ早い時間ですが、明日のこともありますし、早めに身体を休めておいたほうがいいですよ」
なにか会話でもと思ったが、しかし思いつくのは老婆心のような案じ方だけで、メルヴィンは落胆した。気の利いたセリフの一つも、満足に言えない自分に嫌気がさす。
「う、うん…」
キュッリッキはキュッリッキのほうで、ひっくり返りそうな意識を必死につなぎ止めておくので大変だった。
顔はゆでダコのように、赤くなるのが止まらない。薄暗い中でもそばにいればはっきり判ってしまいそうで、それも困る。
チラッと横目でメルヴィンを見ると、月明かりに照らされた横顔がとても綺麗で、うっとりとなった。精悍で男らしい顔つきだが、整っていて凛々しいのだ。
濡れた髪の毛をオールバックに撫で付けていて、乾きだした髪の毛のいく筋がハラリと解け、波打って顔や耳の上にかかっている。
いつも襟元をきっちりとめた服を着ている姿に見慣れているので、バスローブの合わせた襟元から覗く喉元や胸に、ドギマギしてしまう。
散々ベルトルドで同じものを見ているはずなのに、それがメルヴィンの肌だと思うだけで、目眩がしそうなほど頭の芯が痺れた。
(メルヴィンは男の人なんだ)
そう考えただけで、キュッリッキの全身は硬直した。心臓もドキドキしっぱなしで、本当に心臓発作でも起こしそうに思えてならない。
なんとなく2人は黙り込んで、静かな時間がゆっくりと過ぎていった。
「明日は……」
静かな沈黙を破って、メルヴィンは口を開いた。
「いえ、明日もオレ、守りますから」
キュッリッキはドキドキしながらも、期待を込めた顔をメルヴィンに向ける。
「何があっても、あなたを必ず守ります」
誠実と労りのこもった声でゆっくり言い、メルヴィンは真剣な眼差しで少女を見つめた。
月明かりが柔らかく2人を照らすなか、メルヴィンとキュッリッキは見つめ合い、ゆっくりとお互いの顔の距離を縮めていった。そして――
「ちょっと待ったーーー!!!」
「今何時だと思っているんですか!!」
「えっ」
「ほえ?」
宿の中や敷地から、残念そうな舌打ちがなぜか露骨に聞こえてくる。
「不純異性交遊は禁止だ!!」
「不謹慎です!」
鬼の形相のベルトルドとアルカネットが、大股に2人に向かって歩いてきた。
「明日に備えて寝るぞリッキー!」
言うやいなやベルトルドはキュッリッキを抱き上げると、入ってきた時と同じように大股でサンルームを出て行った。
「あなたもさっさと部屋へ戻って寝なさい!」
絶句したまま呆気にとられているメルヴィンに、アルカネットは殺意のこもった目と声で言いおくと、やはり大股に出て行った。
「不純……異性交遊……って………」
その場にひとり残されたメルヴィンは、切なすぎる単語を繰り返し呟き、ガックリと項垂れた。
ルーファスとマリオンの透視中継で、2人の微笑ましい場面を覗き見していたライオン傭兵団の仲間たちは、無粋なお邪魔蟲が露骨に割り込んで、自分のことのように悔しがった。唯一ザカリーだけは喜んでいたが。
さらに、超能力使いのダエヴァたちの幾人かが、ルーファスとマリオンの中継をキャッチし覗き見に加わっていた。メルヴィンとキュッリッキのことをよく知らないため、ナマの濡れ場を期待していただけに、激しくガッカリしていた。
しかし一番悔しかったのは。
「ベルトルドさんとアルカネットさんのバカああああ!!!!」
キュッリッキは手当たり次第室内のものを手にして、2人の大人に怒り任せに投げつけ泣き喚いた。こんな行動に出るキュッリッキは初めて見るので、ベルトルドもアルカネットも本気で驚き慄いていた。
「バカバカバカバカバカバカバカあっーー!!」
「落ち着けリッキー」
「落ち着いてください、リッキーさんっ」
ルーファスが指摘したように、キュッリッキには働かない絶対防御でかわすことができず、ベルトルドは身をくねらせて、コントロール抜群の物体を避けていた。
アルカネットはベルトルドをうまく盾にしていたが、ついにティーカップが額に直撃してうずくまってしまった。
