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奪われしもの編
56)全軍出撃せよ!
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皇都イララクスに暮らす人々は、ソレル王国の宣戦布告に多少の不安を覚えつつも、日常生活のリズムは変わらなかった。ハーツイーズ街とエルダー街の傭兵たちが、ソワソワと落ち着かないくらいで、皇都の様子も変わらない。
属国に下っている小国が、皇国に牙をむくのは珍しいことではない。小国同士が衝突したり、皇国の領内を荒らしたりすることは、これまで何度でも起こっている。
ソレル王国から一方的に宣戦布告がなされたが、皇国側からはまだ正式な通達は行われていない。軍部の動きが慌ただしいので、近々開戦するだろう噂は広がっている。しかし経済や流通に影響は出ていないので、国民の生活に支障はなかった。
牙をむいてきたソレル王国とその連合軍は、惑星の反対側に位置するモナルダ大陸が拠点だ。ワイ・メア大陸とは随分と距離があり、移動手段に使われるエグザイル・システムには正規部隊が詰めているから安全だ。そのことが、より緊張感を和らげている要素にもなっていた。
変化といえば、街のいたるところに巨大なスクリーンが設置されていくことだった。8月3日にはささやかなイベントがあり、国民はスクリーンを必ず見るよう通達されていた。それはハワドウレ皇国民だけではなく、属国である小国の民も全てである。
映像が中継出来ない場所では音声中継も設置され、とにかく世界は8月3日を固唾を飲んで待ち構えていた。
* * *
キュッリッキはアルカネットに手を引かれて、総帥本部の中を歩いていた。この間勝手に姿をくらませたため、片時も手を離さず状態である。
前回のことはベルトルドからしっかり叱られていたので、キュッリッキは迷惑をかける気はなかった。それなのにアルカネットにずっと手を引かれているので「信用されていないのかも」と、自業自得とはいえちょっとガッカリしていた。
アルカネットは単にキュッリッキの手を握っていたい、独占していたいと考えているだけ。しかしそこまでキュッリッキは思い至れなかった。
「あら、アルカネット」
書類の束を小脇に抱え、正面からリュリュが歩いてきた。
「は~い、小娘」
手を引かれたキュッリッキと、その足元に佇むフェンリルを見て、リュリュは小さくウインクした。
「こんにちは、リュリュさん」
一度見舞いにきてくれたことがあり、度々花などの見舞いをもらっていた。
「気さくなオカマ」と認識しているキュッリッキは、ニッコリと笑いかけた。フェンリルは興味なさそうに、鼻を鳴らしただけだった。
「そうそう、あーた、ベルのアレをナマコって言って、凹ませたんですってね」
ケラケラ笑うリュリュに、キュッリッキは口をへの字に曲げた。アレはナマコではないことは、ライオン傭兵団の皆から聞かされている。ただし、アレがなんなのかは、秘密だとも言われてもいる。
「だって、ナマコに見えたんだもん」
見たこともない物体だった。あんなものは自分の股間にはついていないのだ。
「あのベルに面と向かってソンナコト言ったの、あーたが初めてよ。面白い子だわ」
「うにゅー」
恨めしそうに、リュリュの顔を見上げる。
リュリュはハンサムな顔立ち、とは言い難いが、極端に垂れた目が印象である。濃くはないが化粧もしていて、軍服を着ているが、どこかなよっとした物腰をしていた。
「ベルトルド様は?」
2人の会話を肩をすくめて聞いていたアルカネットは、本題に戻す。
「ベルなら控え室でお着替えしてるわ。テレビ映えするよう派手に飾り立てようとしたら、ゴネて拗ねてイヤがるから、下官が苦労してるのン」
「そういうのは、嫌いな方ですからね」
様子が易く想像できて、アルカネットは苦笑する。
「今日の主役はこの小娘。まあ、ベルはパセリみたいなものだしねえ。豪華に目立っても、悪目立ちにしかならなわ」
「おやおやみなさん、お集まりで」
大きな身体をゆするように歩いてきたブルーベル将軍が、温厚な笑みを浮かべて挨拶した。これにアルカネットとリュリュが素早く敬礼する。
「こんにちはお嬢さん。今日も可愛く、おめかししてもらっていますね」
温厚に笑うブルーベル将軍に、キュッリッキは無邪気に笑いかけた。「シロクマのおじいちゃん」とキュッリッキの中の可愛いものリストのトップに刻まれているのだ。
そして将軍の背後に控えるように立つ人物を見て、キュッリッキの瞳が鋭くキラリと光った。
「パンダあああ!!」
大きな声を張り上げると、アルカネットの手を振りほどいてキュッリッキは飛びついた。
「うわああああっ! なんだっ、オマエは!!」
