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終章 狩人の武器はハートのエース
7.
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道仁が運転する車のなか、そして、家で食べそびれたブランチのかわりに昼食を取ろうと途中で寄ったレストランでは、コンペに出す車のデザインの話題に終始した。道仁があえて本題を避けたのは、琴子をリラックスさせるためだろう。はじめはぎこちなかったものの、琴子は徐々にいつもの調子に戻った。
けれど、それも道仁の住み処に入るまでで、また緊張感がぶり返している。
「座ったら?」
ダイニングとリビングの間で立ち尽くした琴子に、キッチンから道仁が声をかけた。
キッチンではグラスのかち合う音がして、冷蔵庫の開閉音が続く。静けさのなか、グラスに飲み物を注ぐ音も簡単に捉えられる。
「まえにもあったな」
道仁は独り言のように云いながら、両手にそれぞれグラスを持ってキッチンから出てきた。
「グレープフルーツのソーダ割……」
琴子がグラスを見てつぶやくと、道仁は笑みを浮かべた。
「“まえにも”って思いだすまでもないけど、今日ははじめてここに来たときみたいに逃げださないだろう?」
道仁はからかっているようでいて、餌を目の前にしつつ逃亡する隙を与えまいとする豹のようにどこか用心深い。
琴子がいまここにいるのは、道仁の云うとおり梓沙と壮輔をふたりにしたほうがいいと思ったこと、そして道仁が強引に連れだしたことによるもので、そうでなければ尻込みしていたかもしれない。
梓沙が云う“仲直り”はしたい。けれど、今回の騒動で琴子と道仁の間には格差という、見合わない環境が鮮明になった。
梓沙と壮輔、ふたりともが前向きな気持ちになったことは確かで、子供についても壮輔が見捨てるようには感じられず、琴子が心配する必要はなくなった。ただ、道仁と同じように、時間をくれ、と壮輔が云った言葉には、両親のこともおそらく含まれている。身辺調査をするくらいだ、きっと簡単ではない。
「道仁さんの云い分を聞かないとフェアじゃないから」
「なるほど」
琴子の返事に安心したのか道仁は可笑しそうにして、それなら座って、と、ソファの間のテーブルに行って、向かい合わせの位置でグラスを据えた。
道仁がさきに片側に座れば、必然的に琴子の座る位置も決まる。アパートでの助け船もそうだったけれど、道仁といると琴子は選択することや迷うことから解放されてらくになれる。
「どこから始めようか」
その言葉は話を始めるきっかけにすぎず、道仁は戸惑っているわけではない。その証拠に、まず、とすぐに言葉を次いで本題を切りだした。
「琴子と違って、おれは別れるなんてことを思ったこともかすめたこともない。琴子のことをすべて違わず同レベルに立って理解することは、残念だができない。けど、だれよりも近く理解できているつもりだ。そうありたいといつも思っている」
別れを覚悟して打ち明けたあのとき、道仁が発した『残念』という言葉がそんな意味を持っていたとは思っていなくて、琴子は目を丸くした。
だから――と、道仁は強い口調で続け、そして琴子に云い聞かせるように、中途半端にいったんは言葉を句切った。
「今回のことで、おれが失望し、怒るとしたら、それは琴子がおれのことを信用も当てにもしてないせいだ」
一言一句、はっきりと発した道仁の声はきつくありながら、琴子を責めると同時に道仁自身が傷ついているように訴えかけてくる。
「当てにしてないのはそうかもしれない。……でも……」
「“でも”、当てにする甘え方がわからない?」
道仁は、惑ったのち反論しかけた琴子をさえぎって代弁した。
琴子は云い当てられたことに驚きつつ目を見開いて、それからためらいがちにうなずくと、道仁はふっと笑みを漏らして、おどけたピエロのような面持ちになった。
「おれは琴子のことをある程度までは確かに理解できている。だろう? お母さんの再婚をどう思っているか聞いたとき、琴子は独りでがんばってきたんだなとわかった。琴子は精神的にお母さんを支える側だったんだ。早くから心配をかけないよう大人であろうとして、気持ち的に独り立ちしていた。そのせいで、簡単に人を信じて頼ったりしない」
琴子は、肯定とも否定ともつかない曖昧さで首を傾けた。
「道仁さんを信じていないなんてことはない。ただ、わたしは人に云えないことをやってるの。だから、正々堂々とした道仁さんにふさわしくない。そう思っただけ」
「正々堂々と? おれが?」
