片翼の召喚士

ユズキ

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奪われしもの編

42)再会する仲間たち

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「キュッリッキちゃんが見舞いに来たって知って、子供みたいに悔しがってたよ。ぷんぷん拗ねちゃってさ」
「あははー。やっぱりネー」

 見舞いに出かけた翌日、診察に来たヴィヒトリが昨夜のベルトルドの様子を披露して、ルーファスは大笑いである。そんな2人の会話を聞きながら、キュッリッキは必死に朝ごはんを食べていた。

「というわけで、熱もすっかり下がって元気だよ」

(よかったの…)

 キュッリッキはホッと胸を撫で下ろす。
 あんなにぐったりした姿は初めて見たので、元気になったと聞いて心底安堵する。

「キュッリッキちゃんの怪我もだいぶ良いし、閣下もそろそろ退院だから、みんなも一安心ってところだね」
「ウンウン」
「そいえば、今日はメルヴィン居なくない?」
「用事があって出かけてる」
「ふーん。キミが朝から顔を出してるから、珍しいなと思ってネ」
「たまにいるじゃない。まあ、メルヴィン出かけるの決まってたから、深夜のデートは控えたってわけ」
「ほぼ毎日やってるの? タフだね」

 ヴィヒトリは呆れたように言って立ち上がった。そしてキュッリッキの頭を撫で撫でする。

「朝ごはん全部食べたね。いい子いい子」
「うん、頑張ったの…」

 キュッリッキは苦しそうに、小さくゲップした。それを苦笑しながら見て、ルーファスはトレイを下げる。

「んじゃ、ボクは病院へ行くね。また明日、見送りはいいよ」

 ヒラヒラ手を振って、ヴィヒトリはスタスタと部屋を出て行った。

「横になる? キューリちゃん」
「ううん、このままでいい」
「じゃあオレ、食器片してくるね」
「うん、ありがとう」

 朝ごはんという名の拷問が終わり、キュッリッキは疲れたように身を沈めた。


* * *


 コンコン、とドアをノックする音がして、セヴェリが素早くドアを開ける。化粧もバッチリのリュリュが顔を見せた。

「おはようベル、調子はどうなのン?」

 紅茶を飲んでいた手を止め、ベルトルドは「おう」と無愛想な声を出した。

「昨日熱を出したって聞いて、心配してたのよ。忙しくて来れなかったけど、もう大丈夫そうね」
「ああ、今はもう何ともない」
「それは良かったわ。でも、なんだかご機嫌ナナメなようね。何かあったのん?」

 ベルトルドはムスっとさせた顔を、更にぶすぅっとさせる。

「俺がいないのをいいことに、アルカネットのやつが、リッキーに悪さしていた」
「どんな?」
「睡眠薬飲ませて、キスしたり身体を舐め回してたり、俺が阻止しなかったら最後までヤッってたぞあいつ!」

 ふぬぅーっと喚いて、ベルトルドは拳を握り締めた。

「まったく、しょうのない子ねアルカネットも」

 リュリュは額に片手をあてて、呆れたように溜息をついた。普段真面目で品行方正そうな素振りをしているが、実はベルトルドに負けず劣らずな面もあることをリュリュは知っている。

「もうおちおち寝てられん! 即刻退院するぞ退院!」

 ガバッと勢いよくベッドの上に立ち上がり、ビシッとセヴェリを指差す。

「退院の手続きをして来いセヴェリ! 今すぐに!」
「それはいけません、旦那様」
「そうよ、ベル。いい子だから落ち着きなさいな」
「これが落ち着いていられるか!」

 リュリュは「はぁ…」と息を吐き、スクッと立ち上がる。

「病人だと思ってガマンしてあげてたけどぉ、これだけ元気だもの、暴れん棒もさぞかし元気いっぱいでしょーネ?」

 ハッとしてベルトルドは硬直する。リュリュを見ると、肉厚の唇をすぼめ人差し指をくわえこみ股間を見つめていた。

「わたくしめは、トイレへ行ってまいります」

 セヴェリは優雅に一礼すると、さっさと病室を出て行った。
 じゅるり、と舌を舐めずる音がして、ベルトルドは乙女のように身構える。

「お・し・お・き・ヨ」
「いやあああああっ」

 要人病棟に、ベルトルドの悲鳴が虚しく轟いた。


* * *


 食器を片して戻ってきたルーファスは、ベッドの傍らの椅子に座り、雑誌を広げて読んでいた。読んでいるのは毎度のアダルト誌。女性の裸体写真やら水着の写真などが、惜しみなく掲載されているものだ。

