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第4章 unfairのちfair
22.
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道仁は驚くでもなく、ただ不思議そうに首をかしげた。琴子が大げさに云っているとでも思っているのだろうか。
「脅した?」
「うん」
「聞こう。話してみるといい」
道仁は促すようにうなずいてみせた。ただ促すのではなく励ますようだと感じるのは、琴子がそう思いたがっているからかもしれない。励まされたところで結果は変わらない。
「梓沙がキャバクラでバイトしているとき、大企業のお客さんをリスト化してた。本当に勤めているのか確認して、そのなかからキャバ嬢と深い関係にある人を探したの。それで、梓沙からその客が来たときは連絡をもらって、わたしは店の近くに待機してた。その客が同伴で帰ってるときにあとをつけて、ホテルに入っていくところを写真に撮るのがわたしの役割。その人には家族もあったし、立場もあったから、脅迫には簡単に乗ってくれた。わたしは、道仁さんが思ってるように真面目じゃないし、いい人間でもない」
琴子が話しているうちに、道仁の顔がだんだんとしかめ面になっていった。
同伴したキャバ嬢が梓沙だったことは伏せたけれど、道仁がそう気づく、あるいはそんな結論にたどり着く可能性はある。けれど、その答え自体が可能性であって、道仁が確信することはできない。
何が発せられるか待っている間、しかめ面が直ることはなくても不快さは窺えない。腕を組んで道仁が何を考えているのか、欠片も見通せないまま、その口がようやく開いた。
「脅迫って具体的には?」
「……プラヴィグループのどこでもいいから、就職できるようにしてほしいってこと」
「それだけ?」
「お金はもらってない」
道仁が訊ねたいのはそれだろうと考えて、琴子が答えると、道仁は薄く笑った。軽蔑があからさまに見えることはないけれど、どうとでも受けとれる笑い方でもあった。
「脅した相手はだれなんだ」
「それは云わない」
道仁がその気になれば犬飼に行き着くだろう。それを知ったところで事態は良くも悪くもならない。道仁が万一、犬飼と接触するとして、そのときもしも犬飼が必死の手段を取るとしたら――それで道仁に悪影響が及ぶとしたら、せめて琴子から犬飼の名を出さないほうがいい。仮にそうすれば、犬飼に完全に仕返しの理由を与えてしまう。
「なるほど。だから、優秀なのに資料課にいたんだな」
道仁もまた当然ながら、その意味を知っていた。
「調べないで。もしかしたら間に別の人が入ってるから」
琴子は慌てて道仁を止めにかかる。道仁はドアに寄りかかったまま肩をわずかにすくめた。イエスかノーか、どちらとも判別できないしぐさだ。
「”もしかしたら”って曖昧だな。そんな不確かな脅迫をしたのか?」
「お互いに知らないほうがいいってこともある。保身は不可欠でしょ。その人だって間に入った人に知られたくないだろうし、わたしのほうは、一歩引いておくことでこれ以上脅迫することはないっていう証明になって、ヘンに恨まれなくてすむ。無謀になれるのは一部の人だけ」
失うものが何もない人、何も考えていないその日暮らしの能天気な人、そして強力なバックのある道楽者か自信家か。道仁の場合は、無謀と見えながら堅実な仕事をして、強力なバックもある自信家だ。
「確かに琴子は用心深い。それが見せかけでなければ」
付け加えられた言葉はどういう意味で放たれたのだろう。口調に特別な感情が乗っているわけでもなく、道仁ははっきりと云わずに、琴子がその答えを導きだすことを待っている。
「……わたしが道仁さんを嵌めたって思ってる?」
「はっ。脅さなくても、人事部に目の利く人間がいるなら琴子は自力で入社できたんじゃないか」
つまり、琴子の答えは正解だったのだ。道仁はおもしろがっているけれど、それが本心かどうかまではわからない。
「賭けの結果を待っているほど余裕があったことはない。確実に決めたかった。道仁さんにはわからない」
自分でも投げ遣りに聞こえた言葉は、道仁を真顔にさせた。
「確かに、琴子の気持ちをすべて真に理解できることはないだろうな。残念だ……」
「どう思ってくれてもいい」
琴子は道仁をさえぎった。次に続く言葉が、“別れよう”ならまだいい。いや、けっしてよくないけれど、そのことはどうにもならないと覚悟した。けれど、このまま会社に在籍させるわけにはいかない、などと云い渡されることだけは避けなければならない。
強く握りしめた手のひらに何かが食いこんで、それが鍵だと気づいて琴子は道仁に近寄った。手を伸ばせば届く距離で立ち止まり、右手を差しだした。その指先にぶら下がった鍵を道仁は目を伏せて見やる。
「別れるのはわかってる。そうなって、梓沙が壮輔さんを脅すことも、わたしが道仁さんを脅すことも絶対しない。でも、わたしも梓沙もプラヴィをやめるわけにはいかないの」
道仁は微動だにせず、ただ伏せていた瞼を上げて琴子を捕らえる。無罪放免にするわけにはいかない、とそんな言葉を待たされているような気がして手がふるえそうになる。耐えられない、と限界を感じた瞬間に鍵は奪われた。
「わかった。時間をくれ」