フェンリルとフローズヴィトニルは、自分たちが投げられるのを避けるため、テラスに出て避難完了である。
特別室ということもあって、色々な置物が揃っていたが、ついに投げるものがなくなったキュッリッキは、肩を怒らせたままベルトルドとアルカネットを激しく睨みつけた。
「リッ…キー……?」
ベルトルドは腕で顔を庇いながら、恐る恐る声をかける。フルフルと口を震わせ、キュッリッキは大きくしゃくり上げると、その場にペタッと座り込んだ。そして2人をバカ呼ばわりしながら、宿中に轟くほどの大声で泣き喚きだしてしまった。
* * *
8月6日、まだ夜も明けきらぬうちに、ハワドウレ皇国将軍ブルーベルの名で、逆臣軍との開戦の報が、全世界へ発信された。
モナルダ大陸戦争開幕である。
薄く紅をはいた唇を歪め、リュリュは所かまわず「ちぃっ」と大きく舌打ちした。
正面に立つブルーベル将軍は、内心で「くわばらくわばら」と呟き肩をすぼめる。「オカマが怒ると迫力2倍だな」と後ろに控える副官のハギも肩をすぼめた。
「しょうがないわ、取り敢えずベルにこのことを伝えてちょうだい。――どーせ現場の判断に任せる、てなるでしょうけど」
「承りました!」
報告のために会議室に来ていた通信係の尉官は、オカマの驚異に怯えた表情を出さないように気をつけながら、敬礼をして足早に退室していった。
「こんな時に援軍とは……どこに隠匿していたんでしょうねえ」
「…6月にアルイールで暴れていたソレル王国軍が、どこへ潜伏したのか掴めなかったの。あまり大々的にも内々的にも調査していなかったから。てっきりエルアーラまで下がらせていたのかと思いきや、同盟国に隠していたとか、いやんなっちゃう」
「なるほどなるほど」
好々爺の笑みを浮かべ、ブルーベル将軍は肩を揺らした。
「こちらも戦端を開くには各地準備不足でしょうが、始めないと潰されてしまうでしょう。やるしかありませんな」
「全くだわ」
「それに」
ブルーベル将軍は言葉を切ると、つぶらな瞳を細めて顎を引いた。
「この戦争には勝つ必要がない、と閣下は仰せになった」
リュリュは頷く。
「エルアーラ遺跡のことを世界中に気取られないためにも、戦争は大々的にやってもらわなくちゃいけないの」
妖しい笑みを浮かべ、唇を笑みの形に歪める。
「だってエルアーラ遺跡は、ハワドウレ皇国の秘密兵器なんだもの」
* * *
「アタシたちってぇ、働き者だよねえ~」
綺麗に片付いた――さすがに壊れたものは修復しようがなかったが――食堂を見渡して、マリオンが満足そうに微笑んだ。
みんな疲れて椅子に座って「やれやれ」とくつろいでいたが、やがて食堂にベルトルド、アルカネット、キュッリッキが入ってきて顔を向けた。
「お前たちに話がある」
そう言うと、ベルトルドは空いてるテーブルの上に座り脚を組んだ。
椅子ではなくテーブルの上に座ったため、アルカネットがじろりと睨んだが「説教は聞きません」といった表情で、ツイっと顔を背けてスルーする。
アルカネットは露骨に溜息を吐き出すと、そのテーブルにしまわれていた椅子を引き出して座った。
キュッリッキはメルヴィンの隣に空いていた椅子を見つけると、少し躊躇したが、顔を赤くしながらも積極性を大発揮してその椅子に座った。
隣に座ったキュッリッキに気づいたメルヴィンが、優しい笑みを向ける。キュッリッキも恥ずかしそうにしながらも、にっこり微笑み返した。
ほんわかとした空気が2人の間に漂いだすと、素早く察知したベルトルドとアルカネットが、嫉妬モロ出しの視線をメルヴィンに飛ばす。しかし2人の世界オーラにガードされて、視線は弾き飛ばされてしまった。その弾かれた痛すぎる視線を、ライオン傭兵団の皆は素早く避けた。
このままでは話が脱線する、と悟ったシビルが小さな手を口元に当てて「コホンッ」と咳払いする。
「えっと、どのようなお話でしょう?」
じろりとした視線はそのままにベルトルドが正面を見据えると、何やら複数の話し声がして食堂の入口に姿を現した。
「ガエル、タルコット、ランドン~」
