恋愛コンプライアンス

奏井れゆな

文字の大きさ
上 下
59 / 64
終章 狩人の武器はハートのエース

5.

しおりを挟む
 小ぢんまりしたLDKの室内は、背の高い道仁と壮輔が加わるととたんに窮屈に感じる。あまつさえ、以前、ここで四人で飲み明かしたことがあるけれど、そのときの和気あいあいとした楽しさとは程遠く、気まずさしか感じない状況下、狭い密室に閉じこめられたような息苦しさを覚える。
 どこに目をやりようもない。そんな琴子の戸惑いは梓沙の攻撃的な言葉に掻き消される。
「お互いに別れるって合意してるのに、はっきりさせることって何? はっきりさせてなんの意味があるの? もう関係ないじゃない」
「関係ないって、本当にそう云いきれるのか。脅迫も嘘も、いいかげんにしてくれ」
「嘘なんて吐いてない。壮輔の家で勝手にわたしの過去を粗捜ししたんじゃない。だいたい、わざわざ云う必要ある? 男とベタベタお喋りするバイトだったからって、わたしはいちいち男たちと寝てない。壮輔だって童貞じゃなかったじゃない。過去の女のことを根掘り葉掘り聞きだしたら、壮輔は気分がよくなったの? どうしてその女と寝たのって文句を云っても、不快でもなんでもない? そういうことをわたしにしてるんだよ?」
「そんなことじゃない……」
「“そんなこと”? “そんなこと”を大問題にしたのは壮輔じゃない!?」
 梓沙は咬みつくように云い、壮輔は口を噤んだ。それは窮したように見えたけれど、そうではなく、昂っていた感情が覚めて我に返ったようにも見える。梓沙のほうはヒートアップして、云わなくていいことまで云いそうな気配だ。
 梓沙が云ったとおり、梓沙は脅迫を引っこめて別れることを受けいれたのだから、壮輔がここにいる意味はない。壮輔が別れる気なら。
 つまり、そういうことなのだ。
 琴子の中に希望が差す。少なくとも、梓沙にとっていま以上に悪いことにはならない。
「梓沙、ちょっと待って。さっき云われたことをそのまま返すよ。梓沙はちゃんと壮輔さんの云い分を聞くべき。聞いても同じって云うんだったらなおさら。だれも損をしないんだから。でしょ?」
 ぱっと琴子に目を向けた梓沙は、壮輔に対してそうしていたように睨めつけるようだ。反論しそうな勢いだが、実際にはそうせず、梓沙は迷っている。その本心は、壮輔への未練であり、梓沙の壮輔に対する気持ちが本気だということの裏返しのはずだ。
「梓沙ちゃん、おれもそうすることを勧める。とりあえず、座ったほうがいい」
 道仁が琴子の加勢をした。それなら琴子の結論は希望ではなく、正解なのだろうか。道仁を見ると目が合い、琴子、と呼びかけた。
「コーヒーを出してくれる?」
 琴子が無言のままうなずくと、道仁もまた軽くうなずいた。
「梓沙、座ってて。壮輔さんも」
 琴子に続いて道仁の勧めは説得に足りたのだろう、梓沙は渋々とではあったけれどラグの上に座った。壮輔がそれに倣うのを目の隅に捉えながら琴子はキッチンに向かった。
「壮輔、話すまえにちゃんと考えろよ」
 道仁は壮輔に忠告したあとキッチンについてくる。その手には紙袋を持っていて、ケーキだ、と琴子に掲げてみせると、壁につけたキッチンカウンターの上に置いた。その下の食器棚を覗いて皿とコーヒーカップを取りだす。それもカウンターに置き、道仁はちらりとダイニングテーブルを見やった。
「ブランチの途中……というか、まだ手をつけてもいないみたいだ」
「わたしは起きたばっかりって云ったのに、道仁さんは嘘だと思ってる」
 淹れたばかりのコーヒーの粉を捨てて、新たにセットをしながら琴子は云い返した。
「嫌味じゃないだろうな。おれは琴子にだまされたなんて思ってない」
 琴子は無自覚に道仁に目を向けた。自分に都合よく解釈してしまいそうで、その言葉を正確に受けとめられる自信はない。
「だますって……大げさな云い方。起きたばっかりじゃなくても、それは大した嘘じゃない」
 琴子が素っ気なく云うと、道仁ははっきり聞こえるほど大きなため息をついた。
「噛み合ってないな。けど、いまはそれを正すときじゃない。壮輔と梓沙ちゃんの話がさきだ」
 その言葉に、琴子は後ろを振り向いてみた。
 壮輔は、梓沙の斜め向かいに座って、ベランダへと出る窓のほうを見やっている。道仁の忠告に従って、話すべきことを整理しているのだろうか。
 梓沙は自分で注いだコーヒーをひと足先に飲んでいる。コーヒーは妊婦によくないんじゃないか。ふとそんなことを思って口を開きかけ、道仁と壮輔がいる前ではまずいと気づいて琴子は口を閉じた。
 そうして、インターホン越しに応対していたときのことを思いだす。
 道仁に目を戻すと、紙袋から箱を取りだして、さらにその中からケーキを取りだしていた。紙袋には、いま人気のある洋菓子店の名があって、中身は二つ、抹茶色をしたモンブランが出てきた。
「道仁さん、さっき聞こえてた?」
 潜めた声は、コーヒーメーカーの湯が沸く音によって紛れただろうか、曖昧な問いかけに道仁は顔を上げて琴子を見やった。
「希望を見す見す取り逃すようなことはしない」
 なんのことだか、道仁の云うとおり、話していることは噛み合っていない気がして、琴子は顔をしかめた。道仁は何かを払うようにかすかに首を振る。
「まずは琴子たちが美味しいものを食べてからだ。少しは前向きに気分がよくなるように」
 おれからの賄賂だ、と道仁はにやりと口を歪めた。
しおりを挟む
登録サイト 恋愛遊牧民R+
感想 0

あなたにおすすめの小説

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

社内恋愛の絶対条件!"溺愛は退勤時間が過ぎてから"

桜井 響華
恋愛
派遣受付嬢をしている胡桃沢 和奏は、副社長専属秘書である相良 大貴に一目惚れをして勢い余って告白してしまうが、冷たくあしらわれる。諦めモードで日々過ごしていたが、チャンス到来───!?

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

クールな御曹司の溺愛ペットになりました

あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット やばい、やばい、やばい。 非常にやばい。 片山千咲(22) 大学を卒業後、未だ就職決まらず。 「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」 親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。 なのに……。 「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」 塚本一成(27) 夏菜のお兄さんからのまさかの打診。 高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。 いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。 とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

誘惑の延長線上、君を囲う。

桜井 響華
恋愛
私と貴方の間には "恋"も"愛"も存在しない。 高校の同級生が上司となって 私の前に現れただけの話。 .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ Иatural+ 企画開発部部長 日下部 郁弥(30) × 転職したてのエリアマネージャー 佐藤 琴葉(30) .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ 偶然にもバーカウンターで泥酔寸前の 貴方を見つけて… 高校時代の面影がない私は… 弱っていそうな貴方を誘惑した。 : : ♡o。+..:* : 「本当は大好きだった……」 ───そんな気持ちを隠したままに 欲に溺れ、お互いの隙間を埋める。 【誘惑の延長線上、君を囲う。】

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...