「このエロ雑誌は優秀なんだよ! 本当はナマに勝るものはないんだけど、四六時中理想のナマを拝めないでしょ。これ未修正だし高いだけあって、見応え充分!」

 ハンサムな顔をにやけさせながら、ルーファスはキュッリッキに力説した。
 力説されても困ることだが、ルーファスが見ているアダルト雑誌のほとんどが、ベルトルドの部屋から拝借してきたものだということがキュッリッキの気分を複雑にさせた。

(ベルトルドさんもあんなふうに、あの雑誌をみてニヤニヤしてるのかな…)

 鼻の下を伸ばし、ニヤニヤと雑誌を見ている姿を想像すると、嫌悪感が湧いてくる。
 後にそれがベルトルドにバレて、ルーファスはこっぴどく折檻される羽目になる。もちろん雑誌を勝手に持ち出したことではなく、キュッリッキにバレてしまったことにだ。
 とくにすることもなく、キュッリッキは身体を起こしたままクッションで丸まって寝ているフェンリルを見ていた。
 いつもなら傍らにはメルヴィンがいて、退屈そうにしていると、どこか必死に話しかけてくれる。
 ぎこちない様子で一生懸命話題を捻り出して、四苦八苦話してくれた。そして話が数分で終了してしまうと、心底申し訳なさそうに謝るのだ。

(メルヴィンいなくて、寂しいかも…)

 どこに出かけているか知らないが、優しいメルヴィンが傍にいないだけで、こんなにも寂しく感じてしまう。

(誰かと会ってるのかなあ)

 そう思った瞬間、心の中がザワザワしだして、左手をギュッと握り締めた。

(だ、誰かってダレ? お…、お…、女の人…とか!?)

 だとしたら!?
 メルヴィンが自分の知らない女の人と会っているのかと思うと、何故だかムカついてくる。

(ルーさん知ってるかな)

 チラリとルーファスを見ると、ニヤニヤしながら雑誌に夢中だ。

(別に、メルヴィンが女の人と会ってたって構わないけど…でも…)

 自分以外の女の人と親しくしているのが、凄く嫌だと思ってしまう。
 初めて沸き起こる感覚に、キュッリッキは酷く戸惑った。なんだかとっても落ち着かないのだ。
 キュッリッキは何度も何度も顔を上げては、すぐ俯かせた。雑誌に集中しているルーファスはその様子に気づかない。
 もう何度目になるか、意を決したように顔を上げると、キュッリッキはルーファスに声をかけた。

「ルーさんあのね、ちょっときいてもいいかな」
「ん? どうしたんだい?」

 雑誌から顔を上げると、ルーファスはにこやかにキュッリッキのほうを見る。

「えっとね……」

 左手でシーツを掴んだり放したり、視線をそわそわと泳がせたりと、はっきりしないキュッリッキをルーファスは辛抱強く待つ。

「あのね、……えっと、メルヴィンには……んと」

 だんだん白い頬が紅潮していく。

「その……、付き合ってる女の人って、いるの、かな…」

 言ってさらに顔を真っ赤にさせた。髪の毛で隠れて見えないが、おそらく耳も真っ赤に染まっているだろう。
 ルーファスはたっぷりと間を置いたあと、内心「おやおや~」と大きく頷いた。
 ベルトルド邸に来て1週間くらい経った頃から、なんとなくそんな雰囲気が漂いだした。
 メルヴィンに向けて、どこかはにかむ様な、可愛らしい態度を覗かせているのは感じられた。とくにここ数日は、傍から見ていてもよく判るくらいに。
 信頼、喜び、そういった感情が、メルヴィンが傍にいるだけでキュッリッキの表情から溢れ出していた。
 ただ残念なことに、そういうことに鈍感なメルヴィンは、全く気づいていないようだったが。
「メルヴィンに女なんかいない」という期待と「いたらどうしよう」という不安の両方を顔に貼り付けて、キュッリッキはルーファスをじっと見つめた。
 くすぐったそうにルーファスは笑うと、小さく肩をすくめた。