いきなり飛びつかれた男は、ゴロンと盛大にひっくり返った。
短い手足をバタバタと動かし転がる姿は愛嬌たっぷりで、それを見やったアルカネットとリュリュは、妙に微笑ましい気持ちに包まれた。
白と黒の模様がとても愛らしい、パンダのトゥーリ族だ。
「どうしよう可愛すぎる、可愛すぎるの~~」
キュッリッキは憚ることなくパンダ男に頬ずりする。キュッリッキは軽すぎるほど軽いのだが、パンダ男はいきなりのことに動転して、ひっくり返ったまま起き上がることができない。
「どれどれ」
ブルーベル将軍は好々爺の笑みを浮かべ、キュッリッキをそっとパンダ男から引き剥がす。
「ハギはシャイなのでね」
将軍にウインクされて、キュッリッキは目をぱちくりと瞬かせた。
パンダ男はリュリュに助け起こされ、愛嬌たっぷりの顔をむすっと歪めた。
「この者はワシの副官で、ハギといいます」
キュッリッキを抱き上げたままのブルーベル将軍に紹介され、ハギは背筋を伸ばして敬礼した。その敬礼する姿も愛嬌たっぷりだ。
ブルーベル将軍はキュッリッキを、アルカネットの前にそっと降ろす。
「今日の式典、楽しみにしておりますよ」
にこやかにそう言って、ブルーベル将軍はハギを伴いその場を後にした。
去りゆくブルーベル将軍とハギの尻に生えている小さな丸いしっぽに、キュッリッキはずっと釘付けになっていた。
「で、今からベルのところへ?」
「ええ、彼女を連れて来いと言われていますので」
「アタシも一緒に行くわ。――全く、いい加減な演説内容書いてくるから、全部書き直したわよ、もお」
アルカネットに再び手を引かれ、キュッリッキはリュリュらと共に歩き出した。
「一体何て書いていたんです? だいたいの想像はつくんですが」
「『お前ら首洗って待っとけ、以上』よ。ったく、呆れちゃうったら」
微笑みの表面に乾いた砂塵が吹き抜けていくような、アルカネットの恐ろしげな空気を感じて、リュリュとキュッリッキがギョッと慄いた。
「陛下の代理として壇に立つということが、どうやら判っていないようですね、あのひとは」
「でもぶっちゃけ、陛下もそう大差ないわよ…」
「………」
「そういうのって、似た者同士って言うんだよね」
朗らかにキュッリッキに指摘され、アルカネットとリュリュは疲れたように息を吐き出した。
控え室に到着した3人は、機嫌の良いベルトルドの声に出迎えられた。
「ゴテゴテに飾り立てようとしてくるから、飾り自体を粉砕してやった」
壁の表面を覆う巨大な鏡の前に立ち、ベルトルドは悪戯っ子のような笑みで振り返った。そのベルトルドの足元には、粉々に砕かれた金属片が大量に散らかっていた。
「ちょっとあーた、勲章やら何やらまで、全部壊しちゃったわけー?」
「無駄に重い勲章やらモールやらつけようとするからだ。俺はクリスマスツリーじゃないぞ」
「いっそ目立つように、電色でも巻きつけてあげましょうか?」
くすっと笑うリュリュをキッと睨み、ベルトルドは「もういい」と軍服のホコリを払おうとする下官を下がらせた。
「よく似合っているな、リッキー」
アルカネットの横でおとなしく立っているキュッリッキを、ベルトルドは高く抱き上げた。
「本当は色々可愛いドレスを用意しておいたんだが、ドレスを着たまま出撃するわけにもいかんしな」
「でもアタシ、これ気に入ってるよ」
嬉しそうにキュッリッキが笑うと、ベルトルドも自然と表情が優しく和んだ。
ライオン傭兵団の入団テスト日から、キュッリッキは仕事着に、仕事で知り合った旅芸人一座の娘からプレゼントされた、踊り子風な衣装を着ていた。
自ら武器を持って戦うわけでも、魔法やサイ《超能力》を操るわけでもないので、何を着て戦場にいてもよかったから、とくに仕事着は持っていなかったのだ。
キュッリッキはその踊り子風の衣装を、戦闘着と定めて用いていた。しかし2か月前、ナルバ山で怪物に襲われたとき衣装は切り裂かれ、血糊でベトベトになって、もはや着られる状態じゃなくなり失ってしまった。
そこでキュッリッキは戦闘着になる服をずっと探していたが、そのことを知ったベルトルドとアルカネットが、キュッリッキの好みや希望を聞き出し、特注で作らせたのが今日着ている服だ。
キュッリッキの大好きな青色系の布を使った服である。
この機会に髪型もオトナっぽいものに変えようとした。美容院で4時間も美容師と相談を重ねた挙句、結局以前とあまり変わらない感じになってしまった。
髪飾りは子供っぽいのでやめて、自然に波打った髪には、無理にストレートをかけるのをやめた。
「このままもうちょっと前髪とサイドが伸びたら、大人っぽくなってイイ感じよ」
と美容師に言われ、キュッリッキもそうかもしれないと思った。もっともベルトルド邸にいると、アリサやリトヴァが髪を結って、リボンで飾り立ててしまう。そうするとオトナっぽい雰囲気からは、かけ離れてしまうのだった。
