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終章 狩人の武器はハートのエース
2.
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やはりすぐには反応ができない。
「……はい」
と、詰まる言葉でもないのに琴子の返事は不自然に遅れた。そのうえ、道仁の視線は射貫くようで、身がすくみそうになる。
「カスタマからのデータ処理は伊伏さんの担当だろう?」
「はい、そうです」
こんなふうではだめだ。そう思って応じた返事は、自分でも滑稽なほど意気込んで聞こえた。まるで、やっと一人前の仕事を任された新人だ。本当にこんなふうではさきが思いやられる。“さき”にもここにいるのなら――とそれが前提だけれど。
そこまで考えて琴子はハッと気づいた。いまからというプロジェクトに自分が立ち会っているということは、さきが確証されていることの裏返しだ。
目を見開いた琴子がやっと道仁の視線を受けとめられるようになったとたん、道仁のほうが目を逸らした。もしかしたら、背後を見て戦略室の全員が出ていったことを確認したのかもしれない。正面に顔を戻して、道仁はわずかに肩を落とした。リラックスしたしぐさに見えるけれど、笑みは浮かぶことなく、反対に、かすかだったが気に喰わなそうに眉間にしわが寄った。
「おれのことを悪魔か死神かみたいに怖がらないでくれ」
会議への呼びだしの電話から何かと身構えていることは自分でもわかっていたけれど、道仁の目からそんなふうに見えているとは思わなかった。
「……そんなこと、みち……里見リーダーを怖いとは感じてません」
道仁を名前で呼びそうになって琴子は云い換えた。道仁はすかさず気づいていて、その顔をしかめたのは、琴子が恋人関係から脱しきれていないからか、それともその反対に他人行儀だからか。もちろん、前者に違いなく、後者は琴子の未練にすぎない。
「感じてません、か」
そこになんの意味があるのか、道仁は琴子の言葉尻をそっくり真似て云い、薄く笑う。ため息と同じでやる方ないといったふうにも、無下にも受けとれる笑い方だ。
「里見リーダーを怖がっているんじゃなくて……自分のこれからが心配なだけです」
身勝手な云い分だ。けれど、道仁があからさまに怒ることはなく、其見たことかと琴子を軽蔑するふうでもない。ただ、不満そうなのは変わらず。
「男性不信はともかく、男性恐怖症は洒落にならない。そうじゃないってだけで、おれは甘んじるべきなのか?」
道仁の云っている言葉はわかっても意味がよくわからない。どう答えるべきか、わかるはずもない。
「恐怖症になるような怖いことはされてません。それに……」
「“それに”、何?」
自分で云うのはずうずうしい気がしてためらうと、道仁が琴子を促した。道仁ははっきりしない琴子にげんなりしたようにも見えつつ、本当に続きを訊きたがっているようにも見える。
「新しいプロジェクトの会議に呼んでもらえたことは、やめなくていいって解釈してもかまわないんですよね? だから、怖いんじゃなくて安心をもらってます」
「なるほど」
と、その口調やはり道仁は不服そうで――
「らしくないな。人がいるときは気遣って遠慮してるけど、ふたりのときは自分の意思を持ってずけずけと物を云う。それなのにいまは……」
と、中途半端に言葉を切った道仁はまもなく、まあいい、と首を横に振った。
「仕事を押しつけることで安心するなら、遠慮なく面倒な仕事を頼む。プラヴィのあらゆる製品について、仕様に関するクレームを吸いあげてほしい。あと、顧客アンケートからも同様だ。とりあえず一年内のぶんを。不足であれば追加する」
「わかりました」
琴子の返事を聞き、道仁はうなずいて身をひるがえすと、琴子を置いて出ていった。
パタンとドアが閉まり、昨日に続いて琴子は置き去りにされたような感覚に陥った。そんな負の感覚を払おうと、テーブルに置いた持ち物をぱっと取りあげて会議室を出る。
仕事を奪われたくないならミスを犯さないこと。持ち場に戻って会議の整理をしながら、ようやく落ち着かなかった自分の思考も整理がついて切り替えができると、今度は道仁から頼まれた仕事に期限が示されなかったことに気づいた。
示されなかったら琴子から訊ねるべきだ。やっぱりどこか抜けている。ひとまずいま請け負っている仕事を確認して、スケージュールを組み直した。期限を云い渡されるまえに依頼されたことはどれくらい時間を取られるのか、漠然とでも把握しておいたほうがいい。琴子は、取り扱ったばかりのカスタマからのデータをチェックしてみた。
そうしているうちに、道仁が依頼した仕事の目的がわかってきた。センサー事業に当たってより利便性を追求するためだろう。要するに、クレームやアンケートからアイデアを盗む――というと聞こえは悪く、云い換えれば見いだすのだ。
おざなりの仕事の依頼ではなく、ちゃんと役に立てる仕事ができるのだとわかるとまた少しほっとした。この半年近くの満ち足りた時間に比べれば、雲泥の差でそれが欠けているけれど、琴子は受けいれて、慣れていくしかない。道仁が隣にいない、それは半年前のもとの時間に戻るだけなのに、途方もないことのように感じた。まるで住み慣れた家に帰れないで道に迷っている。