さらに到着したメンバーに、キュッリッキが嬉しそうに声をあげた。
「元気そうだな」
ニヤリとガエルが笑い返すと、タルコットとランドンは無言で片手を上げて挨拶を返した。
食堂の中を見渡したあと、何やら話し中と察して、3人はそのまま壁際に並んだ。
「あと到着してないのはどいつだ?」
ベルトルドは食堂を見渡し、カーティスに顎をしゃくる。
「ハーマンとヴァルトがまだです」
「マリオン、ルー、2人がどのあたりにいるか探せ」
「あ~い」
「へい」
命じられた2人は、透視のために目を閉じて意識をこらす。すぐにマリオンが声を上げた。
「ハーマンみーっけ。あと1時間ほどでぇ、到着するって言ってるぅ」
「ヴァルトのほうは?」
「………えっと………」
ルーファスが目を閉じたまま、物凄くイヤそうな表情を浮かべた。
「昼寝が忙しいから、気が向いたら出発すると。こっから離れた街にいます……」
ベルトルドとアルカネットの眉がぴくりと動く。
「ルーファス、私と意識をリンクしなさい」
片眉をひきつらせたアルカネットが、冷ややかな微笑みを浮かべながらルーファスに顔を向けた。
「は、はひっ」
食堂に生唾を飲む音が静かに響いた。
「いましたね」
ルーファスから送られる映像でヴァルトを見つけたアルカネットは、額に人差し指をあてて一言呟いた。
「ブラベウス・プロクス」
食堂にはなんの変化もなかったが、ルーファスの表情が青ざめ引きつっている。
「飛べばすぐでしょう。今から1時間以内にこないと、本当に焼き鳥にすると言っておきなさい」
「承知しましたっ!」
「全く、世話の焼ける子ですね」
アルカネットが小さく息をつくと、キュッリッキだけが不思議そうに首をかしげた。
「全員揃ってないが、諸々明日からのことを話しておくぞ」
ベルトルドの声に皆背筋を伸ばして、居住まいを正した。
「6月にアルイールで暴れていたソレル王国軍が、各同盟国に潜り込んでいたようだ。さきほどボルクンド王国軍の援軍として現れ、第ニ正規部隊と全面衝突した。こちらの準備がどこもまだ整っていないが、今日明日には正式に開戦となるだろう」
小さく頷いたカーティスは、簾のような前髪の奥で目を眇めた。
「では、他の国にも同様に現れる可能性があるでしょうねえ」
「うん。リューに確認を取ったところ、やはり出てきたようだ。こちらが準備不足なのが判っていて襲って来るから、トコトン可愛げがない」
「現地は意表をつかれて、だいぶ焦っているそうです」
アルカネットが補足すると、カーティスはわざとらしく肩をすくめ、両手で『お手上げ』の形をとった。
「こんなことなら、6月に半壊させておくんでしたね」
「ホントにね~。ここぞとばかりに暴れてやればよかったな」
ルーファスが苦笑気味に同意する。
「救出と大暴れの両立は厳しかったろ」
「ちぇっ」と口を尖らせ、ギャリーが真面目くさった形で不満を漏らした。
食堂に漂う残念ムードに、ベルトルドは小さく笑う。
「雑魚の相手は正規部隊にでも任せておけばいい。それよりお前たち、わざわざ軍に混ぜて、メンドくさい行程で集まってもらったが、頼んでおいたことは調査してきたな?」
キュッリッキ、ルーファス、メルヴィン以外のライオン傭兵団の皆は頷いた。
「報道機関や関係者への情報漏洩はありませんでした。一様に戦争に集中しているようです。エルアーラ遺跡のことに関しては、問題ないと思われます」
一同を代表してカーティスが報告する。
「エルアーラ遺跡の詳細を知る者は殆どおらず、――我々も当然知りません。とくダネ目当てで忍び込んでくる記者も居ませんでしたし、ダエヴァの監視もあったので大丈夫だと判断します」
今回ライオン傭兵団を軍に一時徴兵し、各部隊へ潜り込ませ移動させたのは、重要な仕事を与えたからだ。
軍内部と他国の報道機関についての調査と、場合によっては処理を行い、闇へ屠る役目も担っていた。
エルアーラ遺跡については、世界中でその存在自体は知られているが、遺跡がどういうものなのかの詳細は秘匿されている。遺跡はボルクンド王国内にあるが、管理を皇国のアルケラ研究機関ケレヴィルが行っていることは、公にはされていない。