「ちょっとベル、これ、開演までに暗記しなさい」
差し出された書類を見て、ベルトルドは目を丸くした。
「なんだ、これ?」
「演説の草稿よ」
「………俺が覚えられるわけ無いだろう?」
「居直んないでっ。ちゃんと覚えて、前を向いて下を向かず、噛まずスラスラ読み上げなさい。カメラ目線とリップサービスもしとくのよ」
「む・り・だっ!」
「あと15分もあるからイケルわよ」
「無理っ――!!」
地団駄でも踏みそうな癇癪を起こして、子供のようにベルトルドは喚いた。それを冷ややかに見やり、リュリュは書類をグイッと突き出す。
「お・ぼ・え・な・さい」
なおも無言で拒むベルトルドの軍服の裾を、キュッリッキが小さく引っ張る。
「ベルトルドさん、あと10分しかないよ?」
現実を突きつけるキュッリッキの言葉に、ベルトルドはガックリと肩を落とし敗北した。
* * *
式典会場は、ハーメンリンナの宮殿前広場に設けられた。
1万人の人々が収容できるスペースには、軍服をまとった人々が整然と並び、一部に着飾った紳士淑女が混じっている。この式典に色を添えるためだけに並ばされた、貴族や富豪たちだ。
特設された壇上の右側には皇王と皇妃、王太子や王女など皇王一家や一族が座っている。左側には宰相とブルーベル将軍、10人の大将、特殊部隊の長官などが並んで立っていた。キュッリッキもアルカネットの傍らに立っている。
壇上の背景には巨大なスクリーンが建てられ、壇上に立つ人物が映し出され、それと同じ映像が、各地に設置されたスクリーンにも流される。
広場にいるのはほぼ第七正規部隊の軍人たちで、式典が終われば皇都の守りにつく。他の部隊の軍人たちは、すでにモナルダ大陸に向け移動を開始している。移動先でこの中継を見ることになるだろう。
ライオン傭兵団員のなかでは、この式典に出席しているのはルーファスとメルヴィンの2人だけだった。2人は引き続き、キュッリッキの護衛を任されている。
「式典が終わったら、リッキーの身はとても危険にさらされることになる。全力で守れよ」
前日ベルトルドから、とくにそう念押しされていた。
ルーファスとメルヴィンの2人は、キュッリッキのすぐ背後に立って、辺りに注意を払っていた。この2人に関しては、何よりも最優先がキュッリッキの安全と命じられている。
やがて時間になり、ベルトルドが会場に姿を現した。
抜けるような青空と射抜くような夏の日差しのもと、光を弾いてより煌く真っ白な軍服と、肩から背中に流れる真っ白なマントをなびかせ、ベルトルドは颯爽と壇上に立つ。白の軍服はベルトルドにのみ、着用を許されている色である。
泣く子も黙らせる副宰相とその名を轟かすベルトルドの姿を、スクリーンを通して初めて目の当たりにした国民の多くは、その若い風貌に驚いたことだろう。更に皇王から全軍総帥の地位を下賜され、兼任しているのである。
惑星ヒイシの中で、最も巨大な政治権力と軍事力を、掌中におさめている人物だ。
壇上に立ったベルトルドは、居並ぶ人々をゆっくりと睥睨し、口を開いた。
短い挨拶から入り、この戦争を始めるきっかけとなった経緯が説明される。
会議の席で捏造した、召喚士への殺害未遂などには脚色もされ、国民の怒りを誘うような内容になっていた。そして中継を見ていた国民たちは、思惑通りに次々と怒りを沸き上がらせた。
この世界の人々は生まれて3歳になると、国にある〈才能〉判定機関にて、どんな〈才能〉を備えているかを調べてもらう。そこで召喚〈才能〉が判明すれば、ただちに生国が家族ごと召喚〈才能〉を持つ子供を保護し、一生王侯貴族のような生活が保証され大切に扱われるのだ。それはヴィプネン族だけではなく、アイオン族とトゥーリ族でも同じように行われている。
召喚は特殊〈才能〉の中に括られるが、他の〈才能〉とは一線を画している。
太古の昔、異次元の彼方に消え去ったアルケラという、伝説の神の世界をその目で視ることができ、その世界に住むものをこちら側の世界へ招く力を有している。
召喚〈才能〉を持つものを、とくに召喚士と呼称する。
アルケラという神の世界があることを、証明できる唯一の存在。
召喚士は尊い神の力を使う。神に近しい存在として、召喚士は別格として人々に認識されているのだ。そこを利用するため、ベルトルドは捏造に踏み切った。
「害された召喚士は幸いにして命を取り留め、今日この場に、その姿をお披露目する」
ベルトルドは背後を振り返り、キュッリッキに手を差し伸べる。
アルカネットからそっと背中を押され、ベルトルドの手に導かれるまま、キュッリッキは壇上にのぼった。
手を引かれベルトルドの前に立つと、キュッリッキは緊張のあまり身を固くする。あらゆる人々から注視された。