「……はい」
と、詰まる言葉でもないのに琴子の返事は不自然に遅れた。そのうえ、道仁の視線は射貫くようで、身がすくみそうになる。
「カスタマからのデータ処理は伊伏さんの担当だろう?」
「はい、そうです」
こんなふうではだめだ。そう思って応じた返事は、自分でも滑稽なほど意気込んで聞こえた。まるで、やっと一人前の仕事を任された新人だ。本当にこんなふうではさきが思いやられる。“さき”にもここにいるのなら――とそれが前提だけれど。
そこまで考えて琴子はハッと気づいた。いまからというプロジェクトに自分が立ち会っているということは、さきが確証されていることの裏返しだ。
目を見開いた琴子がやっと道仁の視線を受けとめられるようになったとたん、道仁のほうが目を逸らした。もしかしたら、背後を見て戦略室の全員が出ていったことを確認したのかもしれない。正面に顔を戻して、道仁はわずかに肩を落とした。リラックスしたしぐさに見えるけれど、笑みは浮かぶことなく、反対に、かすかだったが気に喰わなそうに眉間にしわが寄った。
「おれのことを悪魔か死神かみたいに怖がらないでくれ」
会議への呼びだしの電話から何かと身構えていることは自分でもわかっていたけれど、道仁の目からそんなふうに見えているとは思わなかった。
「……そんなこと、みち……里見リーダーを怖いとは感じてません」
道仁を名前で呼びそうになって琴子は云い換えた。道仁はすかさず気づいていて、その顔をしかめたのは、琴子が恋人関係から脱しきれていないからか、それともその反対に他人行儀だからか。もちろん、前者に違いなく、後者は琴子の未練にすぎない。
「感じてません、か」
そこになんの意味があるのか、道仁は琴子の言葉尻をそっくり真似て云い、薄く笑う。ため息と同じでやる方ないといったふうにも、無下にも受けとれる笑い方だ。
「里見リーダーを怖がっているんじゃなくて……自分のこれからが心配なだけです」
身勝手な云い分だ。けれど、道仁があからさまに怒ることはなく、其見たことかと琴子を軽蔑するふうでもない。ただ、不満そうなのは変わらず。
「男性不信はともかく、男性恐怖症は洒落にならない。そうじゃないってだけで、おれは甘んじるべきなのか?」
道仁の云っている言葉はわかっても意味がよくわからない。どう答えるべきか、わかるはずもない。
「恐怖症になるような怖いことはされてません。それに……」
「“それに”、何?」
自分で云うのはずうずうしい気がしてためらうと、道仁が琴子を促した。道仁ははっきりしない琴子にげんなりしたようにも見えつつ、本当に続きを訊きたがっているようにも見える。
「新しいプロジェクトの会議に呼んでもらえたことは、やめなくていいって解釈してもかまわないんですよね? だから、怖いんじゃなくて安心をもらってます」
「なるほど」
と、その口調やはり道仁は不服そうで――
「らしくないな。人がいるときは気遣って遠慮してるけど、ふたりのときは自分の意思を持ってずけずけと物を云う。それなのにいまは……」
と、中途半端に言葉を切った道仁はまもなく、まあいい、と首を横に振った。
「仕事を押しつけることで安心するなら、遠慮なく面倒な仕事を頼む。プラヴィのあらゆる製品について、仕様に関するクレームを吸いあげてほしい。あと、顧客アンケートからも同様だ。とりあえず一年内のぶんを。不足であれば追加する」
「わかりました」
琴子の返事を聞き、道仁はうなずいて身をひるがえすと、琴子を置いて出ていった。
パタンとドアが閉まり、昨日に続いて琴子は置き去りにされたような感覚に陥った。そんな負の感覚を払おうと、テーブルに置いた持ち物をぱっと取りあげて会議室を出る。
仕事を奪われたくないならミスを犯さないこと。持ち場に戻って会議の整理をしながら、ようやく落ち着かなかった自分の思考も整理がついて切り替えができると、今度は道仁から頼まれた仕事に期限が示されなかったことに気づいた。
示されなかったら琴子から訊ねるべきだ。やっぱりどこか抜けている。ひとまずいま請け負っている仕事を確認して、スケージュールを組み直した。期限を云い渡されるまえに依頼されたことはどれくらい時間を取られるのか、漠然とでも把握しておいたほうがいい。琴子は、取り扱ったばかりのカスタマからのデータをチェックしてみた。
そうしているうちに、道仁が依頼した仕事の目的がわかってきた。センサー事業に当たってより利便性を追求するためだろう。要するに、クレームやアンケートからアイデアを盗む――というと聞こえは悪く、云い換えれば見いだすのだ。
おざなりの仕事の依頼ではなく、ちゃんと役に立てる仕事ができるのだとわかるとまた少しほっとした。この半年近くの満ち足りた時間に比べれば、雲泥の差でそれが欠けているけれど、琴子は受けいれて、慣れていくしかない。道仁が隣にいない、それは半年前のもとの時間に戻るだけなのに、途方もないことのように感じた。まるで住み慣れた家に帰れないで道に迷っている。
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