「そーだなあ、オレは聞いたこともないし、女の影は全然感じられないなあ」

 その言葉に、キュッリッキの目が期待に大きく見開かれる。

「ホント!?」
「うん。あの堅物のメルヴィンにカノジョがいたりしたら、すぐにバレバレだからね~。隠れて付き合えるほど、器用じゃないから」

 ルーファスがにっこり笑うと、キュッリッキは肩の力を抜いた。そして安堵したように口元をほころばせた。

(キューリちゃんは、メルヴィンに恋しちゃったのね)

 ベルトルドとアルカネットが何やら愛の告白のようなことを言ったという。でもキュッリッキからは2人に対して、そうした恋愛の雰囲気は一切感じられなかった。
 父性愛丸出しなオッサンたちの押し付け愛よりも、優しくて不器用なメルヴィンにキュッリッキは恋をしたのだ。
 それはとても微笑ましいことだった。なにせライオン傭兵団の中には、そういう純粋な要素が微塵もなかったのだ。しかし同時に、今は遠くにいる親友を思うと残念な気持ちにもなる。
 はっきりと口にしていたわけじゃないが、キュッリッキに気があるのは判っている。彼は可愛い女の子が大好きだから。
 そしてメルヴィンも、どことなくキュッリッキを意識し始めている。それが恋愛感情によるものなのかは不明だが。でもメルヴィンの気持ちが恋愛の方へ傾けば、親友は完全に失恋するだろう。可哀想だが「仕方ないよね~」という気持ちだ。

(しかし2人の想いが成就するには、特大の障壁が邪魔をするだろうなあ…)

 ベルトルドとアルカネットのキュッリッキに向ける愛情が、尋常ではないことはイヤでも判る。ただのお気に入りや気まぐれで、キュッリッキをかまっているようには見えない。かなり本気なんだろうなと判るくらいだ。
 きっと、キュッリッキの想いなどお構いなしに、自分たちの愛で押さえつけてしまうだろう。
 誰とどんな結末を迎えるのか判らないが、この不憫な少女が幸せになれるといいな、とルーファスは本気で願った。
 大事な仲間であり、妹のような存在なのだ。味方をするなら、キュッリッキの味方になってあげたい。
 やがて正午を告げる厳かな鐘の音が、静かな部屋の中に鳴り響いた。ハーメンリンナ全体に轟く鐘の音だ。
 物思いにふけっていたルーファスは、鐘の音で意識を戻すと「そろそろかな」と呟いた。