「召喚〈才能〉を有する者がどのような力を振るうのか、知らぬ者のほうが多いだろう。その貴重な力の一端を、今ここでお見せする」
世界中の興味の目が、キュッリッキに浴びせられた。それを肌で感じ、キュッリッキは不安と緊張で小さく怯えた。
以前総帥本部に呼ばれたとき、式典で見世物になることは、あらかじめベルトルドから説明されている。キュッリッキがその召喚の力を見せること、それが世界の人々にどのような衝撃を与えることになるのかも説明はされていた。
別にコソコソ隠しているわけではないが、こんな場所で召喚をするのは初めてのことで、自らの震えに飲み込まれそうだった。
(リッキー、俺がそばにいる。安心しろ)
念話でベルトルドから優しく励まされ、キュッリッキはつとめて小さく微笑んだ。
カメラがキュッリッキをスクリーンに映し出す。その神秘なる力の全てを撮ろうと、何台ものカメラが向けられた。
キュッリッキは目を閉じると、小さく深呼吸する。心を落ち着かせ、周りの雑音を遮断する。そしてゆっくりと目を開いた。
黄緑色の瞳にまといつく虹色の光彩が小さく光を放ち、それが強く光り、輝き出す。
瞳にまといつく虹色の光彩は、召喚〈才能〉を持つ者の最大の特徴だ。
キュッリッキの瞳は、目の前の光景など見ていない。ここには存在しない、しかし召喚士だけが覗き視ることが許される、神々と幻想世界の住人たちが暮らすアルケラを、しっかりと捉え視ていた。
ページをめくるように風景が高速で切り替わり、アルケラにいる者たちと、次々に目が合う。
こちらに招き寄せる者は決まった。
細っそりとした片手が前に差し出され、掌を上に向け、誘うように開かれた。
「おいで」
小さく呟くと、突如広場の上空の空間が蜃気楼のようにたわみ、円形に波紋を描くようにいくつも歪んだ。
ドオン、ドオンと鈍い音が響きあい、空気が振動を始めた。同時に、どこからともなく吹き込んだ突風が広場を駆け抜ける。
止まない強烈な風に巻かれ、広場にいる人々は大騒ぎになった。この現象を撮ろうとカメラが右往左往向けられ、映像が乱れた。
瞬きもせず、キュッリッキはじっとその空間にひたと視線を向けている。風で飛ばされないように、ベルトルドがキュッリッキを支えていた。
空間はどんどん歪み、辺りに轟音を鳴り響かせた。
「こい、ヨルムガンド、リンドヴルム、フローズヴィトニル、スレイプニル!!」
キュッリッキが声高に叫ぶと、歪んだ空間から何かが次々と飛び出し、広場を覆って辺りは一瞬にして濃い闇に包まれた。
巨大な何かは広場どころか、ハーメンリンナの上空を全て塞いでしまっているようだ。
陽光は遮られ、闇の中に落とし込まれた人々は、恐怖のあまり息を飲んで黙りこくった。悲鳴をあげることすら忘れてしまったように、天を仰いで何かを探ろうとする。
「――大きすぎて、これではカメラにおさまりきれんな」
ベルトルドも天を仰いで、口の端を釣り上げ笑う。
「リッキー、もうちょっと小さくなるように言ってくれ。カメラに映るくらいにはしないと、これでは暗くて何も見えないからな」
「はーい」
キュッリッキは天を仰いで叫ぶ。
「みんな、もうちょっと小さくなって。真っ暗になっちゃって、なにも見えないの~」
その声に応じ、 ヨルムガンド、リンドヴルム、フローズヴィトニル、スレイプニルは淡い光を放ちながら、徐々にその身を縮ませていった。
ハーメンリンナに陽光が戻り、目が慣れた人々は上空にいるその姿を仰ぎ見て、次々と悲鳴をあげた。貴婦人の中には失神する者もあった。
滑りけを帯び陽光に照らされ、鈍い光を放つ鱗を持った巨大な黒い蛇ヨルムガンド。
爬虫類の外見に、蝙蝠のような巨大な2枚の翼を生やす龍リンドヴルム。
漆黒の毛に覆われ、冷たい氷土を思わせるアイスブルーの瞳を持つ巨狼フローズヴィトニル。
引き締まった灰色の体躯に、8本の脚を持つ巨馬スレイプニル。
かつて人類が見たこともない、それは伝説の中で語られる幻獣。それが突如ハーメンリンナの上空に顕現した。
カメラはしっかりとその4匹の幻獣を映し出し、世界中にこの映像が流れた。
「伝説の神の世界アルケラ、そこに存在する住人たちの一部である。そしてこの住人たちをこの世界に呼び寄せることができる、それが召喚士の力だ」
騒然となる広場に、ベルトルドの静かな声が降り注いで、人々は壇上に注目する。
「神の力の一端を操る尊い存在なのだ、召喚士は。その神に愛されし召喚士を害し、世界に災厄をもたらそうとする逆臣軍を、我々は許すわけにはいかない」
フローズヴィトニルが空から舞い降り宙にとどまったまま、鼻先をキュッリッキにつき出してくる。
キュッリッキは無邪気に微笑み、巨大な鼻先を優しく撫でてやった。