道仁はくるっと身をひるがえしてドアを開いて出ていった。
ドアの前に立っていたのは、琴子を逃すためではなく、道仁自身が逃げ道を確保するために占領していたのかもしれない。それほど呆気なかった。
「脅した?」
「うん」
「聞こう。話してみるといい」
道仁は促すようにうなずいてみせた。ただ促すのではなく励ますようだと感じるのは、琴子がそう思いたがっているからかもしれない。励まされたところで結果は変わらない。
「梓沙がキャバクラでバイトしているとき、大企業のお客さんをリスト化してた。本当に勤めているのか確認して、そのなかからキャバ嬢と深い関係にある人を探したの。それで、梓沙からその客が来たときは連絡をもらって、わたしは店の近くに待機してた。その客が同伴で帰ってるときにあとをつけて、ホテルに入っていくところを写真に撮るのがわたしの役割。その人には家族もあったし、立場もあったから、脅迫には簡単に乗ってくれた。わたしは、道仁さんが思ってるように真面目じゃないし、いい人間でもない」
琴子が話しているうちに、道仁の顔がだんだんとしかめ面になっていった。
同伴したキャバ嬢が梓沙だったことは伏せたけれど、道仁がそう気づく、あるいはそんな結論にたどり着く可能性はある。けれど、その答え自体が可能性であって、道仁が確信することはできない。
何が発せられるか待っている間、しかめ面が直ることはなくても不快さは窺えない。腕を組んで道仁が何を考えているのか、欠片も見通せないまま、その口がようやく開いた。
「脅迫って具体的には?」
「……プラヴィグループのどこでもいいから、就職できるようにしてほしいってこと」
「それだけ?」
「お金はもらってない」
道仁が訊ねたいのはそれだろうと考えて、琴子が答えると、道仁は薄く笑った。軽蔑があからさまに見えることはないけれど、どうとでも受けとれる笑い方でもあった。
「脅した相手はだれなんだ」
「それは云わない」
道仁がその気になれば犬飼に行き着くだろう。それを知ったところで事態は良くも悪くもならない。道仁が万一、犬飼と接触するとして、そのときもしも犬飼が必死の手段を取るとしたら――それで道仁に悪影響が及ぶとしたら、せめて琴子から犬飼の名を出さないほうがいい。仮にそうすれば、犬飼に完全に仕返しの理由を与えてしまう。
「なるほど。だから、優秀なのに資料課にいたんだな」
道仁もまた当然ながら、その意味を知っていた。
「調べないで。もしかしたら間に別の人が入ってるから」
琴子は慌てて道仁を止めにかかる。道仁はドアに寄りかかったまま肩をわずかにすくめた。イエスかノーか、どちらとも判別できないしぐさだ。
「”もしかしたら”って曖昧だな。そんな不確かな脅迫をしたのか?」
「お互いに知らないほうがいいってこともある。保身は不可欠でしょ。その人だって間に入った人に知られたくないだろうし、わたしのほうは、一歩引いておくことでこれ以上脅迫することはないっていう証明になって、ヘンに恨まれなくてすむ。無謀になれるのは一部の人だけ」
失うものが何もない人、何も考えていないその日暮らしの能天気な人、そして強力なバックのある道楽者か自信家か。道仁の場合は、無謀と見えながら堅実な仕事をして、強力なバックもある自信家だ。
「確かに琴子は用心深い。それが見せかけでなければ」
付け加えられた言葉はどういう意味で放たれたのだろう。口調に特別な感情が乗っているわけでもなく、道仁ははっきりと云わずに、琴子がその答えを導きだすことを待っている。
「……わたしが道仁さんを嵌めたって思ってる?」
「はっ。脅さなくても、人事部に目の利く人間がいるなら琴子は自力で入社できたんじゃないか」
つまり、琴子の答えは正解だったのだ。道仁はおもしろがっているけれど、それが本心かどうかまではわからない。
「賭けの結果を待っているほど余裕があったことはない。確実に決めたかった。道仁さんにはわからない」
自分でも投げ遣りに聞こえた言葉は、道仁を真顔にさせた。
「確かに、琴子の気持ちをすべて真に理解できることはないだろうな。残念だ……」
「どう思ってくれてもいい」
琴子は道仁をさえぎった。次に続く言葉が、“別れよう”ならまだいい。いや、けっしてよくないけれど、そのことはどうにもならないと覚悟した。けれど、このまま会社に在籍させるわけにはいかない、などと云い渡されることだけは避けなければならない。
強く握りしめた手のひらに何かが食いこんで、それが鍵だと気づいて琴子は道仁に近寄った。手を伸ばせば届く距離で立ち止まり、右手を差しだした。その指先にぶら下がった鍵を道仁は目を伏せて見やる。
「別れるのはわかってる。そうなって、梓沙が壮輔さんを脅すことも、わたしが道仁さんを脅すことも絶対しない。でも、わたしも梓沙もプラヴィをやめるわけにはいかないの」
道仁は微動だにせず、ただ伏せていた瞼を上げて琴子を捕らえる。無罪放免にするわけにはいかない、とそんな言葉を待たされているような気がして手がふるえそうになる。耐えられない、と限界を感じた瞬間に鍵は奪われた。
「わかった。時間をくれ」
道仁はくるっと身をひるがえしてドアを開いて出ていった。
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