「何が?」

 その呟きにキュッリッキが反応すると、

「もうじき判るよ」

 にっこりと言うルーファスの言葉に、ノックの音が続いた。

「失礼いたします。皆様いらっしゃいましたよ」

 リトヴァが笑顔で告げると、大きく開かれた扉から、ガヤガヤと賑やかな集団が姿を現した。

「ご無沙汰してますね、キューリさん」

 先頭をきって入ってきたカーティスが、にこやかに片手をあげた。

「みんな!!」

 キュッリッキは嬉しそうに声を張り上げると、身を乗り出しベッドから飛び出そうとして、均衡を崩して大きくよろめいて落ちそうになる。

「ちょ、キューリちゃん落ち着いて」

 慌ててルーファスが抱き止め、ゆっくりと座らせる。

「なーんだよ、ケッコー元気そうじゃねーか」

 ニシシッと笑いながらギャリーは身をかがめると、掌でキュッリッキの頭をぽんぽんと叩く。

「しっかしおめぇ、一回り小さくなってねーか? ただでさえちっぱいなのに、ついにまな板になっちまってよ」
「ちゃんとあるもん!!」

 キュッリッキは顔を真っ赤にして抗議する。

「キューリさんよかったご無事で~」
「心配したんだよー!」

 シビルとハーマンが、ベッドに飛び乗ってキュッリッキに抱きついた。お互いこれでもかと、フサフサの尻尾を振り回す。

「ありがとシビル、ハーマン。もう大丈夫だよ」
「キューリてめー、なんつー広いベッドに寝てるんだ! 俺様が大の字になっても余裕ありまくりじゃないか!!」

 いつの間にかベッドに飛び乗っていたヴァルトが、長い両腕と両脚を大きく開いて大の字になって寝そべっている。たしかにヴァルトのような長身が寝ても、余裕はたっぷりあった。

「これなら寝相が悪くても落ちませんね。広々といいベッドです」

 眼鏡をかけ直しながら、ブルニタルが羨ましそうに言う。

「でもね、ベルトルドさんとアルカネットさんに挟まれて寝てるから、アジトのベッドよりも狭いの…」

 キュッリッキがげっそりと言うと、

「あのドSどもと一緒に寝てんのかよ」
「おまえもうヴァージンじゃねーな!」
「スリープレイとか凄いやつだなおまえ」
「ちゃんと眠れてますか?」
「完全におもちゃにされてるな…」
「寝てる間にパンツ見られてるんじゃね」
「悪夢だけ毎日見そうですねぇ」

 皆口々に言いたい放題である。

「まあ、元気そうでよかった」

 フェンリルを肩に乗せたガエルが、キュッリッキの頭に大きな掌をのせた。掌から伝わってくるぬくもりに、キュッリッキは満面の笑顔を浮かべる。
 キュッリッキや仲間たちの賑やかすぎる様子を見て、最後に部屋に入ったメルヴィンの表情も、明るい笑みに包まれた。
 ナルバ山の遺跡での一件以来、離れ離れになっていたライオン傭兵団のメンバーも、ずっとキュッリッキを心配して悶々としていた。
 ルーファスやメルヴィンから日々彼女の様子の報告はもらっていたが、あの酷い惨状を目の当たりにしていただけに、直接会って確認し安心したかったのだ。
 そしてキュッリッキも、みんなに会いたい会いたいと言い続けていた。
 今回メルヴィンとルーファスの計らいで、皆をベルトルド邸に招いて見舞いが実現した。その許可を得るために、メルヴィンがベルトルドに会い行き、留守にしていたのだった。

「俺が許可せずとも、どうせ呼ぶんだろう。ずっと会いたがっていたからな、リッキーも」

 そう言ってベルトルドは了承してくれた。ほかならぬキュッリッキのためならば反対する理由はない。
 こうして3名を除いたライオン傭兵団員が一堂に会して、だだっ広い部屋の中がアジトの談話室のように賑わっていた。



 ワイワイと賑やかになった部屋に、リトヴァをはじめとする数名のメイドたちが、豪華な料理の乗ったテーブルワゴンを、複数台押して入ってきた。

「飯だ飯だ!」

 匂いに反応してヴァルトは元気よくベッドから飛び降りると、ワゴンに飛びついて空の皿を手にとった。

「さあ! 俺様の皿にお菓子を盛るがいい!」
「毒でも食べてろ、うるさい奴…」

 ペルラがため息混じりに言うと、ヴァルトが心底嬉しそうに目を輝かせた。

「お昼ですからね、ありがたくいただきましょうか」

 カーティスがそう言うと、みんなワゴンの周りに群がった。

「はい、キューリさんのぶん」
「ありがとシビル」

 大きな白い皿にはたくさんの料理が盛られていたが、キュッリッキはそれを久しぶりに美味しそうだと思った。いつもなら食べる前に匂いでうんざりするところだ。
 皆皿を手に、思い思いの場所に座って食べ始めた。もごもごと口を動かしながらも、なにやら賑やかに会話が飛び交う。
 メイドたちも給仕に大忙しで、新しい料理や菓子の皿が、次々と追加された。見舞いということで、酒は出されなかった。