その映像はベルトルドの演説を、確固たるものにする。召喚〈才能〉を持つ者が厚遇される理由を、世界中の人々が納得した。
「皇国と召喚士に仇なす逆臣軍を討つ! 全軍出撃せよ!!」
ハーメンリンナに鬨の声が轟いた。
属国に下っている小国が、皇国に牙をむくのは珍しいことではない。小国同士が衝突したり、皇国の領内を荒らしたりすることは、これまで何度でも起こっている。
ソレル王国から一方的に宣戦布告がなされたが、皇国側からはまだ正式な通達は行われていない。軍部の動きが慌ただしいので、近々開戦するだろう噂は広がっている。しかし経済や流通に影響は出ていないので、国民の生活に支障はなかった。
牙をむいてきたソレル王国とその連合軍は、惑星の反対側に位置するモナルダ大陸が拠点だ。ワイ・メア大陸とは随分と距離があり、移動手段に使われるエグザイル・システムには正規部隊が詰めているから安全だ。そのことが、より緊張感を和らげている要素にもなっていた。
変化といえば、街のいたるところに巨大なスクリーンが設置されていくことだった。8月3日にはささやかなイベントがあり、国民はスクリーンを必ず見るよう通達されていた。それはハワドウレ皇国民だけではなく、属国である小国の民も全てである。
映像が中継出来ない場所では音声中継も設置され、とにかく世界は8月3日を固唾を飲んで待ち構えていた。
* * *
キュッリッキはアルカネットに手を引かれて、総帥本部の中を歩いていた。この間勝手に姿をくらませたため、片時も手を離さず状態である。
前回のことはベルトルドからしっかり叱られていたので、キュッリッキは迷惑をかける気はなかった。それなのにアルカネットにずっと手を引かれているので「信用されていないのかも」と、自業自得とはいえちょっとガッカリしていた。
アルカネットは単にキュッリッキの手を握っていたい、独占していたいと考えているだけ。しかしそこまでキュッリッキは思い至れなかった。
「あら、アルカネット」
書類の束を小脇に抱え、正面からリュリュが歩いてきた。
「は~い、小娘」
手を引かれたキュッリッキと、その足元に佇むフェンリルを見て、リュリュは小さくウインクした。
「こんにちは、リュリュさん」
一度見舞いにきてくれたことがあり、度々花などの見舞いをもらっていた。
「気さくなオカマ」と認識しているキュッリッキは、ニッコリと笑いかけた。フェンリルは興味なさそうに、鼻を鳴らしただけだった。
「そうそう、あーた、ベルのアレをナマコって言って、凹ませたんですってね」
ケラケラ笑うリュリュに、キュッリッキは口をへの字に曲げた。アレはナマコではないことは、ライオン傭兵団の皆から聞かされている。ただし、アレがなんなのかは、秘密だとも言われてもいる。
「だって、ナマコに見えたんだもん」
見たこともない物体だった。あんなものは自分の股間にはついていないのだ。
「あのベルに面と向かってソンナコト言ったの、あーたが初めてよ。面白い子だわ」
「うにゅー」
恨めしそうに、リュリュの顔を見上げる。
リュリュはハンサムな顔立ち、とは言い難いが、極端に垂れた目が印象である。濃くはないが化粧もしていて、軍服を着ているが、どこかなよっとした物腰をしていた。
「ベルトルド様は?」
2人の会話を肩をすくめて聞いていたアルカネットは、本題に戻す。
「ベルなら控え室でお着替えしてるわ。テレビ映えするよう派手に飾り立てようとしたら、ゴネて拗ねてイヤがるから、下官が苦労してるのン」
「そういうのは、嫌いな方ですからね」
様子が易く想像できて、アルカネットは苦笑する。
「今日の主役はこの小娘。まあ、ベルはパセリみたいなものだしねえ。豪華に目立っても、悪目立ちにしかならなわ」
「おやおやみなさん、お集まりで」
大きな身体をゆするように歩いてきたブルーベル将軍が、温厚な笑みを浮かべて挨拶した。これにアルカネットとリュリュが素早く敬礼する。
「こんにちはお嬢さん。今日も可愛く、おめかししてもらっていますね」
温厚に笑うブルーベル将軍に、キュッリッキは無邪気に笑いかけた。「シロクマのおじいちゃん」とキュッリッキの中の可愛いものリストのトップに刻まれているのだ。
そして将軍の背後に控えるように立つ人物を見て、キュッリッキの瞳が鋭くキラリと光った。
「パンダあああ!!」
大きな声を張り上げると、アルカネットの手を振りほどいてキュッリッキは飛びついた。
「うわああああっ! なんだっ、オマエは!!」
いきなり飛びつかれた男は、ゴロンと盛大にひっくり返った。
短い手足をバタバタと動かし転がる姿は愛嬌たっぷりで、それを見やったアルカネットとリュリュは、妙に微笑ましい気持ちに包まれた。
白と黒の模様がとても愛らしい、パンダのトゥーリ族だ。
「どうしよう可愛すぎる、可愛すぎるの~~」