その遺跡をソレル王国が乗っ取り、遺跡から世界中へ宣戦布告を行った事が大問題だった。
世界の関心は遺跡のことではなく、属国の身で主に喧嘩を仕掛けたソレル王国と同盟国の方へ向いていた。しかし「何故遺跡で宣言を発したのか?」と疑問符を持つ者がいて、そのどさくさに紛れて遺跡に注目する報道機関関係者が出てくれば、軍の末端から情報を買収し機密が漏れる可能性がある。
大組織にもなると末端まで管理しきれない部分があり、そこは現在どうしようもない有様なのが常に悩みの種だ。
エルアーラ遺跡のことは情報がもれないよう、ケレヴィルの職員には徹底した箝口令が常に敷かれている。しかし軍になると、どうしても目が行き届かない。こと戦争準備期間はなおさらだった。
ダエヴァの監視も常に潜り込ませていたが、人員的に限度がある。その為身軽なライオン傭兵団を使い、その調査を命じてあったのだ。
もし遺跡から宣戦布告を発していなければ、ベルトルドはここまで大掛かりな規模で戦争を行おうなどと考えてはいなかった。せいぜい2部隊程度を送り込んでおけばいいくらいに思っていたので、想定外の事態だった。
世界中の目を引きつけてもらうために、キュッリッキをメディアの目に晒し、召喚士を害したソレル王国を――本当はソレル王国は一切関与していない――批難して民心を煽り、この戦争の大義名分をでっち上げて注目を集めさせた。
そして大々的に戦争宣言をし、エルアーラ遺跡の存在を隠した。エルアーラ遺跡へは、自らとライオン傭兵団のみで赴く。エルアーラ遺跡を取り戻すまでの間、どの国の軍隊も派手に戦闘をしてくれればいい。
エルアーラ遺跡には、多勢の命をヴェールにするだけの価値が有る。そして真の価値を、多くが知る必要はないのだから。
「なら、心置きなく遺跡に乗り込めるな」
ベルトルドは満足げに、にやりと口を歪めた。
「アタシたちは遺跡に乗り込んで、何をするの?」
キュッリッキが片手をあげて質問を投げかけると、ベルトルドとアルカネットはにっこりと微笑んだ。
「悪い王様を引きずり出してぶっ殺す!」
握り拳を顔の高さに上げると、ベルトルドは物凄く要訳してきっぱり断言した。
「うわー、簡潔すぎ…」という空気が漂う中、キュッリッキは指を折りながら悪い王様を数える。
「全部で4人もいるね」
どこかはしゃぐように言うキュッリッキに、ベルトルドはウンウンと笑いかけた。
「まあ、そのものズバリは王たちの息の根を止めることもありますが、一緒にどのくらいの戦力が持ち込まれているか判りません。あなた方には、敵戦力の一掃をやっていただきます。その間に私とベルトルド様は、王たちを処分しに行きます」
「キューリちゃんは、アタシらと一緒でいいのぉ~?」
「ええ、身を引き裂かれるような思いですが、今回はあなた方と行動を共にしていただきます」
「やった!」
キュッリッキは万歳して満面に笑みを浮かべると、隣のメルヴィンに嬉しそうに笑いかけた。その笑みを受けてメルヴィンも微笑む。
「ナルバ山でのような失態は、くれぐれも起こさぬように。厳命しておきますよ」
射抜くようなアルカネットの視線を受けて、皆生唾を飲み込んだ。キュッリッキはハッとすると、笑顔が引っ込み、しゅんっと俯いてしまった。
(ナルバ山での出来事をいつまでも引きずっていて、本当にみんなに申し訳ないな…。アタシも傭兵団の一員なのに、召喚士っていうだけで特別扱いされて、守られてばっかり。一緒に仕事ができるけどかえって迷惑にしかなっていないような気がする。――一体いつまでみんなをナルバ山の事件で縛っちゃうんだろう…)
膝の上で小さく拳を握り締めていると、その上にメルヴィンがそっと掌を重ねてきた。言葉はなかったが、勞ってくれるような穏やかな笑みが、沈む気持ちを柔らかく包んでくれて嬉しい。
(うん! 自棄を起こしたり軽はずみな行動をしないで、慎重に行動すれば大丈夫だよね。今度はしっかりみんなのサポートをするんだから!)