「ああ、ルーファス、そろそろあちらと繋いでくださいな」

 ふと思い出したようにカーティスが言うと、すっかり忘れてた、とルーファスが舌を出す。
 それをキュッリッキが不思議そうに見ていると、

「イソラにいるザカリー、マーゴット、マリオンの3人と、念話をつないでもらうんですよ」

 メルヴィンの説明に、キュッリッキの表情にサッと緊張のようなものが過ぎった。

「おっし、つながった。みんなー、声出して喋っても大丈夫だから」

 ルーファスの合図と同時に、

(おい大丈夫なのかキューリは!! 無事か!? 生きてるのか!?)

 けたたましいザカリーの声が、その場にいた全員の頭に喧しく轟いた。

「うるせーぞザカリー! ちったー静かに喋れ」

 ギャリーが即つっこむ。

(おめーなんか後回しだよ、それよりキューリ喋れるのか、まだ寝てるのか?)

 念話の声はイライラしていて、みんな「ヤレヤレ」と首を振った。

「アタシなら大丈夫だよ、ザカリー」

 キュッリッキは穏やかに答えた。

(ああ…よかった、ちゃんと喋れるんだな、大丈夫なんだな、よかった……)

 心底安堵したザカリーの声が、波が引いていくように小さくなる。

(キューリちゃんよかったぁ~、元気になったんだねぇ)

 明るく間延びしたマリオンの声が割って入る。

(ザカリーは安心しちゃってぇ、ナメクジみたいに溶けてるよぉ~)

 多人数中継のため、双方の映像までは念話で送受信出来ていなかったが、その様子が容易に想像できて、みんな大笑いだった。
 キュッリッキは苦笑をおさめると、真顔になって口を開いた。

「ザカリーは怪我、大丈夫なの?」
(オレ? オレは全然大丈夫だよ。もう包帯もとっぱらってるし、ピンピンしてるぜ!)
(うんうん。キューリちゃんを毎日思って、真ん中の脚もビンビンしてるもんねぇ~)

 マリオンがいちいち混ぜ返す。

(ばっ! うるさいよおまえは!!)
「ザカリー最低…」
(ちょっまて、別にビンビンは……たまにしてるが……いやいや、してないしてない)
「欲求不満男」
(うっせー格闘バカ!)
「娼婦のねーちゃんと遊んどけよ。帰ってきてキューリ見て襲いかからないように」
(だからそこまで飢えてねーよ! オレの心証最悪にするなおまえら!!)
(アタシで遊んであげよっか~?)
(死んでろブス!!)
(ブスって言われたあああ)
「そのくらいにしておかないと、キューリちゃんがこわ~い顔してるぞ」

 ルーファスの一言に、ザカリーとマリオンの悪態がピタリと止む。
 ふうっ、とため息をつくと、キュッリッキは膝の上の皿を見つめた。

「ザカリーの怪我、アルカネットさんの仕業なんでしょ」

 キュッリッキの言葉に、皆がハッとなる。

「そりゃ、あの怪物の…」

 ギャリーが言い淀む。
 キュッリッキはギャリーを見て、ゆるゆると首を横に振る。

「もう大丈夫だから」

 怪物との一件で、トラウマになっているかもしれない。怪物のことには触れないようにしようと、アジトを出る前にみんなで決めてきた。しかしそれは、無用な心配のようだった。

「ザカリーは遠隔射撃のスペシャリストでしょ、あんなデカイ怪物相手に至近距離で攻撃することはないし、離れていれば逃げられる。それに追いつかれる前に、みんなが足止めするはずだもん。だからザカリーが怪我したってことは、アルカネットさんしかいないよ」