キュッリッキは憚ることなくパンダ男に頬ずりする。キュッリッキは軽すぎるほど軽いのだが、パンダ男はいきなりのことに動転して、ひっくり返ったまま起き上がることができない。
「どれどれ」
ブルーベル将軍は好々爺の笑みを浮かべ、キュッリッキをそっとパンダ男から引き剥がす。
「ハギはシャイなのでね」
将軍にウインクされて、キュッリッキは目をぱちくりと瞬かせた。
パンダ男はリュリュに助け起こされ、愛嬌たっぷりの顔をむすっと歪めた。
「この者はワシの副官で、ハギといいます」
キュッリッキを抱き上げたままのブルーベル将軍に紹介され、ハギは背筋を伸ばして敬礼した。その敬礼する姿も愛嬌たっぷりだ。
ブルーベル将軍はキュッリッキを、アルカネットの前にそっと降ろす。
「今日の式典、楽しみにしておりますよ」
にこやかにそう言って、ブルーベル将軍はハギを伴いその場を後にした。
去りゆくブルーベル将軍とハギの尻に生えている小さな丸いしっぽに、キュッリッキはずっと釘付けになっていた。
「で、今からベルのところへ?」
「ええ、彼女を連れて来いと言われていますので」
「アタシも一緒に行くわ。――全く、いい加減な演説内容書いてくるから、全部書き直したわよ、もお」
アルカネットに再び手を引かれ、キュッリッキはリュリュらと共に歩き出した。
「一体何て書いていたんです? だいたいの想像はつくんですが」
「『お前ら首洗って待っとけ、以上』よ。ったく、呆れちゃうったら」
微笑みの表面に乾いた砂塵が吹き抜けていくような、アルカネットの恐ろしげな空気を感じて、リュリュとキュッリッキがギョッと慄いた。
「陛下の代理として壇に立つということが、どうやら判っていないようですね、あのひとは」
「でもぶっちゃけ、陛下もそう大差ないわよ…」
「………」
「そういうのって、似た者同士って言うんだよね」
朗らかにキュッリッキに指摘され、アルカネットとリュリュは疲れたように息を吐き出した。
控え室に到着した3人は、機嫌の良いベルトルドの声に出迎えられた。
「ゴテゴテに飾り立てようとしてくるから、飾り自体を粉砕してやった」
壁の表面を覆う巨大な鏡の前に立ち、ベルトルドは悪戯っ子のような笑みで振り返った。そのベルトルドの足元には、粉々に砕かれた金属片が大量に散らかっていた。
「ちょっとあーた、勲章やら何やらまで、全部壊しちゃったわけー?」
「無駄に重い勲章やらモールやらつけようとするからだ。俺はクリスマスツリーじゃないぞ」
「いっそ目立つように、電色でも巻きつけてあげましょうか?」
くすっと笑うリュリュをキッと睨み、ベルトルドは「もういい」と軍服のホコリを払おうとする下官を下がらせた。
「よく似合っているな、リッキー」
アルカネットの横でおとなしく立っているキュッリッキを、ベルトルドは高く抱き上げた。
「本当は色々可愛いドレスを用意しておいたんだが、ドレスを着たまま出撃するわけにもいかんしな」
「でもアタシ、これ気に入ってるよ」
嬉しそうにキュッリッキが笑うと、ベルトルドも自然と表情が優しく和んだ。
ライオン傭兵団の入団テスト日から、キュッリッキは仕事着に、仕事で知り合った旅芸人一座の娘からプレゼントされた、踊り子風な衣装を着ていた。
自ら武器を持って戦うわけでも、魔法やサイ《超能力》を操るわけでもないので、何を着て戦場にいてもよかったから、とくに仕事着は持っていなかったのだ。
キュッリッキはその踊り子風の衣装を、戦闘着と定めて用いていた。しかし2か月前、ナルバ山で怪物に襲われたとき衣装は切り裂かれ、血糊でベトベトになって、もはや着られる状態じゃなくなり失ってしまった。
そこでキュッリッキは戦闘着になる服をずっと探していたが、そのことを知ったベルトルドとアルカネットが、キュッリッキの好みや希望を聞き出し、特注で作らせたのが今日着ている服だ。
キュッリッキの大好きな青色系の布を使った服である。
この機会に髪型もオトナっぽいものに変えようとした。美容院で4時間も美容師と相談を重ねた挙句、結局以前とあまり変わらない感じになってしまった。
髪飾りは子供っぽいのでやめて、自然に波打った髪には、無理にストレートをかけるのをやめた。
「このままもうちょっと前髪とサイドが伸びたら、大人っぽくなってイイ感じよ」
と美容師に言われ、キュッリッキもそうかもしれないと思った。もっともベルトルド邸にいると、アリサやリトヴァが髪を結って、リボンで飾り立ててしまう。そうするとオトナっぽい雰囲気からは、かけ離れてしまうのだった。
「ちょっとベル、これ、開演までに暗記しなさい」
差し出された書類を見て、ベルトルドは目を丸くした。
「なんだ、これ?」
「演説の草稿よ」
「………俺が覚えられるわけ無いだろう?」