メルヴィンの手の甲を見つめながら、キュッリッキは自らに何度も言い聞かせた。
「明日の出発時間だが…」
「どわあああああああっ!!!」
「ちょっ! そこ窓ドああああああああ」
ドシャン、ガシャン、バリン、ドサッ、ゴロゴロゴロ………、という派手な音を立てて、巨大な鳥が獣を咥えて宿に飛び込んできた。
そう、皆思って反射的に立ち上がったが、ガエル、タルコット、ランドンの3人が立つ目の前に転がり止まったものを見ると、食堂に「やれやれ」といった空気が流れた。
「くそっ、ちょー痛てぇ……」
「だから無理だっていったんだよー」
頭を両手で抑えて座り込み、白い巨大な翼をバサバサと羽ばたかせながら、ヴァルトが大声で喚きたてた。その横にうつ伏せに倒れ込んだまま、ハーマンがぶつくさと文句を垂れる。
「だいたい無軌道に空飛ぶヴァルトと、飛空魔法の融合とか即興でできるわけナイんだよー!」
「バカヤロウ! オレ様のナイスアイデアを具現してこそ、イチリューのマホー使いだろうがっ!!」
「出来なくったってボクは一流の魔法使いだっ!」
手足をジタバタとバタつかせながらハーマンが抗議していると、コツ、コツ、とゆっくりと歩み寄る殺気を含んだ靴音に、2人はゲッと顔を向けた。
「今すぐ焼き鳥とキツネうどんのディナーセットになるのと、俺にじわじわと血の一滴も漏らさず絞り嬲り殺されるのと、どっちがいいか30秒以内に答えろ馬鹿者共が」
「どっちも嫌ですお代官様っ!!!」
ヴァルトとハーマンが速攻正座して反論すると、ベルトルドは片足で思いっきり床を踏みつけた。
「副宰相と軍総帥を兼任する超絶偉い俺を、代官程度で呼び表すとかいい度胸だな貴様ら!! 今日の晩飯は抜きだっ!!!」
「ノオオオオオお慈悲をおおおおお」
(あーあ、結局脱線しちゃった……)
ベルトルドの怒りっぷりを離れてみやり、シビルは天井を仰いで薄く笑った。
慌てて飛んできたヴァルトとハーマンは、ミーティング中に騒々しく乗り込んできた咎で、ベルトルドとアルカネットからたっぷり1時間説教された。
食堂を片付けさせられた後、夕飯は宣言通り抜かれ、食堂の片隅に正座させられている。
お腹の虫を喧しく鳴らす2人を哀れに思ったキュッリッキがとりなして、2人は遅い夕食にありつくことができたのだった。
翌朝7時に出立することが改めて伝達されると、夕食後は解散となり、各自割り当てられた部屋へおとなしく下がっていった。
入浴を済ませたあと一人部屋を抜け出したキュッリッキは、昼間見つけたサンルームに入る。
大して広くもないサンルームの中は、ガラス戸が全て閉じられていて、むわっと熱気がこもっていて熱い。
急いでいくつかのガラス戸を開け放つと、気持ちのいい風が流れ込んできて、こもった熱気を洗い流していく。
植物の放つ清々しい緑の匂いに包まれながら、籐で編まれた長椅子に座って天井を見上げた。
柔らかな白い光を瞬かせる夏の星空。透明なガラスの向こうに見える空をぼんやりと眺め、キュッリッキはほんの少しドキドキしていた。
* * *
明日はいよいよ戦場に向かう。小さな頃から慣れ親しんだ場所へ。
幼い小さな女の子が、一人前の傭兵として大人たちに認められることは、すっごく大変な事だったんだよ。
身寄りをなくして、武器を手に取って戦場に身を投じる子供も少なくない。でもそういう子供は、ある程度傭兵のもとで訓練を積んでいるの。将来的に見込みのありそうな子供は、傭兵ギルドが世話をしてくれる。ギルドと傭兵との信頼関係の後ろ盾があるから、子供でも戦場に向かわせられるし戦えるんだよね。
アタシにはそうした後ろ盾なんてなかった。フェンリルと一緒に勝手に戦場を走り回って、周囲の大人たちに実力を認めさせたの。ときには追い払われることも、敵と間違われて襲われることもよくあった。召喚士の傭兵なんてアタシだけだったから、色々な子を召喚すると「悪魔」なんて呼ばれて、勘違いされることもあったもんね。