 ギャリーが嘘をついていると気づいたのは、イソラの町にいたときだ。
 アルカネットの殺意は本物であり、キュッリッキが必死に言っても、殺意を引っ込めようとはしなかった。
 薬を飲まされたためそのあとのことは何も知らないが、ザカリーは怪我をしていると言ったギャリーの表情が、どこかやるせなさを滲ませていた。それを見たとき、ザカリーの怪我はアルカネットのしたことだと確信したのだ。

「アタシが心配しないように、みんなで気を遣ってくれたんだよね」

 気遣いは本当に嬉しかったが、そのことがより、キュッリッキの気持ちを重くさせた。
 もともとそういうことには勘が働きやすく、またよく当たる。
 アルカネットがしたことは良くないことだが、責めることは出来なかった。自分を思ってしたことだ。そしてザカリーに対しては、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「ごめんね、ザカリー」

(おまえが謝ることじゃないだろ!!)

 ザカリーは思わずムキになって怒鳴る。

「アタシがいけないの。本当のこと話せないから。まだ、話せないから…」

 ザカリーとの間に溝を作った、種族とコンプレックスのことを。

「気持ちの整理がついたら、ちゃんと話すから。みんなにもちゃんと話すから。だからもうちょっと、時間をちょうだい……」

 泣きそうになるのを懸命に堪えた。こんなときベルトルドやアルカネットがいれば、思い切り泣けただろう。でも、いまは堪えなくてはならなかった。
 室内が静かになる。みんな黙って、キュッリッキの様子を見守った。

「……話の腰を折るようだけどよ、ちょっと質問いいか、キューリ」
「うん、なに?」

 遠慮がちに口を開いたギャリーに、キュッリッキが顔を向ける。

「おまえあの神殿をずいぶん怖がってただろ。あの怪物が現れたり神殿の構造が変わっちまうって、知ってたのか? それで怖かったのか?」
「ああ…そういえば、キューリさんの怯え方は尋常じゃなかったですね」

 ブルニタルが記憶をたどるように呟く。

「んーん、アタシはなにも知らなかったよ。中に入ったらいきなり凄い揺れて、神殿の中が一瞬で迷路みたいになっちゃったし、急に目の前にあの怪物が現れたの」

 今でも思い出すと、ゾッとする姿の大きな怪物。

「なんかものすごく、怖い感じが神殿からしてたの。足がすくんじゃうくらい怖い気配みたいなもの。近寄っちゃいけない、危ないよって。そんな気がしてて」
「じゃあ、具体的なことは判らずだったんだな」
「うん」
「私からも疑問が一つ。何故召喚しなかったんですか? それに私やベルトルド卿にあずけていた小鳥も、忽然と消えちゃいましたし」

 カーティスは手を挙げ、不思議そうに言う。皆も気になっていた一つだ。

「召喚しなかったんじゃなくて、できなかったの。フェンリルもいきなり消えちゃったし、アルケラが視えなくなっちゃって」

 ガエルは肩に乗るフェンリルを見ると、フェンリルは悔しそうに喉を鳴らした。

「フェンリルが言うには、アルケラへ強制送還されちゃったんだって」
「フツーにそんなことできるん?」

 ルーファスの質問を否定して、キュッリッキは考えるように俯く。

「召喚士はアルケラを、アルケラという世界をこの目で視るの。そしてアルケラにいる住人をこちら側に招いて、用事が済んだらアルケラへ還してあげるのね。召喚士に招かれたアルケラの住人たちはそれがたとえ神様でも、自由意思で暴れたり力を使ったり、還ったりしちゃいけないルールがあるの。唯一の例外は、召喚士を守るために、生命の危険とか危機に自発的に動くことが許される。でも人や環境に害を与えることは、自分たちの意思でおこなっちゃいけないの。そして呼び出した召喚士しか、還すことは出来ないはずなんだけど……」

 フェンリルをあの場から排除するように働いた、なにかの強大な力。

「フェンリルはね、神様なの。今はこっちの世界で違和感ないように仔犬の姿になってくれているからそうは見えないと思うけど。そのフェンリルを強制的に排除して、かつアタシの〈才能〉スキルを封じ込めた力が、あの神殿にはあったの」
「なるほど…」