「居直んないでっ。ちゃんと覚えて、前を向いて下を向かず、噛まずスラスラ読み上げなさい。カメラ目線とリップサービスもしとくのよ」
「む・り・だっ!」
「あと15分もあるからイケルわよ」
「無理っ――!!」
地団駄でも踏みそうな癇癪を起こして、子供のようにベルトルドは喚いた。それを冷ややかに見やり、リュリュは書類をグイッと突き出す。
「お・ぼ・え・な・さい」
なおも無言で拒むベルトルドの軍服の裾を、キュッリッキが小さく引っ張る。
「ベルトルドさん、あと10分しかないよ?」
現実を突きつけるキュッリッキの言葉に、ベルトルドはガックリと肩を落とし敗北した。
* * *
式典会場は、ハーメンリンナの宮殿前広場に設けられた。
1万人の人々が収容できるスペースには、軍服をまとった人々が整然と並び、一部に着飾った紳士淑女が混じっている。この式典に色を添えるためだけに並ばされた、貴族や富豪たちだ。
特設された壇上の右側には皇王と皇妃、王太子や王女など皇王一家や一族が座っている。左側には宰相とブルーベル将軍、10人の大将、特殊部隊の長官などが並んで立っていた。キュッリッキもアルカネットの傍らに立っている。
壇上の背景には巨大なスクリーンが建てられ、壇上に立つ人物が映し出され、それと同じ映像が、各地に設置されたスクリーンにも流される。
広場にいるのはほぼ第七正規部隊の軍人たちで、式典が終われば皇都の守りにつく。他の部隊の軍人たちは、すでにモナルダ大陸に向け移動を開始している。移動先でこの中継を見ることになるだろう。
ライオン傭兵団員のなかでは、この式典に出席しているのはルーファスとメルヴィンの2人だけだった。2人は引き続き、キュッリッキの護衛を任されている。
「式典が終わったら、リッキーの身はとても危険にさらされることになる。全力で守れよ」
前日ベルトルドから、とくにそう念押しされていた。
ルーファスとメルヴィンの2人は、キュッリッキのすぐ背後に立って、辺りに注意を払っていた。この2人に関しては、何よりも最優先がキュッリッキの安全と命じられている。
やがて時間になり、ベルトルドが会場に姿を現した。
抜けるような青空と射抜くような夏の日差しのもと、光を弾いてより煌く真っ白な軍服と、肩から背中に流れる真っ白なマントをなびかせ、ベルトルドは颯爽と壇上に立つ。白の軍服はベルトルドにのみ、着用を許されている色である。
泣く子も黙らせる副宰相とその名を轟かすベルトルドの姿を、スクリーンを通して初めて目の当たりにした国民の多くは、その若い風貌に驚いたことだろう。更に皇王から全軍総帥の地位を下賜され、兼任しているのである。
惑星ヒイシの中で、最も巨大な政治権力と軍事力を、掌中におさめている人物だ。
壇上に立ったベルトルドは、居並ぶ人々をゆっくりと睥睨し、口を開いた。
短い挨拶から入り、この戦争を始めるきっかけとなった経緯が説明される。
会議の席で捏造した、召喚士への殺害未遂などには脚色もされ、国民の怒りを誘うような内容になっていた。そして中継を見ていた国民たちは、思惑通りに次々と怒りを沸き上がらせた。
この世界の人々は生まれて3歳になると、国にある〈才能〉判定機関にて、どんな〈才能〉を備えているかを調べてもらう。そこで召喚〈才能〉が判明すれば、ただちに生国が家族ごと召喚〈才能〉を持つ子供を保護し、一生王侯貴族のような生活が保証され大切に扱われるのだ。それはヴィプネン族だけではなく、アイオン族とトゥーリ族でも同じように行われている。
召喚は特殊〈才能〉の中に括られるが、他の〈才能〉とは一線を画している。
太古の昔、異次元の彼方に消え去ったアルケラという、伝説の神の世界をその目で視ることができ、その世界に住むものをこちら側の世界へ招く力を有している。
召喚〈才能〉を持つものを、とくに召喚士と呼称する。
アルケラという神の世界があることを、証明できる唯一の存在。
召喚士は尊い神の力を使う。神に近しい存在として、召喚士は別格として人々に認識されているのだ。そこを利用するため、ベルトルドは捏造に踏み切った。
「害された召喚士は幸いにして命を取り留め、今日この場に、その姿をお披露目する」
ベルトルドは背後を振り返り、キュッリッキに手を差し伸べる。
アルカネットからそっと背中を押され、ベルトルドの手に導かれるまま、キュッリッキは壇上にのぼった。
手を引かれベルトルドの前に立つと、キュッリッキは緊張のあまり身を固くする。あらゆる人々から注視された。
「召喚〈才能〉を有する者がどのような力を振るうのか、知らぬ者のほうが多いだろう。その貴重な力の一端を、今ここでお見せする」
世界中の興味の目が、キュッリッキに浴びせられた。それを肌で感じ、キュッリッキは不安と緊張で小さく怯えた。