3年ほど無謀な行動を繰り返して、やっと傭兵ギルドに認められて仕事を回してもらえるようになった。そして傭兵として一人立ちした。
戦場に向かうことは怖くない。フェンリルが常に一緒だし、今回はフローズヴィトニルもいる。そしてアルケラの仲間たちが大勢控えているもの。
こんな風に戦いの前に高揚感を覚えたり、感慨にふけることは一度もなかったなあ。だって、生きていくために仕事をするだけで、食べるものを得るために戦うだけだったから。
でも今回は大きく違ってる。
確かに生きるために働く、食べるために働くことに違いはない。けど、もっとも近しい仲間たちができて、その仲間たちと一緒に戦場へ向かうんだよ。
ナルバ山での失態は全て自分のせい。ザカリーの言葉に我を忘れて神殿に入らなければ、あの事故は起こらなかった事なんだもん。
怪我をしたのはアタシだけど、そのせいでザカリーもアルカネットさんに粛清されかかったし、未だにみんな責められてる。
もう、一人で戦わなくていいんだよね。今は仲間たちと一緒に戦えるんだから。今度は失敗しないように、上手に動こう。
* * *
僅かな緊張と期待と不安がこみ上げてきて、心臓がドキドキする。
「眠らないんですか?」
物思いにふける中穏やかに声をかけられて、キュッリッキは正面に目を向けた。
「メルヴィン」
今度は別の意味で、心臓がドキドキと早鐘を打ち始めた。
「えっと、ちょっと涼んでたの」
「ワイ・メア大陸に比べると、こちらの大陸は暑いですからね」
サンルームに入ってくるメルヴィンを、瞬くことも忘れたようにじっと見つめる。
シャワーを浴びたあとだろうか、髪は湿っているようだしバスローブに着替えていた。
「隣に座ってもいいですか?」
「ど、どうぞ」
キュッリッキはメルヴィンが座りやすいように少し横にずれた。
「ありがとうございます」
そう言ってキュッリッキを見たメルヴィンは、ほんの少し頬を赤くすると、困ったように目線をそらせた。
薄暗くて遠目からは気付かなかったが、キュッリッキの着ている寝巻きは、肌が透けるような薄い布地で出来ていた。色気に欠ける身体付きとは言え、布越しに透ける小さな胸や突起は目のやり場にとても困る、悩ましいものだ。
キュッリッキは少しも気づいていないようで、メルヴィンの前で惜しげもなくさらしている。だがそのことを口に出していいものかどうか、メルヴィンは判断に困った。
こんな時ルーファスだったら、冗談交じりに言えるのだろうけど、メルヴィンはそのテの冗談を言うセンスには欠けていた。かえって説教じみたことになるか、突慳貪な態度になりそうで自信がない。
なるべく見ないように意識するものの、つい目がチラチラと見てしまうのは、悲しい男の性だった。
露骨に見えるよりも、薄布越しに透けて見えるほうが、何倍も妖艶に映るのだ。そのことをこの少女は、自覚しているのだろうか。
「寝るにはまだ早い時間ですが、明日のこともありますし、早めに身体を休めておいたほうがいいですよ」
なにか会話でもと思ったが、しかし思いつくのは老婆心のような案じ方だけで、メルヴィンは落胆した。気の利いたセリフの一つも、満足に言えない自分に嫌気がさす。
「う、うん…」
キュッリッキはキュッリッキのほうで、ひっくり返りそうな意識を必死につなぎ止めておくので大変だった。
顔はゆでダコのように、赤くなるのが止まらない。薄暗い中でもそばにいればはっきり判ってしまいそうで、それも困る。
チラッと横目でメルヴィンを見ると、月明かりに照らされた横顔がとても綺麗で、うっとりとなった。精悍で男らしい顔つきだが、整っていて凛々しいのだ。
濡れた髪の毛をオールバックに撫で付けていて、乾きだした髪の毛のいく筋がハラリと解け、波打って顔や耳の上にかかっている。
いつも襟元をきっちりとめた服を着ている姿に見慣れているので、バスローブの合わせた襟元から覗く喉元や胸に、ドギマギしてしまう。