 カーティスは腕を組むと考え込んだ。
 召喚士の〈才能〉スキルを封じ、神を排除する力。

(お聞きの通りです、ベルトルド卿)
(すまんな)

 途中からカーティスは、ルーファスとマリオンの繋いだ念話から、ベルトルドの念話に切り替わっていた。

(聞いたか? アルカネット、シ・アティウス)
(はい。随分と危険な代物のようですね、あの神殿は)
(これで確証を得ましたな)
(こっからは秘密の会談だ。戻してやる。ご苦労だったなカーティス)
(いえ。ではでは…)

 何やら気になる発言を聞いたところで追い出され、ルーファスとマリオンの念話に戻された。
 キュッリッキを慮って聞けずにいた、どうしても知りたかった今の事実。この機会に聞かせてもらおうと、ベルトルドからいきなり念話がきて、いっときカーティスとベルトルドの意思が繋げられたのだった。どうやら盗み聞きをしていたらしい。

「まあ、もうあの神殿に近寄ることはないでしょうし、原因究明は我々には関係なさそうですね」

 ブルニタルがそう締めくくろうとすると、

(それが、そうもいかねーみたいなんだよな)

 ザカリーが意味ありげに続く。

「どういうことでしょうか?」

(アタシらがこっちに残された理由はさあ、ザカリーの子守もあるんだけどぉ~、ソレル王国とか近隣諸国の偵察とか、諸々あったんだよねえ)

 ザカリーの言葉を継いで、マリオンが説明に入る。

(もんのすごぉ~~~~っく、キナ臭いんだよねぇ、ソレル王国とその周辺)
「それってつまり……」
(ああ、戦争が近いってことだぜ)

 不敵な笑みを含んだザカリーの声に、皆の顔に緊張が走った。

「戦争…」

 腕を組み、カーティスはぽつりと呟く。

(ケレヴィルの連中に手を出したこと、派手に国内で軍を動かしたことといい、ソレル王国の動向は、オッサンの勘に引っかかるモノが多かったらしいぜ)
「それでなのか、徹底的に首都を制圧してましたしねえ」
(キューリちゃんをエグザイル・システムに通すため、てのもあったようだけどぉ。あれはちっと、やりすぎぃ~)
「まあなんにせよ、今日明日ドンパチ始まる話じゃねえし、もっと状況がハッキリしてきてから悩もうぜ」

 ギャリーが締め括ると、皆頷いた。
 キュッリッキを元気づける目的もある見舞いで、キナ臭い話で深刻になっては意味がない。詳しい話は、ザカリーたちが帰ってきてからすればいいだけだ。
 その後は飲み食いしながら、みんなの近況やら、脳筋組み――とくにガエル、ヴァルト、タルコットの3名――の腕自慢話で盛り上がった。
 そうして楽しく賑やかな時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
 すでに空は夕焼けでオレンジと紫色に染まり、薄暗くなった部屋には灯りがともされ、それをきっかけにしたようにカーティスが立ち上がった。

「そろそろ、おいとましましょうか。夕飯時ですしね」

 豪華な食事――途中で酒も大量に追加させられた――が振舞われ、ドンちゃん騒いでいたみんなは、そうだな~などとぼやきながら、ぽつぽつ腰を上げる。

「晩ご飯も食べていったらいいのに」

 身を乗り出しながら、至極残念そうにキュッリッキが言うと、

「アルカネットの野郎と鉢合わせる前に、オレら帰るぜ」
「アイツの顔見て飯が食えるかー!!」

 ギャリーとヴァルトが、心底嫌々そうに言う。

「また来ますよ。というより、早く元気になって戻ってきてください。みんなで待ってますから」

 にこやかに言うカーティスに、キュッリッキは大きく頷いた。
「戻ってきてください」という言葉が、キュッリッキの心を強く励ました。
 何時までも弱気になっていられない、早く元気にならなきゃ。そう心の中で誓う。