以前総帥本部に呼ばれたとき、式典で見世物になることは、あらかじめベルトルドから説明されている。キュッリッキがその召喚の力を見せること、それが世界の人々にどのような衝撃を与えることになるのかも説明はされていた。
別にコソコソ隠しているわけではないが、こんな場所で召喚をするのは初めてのことで、自らの震えに飲み込まれそうだった。
(リッキー、俺がそばにいる。安心しろ)
念話でベルトルドから優しく励まされ、キュッリッキはつとめて小さく微笑んだ。
カメラがキュッリッキをスクリーンに映し出す。その神秘なる力の全てを撮ろうと、何台ものカメラが向けられた。
キュッリッキは目を閉じると、小さく深呼吸する。心を落ち着かせ、周りの雑音を遮断する。そしてゆっくりと目を開いた。
黄緑色の瞳にまといつく虹色の光彩が小さく光を放ち、それが強く光り、輝き出す。
瞳にまといつく虹色の光彩は、召喚〈才能〉を持つ者の最大の特徴だ。
キュッリッキの瞳は、目の前の光景など見ていない。ここには存在しない、しかし召喚士だけが覗き視ることが許される、神々と幻想世界の住人たちが暮らすアルケラを、しっかりと捉え視ていた。
ページをめくるように風景が高速で切り替わり、アルケラにいる者たちと、次々に目が合う。
こちらに招き寄せる者は決まった。
細っそりとした片手が前に差し出され、掌を上に向け、誘うように開かれた。
「おいで」
小さく呟くと、突如広場の上空の空間が蜃気楼のようにたわみ、円形に波紋を描くようにいくつも歪んだ。
ドオン、ドオンと鈍い音が響きあい、空気が振動を始めた。同時に、どこからともなく吹き込んだ突風が広場を駆け抜ける。
止まない強烈な風に巻かれ、広場にいる人々は大騒ぎになった。この現象を撮ろうとカメラが右往左往向けられ、映像が乱れた。
瞬きもせず、キュッリッキはじっとその空間にひたと視線を向けている。風で飛ばされないように、ベルトルドがキュッリッキを支えていた。
空間はどんどん歪み、辺りに轟音を鳴り響かせた。
「こい、ヨルムガンド、リンドヴルム、フローズヴィトニル、スレイプニル!!」
キュッリッキが声高に叫ぶと、歪んだ空間から何かが次々と飛び出し、広場を覆って辺りは一瞬にして濃い闇に包まれた。
巨大な何かは広場どころか、ハーメンリンナの上空を全て塞いでしまっているようだ。
陽光は遮られ、闇の中に落とし込まれた人々は、恐怖のあまり息を飲んで黙りこくった。悲鳴をあげることすら忘れてしまったように、天を仰いで何かを探ろうとする。
「――大きすぎて、これではカメラにおさまりきれんな」
ベルトルドも天を仰いで、口の端を釣り上げ笑う。
「リッキー、もうちょっと小さくなるように言ってくれ。カメラに映るくらいにはしないと、これでは暗くて何も見えないからな」
「はーい」
キュッリッキは天を仰いで叫ぶ。
「みんな、もうちょっと小さくなって。真っ暗になっちゃって、なにも見えないの~」
その声に応じ、 ヨルムガンド、リンドヴルム、フローズヴィトニル、スレイプニルは淡い光を放ちながら、徐々にその身を縮ませていった。
ハーメンリンナに陽光が戻り、目が慣れた人々は上空にいるその姿を仰ぎ見て、次々と悲鳴をあげた。貴婦人の中には失神する者もあった。
滑りけを帯び陽光に照らされ、鈍い光を放つ鱗を持った巨大な黒い蛇ヨルムガンド。
爬虫類の外見に、蝙蝠のような巨大な2枚の翼を生やす龍リンドヴルム。
漆黒の毛に覆われ、冷たい氷土を思わせるアイスブルーの瞳を持つ巨狼フローズヴィトニル。
引き締まった灰色の体躯に、8本の脚を持つ巨馬スレイプニル。
かつて人類が見たこともない、それは伝説の中で語られる幻獣。それが突如ハーメンリンナの上空に顕現した。
カメラはしっかりとその4匹の幻獣を映し出し、世界中にこの映像が流れた。
「伝説の神の世界アルケラ、そこに存在する住人たちの一部である。そしてこの住人たちをこの世界に呼び寄せることができる、それが召喚士の力だ」
騒然となる広場に、ベルトルドの静かな声が降り注いで、人々は壇上に注目する。
「神の力の一端を操る尊い存在なのだ、召喚士は。その神に愛されし召喚士を害し、世界に災厄をもたらそうとする逆臣軍を、我々は許すわけにはいかない」
フローズヴィトニルが空から舞い降り宙にとどまったまま、鼻先をキュッリッキにつき出してくる。
キュッリッキは無邪気に微笑み、巨大な鼻先を優しく撫でてやった。
その映像はベルトルドの演説を、確固たるものにする。召喚〈才能〉を持つ者が厚遇される理由を、世界中の人々が納得した。
「皇国と召喚士に仇なす逆臣軍を討つ! 全軍出撃せよ!!」
ハーメンリンナに鬨の声が轟いた。
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