道仁はまるでそうではないと云わんばかりに、可笑しそうにしながらも自虐めいて薄く笑った。
道仁が運転する車のなか、そして、家で食べそびれたブランチのかわりに昼食を取ろうと途中で寄ったレストランでは、コンペに出す車のデザインの話題に終始した。道仁があえて本題を避けたのは、琴子をリラックスさせるためだろう。はじめはぎこちなかったものの、琴子は徐々にいつもの調子に戻った。
けれど、それも道仁の住み処に入るまでで、また緊張感がぶり返している。
「座ったら?」
ダイニングとリビングの間で立ち尽くした琴子に、キッチンから道仁が声をかけた。
キッチンではグラスのかち合う音がして、冷蔵庫の開閉音が続く。静けさのなか、グラスに飲み物を注ぐ音も簡単に捉えられる。
「まえにもあったな」
道仁は独り言のように云いながら、両手にそれぞれグラスを持ってキッチンから出てきた。
「グレープフルーツのソーダ割……」
琴子がグラスを見てつぶやくと、道仁は笑みを浮かべた。
「“まえにも”って思いだすまでもないけど、今日ははじめてここに来たときみたいに逃げださないだろう?」
道仁はからかっているようでいて、餌を目の前にしつつ逃亡する隙を与えまいとする豹のようにどこか用心深い。
琴子がいまここにいるのは、道仁の云うとおり梓沙と壮輔をふたりにしたほうがいいと思ったこと、そして道仁が強引に連れだしたことによるもので、そうでなければ尻込みしていたかもしれない。
梓沙が云う“仲直り”はしたい。けれど、今回の騒動で琴子と道仁の間には格差という、見合わない環境が鮮明になった。
梓沙と壮輔、ふたりともが前向きな気持ちになったことは確かで、子供についても壮輔が見捨てるようには感じられず、琴子が心配する必要はなくなった。ただ、道仁と同じように、時間をくれ、と壮輔が云った言葉には、両親のこともおそらく含まれている。身辺調査をするくらいだ、きっと簡単ではない。
「道仁さんの云い分を聞かないとフェアじゃないから」
「なるほど」
琴子の返事に安心したのか道仁は可笑しそうにして、それなら座って、と、ソファの間のテーブルに行って、向かい合わせの位置でグラスを据えた。
道仁がさきに片側に座れば、必然的に琴子の座る位置も決まる。アパートでの助け船もそうだったけれど、道仁といると琴子は選択することや迷うことから解放されてらくになれる。
「どこから始めようか」
その言葉は話を始めるきっかけにすぎず、道仁は戸惑っているわけではない。その証拠に、まず、とすぐに言葉を次いで本題を切りだした。
「琴子と違って、おれは別れるなんてことを思ったこともかすめたこともない。琴子のことをすべて違わず同レベルに立って理解することは、残念だができない。けど、だれよりも近く理解できているつもりだ。そうありたいといつも思っている」
別れを覚悟して打ち明けたあのとき、道仁が発した『残念』という言葉がそんな意味を持っていたとは思っていなくて、琴子は目を丸くした。
だから――と、道仁は強い口調で続け、そして琴子に云い聞かせるように、中途半端にいったんは言葉を句切った。
「今回のことで、おれが失望し、怒るとしたら、それは琴子がおれのことを信用も当てにもしてないせいだ」
一言一句、はっきりと発した道仁の声はきつくありながら、琴子を責めると同時に道仁自身が傷ついているように訴えかけてくる。
「当てにしてないのはそうかもしれない。……でも……」
「“でも”、当てにする甘え方がわからない?」
道仁は、惑ったのち反論しかけた琴子をさえぎって代弁した。
琴子は云い当てられたことに驚きつつ目を見開いて、それからためらいがちにうなずくと、道仁はふっと笑みを漏らして、おどけたピエロのような面持ちになった。
「おれは琴子のことをある程度までは確かに理解できている。だろう? お母さんの再婚をどう思っているか聞いたとき、琴子は独りでがんばってきたんだなとわかった。琴子は精神的にお母さんを支える側だったんだ。早くから心配をかけないよう大人であろうとして、気持ち的に独り立ちしていた。そのせいで、簡単に人を信じて頼ったりしない」
琴子は、肯定とも否定ともつかない曖昧さで首を傾けた。
「道仁さんを信じていないなんてことはない。ただ、わたしは人に云えないことをやってるの。だから、正々堂々とした道仁さんにふさわしくない。そう思っただけ」
「正々堂々と? おれが?」
道仁はまるでそうではないと云わんばかりに、可笑しそうにしながらも自虐めいて薄く笑った。
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