「オレ、みんなを下まで見送ってくるよ。メルヴィンはキューリちゃんのそばにいてあげて」
「はい」
「またな、キューリ」

 皆口々にキュッリッキにさよならを言いながら、入ってきた時と同じように、ガヤガヤと賑やかに部屋を出ていった。
 彼らの後ろ姿を見送り、メルヴィンは部屋の扉を閉める。賑やかな声が次第に聞こえなくなると、室内は驚く程静まり返った。

「一気に静かになりましたね」

 苦笑混じりに言われ、キュッリッキはクスッと笑う。

「みんな元気そうでよかった。ザカリーの怪我も、大丈夫だったみたいだし」
「そうですね。あとはリッキーさんが、元気になるだけですよ」
「うん」

(怪我の治りは順調なんだもの、いつまでも病人みたいに、寝てばかりじゃダメなんだから)

 この頃は過去の辛い記憶に翻弄されて、ずいぶん気弱になってしまっていた。でも、仲間たちの顔を見て早く元気になろうと強く思った。
 優しく見つめてくるメルヴィンに気づいて、キュッリッキは思わず顔を俯かせる。
 喧騒が去って静まり返った室内には、2人だけしかいない。急にメルヴィンの存在を強く意識してしまい、恥ずかしくなって目が合わせられなくなってしまった。
 メルヴィンがそばにいる、声が聞こえる、息遣いを感じる。それだけのことで、何か熱いものが身体中を駆け巡っていた。

(メルヴィンと、ふ、ふ、2人っきりっ)

 心臓がいきなりドキドキしだした。頬に熱を感じて、自分の顔が赤くなっていることに気づく。そのことが知られたくなくて、慌ててシーツに潜り込んだ。

「どうしました?」

 いきなりシーツを目深にかぶってしまったキュッリッキに驚いて、メルヴィンはベッドに腰を下ろした。気分でも悪くなったのだろうか。

「リッキーさん?」

 覗き込むように声をかけると、消え入りそうなほど小さな声で返事があった。

「なんでも……ないの、ちょっと疲れちゃっただけ、だから…」
「……そうですか。じゃあ、もう休んだほうがいいかな」

 そう言って首をかしげながらも立ち上がる。せっかく2人きりになれたのだし、少し話でもしようと思っていただけに、メルヴィンは残念そうに息をついた。
 今日はずっと出かけていて、あまり話もしていなかった。

「オレは自分の部屋に戻りますね。何かあったら呼んでください。では、おやすみなさい、リッキーさん」
「おやすみなさい、メルヴィン」

 ほんの少しだけシーツから顔を出し、部屋を出ていくメルヴィンの後ろ姿を見送る。
 扉が閉められると、キュッリッキは大きく息を吐き出した。
 そんなキュッリッキの様子を、クッションの上から見ていたフェンリルは、なんだろうと首をかしげる。

「アタシ、このままじゃ心臓がパンクしちゃう」

 突然降って沸いたような感情に、自分でもびっくりしてしまう。
 メルヴィンと2人きりになると意識してしまい、鼓動が早くなり、顔が赤くなる。どう目を合わせていいか戸惑い、一言一句全てに身体が過敏に反応した。
 そしていなくなると、急に寂しい気分に包まれると同時に、どこかホッとしてしまうのだ。

「こんなの初めてだから、きっとアタシ、病気かもしれない」

 キュッリッキの呟きに、フェンリルは違う違うと首を振る。しかしキュッリッキはフェンリルのほうを見ていない。
 常に身近にいるベルトルド、アルカネット、ルーファスの3人に、こんな感情は湧いてこない。何故、メルヴィンにだけ沸いてしまうんだろう。それも、この数日のうちに急になのだ。
 とんでもない病気に罹ってしまったようだ。

「明日ヴィヒトリ先生に聞いてみよ…」

 しかし翌日ヴィヒトリに質問すると、

「医者には治せない課題を堂々と突きつけてくるな、このアンポンタンめ!!」

 と、盛大に怒鳴られて、絶句する羽目になるのだった。
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