散々ベルトルドで同じものを見ているはずなのに、それがメルヴィンの肌だと思うだけで、目眩がしそうなほど頭の芯が痺れた。
(メルヴィンは男の人なんだ)
そう考えただけで、キュッリッキの全身は硬直した。心臓もドキドキしっぱなしで、本当に心臓発作でも起こしそうに思えてならない。
なんとなく2人は黙り込んで、静かな時間がゆっくりと過ぎていった。
「明日は……」
静かな沈黙を破って、メルヴィンは口を開いた。
「いえ、明日もオレ、守りますから」
キュッリッキはドキドキしながらも、期待を込めた顔をメルヴィンに向ける。
「何があっても、あなたを必ず守ります」
誠実と労りのこもった声でゆっくり言い、メルヴィンは真剣な眼差しで少女を見つめた。
月明かりが柔らかく2人を照らすなか、メルヴィンとキュッリッキは見つめ合い、ゆっくりとお互いの顔の距離を縮めていった。そして――
「ちょっと待ったーーー!!!」
「今何時だと思っているんですか!!」
「えっ」
「ほえ?」
宿の中や敷地から、残念そうな舌打ちがなぜか露骨に聞こえてくる。
「不純異性交遊は禁止だ!!」
「不謹慎です!」
鬼の形相のベルトルドとアルカネットが、大股に2人に向かって歩いてきた。
「明日に備えて寝るぞリッキー!」
言うやいなやベルトルドはキュッリッキを抱き上げると、入ってきた時と同じように大股でサンルームを出て行った。
「あなたもさっさと部屋へ戻って寝なさい!」
絶句したまま呆気にとられているメルヴィンに、アルカネットは殺意のこもった目と声で言いおくと、やはり大股に出て行った。
「不純……異性交遊……って………」
その場にひとり残されたメルヴィンは、切なすぎる単語を繰り返し呟き、ガックリと項垂れた。
ルーファスとマリオンの透視中継で、2人の微笑ましい場面を覗き見していたライオン傭兵団の仲間たちは、無粋なお邪魔蟲が露骨に割り込んで、自分のことのように悔しがった。唯一ザカリーだけは喜んでいたが。
さらに、超能力使いのダエヴァたちの幾人かが、ルーファスとマリオンの中継をキャッチし覗き見に加わっていた。メルヴィンとキュッリッキのことをよく知らないため、ナマの濡れ場を期待していただけに、激しくガッカリしていた。
しかし一番悔しかったのは。
「ベルトルドさんとアルカネットさんのバカああああ!!!!」
キュッリッキは手当たり次第室内のものを手にして、2人の大人に怒り任せに投げつけ泣き喚いた。こんな行動に出るキュッリッキは初めて見るので、ベルトルドもアルカネットも本気で驚き慄いていた。
「バカバカバカバカバカバカバカあっーー!!」
「落ち着けリッキー」
「落ち着いてください、リッキーさんっ」
ルーファスが指摘したように、キュッリッキには働かない絶対防御でかわすことができず、ベルトルドは身をくねらせて、コントロール抜群の物体を避けていた。
アルカネットはベルトルドをうまく盾にしていたが、ついにティーカップが額に直撃してうずくまってしまった。
フェンリルとフローズヴィトニルは、自分たちが投げられるのを避けるため、テラスに出て避難完了である。
特別室ということもあって、色々な置物が揃っていたが、ついに投げるものがなくなったキュッリッキは、肩を怒らせたままベルトルドとアルカネットを激しく睨みつけた。
「リッ…キー……?」
ベルトルドは腕で顔を庇いながら、恐る恐る声をかける。フルフルと口を震わせ、キュッリッキは大きくしゃくり上げると、その場にペタッと座り込んだ。そして2人をバカ呼ばわりしながら、宿中に轟くほどの大声で泣き喚きだしてしまった。
* * *
8月6日、まだ夜も明けきらぬうちに、ハワドウレ皇国将軍ブルーベルの名で、逆臣軍との開戦の報が、全世界へ発信された。
モナルダ大陸戦争開幕である。
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